新時代の教育、社会を語る

学校の役目を大きく変える教育を提案。他にも社会や文化を語る

慶應大学生の暴行事件の感想と大学改革

2016-10-17 | 2016 教育
事件そのものではなく、大学のあり方について、思うところを述べる。

まず、大学が主催となってミスコンなどを開催することがおかしい。私立大学とはいえ、補助金がかなり入っている。イベント自体には公金が入ってなくても、大学生という身分は、一部は税金で維持されているのだ。一方ではノーベル賞につながるような基礎科学への投資が圧倒的に少ない。矛盾しているのだ。

このブログでは、以前にかなりの長文で大学改革を提案したことがある。今でも基本的な考えは変わっていない。現行の大学をアカデミックな研究大学(理系主体だが、文学や歴史なども文化の発展のために必要。ただし定員は現行の1割以下でよい)、そして企業に就職し、高度な知的業務を行うための学校(一般教養や経営、法律、政治などを学ぶ。)その他目的別の専門校(医科大学、法科など)に分けることが原則だ。


売れない百貨店のように、いろんな学部が形だけあって、何の役にも立たない私立総合大学は不要である。

本来、大学進学が不要な人が進学するということも、今回の女性暴行事件の遠因である。若くて暇で勉強しなくてもよいという環境があるのだ。

上記で述べた、学者、高度な知的業務を行う企業、官僚、医者、法曹関係者など以外は、大学進学は不要である。本人のためにならないし、それ以上にまともに学問をしている将来のノーベル賞候補の足を引っ張ることになる。

例えば、テレビ局(女子アナなど)、芸能人などを目指す人のために、専門学校を作ればよいのだ。そうすれば、まともな学問をしたい人はそのような環境で勉強できるし、テレビ局や芸能を目指す人は、それに専念できる。その専門学校には、資質が似ているキャバクラ嬢や風俗嬢志望者も入れるようにすればよいのだ。テレビ局や芸能事務所が出資してはどうだろうか。

いろいろな強い個性が集まり、切磋琢磨するのが総合大学の良さだと主張する人もいるが、それは誤りである。生物学者が数学者と偶然出会って、数学の研究成果が生物学の発展に役立ったというようなことはあるが、芸能人と出会ってプラスになることはないのだ。実際、友人の多い大学生も、似たもの同士がつるんでいるだけであり、それが本能というものである。
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