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将棋で分かる、世間の芸能界汚染。

2017-07-08 | 2017芸能界問題
本来、マスコミ、および一般社会ではほとんど関心を持たないものが、ある理由で一時的に話題になることがある。自然科学はノーベル賞がらみの時しか話題にならない。そして今なら将棋である。

元々将棋などは何ら興味がない。思考が芸能界的である。そのような底辺の世界ではどのような話題が繰り広げられているのだろうか。

まず容姿、要は顔である。次に異性にもてるか否か、あるいは結婚はしているか否か、その予定はあるのか等々。

芸能的価値観では、裸でエベレスト登頂に成功しようと、スポーツで大記録を残そうと、物理の超弦理論を展開しようとそんなことはどうでもいい。容姿が悪ければ、あるいは持てなければ、その人物は無価値になるのだ。世間の一部にある学歴差別などはそれに比べれば実にまともだ。

次に金の話である。いくら稼いだのか。中学生の棋士がそんなにもらっていいのかといった話題だ。

そして礼儀だの先輩後輩だのといった話も芸能頭の人にはおなじみだ。これも専門分野の実力に関係なく、人間関係重視(ただし表面的)という底辺ならではの発想だ。野球などは、監督、コーチ、新人選手、主力選手たちの涙と感動の人情話が、夏のボロアパートのゴキブリのように出てくる。



いや、芸能界じゃなくても容姿の話はする。金の話も関心がある。その他ゴシップ的な話も多いではないかと思うかもしれない。

実は容姿というのは、ある程度はその人の人格や教養が現れている。建前ではそんなことはタブーとなっているが、学問的にも有効な仮説である。しかし芸能界で話題になる容姿は、まともな世間とは違う基準で語られているのだ。要は水商売で受けるかどうかという基準である。普通なら整形くさいとか、馬鹿そうな容姿がもてはやされる。それが芸能界ではなく普通の日常生活で芸能界的なものさしで他人を評価するとどうなるか。会社や役所は壊滅する。金の話なども同様だ。

芸能界に関心がないと話題についていけないなどという職場が、底辺職では今でも残っている。

将棋も大まかに言えば芸能に属するのだろうが、理系的知能を要する専門職であり、芸能界的価値観で語るのはよくないのだ。

ミーハーなファンでも大事にすればその中から本当の愛好者が生まれるという説も嘘である。クラシック音楽でもたまに美人だのイケメンだの障害者だのといった演奏家が出現するが、それらのおっかけが本当に音楽好きになって、バッハから新ウィーン楽派まで聴きまくるという人はいない。

将棋も結局は将棋そのものが面白いと思う人しかファンとして残らないし、将棋界に金を落とさない。そのことを真剣に考えるべきであろう。決して芸能界や暴力団の力を借りるという発想はしてはならないのだ。
ジャンル:
芸能
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