消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(58)新しい金融秩序への期待(58)CDS(5)

2009-01-19 18:40:47 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 四 闇の金融


 デリバティブはカジノそのものである。サイコロの代わりに賭けるのは特定の企業の破産の可能性である。

  
カジノで遊ぶには、チップを買わなければならないが、貸し手はデフォルトに対するリスク保険を第三者から買う。保険料を払ってもリスクを避けたい貸し手とリスクを買うことによって利益を得ようとする保険者との間でリスクがスワップ(交換)されるのである。デリバティブには、フューチャー(Futures)(6)、フォワード(Forwards)(7)、スワップ(Swaps)(8)、オプション(Options)(9)等々があり、これらが組み合わされて非常に複雑な形をとり、ますます取引が不透明になってしまう。


 レーガン(Reagan)政権以降、GOP(Grand Old Party、共和党の愛称)は、規制のない自由な市場というイデオロギーを米国政治の基本に置いてきた。しかし、このことが、米国を金融危機に追いやったのである。

 
国は、「金持ちには社会主義、そうでない人々に資本主義、というのが経済的真実である。富者には『心優しい保守主義』、貧者には『市場の規律』が適用されているのである」(Gonsalves, Sean,"Financial Weapons of Mass Destruction, September 22, 2008, http://www.alternet.org/story/99812/)。

 デリバティブが猛威をふるった〇八年の金融恐慌は、それがなかった一九二九年の大恐慌よりも深刻さの度合いが大きい。〇八年のデリバティブは全世界で五〇〇兆ドルを超えていたとされている。米国のGDPが一五兆ドル、全世界のGDPが五〇兆ドルであるのだから、デリバティブ契約は全世界のGDPの一〇倍もある。全世界の有価証券保有高が一〇〇兆ドルであったので、デリバティブはその五倍あったのである(Stock Marketwatch, Monday October 6, 2008)。

  ジョセフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)は、ベルリンの壁崩壊が共産主義を終わらせたように、〇八年九~一〇月に生じた金融の動乱は、市場原理主義(market fundamentalism)の終わりを意味すると断定した(Stiglitz[20081016])。

 〇八年九月の金融動乱で米国では失業者が一六万人増加した。〇八年中には七五万人の失業増になるだろうとされている。

 米国経済は、貯蓄がゼロなのに、旺盛な消費によって支えられてきた。消費を支えるために、米国人は借金を増加させてきた。資本不足に陥った米国の銀行は、国民にカネを貸さなくなった。借金ができなくなるとき、国民の消費は当然抑制される。米国経済の需要は減少し、それは世界の経済を停滞させる。

 輸出に経済停滞からの脱出口を求めようにも、米国はドル高に見舞われている。このドル高は米国への信頼が高いからではなく、ヨーロッパの方が米国よりも経済状況が悪いからである。

 銀行救済には、二つの方法が議論されている。

 一つは、ポールソン(Hank Paulson)財務長官
が初期に採用しようとしたもので、政府が不良債権を銀行から買い取るというものである。しかし、買い取る債権の価格を決めることは困難である。そもそも、銀行がつけた証券の価格の妥当性に対しての不信感が蔓延している状況で、政府が価格を設定してしまうことは、政府と銀行との駆け引きになってします。銀行は政府になるべく高く不良債権を売りつけようとするであろう。しかし、証券がその後値下がりしてしまえば、政府は大損してしまう。つまり、国民の税金が無駄に使われてしまう。国民は貧乏籤を引いてしまう。

 こうした事態をスティグリッツは、「表が出たら私の勝ち、裏が出たら君の勝ち」(It is a heads I win, tailes you lose situation)、「籤で外れの短い棒を引く」(holding the short of the stick)という諺で表現した(ibid.)。

 もう一つは、英国首相、ブラウン(James Gordon Brown)の案で、政府が問題の銀行に資本を注入することである。資本注入とは政府が銀行の優先株(10)を取得することである。スティグリッツはこの優先株取得を推奨する。

 そもそも、米国の金融界を主導してきた経済学が間違っていた。情報の完全性を前提し、インフレ・ターゲット論(11)を主張してきたのが、これまでの誤った経済学である。中央銀行の責務は、金利を動かすだけでなく、もっと広く経済全体の安定化を図ることにあるはずである。価格の安定化だけに中央銀行の機能を限定してしまえば、金融機関に投機的なリスクをとることを許してしまう。こうして、経済全体を損なう危険性を大きくしてしまうのである。

 つまり、インフレ・ターゲット論とは中央銀行と金融組織との対話を促進するというが、実際には、投機に関しては規制などの行動をと一切とらないということを意味する。スティグリッツは、そういた苦言を呈したうえで、以下のように経済危機の歴史的意味を理解する

 今回の金融危機は、経済関する転換点であることはもちろんであるが、経済学の考え方そのもについて当てはまる。私欲(self-interest)が競争を通じて社会全体の幸福(well-being)を増大させるというのが、アダム・スミスを始祖と仰ぐ経済学の基本的視点であったが、この二五年間で生じたことは、情報の不完全性からスミス的世界は妥当しないということである。それは市場全体にいえる。とくに、金融市場は不完全情報の典型である。エンロン(Enron)やワールドコム(WorldCom)は確かに私欲を追求した。しかし、その私欲は社会全体の幸福を増大させなかった。金融という産業が私欲を追求した結果、経済は底なし沼に沈みつつある。現代経済には政府が重要な役割を演じている。重要なことは根っからの市場主義者がいまや政府に頼っていることである。しかし、その前に、金融崩壊を未然に阻止することが政府の役割であったはずである。現在、金融における公私の間には奇妙な対照性が見られる。私である、金融組織は、利益を確保したまま金融混乱の出口からでていくのに、公の政府は損失を引き受けて金融混乱のだ只中に残されてしまう。こうしたことを避ける均整のとれた制度設計がこれからは必要となる(Stiglitz[20081016])。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。