それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

けいおん!というユートピア

2012-02-01 08:47:26 | コラム的な何か
けいおん!が人気、というのはずっとちらほら聞いていた。

ただ、僕はアニメを見る方ではないので、それほど興味はなかった。

しかし、研究での激闘のなかで、ふと「けいおん!」のことが頭をよぎり、ほんの少しずつ見はじめた。

ここで言いたいのは、この物語が良いとか悪いとかではなく、2000年代の日本において大きな需要が存在することにとても大きな意味があるという点である。

結論を先に言うと、けいおん!という物語は宗教的なユートピアとして機能している。どういうことか以下で述べていく。



けいおん!は、とある女子高の生徒たちがバンドを部活として開始し、毎日を何となく過ごしていく話である。

この物語には幾つかの特徴がある。

まず、悪い人が一切出てこない。それどころか、大人がほとんど出てこない(顧問など、ごく限られている)。さらに重要なのことに、親がほぼ一切登場しないのである。

これは明らかに意図的にそうしている。

主人公たちは、思春期における最大のストレスの原因である親と一切向き合わなくて済んでいる。そして厳しい汚い現実社会から隔絶されている。


第二に、この物語ではほとんど何もトラブルが起きない。

大事なものを忘れたり、風邪をひいたり、テストで赤点をとったり、といった小さなトラブルは起きるが、それ以上何も起きない。

それらの小さなトラブルでさえ、いとも簡単に解決し、物語の推進力ではないように構成されている。

誰もけがをしない、ケンカをしない、失恋をしない、離別がない。そして、何より挫折が無い。思春期最大の問題であるはずのアイデンティティの危機が一切ない。

音楽の物語のなかで直観的に最も重要に思えるのが練習方法だが、彼女たちは全く練習しない。練習しないようにしている。

しかし練習をしなくても、とんでもなく上手に演奏が出来る。無知な主人公には隠れた才能があるように設定されているが、しかし天才とは決して呼ばれず、ほぼ学校の中でのみ活躍する(学外での活動も多少あるが、きわめて少なく、活躍というほどではない)。

練習しないことは壮大なボケであり(そこには何度となく突っ込みが入る)、しかし結果上手いということが二重のボケになっている。

高校生なので受験という問題があるが、彼女たちはそこでも通常では考えられないほど悩まず、挫折もしない。

また、さらに重要なことに、同年代の男子が登場しない。彼女たちは異性に恋をしない。というより、物語において異性への恋を奪われている。


その代り、第三に、この物語で徹底的に追求されているのは、主人公たちがとにかく「かわいい」ことであり、「仲が良い」ことである。

けいおん!は基本的に、女子高生が音楽活動で成長する話しではない。むしろ、女子高生を徹底的成長させない話である。

主人公たちはひたすら「かわいい」格好をし、「かわいい」リアクションをし、「かわいい」声で話し歌う。

キャラクターそれぞれの性格はいわゆるアニメのお決まりの性格の振り分けだとは分かっていても、しかし抗しがたく魅力的で、奇妙なまでに感情移入を誘うように出来ている。

さらにアニメの本質であるところの、キャラクターひとりひとりの細かい仕草が信じがたいレベルで精巧に丁寧に描かれる。

そして、「かわいい」女子高生が相互に徹底的にいちゃいちゃする。離れがたく、分かち難いレベルで仲良くなり通じあう。友人関係なのか、もはや恋愛関係なのか、分からない倒錯した関係性を展開し、観客をひきつける。また、登場する姉妹の関係も異常で、姉妹というよりは親子のようでもあり、見事に倒錯した魅力的な関係をみせる。

関係性そのものが「かわいい」のであり、観客はその一員であるかのような錯覚を覚える。



以上から明らかなのは、けいおん!がキャラクターの(ある種、倒錯した)処女性を異常なまでに高めていることである。

彼女たちは社会から隔絶され、ほぼ無菌状態のなかで、この世界にほんのわずかに散らばっている「かわいい」をただひたすら増幅される。

演奏シーンも含め、きわめて精巧で趣向の凝らされたキャラクターの動きは異常にリアルで、声優の演技も素晴らしいものでありながら、物語は完全にユートピア(=どこにもない世界)である。

孤独が無く、欠乏が無く、挫折が無く、異常なまでに清潔である。

ユートピアは無意識につくられるのではなく、意図的につくられる。

通常、ユートピアの機能は主に2種類ある。

ひとつは現実の社会に存在する問題点を徹底的に明らかにすることである。こちらはユートピアを語る政治的意義である(政治的ユートピア)。

そして、もうひとつは現実の社会からひたすら逃避することである。こちらは、宗教の社会的機能のひとつである(宗教的ユートピア)。

けいおん!のユートピアは明らかに後者で、疲れきった日本社会がどれほど軋んで悲鳴を上げているのかが逆に照射されている。

孤独で、欠乏し、挫折を繰り返し、限りなく不潔な世界に、あまりにも疲れ切っているのか。

だが、これは指摘する必要がある。

けいおん!は素晴らしい作品だが、あまりにもそのユートピアにはまりこむと、間違いなく出口を失う。

ユートピアはこの世界にないからユートピアとしての機能を持つのだから。
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