新時代の教育、社会を語る

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高校野球と高齢化社会

2017-08-14 | 2017社会問題
なぜ高校野球などという昭和の遺物がまだ残っているのか。いや、高校生の部活動の一つとして野球部が存在することが変なのではなく、悪評高い自称公共放送が全試合を中継したり、新聞がある程度のスペースをとって報道したりすることが、妙なのだ。

野球というものは、やや呆けた高齢者がぼんやり見るのに適したスポーツである。また、今の高齢者は若き時代から野球に親しんできた世代であり、ルールなども熟知している。また高校生が猛暑の中、がんばる姿を見るのも高齢者にとってはサディスティックな快感になるのだろう。自分たちはエアコンの効いた部屋にいるのだから。

また郷土対抗という安っぽい演出も重要だ。高齢者は居住地、あるいは出身地を応援するのが快感なのだ。実際は野球留学などでそんなものは幻想と化しているが、気づいていないようだ。

さて、このように高齢者に愛されている高校野球であるから、高齢者が逃げるような改革はできない。例えば、猛暑の中、日中に行うのは健康上問題があるが、それは永久に改善されない。また一ヶ所の球場で全試合を行うのもスケジュールに無理が来ても改善しない。


猛暑の中、若者が熱中症で死亡する覚悟で野球をするからこそ、高齢者に人気があるのだ。しかしこれには問題がある。

お笑い芸人が、命がけで危険な行為をして、それをテレビで見た人々がげらげら笑う。あるいはとてもみっともない行為をして笑われる。しかしこれらの行為は、芸人自らそのような職業を選び、自分で選んだ行為である。また、当然その行為に対して対価をもらっている。高校野球とは、似て異なるものだ。

高校野球の出場者は、マゾ的なプレーをして高齢者を喜ばせているが、賃金はもらっていない。高校野球関連企業である新聞社などは明らかに収益を上げているにもかかわらずだ。また、野球は自分の意志でやっているにせよ、真夏の甲子園でやるのは自分の意志ではない。まあ何も考えていないというのが実態だろうが。


結論
残酷なプレーを見て楽しむ場合の条件。プレーヤーに適切な出演料を払うこと。リスクを承知の上で、出場を希望するプレーヤーだけが参加すること。


ジャンル:
スポーツ
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