【STAP報道検証18】
7/3「毎日」が文科省<研究不正新指針:組織の責任明確化 罰則も規定>と報じている。
http://mainichi.jp/select/news/20140703k0000m040114000c.html
記者は奇しくも「病腎移植」を2006年に担当した大場あい記者だ。彼女は一橋大で社会福祉を学んだ人なので科学記事よりも社会制度・行政政策の取材に向いている。今回の事件では日本ちゃんとして「研究公正局(ORI)」がないことが発生の基盤であり、教訓としてこの設置を考えることが重要だと力説してきたが、公論にならないのは残念だ。
「博士漂流時代」(榎木英介,ディスカバー21新書)と指摘されるように、Ph.Dの学位を持つポスドクは大量生産されているのに、彼らを生かす職場がない。せめて彼らの一部に科学論文不正を内容的にチェックする職を与えるべきだ。論文の数と学会ボスのお好みにより科研費配分が決まるような不合理を排除すべきだ。
論文の数と業績の質とは関係がない。PCR法の発明でノーベル化学賞をもらったキャリー・マリスは、現在までにたった31本の論文しか書いていない。PCR法の報告(1986)はいきなり「コールド・スプリング・ハーバー」シンポジウム紀要に掲載されている。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3472723
第2著者のフレッド・ファルーナはUCバークレー校で数学を専攻したマリスの実験助手だ。
マリスの自叙伝『マリス博士の奇想天外な人生』(ハヤカワ文庫, p.163)にあるように、原著論文(1987)は「ネイチャー」、「サイエンス」に却下され、「酵素学方法論」という有名でない雑誌にやっと掲載された。http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3431465
Mullis KB, Faloona FA.(1987): Specific synthesis of DNA in vitro via a polymerase-catalyzed chain reaction. Methods Enzymol. 1987;155:335-50.
マリスの「日本国際賞」受賞は1992年、ノーベル賞受賞は1993年だ。ネイチャーやサイエンスの編集部と査読委員は、5年後にノーベル賞を受賞する革命的業績の価値を理解できなかったわけだ。1990年頃すでに日本でもPCRが話題になっていて、マリスのいたシータス社が特許権をホフマン・ラ・ロッシュ社に譲渡し、そこからライセンスを受けた宝酒造(現宝バイオ)がPCR自動化装置の開発と販売に取り組んでいた。
7/3各紙が小保方論文の撤回を報じている。査読制度がまともであれば(つまり著者名をブラインドにし、内容だけで論理的整合性や図表の真贋のチェックが行われていれば)、この論文は当然却下されるべきものだった。良い論文を却下する過ちよりも、捏造論文を掲載し大々的に評価することに伴う被害の方が大きい。
大江秀房『早すぎた発見、忘られし論文』(講談社ブルーバックス, 2004)という本もあるが、科学者が先行研究に対する知的誠実性を維持する限り、テキストが電子化され瞬時に検索される現代では、アボガドロ、メンデル、ウェゲナーのような悲劇が起こる可能性は低いだろう。
ハーヴァード大の地元紙The Boston Globeは例のキャロリン・ジョンソン記者が<衝撃の幹細胞発見撤回される>と詳しく報じている。
http://www.bostonglobe.com/news/science/2014/07/02/controversial-stem-cell-creation-method-retracted/NiScjZhcPcaopw7ziGvWaN/story.html
<For a scientific finding to be accepted as true, it must be repeated by other laboratories. That hasn’t happened yet, and the retraction means that the finding itself no longer exists.
