ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始めいつのまにか、トライアスリートになってしまった私。

【書き込みを読んで2】難波先生より

2014-06-27 08:27:39 | 難波紘二先生
【書き込みを読んで2】
<Unknown (Unknown) 2014-06-24 04:06:
 理研ともゆかりのある湯川秀樹博士は、色紙や額に何か書いてほしいと求められるとよく「知魚楽」と書かれたそうな。これは、泳ぐ魚の楽しみが分かるかどうかについて荘子と恵子が議論する話からとったものだそうだ(『荘子』)。…
 STAP細胞が1月末に発表されてから、この話が幾度となく頭の中を去来した。この事件に当てはめて考えるならば、STAPなど存在しないという難波先生のような姿勢(今やほぼ全ての科学者も同じ結論に達していると思う)が恵子、「STAP現象」はあるかも知れないという姿勢が荘子に対応すると思う。>

 『荘子』(巻17「秋水篇」)に出てくる有名な話ですね。この「秋水」は幸徳伝次郎秋水の号の出典となった篇です。湯川秀樹は自伝『旅人』によると、中学時代に老荘思想に惹かれたそうです。「知魚楽」の湯川的解釈の出典を教えて下さいませんか?『旅人』(角川文庫)にはありません。
 で、恵子と荘子のこの問答の解釈ですが、その前の項に梁国の宰相をしていた恵子の元に荘子が訪ねてきた。荘子は恵子に替わって宰相になろうとしていると噂が立った。驚いた恵子が、三日三晩捜索させて荘子を見つけたら、荘子は「鵷鶵(えんすう)」という南方の大鳥を喩えにあげて、「鵷鶵は腐った鼠は食わない。腐った鼠のような梁の宰相の地位など誰がねらうものか」と一喝するという話が書いてある。二人は友人であったが、考え方は違っていた。

 「知魚楽」という言葉は荘子の言葉、「子曰く、女(汝)安(いず)くんぞ、知魚楽(魚の楽しみを知らん)と云うは、既に已に、吾の之を知るを知りて、而して我に問いたり」という文中に出てくる。他の2箇所では「「知魚之楽」と「之」が入っています。(『荘子2』, 岩波文庫, p.282)湯川は「知魚楽」と引用しているようですから、この文からの語句だと思います。

 さてこの項の解釈ですが、書き込み者は
<湯川さんはこの話を喩えとして、科学の合理性と実証性について話を進められる。科学者のものの考え方について「実証されていない物事は一切信じない」立場と「存在しないことが実証されていないもの、起り得ないことが証明されていないことは、どれも排除しない」立場の両極端を設定し、誰しもが2つの両極端の間のどこかの立ち位置にあると説く。>
 と書いています。

 湯川秀樹が実際にそういう解釈と議論をしているかどうか、出典を確かめないと私にはわかりません。しかし、『荘子』のこの条を「論理実証主義」とその否定として解釈するのは間違いだと私には思われます。
 ここで問題にされているのは「心の理論」です。

 恵子は「俺はお前でないから、もちろんお前の心はわからん。お前も魚でないのだから、魚が楽しんでいるかどうか、魚の心がわかるはずがないではないか」といいます。「身心二元論」と形式論理学に立つ限り、この言明は正しい。
 上に岩波文庫版『荘子』を挙げたのは漢字原文を含んでいるからですが、この恵子の言い分に対する荘子の返答が上に引用した「知魚楽」を含む一文です。岩波の金谷治訳では文意が明瞭でありません。森三樹三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E4%B8%89%E6%A8%B9%E4%B8%89
 訳の『世界の名著4:老子・荘子』(中央公論社)では、原文にない「心」という語句を加えて訳しており、この方が、文意が通じるとわたしは思います。
 「他人の心はわからん」という恵子の論法に対して、荘子は「君が最初に、どうして魚の楽しみがわかるのかと聞いたときに、すでに私の心を読んで、私に質問したわけだ。同様に川端から観察すれば、魚でなくても魚の心がわかるのだ。」と答える。
 森は京大で湯川の実弟小川環樹の一期上に当たり、やはり中国古典が専門でした。

