MOVIELOVERSCAFE

映画のフリーペーパー、ムービーラヴァーズカフェのブログ。女性監督のインタビュー記事や、60年代ファッションを紹介。

梁英姫監督インタビュー

2007-05-02 19:40:08 | movie
Q 映画監督になられたきっかけを教えて下さい。
A 映画監督になりたい! と思ったことはありません。映画を一本撮ったら映画監督になっちゃいました(笑)。何かを創造する仕事、例えば作家とか映画監督とかってその職種に憧れるよりも、自分が何を作りたいのかをアタタメル事が先で、それが形になった時に肩書きがついて来ると思うんです。
 以前は「ビデオジャーナリストのヤン・ヨンヒさんです」と紹介されることが多かったんですが、その当時は、「どうしたらビデオジャーナリストになれますか?」という質問を学生達から多く受けました。その度にHOW TO(ハウ・ツー)ものっていう本を読んでいるうちはダメだろう、と答えてました。
 例えば、どうしたら彼氏ができるのか、とかのハウツー本を読んでいたら、どんどんつまんない女になるぞ、ということですね。
Q 家族のドキュメンタリー映像を撮り始めたきっかけは?
A 20代の時は自分のバックグラウンドについて考えるのが、しんどかったんです。それが年をとるにつれて自分の家族をおもしろいと思うようになってきました。1993年に山形のドキュメンタリー映画祭に行った時は、ドキュメンタリー映画を観るのがおもしろくて、はまってしまいました。私って、思いたったらすぐ行動するんです。こんなに面白いものがあるんだ! と思い、帰ってきてすぐにビデオカメラを買いました。
 その後、1995年にピョンヤンに家族に会いに行く機会があり、ビデオカメラを持って家族を撮り始めました。
Q ドキュメンタリー映画を作るということのメリットとデメリットを教えて下さい。
A メリットは、低予算でも映画が作れるという点ですね。今まで多くのドキュメンタリー作品によって、感動させられたし、自分もこの表現手段で人の気持ちを揺さぶってみたくなったというか。
 デメリットは、ドキュメンタリー映画の場合、出演者(キャスト)に注文ができない、という点でしょうか。出演者にああしろ、こうしろと、注文をする監督も中にはいらっしゃいますが、私は絶対にそれだけはやらないということを鉄則にしています。だから私はすごく長くカメラを回します。
 そこに撮られる側の無自覚な演技や嘘があるかもしれませんが、それも含めてリアリティーとしての映像に力があるんです。ドキュメンタリー映画を撮ることで、私は自分の家族をヌードにしてしまっている、と自覚しています。家族のプライベートな話を記録して人前にさらすんだから……、とんでもない娘ですよね。
 また、これはメリット、デメリットの答えになるのかどうかわかりませんが、どんな映像作品でも観客は、映像の中の登場人物に自分自身を投影させますよね? 私の映画を観た後に、自分の御家族のお話をされる方がとにかく多いんですよ。そこが、この映画を作って一番よかったな、と思える点なんです。
Q 自分の家族をビデオで撮影しつづけていた時期の家族の反応はどうでしたか?
A 最初の3年間、父はカメラから逃げてました。それがだんだんと輪に入ってくれるようになりました。
 また、北朝鮮にいる私の甥や姪はビデオカメラという存在を知らなかったんですよ。
 ビデオカメラがあったおかげで、私は父との親子関係を再構築できましたし、遠くに離れて暮らす家族とも不思議な絆を作れたような気がします。ビデオカメラは離れて暮らす家族をつないでくれました。
Q 『ディア・ピョンヤン』を北朝鮮でも上映したいですか?
A もちろん、ノーカットで上映できるのであれば、ぜひ上映したいです。
 しかし、現在は『ディア・ピョンヤン』をノーカットで北朝鮮で上映するというのは不可能でしょうね。
Q 映画評論家のおすぎさんが『ディア・ピョンヤン』の映画に、特別協力されていますね?
A ええ、おすぎさんは私の、兄のような、姉のような、母のような人なんです。おすぎさんには、私がアメリカへ留学する際に、「男と別れようが、借金しようが、何があっても行きなさい!」と言って、あのいつものおすぎさんの口調で叱咤激励されました。
Q 次回作の展望や監督の夢は?
A そうですね、今後も家族を題材とした映画を撮りたいと思っています。私は映画を撮る時、おもしろい人に出会ったら、その人に対して作品を作りたいと思います。 ”まず人が先にありき“なんです。
 将来はビデオカメラとジーンズが似合うおばあちゃんになりたいです。いつも笑いの絶えない、ロックンロールドキュメンタリー!!
 ドキュメンタリーというと、暗かったり、重かったり、お勉強みたいなイメージを持っている人たちが、まだまだ大勢います。私の作品を観た人に、「ドキュメンタリーにしては、笑えますね。」と、言われることがあります。
“ドキュメンタリーにしては”、という言葉を失くしたいんです。
Q 最後に、『ディア・ピョンヤン』をこれから観る方々へのメッセージをお願いします。
A 私は自分のことをマッチメーカーだと思ってます。私が撮った映像を通して観客は私の家族とスクリーンを通して出会う、これは新しい出会い系かも(笑)。そして家族、時代、歴史についての思いをシェアする。
 そうですね、メッセージは、“自分の身近にいる人に興味を持ちましょう! ”ということです。