(科学的発見が真実だと受け入れられるには、他の研究者の追試成功がなくてはならない。それはまだないし、論文撤回が意味するところは発見自体がもはや存在しないということだ。>
7/3付「Nature」誌は小保方論文の撤回についてシラノフスキ記者が書いている。
http://www.nature.com/news/papers-on-stress-induced-stem-cells-are-retracted-1.15501
これとは別にネイチャー誌が異例の社説(Editorial)を掲載している。
http://www.nature.com/news/stap-retracted-1.15488
この社説ではネイチャー誌の投稿規定と査読に問題があったことを認め、投稿規定の改定と査読の方法を変えることを明らかにしている。同誌が過ちから教訓を学び再発防止に向けて努力していることは率直に評価したい。
小保方論文1には、5つの本図と9つの付図が載っているが、各図はより小さな写真やグラフの集合で成り立っている。この各1枚を社説はパネル(panel)と読んでいるが、第1図は27個のパネルの集合からなる。最初に捏造発覚のきっかけとなった電気泳動の写真は第1図iのパネルだが、これ自体が5種の細胞から抽出したDNAの電気泳動写真であり、第3レーンが「はめ込み」だったことは、印刷版では検出不能で誰かが電子版を切り取ってPhotoshopで明度とコントラストを変えて検証した結果、捏造と判明した。
論文1では本文に116枚のパネルが使われ、「拡張データ」では9つの付図に145枚のパネルが使用されている。1本の論文に使った図が261枚!恐るべき枚数である。これをまともに審査できるレフェリーがいるとは思えない。図表は1頁1枚にし、1枚の図表に使用できるパネル数にも制限を設けるべきだろう。それなら不正の発見もたやすいし、「間違えた」という言い訳も通用しない。
4/16の記者会見で理研CDC副センター長の笹井芳樹誌は、「STAP現象は検証する価値のある最有力な仮説」記者の質問を煙に巻き、すでに決定されていた「再現実験」の必要性を正当化した。ところが論文撤回の「ネイチャー・レター」や7/3「毎日」でのコメントを読むと、「
STAP現象全体の整合性を疑念なく語ることは、現在困難といえる」と述べている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140702-00000165-jij-sctch
2本の論文撤回で、STAP問題は白紙に戻った。つまり「存在しなかった」ということだ。
存在しないものを「再現実験」で確認しようという。不思議なことだ。
これでは誰が考えても、「決着の先送り」を謀っているとしか思えない。「新潮45」の取材班はこの背後にある闇をぜひ明らかにしてもらいたいものだ。
こういう事件ではまずトップが引責辞職することだ。「独立行政法人通則法」によると、理事長は文科大臣に任命権がある。
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxrefer.cgi?H_FILE=%95%bd%88%ea%88%ea%96%40%88%ea%81%5a%8e%4f&REF_NAME=%93%c6%97%a7%8d%73%90%ad%96%40%90%6c%92%ca%91%a5%96%40&ANCHOR_F=&ANCHOR_T=
(法人の長及び監事となるべき者)
第十四条 主務大臣は、独立行政法人の長(以下「法人の長」という。)となるべき者及び監事となるべき者を指名する。
メディアは今頃になって「集団自衛権」の問題で騒いでいるが、小保方が「平成の安部定」として使われる危険性については何度も指摘した。安倍内閣の支持率が50%を割った今、下村文科大臣の責任を追及すべきだろう。野党は何をしているのだろうか?
理研の志気は改革委の「CDB解体」提言もあり、危機的な状況にある。人格的にすぐれた新しい理事長が就任して、具体的な改革を進める必要があろう。こういう時、辞めたくないトップは「改革の責任を完うする」と必ずいう。組織はそういうものではない。古いトップの周りには、それを取りまく既存の人脈がある。改革にはそれを切り捨てる必要があるが、強行すれば自分のスキャンダルも暴かれる。だから改革はできない。「新しい酒は新しい皮袋に入れよ」(「マタイ伝」9-17)といわれる由縁だ。
iPS細胞を用いて網膜黄斑変性症を治療する臨床研究に取り組もうとしている高橋政代氏が、「理研の倫理観にはもう耐えられない」とツィッターで発言したという。彼女は夫の高橋京大教授とともに笹井氏と京大医学部が同期のはずだ。
薬の開発だって着想から安全性がテストされて、保険薬に採用されるまで30年かかる。1953年に二重らせん構造だと発見されたDNAがPCR法の開発により、自由に扱えるようになるまで30年かかっている。21世紀になって作成されたiPS細胞が臨床応用可能になるまで、やはり30年はかかる。メディアも非現実的な希望をかき立てることをやめるべきだ。
7/3「毎日」が文科省<研究不正新指針:組織の責任明確化 罰則も規定>と報じている。
