
1968年5月、フランスの五月革命が物語の背景にある。
五月革命はパリを中心に、学生運動が労働運動と結びついた反体制運動で、反グローバリゼーション、自由と平等と自治が掲げられ、ゼネストに発展して社会危機を生んだ。
結果的に政府は政策転換し、時の大統領ド・ゴールは軍隊による鎮圧と同時に議会解散、総選挙を行い、事態を収拾する。労働者の団結権と大学における学生の自治権がここに認められる。
この革命のさなか、南仏の田舎町での、あるブルジョワジー一家の出来事が描かれる。ミルは一家の長男の名前でミシェル・ピッコリが扮している。母親の死に一族が集まってくる。
当主のいなくなった屋敷の売却を含む遺産相続をめぐる騒動にパリで進行中の革命が影を落とす。家族が集まり、そしてまた去っていく。後に残る寂寥感は祭りのあとのようだ。
「五月のミル」の監督、ルイ・マルはフランスを代表する監督の一人であった。ブルック・シールズが12歳の娼婦を演じた話題作「プリティ・ベビー(1978)」以降、しばらくはアメリカで活動していたが、ナチス占領時代の少年たちを描く「さよなら子供たち(1987、日本公開は1988)」からは再びフランスに戻り、これに続いたのが「五月のミル」である。しかしこの後、監督作としては「ダメージ (1992、日本公開は1993)」と遺作「42丁目のワーニャ (1994、日本公開は1996)」があるのみで1995年に帰らぬ人となっている。
ルイ・マルの名は海洋ドキュメンタリー「沈黙の世界(1956)」でジャック・イヴ・クストーと共に監督としてクレジットされているが、劇映画デビューは翌年25歳で発表した「死刑台のエレベーター(日本公開は1958)」である。
この作品は完全犯罪を目指して夫殺しをたくらむ妻と愛人の物語である。徐々にほころびを見せてくるサスペンスにマイルス・デイヴィスのクールなジャズが絡む。
「死刑台のエレベーター」はヌーヴェル・ヴァーグ初期の作品と位置付けられている。五月革命は映画の世界にも影響を与えており、ヌーヴェル・ヴァーグとも遠からぬ関係にあるのだ。
五月革命勃発に先立つ1968年2月、パリ・シネマテークの創設者で事務局長のアンリ・ラングロワが政府の圧力により解任されている。これに反対したのが、トリュフォー、ゴダールらヌーヴェル・ヴァーグの面々であった。
ことは映画界のみに限らず、このことを一つの引金として社会の変革を求める動きが、学生や労働者を中心に拡大し、「五月革命」へと突き進んでいく。
この当たりの騒動はベルナルド・ベルトルッチ監督作品「ドリーマーズ(2003、日本公開は2004)」の冒頭に、物語の背景として描かれている。
5月のカンヌ映画祭では、彼らの抗議を支援する世界の監督たちに作品引き上げを要求するという事態に至った。結局ラングロワは事務局長に復帰するが、抗議行動のあおりで映画祭は中止に追い込まれる。
9月にはフランス映画監督協会が創設され、映画祭主催者側は再びの騒動による混乱を回避するため、協会に対して新しいセクションの企画を提案する。こうして翌1969年の第22回カンヌ映画祭から登場するのが「監督週間」である。
監督週間は、当時から監督同士のネットワークを生かして政治的配慮や商業性抜きで世界中から作品が集められ、いまやコンペと並ぶ「カンヌの顔」になっている。
今夜はここまで。また明日の夜をお楽しみに。