*  *  *

 大阪市生野区で生まれ育ったヤン・ヨンヒ監督が、自身の家族を10年間にわたり追い続けて撮ったドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』は笑いあり涙あり、最愛の父と娘の映画だ。数々の国内外の映画祭にて、栄誉ある賞を受賞。

(撮影:原田奈々)

松梨智子監督インタビュー

2007-05-02 19:39:33 | movie
インディーズ女流作家として、
カリスマ的人気を誇る、松梨監督。
監督の最新作『映画監督になる方法』の、
撮影時のエピソードや、
監督自らの体験談をうかがいました。

Q 映画監督になられた“きっかけ”は何ですか?
A もともとは役者志望で、役者として劇団をやっていました。
 それが、10年ほど前に演出家さんがシナリオを書かないから、「では自分がやりましょう」ということで、監督業を始めることになりました。監督業の始まりは“事故”みたいな始まり方だったんです。
Q 監督業と女優業を選ぶとしたら、今後どちらの方に力を入れていきたいですか?
A 私は女優としてはあまり上手でないですし…。20年前でしたら喜んで女優もやるかもしれませんが。それでも、今私を女優として使いたい、という方がいたら、もちろん女優をやります。ですが、メインは監督業です。
Q 松梨監督は、脚本もすべてご自分で書かれてますよね?
A はい。もともと、他人に頼んで“脚本を書いてもらう”という意識はあまりありません。他人の脚本を映像化しようとは、考えたこともないですし…。
Q 『映画監督になる方法』の製作に入った時期を教えて下さい。
A 4年くらい前の、『近未来蟹工船・レプリカント・ジョー』を製作している頃に構想を考えました。『近未来蟹工船・レプリカント・ジョー』の製作期間が3年くらいかかりました。
 その後、『映画監督になる方法』のシナリオが出来あがった時点で、今回は製作会社を通してやろうと思い、始めました。2004年の夏にオーディションをやり、クランク・インは2005年の1月でした。
Q 映画監督として“やってはいけないこと”とはありますか?
A 顧客(観衆)ターゲットをぶらせるということが、一番やってはいけないことだと思います。つまり、皆に媚びるように作品を作り始めると、結局、誰に向けて作品を作っているのかわからなくなってしまいます。私が映画製作をするうえで、一番気をつけていることは、始めの構想段階の時点の観衆ターゲットを、ぶらせないようにするということです。顧客ターゲットをぶらさないようにすれば、誰が観ても面白い映画ができるんです。
Q 映画のシーンで大吹雪のシーンがありますが、実際の天候も大吹雪だったんですか?
A 雪が降っていない雪景色を撮影して、その上にCGを入れてあります。
Q CGは学校等で学ばれたんですか?
A CGは、PCのソフトの教本で覚えました。
Q 『映画監督になる方法』はカナダ・モントリオール・ファンタジア国際映画祭2005に正式出品されていますね。
A はい。映画祭のためにカナダへ行きました。これが初めての海外旅行でした。学生の頃から、「自分で映画を製作して、映画祭のために海外へ行こう!」と心に決めていたんです。今回、その夢が叶って本当に良かったと思います。まずカナダに着いてびっくりしたことは、夜の8時くらいまで外が明るかったことです。