http://mainichi.jp/select/news/20140703k0000m040114000c.html
記者は奇しくも「病腎移植」を2006年に担当した大場あい記者だ。彼女は一橋大で社会福祉を学んだ人なので科学記事よりも社会制度・行政政策の取材に向いている。今回の事件では日本ちゃんとして「研究公正局(ORI)」がないことが発生の基盤であり、教訓としてこの設置を考えることが重要だと力説してきたが、公論にならないのは残念だ。
「博士漂流時代」(榎木英介,ディスカバー21新書)と指摘されるように、Ph.Dの学位を持つポスドクは大量生産されているのに、彼らを生かす職場がない。せめて彼らの一部に科学論文不正を内容的にチェックする職を与えるべきだ。論文の数と学会ボスのお好みにより科研費配分が決まるような不合理を排除すべきだ。
論文の数と業績の質とは関係がない。PCR法の発明でノーベル化学賞をもらったキャリー・マリスは、現在までにたった31本の論文しか書いていない。PCR法の報告(1986)はいきなり「コールド・スプリング・ハーバー」シンポジウム紀要に掲載されている。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3472723
第2著者のフレッド・ファルーナはUCバークレー校で数学を専攻したマリスの実験助手だ。
マリスの自叙伝『マリス博士の奇想天外な人生』(ハヤカワ文庫, p.163)にあるように、原著論文(1987)は「ネイチャー」、「サイエンス」に却下され、「酵素学方法論」という有名でない雑誌にやっと掲載された。http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3431465
Mullis KB, Faloona FA.(1987): Specific synthesis of DNA in vitro via a polymerase-catalyzed chain reaction. Methods Enzymol. 1987;155:335-50.
マリスの「日本国際賞」受賞は1992年、ノーベル賞受賞は1993年だ。ネイチャーやサイエンスの編集部と査読委員は、5年後にノーベル賞を受賞する革命的業績の価値を理解できなかったわけだ。1990年頃すでに日本でもPCRが話題になっていて、マリスのいたシータス社が特許権をホフマン・ラ・ロッシュ社に譲渡し、そこからライセンスを受けた宝酒造(現宝バイオ)がPCR自動化装置の開発と販売に取り組んでいた。
7/3各紙が小保方論文の撤回を報じている。査読制度がまともであれば(つまり著者名をブラインドにし、内容だけで論理的整合性や図表の真贋のチェックが行われていれば)、この論文は当然却下されるべきものだった。良い論文を却下する過ちよりも、捏造論文を掲載し大々的に評価することに伴う被害の方が大きい。
大江秀房『早すぎた発見、忘られし論文』(講談社ブルーバックス, 2004)という本もあるが、科学者が先行研究に対する知的誠実性を維持する限り、テキストが電子化され瞬時に検索される現代では、アボガドロ、メンデル、ウェゲナーのような悲劇が起こる可能性は低いだろう。
ハーヴァード大の地元紙The Boston Globeは例のキャロリン・ジョンソン記者が<衝撃の幹細胞発見撤回される>と詳しく報じている。
http://www.bostonglobe.com/news/science/2014/07/02/controversial-stem-cell-creation-method-retracted/NiScjZhcPcaopw7ziGvWaN/story.html
<For a scientific finding to be accepted as true, it must be repeated by other laboratories. That hasn’t happened yet, and the retraction means that the finding itself no longer exists.
(科学的発見が真実だと受け入れられるには、他の研究者の追試成功がなくてはならない。それはまだないし、論文撤回が意味するところは発見自体がもはや存在しないということだ。>
7/3付「Nature」誌は小保方論文の撤回についてシラノフスキ記者が書いている。
http://www.nature.com/news/papers-on-stress-induced-stem-cells-are-retracted-1.15501
これとは別にネイチャー誌が異例の社説(Editorial)を掲載している。
http://www.nature.com/news/stap-retracted-1.15488
この社説ではネイチャー誌の投稿規定と査読に問題があったことを認め、投稿規定の改定と査読の方法を変えることを明らかにしている。同誌が過ちから教訓を学び再発防止に向けて努力していることは率直に評価したい。
