人間賛歌・もっちゃん4649

走馬灯のように

日記をアップする時に日付を見て、初めて気がついたのです。
長男の37回目の誕生日だったのだと~~

なんとも呑気な母親です~

毎日娘役に徹していて、奈良のことで思うのは連れ合いとさやちゃんのことだけ!

3人の息子のことはすっかり頭の中から消えていたのでした。

38年前の3月に結婚してすぐに妊娠し、マタニティーブルーと異文化の大和の嫁になり、味付け一つにお伺いを立てる毎日は全く針の筵でした。

気分が晴れないのでつわりも重く、ご飯が炊き上がる直前の匂いに我慢できず隣の部屋で座っていると、「つわりは病気ではないんやから~」

甘えるなと言わんばかりの言葉を投げかけられ、一生忘れるものかと冷たさと悔しさに涙が出たのを昨日のように覚えています。

「しんどそうね~少し休みなさい。お母さんが代わってあげる♪」という一言がどうして出ないのだろう、この人は!

思いやりやいたわりの出来ない人がいるんだなあと思ってショックを受けたものでした。
本当の笑顔や優しさを嫁には見せまいと思っていたのか、冷たい能面の人という印象しかありません。
反面教師として成長させていただけましたけど・・・

幸い、父の理解が得られていたので、
「家の中にいたらこいつは病気になるぞ!勤めに出してやろう!」と母を説得してくれ、その年の7月に教員採用試験を奈良県の中学校国語科で受けたのでした。

胸部のレントゲン撮影のときに妊産婦であることを申し出て、ゴム合羽をお腹に巻いてもらって撮影をしたのでした。

こんな受験生は初めてだ~と言われたのも覚えています。
と言うのも新採用は過疎の山の学校に3年勤務と言う暗黙の了解がある時代でしたからね~

秋に合格通知を受け取ったものの、採用通知の勤務校が決まるまでは難問が一つ増えた感じでより陰鬱な焦りの日々を過ごしていたのでした。

連れ合いは朝7時の電車に乗り、帰りはいつも10時過ぎになり顔色を確かめながら彼の健康を気遣っていたのです。

彼が帰ってくるまでの話し相手は誰もいなく、本当に孤独な日々でした。
よけいな心配をかけてはいけないと心にしまって、離れの部屋に行く渡り廊下の壁が気持ちのはけ口でよく蹴飛ばしていたのを思い出します。

年末となり、さらに気疲れがピークに達しました。
母家なので、大阪の分家のお餅もついてあげていたので、大きな3升つきの石臼で11臼搗かないといけないそうです。

その準備は女の仕事~
60キロほどのもち米洗いが26日くらいから始まりました。

身重でもいたわりの言葉かけがないから気を遣います。
バケツにもち米を入れて井戸端で洗う作業が続き、その夜から下腹が痛くなり始めたのでした。

まだ予定日までには10日以上あるのに・・・と不安になりました。

そして、28日に我慢できなくなり荷物を下げて朝入院し、夜の8時40分に長男が生まれました。
半月早く生まれたので体重は2千8百ちょっとで、かわいく小さな赤ん坊でした。

連れ合いはいつもの時刻に帰ってきて見舞ってくれました。
「親の30回目の結婚記念日に跡取りができたと言って喜んでくれているぞ~」と聞いて、少し気が楽になったことも覚えています。
年末の一番たいへんな時に間に合わない嫁だと母の顔がちらついていましたから~