 それから、カナダの街を歩いているカナダ人はかっこいい人がいっぱいいるのに、上映会場は、カナダ人のオタクばかり!(笑)。若かりし頃の、ピーター・ジャクソみたいな人が、上映会場にいっぱいいました。
Q 『映画監督になる方法』での、メインキャラクター(?)、イチゴちゃんについて教えて下さい。
A 数年前に、インディーズ映画の中で、イチゴのかぶりものをかぶった、女流監督がいました。その監督は今は引退されています。そのイチゴちゃんのビジュアルだけをお借りしました。今回の、『映画監督になる方法』のストーリーは、イチゴちゃんのエピソードではなく、私のエピソードなんです。
Q 『映画監督になる方法』の、撮影時のエピソードを教えて下さい。
A はい。クランク・インの1ヶ月前に、町田マリーさんを工房にお呼びして、石膏で体全体を固めて型を取ったんです。その時は、町田さんと初対面に近かったんですが、全裸になって横になってもらい、石膏で体全体を覆いました。町田さんの体温が低いせいか、本当は、1時間くらいで石膏が固まって、体から石膏が抜けるんですが、1時間経っても全然石膏が固まらないんです。結局、石膏で体を覆われた町田さんの体をぐるぐる回して、持ち上げてみたり、色々と悪戦苦闘して、やっと石膏が抜けた頃には3時間近くかかってしまいました。
 出来上がったマリーさんの石膏像が、どんな風に映画のシーンで使われているかは、映画を観てからのお楽しみです。
Q 雪山での撮影は大変でしたか?
A もちろん、大変な面もありましたが、嬬恋村フィルムコミッションは、撮影の時、私たちにすごく良くしてくれました。嬬恋村フィルムコミッションの方々には宿泊費を安くしていただいたり、場所を提供していただいたりしていただいたり、大変感謝しております。
Q 最後に、『映画監督になる方法』はどんな人に観てもらいたいですか?
A これから監督になりたいという学生さんに、ぜひ観てもらいたい映画です。もちろん、一般の方々にも、ぜひ劇場に足を運んでもらいたいです。誰が観ても面白い映画になっていると思います。
 私の実話をもとにしている作品なので、これから映画監督になろうという人に、すごく参考になる映画です。
 “映画監督になりたい”という人は、たくさんいて、実際に“映画を撮る人”というのが、監督になりたい人の一割程度くらいしか、いないんじゃないでしょうか。PFFに出品できるレベルの作品を作れる人はすごく少ないんです。
 監督になることは、全然難しくないんです。ただ、自分がイメージしていることを映像化するのは、一人では無理なので、協力者を得ることの方が難しいです。“協力者”を得る手段が得られれば、監督業が一番難しくないんです。
 映画を作ることは、難しくはないんですけど、それをきちんとヒットさせてお金にしていくことは大変です。好きで映画監督になるのは誰でもできますが、プロの映画監督になるのは、大変です。


    *   *  *

 映画学校で講師としてもご活躍されている、松梨監督。『映画監督になる方法』は、職業探求系ハウツー本のような難い内容のタイトルだが、実際は映画監督になろうと夢を見ながら日々邁進する若者達を描いた松梨監督の自伝的作品。ミュージカル、スプラッター、カワイイ、パロディなど、様々なテイストを合わせ持った、松梨ワールド炸裂の超娯楽作品だ。

