ワーグナー: 「神々の黄昏」

ジークフリート: アーノルド・ベズイエン
ハーゲン: アイン・アンガー
ブリュンヒルデ: クリスティーネ・リボール
グンター: マルクス・アイヒェ
アルベリヒ: トマス・コニエチュニー
グートルーネ: レジーネ・ハングラー
ヴァルトラウテ: エリーザベト・クールマン、他

指揮: マレク・ヤノフスキ
映像: 田尾下 哲
NHK交響楽団、東京オペラシンガーズ
(2017年4月4日 東京文化会館) 

 ドラマとしての「神々の黄昏」の神髄に触れる思いがする深い感銘をもたらした公演だった。記念碑的な公演となるべく演奏がその直前で留まったのは、主役ジークフリートのロバート・ディーン・スミスが急遽代役になったことだ。そのことが本当に残念でならない。しかし前回の「ジークフリート」同様、満員の聴衆は3時から始まった公演が8時半近くに終わっても、ほとんど誰も席を立たずに、歌手たち、演奏者たち、そして何よりもこのリング・サイクルの偉業を成し遂げた指揮者ヤノフスキに惜しみない拍手を寄せた。このレベルの高い聴衆の存在こそが、この演奏者全員が一体となったレベルの高い熱演を生み出したといえる。

「神々の黄昏」は、主人公ジークフリートの死に向かった悲劇だ。しかしそれは、愛の悲劇というよりは、奸計と謀略、欲望と怨念が渦巻く、どす黒い権力闘争を描いた悲劇だ。
物語は、血縁関係を維持しながら権力者としての地位を保とうとする神々(王侯貴族?)、特にその体制内改革者である主神ヴォータンと、その神々に指輪を収奪されて恨みを持ち、指輪を奪い返して権力の簒奪を企む地下に住むニーベルンク族(苦役労働者?)の対立が大団円を迎えるところを描いている。
ブリュンヒルデと愛で結ばれたジークフリートはハーゲンの奸計にはまり殺され、すべてを知ったブリュンヒルデは自らの身を投じて指輪をライン川に返すことで、ハーゲンの欲望をくじき、さらにはライン川の火がヴァルハラ城への延焼と神々の没落をも予感させるところで4日間のオペラ全体の終わりとなる。

「指輪」は何を象徴しているのだろうか。
当時のドイツの状況や現代風の解釈を加えて言えば「お金(金融的な富)」だろう。だからそれは封建的な富を基盤とした神々の場所とも、苦役を生活の糧の源とするニーベルンク族の場所とも、異なるところに発生し存在する。そしてその異様な力から、愛を諦めたところでは世界権力をもたらすものとなる。
「ニーベルンクの指輪」は、アルベリヒがラインの黄金を盗み出すことろから始まり、ブリュンヒルデがヴォータンの意思を受けて、神々の没落を代償として払ってでもそれをラインに返すところで終わる。愛のない結婚により支えられた神々も、怨念によって権力簒奪を狙うニーベルンク族もともに没落するとすれば、次に現れるのは「指輪」の存在しない、愛によって結ばれた人間社会だというのが、この物語が含意することだ。
そう考えると、この物語の持つ意義はまさに現代的なものだ。金融は現代のすべての問題の根源だからだ。富と貧困の問題も、米大統領選の結果も、イスラム・テロリズムも、根底には金融という人間がコントロールし難い巨大なものがある。

ヤノフスキの指揮は最初から最後まで素晴らしかった。この人は、スコアのすべての音符を理解していて、すべての音符が意味を持って響く。それが、最初の一音から最後の一音まで持続する。第2幕のハーゲンが兵士たちを集める場面での迫力など凄かった。また演奏会形式のメリットも大きく、同じ場面でハーゲンの呼び声に応じて、舞台上に3人の奏者が出てシュティーアホルン(角笛)を吹くところなど大変に楽しめた。私は昔からここのホルンの不協和音が大好きなのだが、ハ音、変二音、二音の3本のシュティーアホルンなる楽器がホントに出てきたことには驚いた。また、第3幕での合唱は6人に抑えられ、実際これが狩りのシーンであることに改めて気が付き、なかなかリアリティのある演奏スタイルだと思った。
解釈論で面白いのは、ポーランド生まれの指揮者ヤノフスキは、指輪を「資本主義」と捉えていることだ。そしてワーグナーが社会主義を志向していたように述べているが、やや言い過ぎの感がある。ワーグナー自身はゲルマン的な価値観に立っており、金融的な富と結びついたユダヤ文化を嫌っていたということなら分かるのだが。
もっとも、金融と資本主義を区別するのは難しいかもしれない。金融を認めたうえでその分配面での不公正を是正するのが現代の資本主義とすれば、人間のコントロールが効かないような金融そのものを否定するのが社会主義でありイスラムと言えるからだ。

歌手で素晴らしかったのは、何といってもハーゲンを歌ったアンガー。ひときわ大きな体から、豊かな低音を響かせ、私の描いているハーゲン像に非常に近かった。ブリュンヒルデを歌ったリボールも、スケールの大きさまでは感じさせないまでも、愛に生きる女性をよく響く声で表現していたと思う。良く響くといえば、グートルーネもヴァルトラウテも印象的。演奏会形式だととかく声がオーケストラに負けてしまいがちだが、この2人は立派。グンターも威厳がありながらハーゲンに悪知恵でかなわない男性をよく表現していたと思う。コニエチュニーはウィーンの公演ではヴォータンを歌ったが、アルベリヒという特異なキャラクターを性格的な歌唱で印象付けた。
問題は、代役の主人公ジークフリートだ。声がない、表現力がない、譜面を読むだけの歌唱、と不満を上げればきりがない。しかし、ディーン・スミスは来日してリハーサルに参加していたというから、ショート・ノーティスで代役を歌ってくれたというべきところだ。すべての責任は体調管理が出来なかったディーン・スミスにある。私はこの柔らかい声質の英雄テナーを非常に楽しみにしていた。他の歌手陣の出来からして、このサイクルは世界最高水準の歌手で固めている。これだけ大きな意義を持った公演の主役がキャンセルということが、どんなにファンを失望させたかをよく知ってもらいたい。

演出というのはないのだが、その代わり映像が付いてかなりの効果があった。「指輪」は凝った演出が多く、物語の時代通りにト書きに忠実に映像化したことが、かえって新鮮だった。山頂が火で囲まれるところのスケール感や、最後のヴァルハラ城の炎上など、想像力を掻き立てられた。

最後にこの素晴らしい演奏をしたN響に辛口の一言。コンサートマスターにキュッヒルを迎えたせいか、弦のアンサンブルは聴かせた。ただ金管は、トロンボーンなどはよかったと思うが、どうも全体に混濁感が否めない。弦をはじめとしたオケ全体にも、もう少し潤い感が欲しい。ヨーロッパのオケと最も違いを感じる部分であり、いつもどうしてなんだろうと思ってしまう。それもこれも、日本を代表するオケと思えばこそだ。

主役の欠如という臥竜点睛を欠いた、しかし日本の「指輪」演奏史に燦然とした足跡を残した演奏会。聴衆に応えるヤノフスキの姿が、いかにも感慨深げだったのが印象的だった。「指輪」が現代にどういう意味を持つのかを改めて日本の聴衆に示してくれたヤノフスキに、また熱気あふれる歌唱を日本の聴衆に聴かせてくれた外国人歌手たちに、そしてすべての演奏者たち、関係者たちに感謝したい。 

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