台所裏の洞窟

考えたことのメモ
あるいはバーグ・デイブレイク

人助けモデル

2005-09-17 02:43:56 | Weblog
ワインバーグの思想が非常に強力で、そしてなかなか達成できない一つの理由は、根底思想にある次のモデルがあるからのように思える。

どう見えようと、人は手を貸そうとしているものだ。

これは、実際にそうであるかどうかはともかくとしてそういう方向でものごとを考えよ、ということである。相手が辛辣なコメントをよこしてきた場合にも、ワインバーグ流の思考フィルタを通すと「自分に教訓を与えようとしてやっている」という良い部分だけが抽出され(というよりは拡大され)「自分を馬鹿にしようとしている」という面はスッパリ捨て去られる。実際そうする方が確かにうまくいくのだとワインバーグは主張する。私もそう思う。

しかしこれは通常、相当に苦難を要するものだ。自分を可能な限り罵倒し続ける人の言葉から、その言葉の感情的なトゲを抜き去れる人はそうはいないし、そもそも相手は抜きにくいようにトゲを混ぜているのだから、普通には抜き去れない。仮にトゲを抜き去れたとしても、そのあと、言葉の意味と相手の意図を汲んで良い方向に解釈出来る人となるともうほとんどいない。

人助けモデルにはもう一つの側面がある。ワインバーグは受け手がこのモデルを使うよう促しているが、実は送り手がこのモデルを使うことも出来る。

どう見えようと、私はあなたを助けようとしてやっているのだ。

このモデルを振り回せばどんな罵詈雑言も正当化出来るわけだ。いくらトゲを混ぜても、最後にこのモデルをぱっと振りかざせば、送り手は必ず正義に返り咲く。

受け手が人助けモデルを受け入れるのは難しく、送り手の中に人助けモデルを悪用する者がいる。
この二つの構図が混ざり合い、ワインバーグの期待する状況と正反対の荒野を生み出す。受け手は送り手が助けようとしていようがしていまいが、人助けモデルを悪用しようとしている「ふてぇ野郎」とみなし始める。正しかろうがなんだろうが、「ふてぇ野郎」であり、その時点で正しい間違っているの判断は「行われず」、排除される。最終的には、発言の誤りを訂正するような指摘レベルすら「ふてぇ野郎」の行動に解釈される。

つまり、外部から何かを指摘すれば、相当周到に準備されない限りその人は無条件で「人助けモデルを悪用しようとしているふてぇ野郎」と同列にみなされる。正しいことを言えば人が動くなどという希望はあっさり潰れる。正しいかどうかなど判断される前にその発言はシャットアウトだ。そもそも、普通の人は、発言が敵っぽかったら最初の4文字で弾く。中身の意味など見ない。

要するにレナ状態。

今の世の中、自分が正しいと思うことを人にやろうとするのなら、相当な準備が必要と言うことなのかもしれない。単に正しいからというだけでは駄目なのだろう。そして、周到な準備の末、努力は無駄になる。
キーワード
ワインバーグ
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