(撮影:野田桂子)

斉藤玲子監督インタビュー

2007-05-02 19:38:35 | movie
Q 通信会社のOLとして働きながら、映画学校へ通っていたという、斉藤監督。映画監督になろうと思ったきっかけと理由をうかがいました。
A NCW(ニューシネマワークショップ)に通い始めたきっかけは、たまたまNCWで映画学校の生徒を募集していて、今までに自分がやったことのないことをやってみようと思いまして、始めました。
 NCWには、クリエイターのコースと宣伝のコースがあり、始めは宣伝のコースにしようと思いました。
 しかし、どうせやるのならば、まったく自分がやったことがないことをしようと思って、あえてクリエイターのコースを選びました。
Q 『アニムスアニマ』と『ノーパンツ・ガールズ外伝』には両方ともオカマの方が出演されてますね。
A はい。ああいう人たちが割と好きなんです。『アニムスアニマ』では、登場人物皆が男性、女性という性の悩みを抱えている中で、ドラッグクィーンの2人が一番安定している存在という役柄でした。ロメダ霧島さんは、普段ショーに出演するドラッグクィーンです。戸川昌子さんというシャンソン歌手の付き人をやってらっしゃる方です。
Q 『ノーパンツ・ガールズ外伝』の撮影期間と場所は?
A 風景撮りも含めて、3日間くらいで撮りました。撮影場所は、さいたま市です。本当はもっと遠くで撮影したかったのですが、よい場所がさいたま市見沼区で見つかりました。ちょうど秋で、田んぼの稲穂がきれいな時期でした。
Q 斉藤監督は画家ではクリムトがお好きだ、ということですが?
A 『アニムスアニマ』では、主役のトキオとスイに、クリムトの絵である“接吻”のポーズと同じように顔の向き、体の位置を合わせて撮影しました。
Q 『ノーパンツ・ガールズ外伝』の“ねらい”は?
A 映画の中では、子供から大人まで全部の年代の女性を出そうと思って、若い子からおばあさんまで登場させています。
 映画を通して女の子の一生を描いています。それが『ノーパンツ・ガールズ外伝』の“ねらい”です。
Q 『ノーパンツ・ガールズ外伝』では、効果音がおもしろいですね。
A はい。たまたまフランス語の童謡が入っているCDがあったのですが、それがすごく好きで、それをもとに効果音にしました。
 他にも候補の音があったのですが、プロデューサーにこんな音がいいと言ったところ、これを使うことになり、カバーしました。
 フランス語で歌われている歌詞をヒヤリングしたままに、カタカナに変えて、知り合いの子供に歌わせているのです。
Q 今後の夢、将来の展望について教えてください。
A 年をとっておばぁちゃんになっても、映画を撮っていけたらいいな、と思います。
 現在は、映画の企画を何本か、あらかじめ用意してまして、すぐに映画会社などに提出できるように、準備をしています。
 映画というモノは、企画ができてから、実際に動き出すまでには、かなり時間がかかります。

斉藤監督の次回作に、ぜひ期待したいです。

(撮影:野田桂子)

