
公開当時、通学の途上に張られていたモノクロの強烈なポスターがいまだに記憶にある。
ハイコントラストで二人の女性の顔がアップになっており、一人はサングラスをかけている。それが、一人がもう一人に噛み付いているのか、叫んでいるのか、苦痛にゆがんでいる・・・というポスターで、「奇跡の人」が何なのか分からなければ、この恐ろしげなポスターは、恐怖映画以外の何物でもなく、それを見て小学生が見に行きたいと思う代物ではなかった。
で、初見はその10年後、渋谷の名画座であった。
三重苦の人ヘレン・ケラーがモノには名前があるということを理解するまでの物語で、ラストに井戸の水を汲み出し「ウォーター」という言葉を発する感動的な場面が用意されている。が、このエピソードは戯曲の作者ウィリアム・ギブソンの創作らしい。戯曲はアン・サリヴァンの記録に基づいているが、その中には、このとき発声したとは書かれていないそうだ。
ヘレン・ケラー役は当時16歳のパティ・デューク、サリヴァン先生にアン・バンクロフトというキャスティングは、同じアーサー・ペン監督が演出した舞台と同じ配役である。つまり舞台劇の映画化であったわけだ。ペン監督にとっては長編映画第2作目に当たる。
舞台の初演は1959年であった。この時パティ・デュークは13歳で、2年間演じ続ける。
二人はそれぞれ1962年度のアカデミー賞で主演女優賞(バンクロフト)、助演女優賞(パティ・デューク)を獲得しているが、監督のアーサー・ペンは本作及び「俺たちに明日はない(1967、日本公開は1968)」「アリスのレストラン(1969、日本公開は1970)」で3度監督賞の候補になりながら受賞には至っていない。
パティ・デュークはアメリカン・ホームコメディ「パティ・デューク・ショー」が日本のテレビでも1964年に放映された。役名もパティだったが従姉妹のキャシー役も二役で演じていた。似ているが性格は正反対。双子というわけではなくどこか違うので、二役とは分からなかった思い出がある。(当時の画面合成技術でも不自然さはなかったということか?)
映画出演作品では「哀愁の花びら(1967、日本公開は1968)」や「ナタリーの朝(1969、日本公開は1970)」などがある。「哀愁の花びら」はジャクリーン・スーザンの小説「人形の谷」を映画化したものでバーバラ・パーキンス、シャロン・テートとともに3人はハリウッド女優の役で、彼女らの挫折と悲劇が綴られる。「ナタリーの朝」は「奇跡の人」で彼女を抜擢した製作者のフレッド・コーが監督をつとめた青春映画の佳作。
アル・パチーノの映画デビュー作でもある。
あまり作品に恵まれたとは言えないが、1979年に「奇跡の人」がリメイクされ、今度はサリヴァン役がオファーされて再び熱演を見せる。彼女にとっての宿命的な作品といえるだろう。ヘレン役はテレビドラマ「大草原の小さな家」のメリッサ・ギルバートであった。
日本でも舞台劇「奇跡の人」は息の長い作品といえる。多くの女優が関わってきたが1986年からはサリヴァン役が大竹しのぶの当たり役となり、ヘレン役は毎回旬の女優が演じるものの2003年まで大竹サリヴァンは一貫、2006年になってようやく田畑智子サリヴァン+石原さとみヘレンの新コンビが誕生した。
今夜はここまで。また明日の夜をお楽しみに。