小保方論文1には、5つの本図と9つの付図が載っているが、各図はより小さな写真やグラフの集合で成り立っている。この各1枚を社説はパネル(panel)と読んでいるが、第1図は27個のパネルの集合からなる。最初に捏造発覚のきっかけとなった電気泳動の写真は第1図iのパネルだが、これ自体が5種の細胞から抽出したDNAの電気泳動写真であり、第3レーンが「はめ込み」だったことは、印刷版では検出不能で誰かが電子版を切り取ってPhotoshopで明度とコントラストを変えて検証した結果、捏造と判明した。
論文1では本文に116枚のパネルが使われ、「拡張データ」では9つの付図に145枚のパネルが使用されている。1本の論文に使った図が261枚!恐るべき枚数である。これをまともに審査できるレフェリーがいるとは思えない。図表は1頁1枚にし、1枚の図表に使用できるパネル数にも制限を設けるべきだろう。それなら不正の発見もたやすいし、「間違えた」という言い訳も通用しない。
4/16の記者会見で理研CDC副センター長の笹井芳樹誌は、「STAP現象は検証する価値のある最有力な仮説」記者の質問を煙に巻き、すでに決定されていた「再現実験」の必要性を正当化した。ところが論文撤回の「ネイチャー・レター」や7/3「毎日」でのコメントを読むと、「
STAP現象全体の整合性を疑念なく語ることは、現在困難といえる」と述べている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140702-00000165-jij-sctch
2本の論文撤回で、STAP問題は白紙に戻った。つまり「存在しなかった」ということだ。
存在しないものを「再現実験」で確認しようという。不思議なことだ。
これでは誰が考えても、「決着の先送り」を謀っているとしか思えない。「新潮45」の取材班はこの背後にある闇をぜひ明らかにしてもらいたいものだ。
こういう事件ではまずトップが引責辞職することだ。「独立行政法人通則法」によると、理事長は文科大臣に任命権がある。
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxrefer.cgi?H_FILE=%95%bd%88%ea%88%ea%96%40%88%ea%81%5a%8e%4f&REF_NAME=%93%c6%97%a7%8d%73%90%ad%96%40%90%6c%92%ca%91%a5%96%40&ANCHOR_F=&ANCHOR_T=
(法人の長及び監事となるべき者)
第十四条 主務大臣は、独立行政法人の長(以下「法人の長」という。)となるべき者及び監事となるべき者を指名する。
メディアは今頃になって「集団自衛権」の問題で騒いでいるが、小保方が「平成の安部定」として使われる危険性については何度も指摘した。安倍内閣の支持率が50%を割った今、下村文科大臣の責任を追及すべきだろう。野党は何をしているのだろうか?
理研の志気は改革委の「CDB解体」提言もあり、危機的な状況にある。人格的にすぐれた新しい理事長が就任して、具体的な改革を進める必要があろう。こういう時、辞めたくないトップは「改革の責任を完うする」と必ずいう。組織はそういうものではない。古いトップの周りには、それを取りまく既存の人脈がある。改革にはそれを切り捨てる必要があるが、強行すれば自分のスキャンダルも暴かれる。だから改革はできない。「新しい酒は新しい皮袋に入れよ」(「マタイ伝」9-17)といわれる由縁だ。
iPS細胞を用いて網膜黄斑変性症を治療する臨床研究に取り組もうとしている高橋政代氏が、「理研の倫理観にはもう耐えられない」とツィッターで発言したという。彼女は夫の高橋京大教授とともに笹井氏と京大医学部が同期のはずだ。
薬の開発だって着想から安全性がテストされて、保険薬に採用されるまで30年かかる。1953年に二重らせん構造だと発見されたDNAがPCR法の開発により、自由に扱えるようになるまで30年かかっている。21世紀になって作成されたiPS細胞が臨床応用可能になるまで、やはり30年はかかる。メディアも非現実的な希望をかき立てることをやめるべきだ。
「視機能再生のための複合組織形成技術開発及び臨床応用」
研究期間: 2013~2022年 総額4,000,000,000円 (最大)
STAP事件の理研の対応をこの視点で眺めてみると、全く対応ができていないと感じます。理研の現在の組織体制と看板研究者の保身が最優先されているように見えます。このような不正は許さない覚悟を示せない状況が長引けば、たとえ税金で理研の看板は残っても、世界中の科学コミュニティーから信頼されません。
つづく
修復腎移植もよろしくね。
また、理研のそのような対応が、文科大臣や副大臣に余計な口出しをさせてしまっています、科学コミュニティーの自立、学問の自由の観点からこれは大変問題だと考えます。
また、早稲田大学も、疑惑の博士論文について、何も態度を表していません。
こうした自浄作用のない状態は、日本の科学にとって大変なマイナスになっていると思います。そこで、私も難波先生が提案されているORIが必要と考えるようになりました。