安田真奈監督インタビュー

2007-04-26 04:35:20 | movie
Q 監督が映画を撮るようになられたキッカケは?
A 高校時代に、森田芳光監督の『家族ゲーム』を観たんです。家庭教師が普通の中流家庭にやってくるというごく日常的な設定なんですが、なんでこんなに面白いんだろうって思ったんです。全然映像スペクタクルもなければ、大事件が起こるようなドラマでもないんですが、脚本、役者、撮影、音響、演出、全てが光っていました。「社会の大事件」ではなく、「個人の大事件」でも脚本・演出次第で面白くなるのだなぁと思いました。
 その後大学を卒業して、メーカーの会社員になったんですが、その頃は「年1本は映画を撮ろう」という目標を立てて映画を撮っていました。会社員として仕事をしながら、週末や夏休みを利用して映画を撮り続けました。
Q『幸福(しあわせ)のスイッチ』のテーマは、家族の〈絆〉ですよね?
A 例えば、普通のサラリーマンの家庭だと、その奥さんや子どもはなかなか働くオヤジの背中が見えません。しかし、「小さな電器屋」だとその真逆で、人と人との繋がりが濃密なんです。家族のドラマならば自営業という設定にしたい、ってずっと思っていたんです。自営業の中でも、電器屋のようなお客さんの家に上がりこむ商売って、少ないじゃないですか。店頭で小売りをする商売とはお客さんとの人間関係でも格段と深さが違うし、電器屋さんが人間ドラマの宝庫に見えました。オヤジの背中が近くに見える「小さな電器屋」に家族ドラマの舞台として魅力を感じました。
Q 『幸福(しあわせ)のスイッチ』の配役を決定した経緯を教えて下さい。
A プロデューサーとあれこれ相談をして決めました。関西が舞台の映画なので、関西出身の役者さんに演じてもらいたいという、こだわりがありました。
Q セリフの方言がすごく良い雰囲気ですよね。
A ありがとうございます。関西弁がインチキな映画って、関西人が観るとすぐにわかるんですよ。
 セリフがインチキな言葉にならないようにしました。映画の中の和歌山県の田辺弁は、関西の中でも独特な方言です。
 キャストの三姉妹には田辺弁でセリフの読み合わせをしてマスターしてもらいました。関西弁特有のどぎつくない、柔らかい話し方や、関西人ならではの柔らかい人間関係というものの良さをナチュラルに描き出したドラマって、非常に少ないんです。関西出身なので、それを私は担当したいんです。関西ならではの、柔らかい自然な雰囲気を出すために、関西で映画を撮り続けていきたいです。
Q 監督がお好きな場所は?
A 今回、和歌山県の田辺でロケをして、田辺が好きな場所のひとつになりました。ミカン畑のオレンジ色がすごく目にまぶしくて鮮やかなんですよ。梅林が広がっていてのどかで、夜は星空が美しくて、地元の人たちは皆親切で素朴で素敵な所なんです。
 常連のお客さんがミカンジュースを作るエピソードがありますが、あのエピソードは田辺に行ってからできたエピソードですか?
 始めから、電器屋さんに長居するお客さんのエピソードがもともとあって、そこから田辺のミカンのストーリーと結びつきました。映画の中に出てくるエピソードはすべて取材に基づいているんですよ。電器屋舞台を構想しはじめてからは10年、脚本執筆と取材には3年かかりました。
Q 監督はモノを見る視点がとても面白いですね。
A マイナーなモノが好きな、面白がりなんですよ(笑)。今はネジに興味があります。
 次回作はネジをモチーフにしたファンタジー作品かもしれません。
 最後に、これから『幸福(しあわせ)のスイッチ』を観る方々へのメッセージをお願いします。
 毎日楽しいか、つまらないか決めるのは、結局のところ本人次第なんですよね。本人が世の中をどう見るかに尽きると思います。その人ならではの、個人の視点の切りかえ、『幸福(しあわせ)のスイッチ』を見つけてほしいと願っています。多くの方に、ご自身やご家族を重ねて観ていただきたいです。
* * *
 インディーズ映画祭で数々の賞に輝き、TVなどで多くの短編作品を手がけてきた安田監督。監督最新作の『幸福(しあわせ)のスイッチ』は、ささやかでも家族にとっては重大な出来事の数々を描いた、誰もが共感できる優しくて温かい作品だ。電器屋のガンコ親父と対抗する次女、怜を演じるのは若手実力派女優、上野樹里。そのガンコ親父を演じるのは、強烈な存在感を放っている沢田研二。また、三姉妹のうち母親代わりの長女、瞳を本上まなみが持ち前のほんわかとした雰囲気で演じ、天真爛漫な三女、香を中村静香が演じている。 

(撮影:原田奈々)