当時のことが走馬灯のように思い出されてきました。

いろんな日があったな~
けっこう覚えているものだ~

お昼休みの時間帯を見計らって、息子の携帯にお祝いのメッセージを入ましれた。
とたんに涙がこみ上げてきました。
母性本能が呼び覚まされた思いでした。

元気の良い明るい響きの声にほっとしました

息子の誕生日だということを連れ合いは覚えているかしら?
メールで教えてあげました。

「了解」と一言だけの返信メールが夕方届いたのです。

過去を振り返る私と前に進んでいる連れ合いとの違いを感じました~

この差はますますこれから開いていくのでしょうねえ~

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コメント一覧

もっちゃんです
ご褒美の世界
tuyosiさん、ありがとう~~

本当に今が最高の喜びだと思えるし、自由な空間を大きく与えられていますものね~

何一つ気がかりなことのない平穏な日々に感謝です~

連れ合いが退職していたらそんなことも言ってはおれなかったのでしょうが、まだまだ定年なしですから大丈夫~

したいことがある間はお互いに自由な世界で過ごそうと思っています。
今までのご褒美の世界ですからね~

第3幕がますます充実していくように応援してくださいね~

tuyosi
振り返って見て
もっちゃん、こんばんは~

振り返って見ると色んな事が思い出せるものですね
良かった事も、嫌な事だったり
なぜか嫌な事ばかり、思い出すのはなぜなんだろう

過ぎてしまえばみんなすべて思い出になって行く
そう思っています
もっちゃん、今が幸せだから辛かった昔が思い出せるんですね
お母様の介護と言う選択をして平和な日々を送っている
もっちゃん、ゆっくりゆっくり何時までも平穏な日が続くよ祈っています。
もっちゃんです
良い考えですね
へえ~、おどろき~!

さとちゃんの頑ななまでの親の愛を見せていただきました~
男親って娘には甘アマなんですね~

長男の嫁になったら、いつかは同居ってことを思うのと違います~?

スープの冷めない距離にいるとか方法はあるかもしれないけど~

賢い娘さんだからそこはご自分で判断なさるでしょうけど~

貯金通帳で渡すって、良い考えですね~
必要になったら必要なものをその時に準備したら良いのですよね~

大和も荷物で嫁さんの値打ちを量るのはマンション暮らしなどになりましたから、貯金通帳らしいですよ~
最近は。

そのまんま佐藤さんらしさを貫くのは娘さんの気持ちを確かめつつなさった方がいいですよ~
母親になっていくと考えも変わっていきますからね~

娘の幸せを願う父親の気持ちを強く感じさせていただきました~

タバコもお止めになったとか~
娘さんにメロメロなお父さんだったと伝わってきていますよ~

元気でいてあげましょうよねえ~♪
もっちゃんへ
そのまんま東
もっちゃん おはようございます   さとうです

もっちゃんの走馬灯のようにを
拝見しました。結婚して嫁ぎ先で
とても辛い日々であったことが
わかります。せめての救いでしょうか
連れ合いとお父さんの励ましはもっちゃんにとって
良かったですね。
歳からいって当時はまだまだ古い風習があり
特に奈良は都会の様に思われがちですが根強い
しきたりを重んじるものがあります。
 嫁と姑この関係は家制度が
なくなった現在においても
いまだにいい関係ではありません。
 私もこの事柄については思いを強く
抱いております。私には一人の娘がいます。
嫁いだ先は長男でややもすれば
嫁姑の限りなき戦いに遭遇しかねない
問題が潜んでいます。大学で知り合い
尊敬し合う2人のいい関係は結婚になりました。
 そういったことは親として最悪の関係に
ならない様に予防する以外方法はありません。
 その第一は結婚で最初にある
結納式でした。娘の計らいで嫁ぎ先の
両親が私の家へ結納を持ってくるのをやめ
 両家の中間地点に宿をとり、ここで結納式でした。
席上「これは本の心づくしのものです、どうか
納め下さい」と結納金を頂きました。
私は「ありがたくお受けいたします。
ところで私の提案ですが○○さんのお父さん
お母さんにお願いです。娘に結婚したら
親が4人になるといっていますが
娘の結婚感についてはよく言います
もらった・やったということを
大変嫌っております。私もこのことは親として
理解します、ところでどうでしょうかね
このお金は貯金通帳を新規作成して2人に
両親から渡すという訳には・・・・」
私は娘を見ながらそういいました。
「それでお宅がいいというとでしたら
こちらはかまいません」という返事でした。
後日早速貯金通帳を作り先方から
頂いた結納金に娘の親として妥当な祝儀金として
入金して送った経緯があります。
そして将来先方の都合で親と同居する様になる場合には
子供を連れて竹田に何時でも
帰って来いといっています。
先方には親として娘が辛い思いを
しないためのはっきりした予防処置を
しておりますが将来のことはわかりません。
娘が幸せになるには私たちが日頃
常に先方の両親に対していい関係を
築く以外にはありません。
今年の5月節句には呼ばれています。
少しづつ関係が作られていくことを期待します。
もつとうはそままんまの東です(娘の嫁ぎ先は宮崎
)そのままの佐藤を知ってもらいます。

   では  又の便りまで さょうなら
         もっちゃんへ    さとうより
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