Movie1001  映画千一夜

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第40夜 黒部の太陽 (1968)

2009年10月20日 | 第40夜まで

 黒部ダムを作る映画かと思ったら、ダム建設に必要なアクセスを確保するためのトンネルを掘る映画だった。2008年は、その「黒部の太陽」の舞台となった関電トンネル開通50周年、かつ映画公開40周年の記念すべき年となった。

 この映画は、「大画面で見て欲しい」という製作・主演の故・石原裕次郎の意思により、いまだにビデオ化、DVD化されていない。したがって一般の観客が鑑賞する機会はほとんどない。一度だけNHKの衛星映画劇場で放送されたというが、真偽は不明だ。もし本当で、録画した人がいればそれは貴重な映像だ。
 著作権法の縛りがなくなり、DVD化が可能になるのは公開70年後の2039年である。

 監督は熊井啓、三船敏郎と石原裕次郎が主演である。

 裕次郎は1962年に日活から独立しているが、当時は「五社協定」という映画会社の取り決めがあり、製作から配給までが一つのシステムになっていた。製作と配給が分離した、現在のような独立プロが自由に製作できる体制は夢のまた夢であった。

 その中で1964年、三船敏郎と石原裕次郎の二人が会見し、三船プロと石原プロがジョイントして映画化すると発表した。これは無謀な挑戦でもあった。映画スターは大手五社との独占的な契約を結んでいるため出演することができないからだ。

 裕次郎は劇団民藝の宇野重吉を訪ね、民藝の俳優、スタッフなどの全面協力を取り付けて、ようやく始動。1966年に再び製作発表し、1年以上の撮影期間を経て1968年2月に公開された。宇野重吉の息子・寺尾聰もこの時出演しており、後に石原プロ入りすることになる。

 「黒部の太陽」は、毎日新聞に連載された木本正次による小説作品の映画化だ。

 黒部ダムの建設現場はあまりにも奥地であり、ヘリコプター等の輸送手段に頼っていては工期への影響が大きすぎ、トンネルの掘削が決定されたもの。しかし、その途中で破砕帯にぶち当たり、大量の水の噴出によって死者が多数出るほどの難工事となった。

 ダム工事全体は5工区に分けて発注されたが、関電トンネルは第3工区に当たり、施工は株式会社熊谷組が請け負っていた。トンネル工事を得意とするゼネコンとして受注したものだ。

 着工1956年、関電トンネル貫通が1958年2月、黒四ダム完成が1963年6月である。7年間に及ぶ工事のうち、80mの破砕帯の突破に要したのが1957年5月1日から12月2日までの216日間であった。平均すると1日37cmの掘削だが、わずか4cmという日もあったとか。
 なるほど「世紀の難工事」と言われたわけだ。

 この40周年+50周年を記念して「黒部の太陽」が舞台化され、2008年10月6日〜10月26日に大阪の梅田芸術劇場で上演された。主演は神田正輝と中村獅童。2009年3月にはフジテレビ開局50周年記念ドラマとして小林薫とSMAPの香取慎吾主演で放映された。また2009年は石原裕次郎の没後23回忌に当たり、7月には国立競技場に一夜城ならぬ一夜寺が建立され、ファンが集まって法要が営まれた。
 
 今夜はここまで。また明日の夜をお楽しみに。
ジャンル:
映画(DVD)
キーワード
黒部の太陽 関電トンネル 国立競技場 フジテレビ 衛星映画劇場 夢のまた夢
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