新時代の教育、社会を語る

学校の役目を大きく変える教育を提案。他にも社会や文化を語る

科学的に考える。測定値、安全意識など。

2016-10-01 | 社会問題
食料、水、空気などを対象に有害物質の有無を測定する事がよくある。何らかのトラブルが発生した後や、定期的な検査など事情はさまざまである。

ここで考えておくべきことは、有害物質がゼロになることはありえないのだ。人体が一切有害な物質にさらされないで暮らすことは不可能なのだ。無菌室で出産され、そのまま病院の無菌室で育てば別だが、そうすると今度は、抵抗力の弱い体になってしまうし、普通の人生をおくることはできなくなる。

また、単位に無知なのも問題で、極端に言えば、ppmという単位がどれほどの量なのか分からない人さえいる。だから有害物質がいくら存在したといっては意味もなく騒ぐ。

また食品などにわずかな有害物質が含まれていた場合、「この程度では人体に害はない。」と言うと袋叩きにあう。いい加減な奴だ。無責任だ、というわけだ。しかしゼロでないとすべてすぐにでも死者が出るとあおるほうが無責任である。

それから発言者の社会的地位で判断する人もいる。例えば政府の何らかの組織に所属している人の発言はすべて政府よりだ。政府に不利なことは言わない、信用ならないというわけだ。科学的知識が皆無な人にとっては、そういう判断材料しか持ち合わせがないので仕方がない面もある。しかし、やはり発言内容は科学的客観的データと照らし合わせて判定すべきである。

政府や大企業の発言は、すべて責任逃れ、隠蔽で、一般人の発言は正しいという偏見は、正しい知識を遠ざける。


食の安全や、事故に関わる報道では、よく乳幼児を持つ母親が、街頭インタビューで登場する。これはマスコミの巧みな扇動である。「子供の命が心配だ。だから責任者はしっかりしろ。」という趣旨の発言がとれるからだ。

子を産んだ母親は、それ以前と比べて安全に敏感になる。独身時代は好きだった恐怖映画が、出産後は怖くて見られなくなったということはよくある。(個人差あり}食品にわずかな異物混入で神経質になっている母親も、独身時代は、台風接近時の海で男とサーフィンをしていたかもしれないのだ。

マスコミは科学的無知につけこんで扇動的な番組を流すべきではない。またマスコミもせめて高校レベルの科学知識を持つべきである。
ジャンル:
科学
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