新時代の教育、社会を語る

学校の役目を大きく変える教育を提案。他にも社会や文化を語る

遺伝と環境、そして学校の環境

2016-09-18 | 教育
この件に関しては、時間があればじっくりと論じてみたいが、今回はメモ程度で。

最近、よく売れている新書などで、遺伝と知能にといての話題が出てくる。知能は努力よりも遺伝の要素が強いという。これは過去に読んだ翻訳本にも同様の研究結果があるので、少なくともいい加減な説ではない。そして努力するかどうかも、遺伝の要素が強いようだ。

それでは学校の役割は何かといえば、各個人の知能に応じて満足度、幸福度を高くすることであろう。低知能の人に数学の面白さを無理に理解させようとしても、虐待のようなものだ。また高知能の人に、つまらない学校行事で感動して泣けと命令しても無理な話だ。

学問の才能のある子供に学校がもっともやってあげるべき事は何か。それは邪魔をしないことである。積極的に何かを押し付けるよりも、邪魔をしないことの方が重要なのだ。

一定の学力がある子供には、全ての授業に出席することを強要しない。できるだけ自習などを認める。

そして若い時期には、親や教師よりも同級、あるいは数年違いのようするに同世代の関わりが、幸福度に影響する。これは将来のためというより、子供時代を幸福に過ごすこと自体が目的である。無意味な苦行は決して将来の成長にはつながらない。

現状の学校では、これは仕方がない面もあるが、ヤンキー的価値観の世界となっている。これは人間の脳が余程進化しない限り、多少の教育改革では、改善しない。つまりヤンキー以外の人にとっては、アウェーの世界で大半の子供時代をすごすことになる。

学校と完全に縁を切る必要はないが、高度な数学を好む者、高度な芸術愛好、鉄道マニアなどでもかまわない。非ヤンキー的サークルのようなところがあれば、精神的安定が得られる。もちろん、狭いコミュニティーで閉じこもるのは良くない。しかし、毎日、朝から晩までヤンキーに合わせて暮らすというのは、才能ある子供を精神的に潰してしまう。

まずは現行の学校のコミュニティーから距離を置く。その上で、科学などの才能を伸ばすための教材などに触れる機会を増やすことである。本当に才能ある子供は、ついつい怠けることがないように注意さえしておけば、勝手に勉強するものである。

学校は非行少年の更生には多少の効果があるが、科学などの才能のある子供を育てることはできない。もっと学校外の力と連携すべきである。
ジャンル:
学校
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