 論理的推論をする恵子に対して、老子的な論法で答える荘子の返答はかなりあいまいです。だから森は「心」という言葉を補って訳したのでしょう。
 もし湯川秀樹がこの「秋水篇」のエピソードを「実証されていない物事は一切信じない」立場と「存在しないことが実証されていないもの、起り得ないことが証明されていないことは、どれも排除しない」立場の「二項対立」と解釈したのであれば、それは間違いだとわたしは考えます。

 ここで扱われているのは心理学でいう「心の理論」です。他者(人と動物)に独立した心的状態があると仮定し、それを他者が読み取れるというのが「心の理論」です。つまり身心二元論ではなく、心的状態の存在を仮定している。
 荘子は「我は之(魚之楽)を濠(川)の上にて知るなり」と答えていますから、川のほとりで観察すれば、魚(ハヤ)が楽しんでいるどうかわかると述べているわけです。つまり現代の心理学を適用すれば、「魚にも心の理論が当てはまるのだ」と恵子に対して答えている。

 ご承知のように自閉症の人では「心の理論」に発達障害があり、他人の心的状態が読み取れません。現代の若者の「KKY」というのも、「空気」つまり他人のそぶりやその場の雰囲気から、自分の発言や挙動をそれに合わせることができないことを言います。
 ではなぜ「心の理論」が可能か?というのが、医学・心理学の答えるべき課題です。
 それは端的にいえば、「ミラーニューロン」の存在により可能になっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3
 作家で精神科医のオリヴァー・サックスに高機能自閉症患者でコロラド州立大で動物学を教えている女性を扱った『火星の人類学者』(早川書房, 1997)があります。この本では7人の患者が扱われているが、人の心が読めない自分を「火星の人類学者」と評するこの女性がいちばん興味深い。火星人が望遠鏡で地球人を覗くように、「顔が赤くなり、口が歪んだら怒っている」というふうにしか、相手の感情を読み解けない人の話だ。

 「心の理論」、ミラーニューロン、自閉症を知って読めば、『荘子・秋水篇』の現代的解釈はまた違ったものになるだろう。湯川秀樹は「ハイゼンベルクも哲学的かも知れませんが、シュレーディンガーはやはり非常に哲学的です。ボーアもそうですが、彼らの哲学はみな間違っています。」(湯川秀樹『物理講義』,講談社学術文庫,p.46)と大先輩を切って捨てているから、私が彼の解釈は間違いだと指摘するのも許されるだろう。

 さて「STAP細胞」に話を戻すと、分化した体細胞が初期化されるには2つの条件が必要となる。
 第一は胚細胞遺伝子が分化した細胞にそのまま存在していることだ。分化の過程でDNA塩基がメチル化などによる不活化を受けているにすぎない場合には、脱メチル化などにより初期状態に戻ることは理論的に考えられる。現に、卵に体細胞の核を移植する方法、iPS細胞のように人工的に増殖関連遺伝子を増幅する方法により人工的胚細胞が作成されている。

 第二は、分化の過程で元の遺伝子の増幅や短縮が生じている場合で、これを復旧するメカニズムは知られていないが、理論的には胚細胞系列にある片方の対立遺伝子をコピーして相同遺伝子を作り出すことができる。この場合、コピー部分の遺伝子はホモ接合になり、最悪の場合細胞が生存できない可能性がある。
 小保方が「CD40+のTCR+リンパ球からSTAP細胞ができた」と主張したのは、不合理である。なぜなら、TCR遺伝子は分化の過程でV領域とC領域の間にあるJ領域のDNA組み替えや削除(欠失)を起こす。またV領域では多様な突然変異が生じる。これらを逆に戻すことは、元のDNAコピーが残されていない限り不可能だからだ。そのような機構は知られていない。実際に小保方の提出した証拠は捏造と断定された。

 分化がヒストンのアセチル化やDNAのメチル化などの「エピジェネティクな作用」により、特定の遺伝子の働きを止めるものであるかぎり、理論的にはリセットが可能だ。しかし遺伝子の削除が関与する場合には逆戻りは不可能である。

 遺伝子の再構成は免疫遺伝子の例はよく知られているが、それ以外の体細胞にもあるに違いない。「免疫グロブリン・スーパーファミリー」遺伝子には、免疫グロブリン遺伝子、T細胞受容体(TCR)遺伝子、組織適合抗原(MHC)遺伝子、神経接着(N-CAM)遺伝子、ホルモン受容体遺伝子などが含まれている。神経回路は免疫系と同じように複雑な「スーパー・システム」である。成人後も続く学習能力の向上には、脳室上衣下からの神経幹細胞の補充と新しいシナプスの形成に作用する複雑な遺伝子が関与していると見るのが妥当だろう。

<Unknown (Unknown) 2014-06-24 13:13
ヒルは環形動物。プラナリアは扁形動物。ヒルの仲間という表記は適切ではないと思う。>
 失礼しました。プラナリアは扁形動物でその親類なら、寄生虫ではヒルでなくて、日本住血吸虫とか横川吸虫をあげるべきでした。

 日本語の動物図鑑として北隆館『新日本動物図鑑(3巻本)』を使っているのですが、プラナリアという索引がなく「プラナリア科」p.346と書いてありますが、実際にはp.319に書いてある、それも「なみうずむし」とあり、「プラナリア」という名前が書いてありません。
 この図鑑は序文に「大正15年、丘浅次郎」、「昭和39年、内田清之助、内田亨」とあり、かつては権威があったのかもしれないが、いまはダメですね。世界的な分類枠の変更に追いつけていない。
 大学生の頃からR. Buchsbaum「Animals without Backbones」Pelican Book, 1951を愛読して来ましたが、古くなったので今はもっぱら、シカゴ大学の教科書になっている同氏らの「Animals without Backbones, 3rd ed.」Chicago UP, 1987を愛用しています。
 日本にもこれに匹敵するよい本がありましたら、教えて下さい。

<Unknown (Unknown) 2014-06-24 13:33:
追記:体軸形成の研究の歴史の中でも一際輝いているのが、カエルのシュペーマンオーガナイザーから、背腹軸の決定に重要なBMPアンタゴニストChordinが発見されたことだった。発見者はあの笹井さん。
 http://www.jst.go.jp/ips-trend/column/interview/13/no01.html >

 これは「iPSトレンド」というメディアのインタビュー記事ですね
「聞き手: 笹井さんの研究では、「細胞の自己組織化」がキーワードとしてよく出てきます。この考えに思い当たったきっかけは何でしたか。
笹井: 個体の発生を研究する発生学には、京大の学部生時代に理学部教授だった岡田節人先生(現・京都大学名誉教授)の講義を聴くなどして興味をもっていました。
 米国UCLAから帰国した1996年、私は「10年後に自分はどのようなことに取り組んでいるのがよいのだろうか」と考えを巡らせたのです。そこで、自己組織化という系のしくみを研究することになっていきました。何もないところから体の組織になっていく細胞がつくられるES細胞が使えるということも大きかったと思います。」

<笹井芳樹(ささい よしき)氏の略歴
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(理研CDB)器官発生研究グループディレクター
1986年、京都大学医学部卒業後、神戸市立中央市民病院での内科研修医を経て、1988年、京都大学大学院医学研究科生理系入学。中西重忠教授の研究室で分子神経生物学の研究に従事。1993年、博士号(医学)取得。カリフォルニア大学(UCLA)医学部客員研究員。1996年、京都大学医学部生体情報科学講座助教授。1998年、京都大学再生医科学研究所教授に。2000年から理化学研究所発生・再生科学総合研究センター グループディレクター兼任を経て、2003年より専任(現職)。『Neuron』『Developmental Dynamics』などの学術雑誌の編集委員も務める。
1998年 Human Frontier Science Program Organization 10周年記念賞
2009年 文部科学大臣表彰科学技術賞
2010年 大阪科学賞
2011年 塚原仲晃記念賞
2012年 井上学術賞
2012年 第6回Sayer Vision Research Lecture Award(米国NIH財団)
2012年 山崎貞一賞
2012年 武田医学賞
ほか受賞多数>
 素晴らしい経歴の持ち主ですね。STAP事件でパーになるのが惜しい。岡田節人さんの講義を受け、中西重忠さんの弟子ですか。中西さんは、本庶佑さんと同様に、医学部の生化学教室を主宰していましたね。
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Unknown (Unknown)
2014-06-27 10:38:40
湯川秀樹の随筆集の中に「稚魚楽」の話が有ります。以下抜粋です。

色紙に何か書けとか、額にする字を書けとか頼んでくる人が後を絶たない。色紙なら自作の和歌でもすむが、額の場合はには文句に困る。この頃時々「稚魚楽」と書いて渡す。すると必ず、どういう意味かと聞かれる。これは「荘子」の第17篇「秋水」の最後の一節からとった文句である。(「稚魚楽」の一般的な解釈があり、)
そして、湯川自身の考えが述べられています。 そして、
去る昭和40年の9月に京都で、中間子論30周年を記念して、素粒子に関する国際会議を開いた。出席者が30人ほどの小さな会合であった。会期中の晩餐会の席上で、上記の荘子と恵子の問答を英訳して、外国からきた物理学者達に披露した。皆たいへん興味を持ったようである。それぞれが、自分は荘子と恵子のどちらに近いか考えているのではないか。私はそんな空想を楽しんでいたのである。 (1966年10月)東洋の思想より
Unknown (Unknown)
2014-06-27 20:38:30
上記の湯川秀樹の文章の補足をいたします。 以下抜粋です。

原文の正確な訳は私には出来ないが、おおよそ次のような意味だろうと思う
ある時、荘子が恵子と一しょに川のほとりを散歩していた。恵子はものしりで、議論が好きな人だった。二人が橋の上に来かかったときに、荘子が言った。
「魚が水面にでて、ゆうゆうとおよいでいる。あれが魚の楽しみというものだ。」すると恵子は、たちまち反論した。「君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずがないじゃないか。」荘子が言うには、
「君は僕じゃない。僕に魚の楽しみがわからないということが、どうしてわかるのか。」恵子はここぞと言った。
「僕は君でない。だから、もちろん君のことはわからない。君は魚でない。だから君には魚の楽しみがわからない。どうだ。僕の論法は完全無欠だろう。」そこで荘子は答えた。
「ひとつ、議論の根本にたちもどって見ようじゃないか。君が僕に《君にどうして魚の楽しみがわかるか》ときいた時には、すでに君はぼくに魚の楽しみがわかるかどうかを知っていた。僕は橋の上で魚の楽しみがわかったのだ。」
この話は禅問答に似ているが、実はだいぶちがっている。禅はいつも科学のとどかぬところへ話をもっていくが、荘子と恵子の問答は、科学の合理性と実証性に関わりを持っているという見方もできる。恵子の論法の方が荘子よりはるかに理路整然としているように見える。また魚の楽しみというような、はっきり定義もできず、実証も不可能なものを認めないという方が、科学の伝統的な立場に近いように思われる。しかし、私自身は科学者の一人であるにもかかわらず、荘子の言わんとするところの方に、より強く同感したくなるのである。

追記 (Unknown)
2014-06-27 21:24:48
「湯川秀樹 著作集」(6)《読書と思索》 小川環樹 岩波書店
以前大学の図書館で読み、気になったところをコピーしておりました。書店にあるかどうかはわかりませんが、図書館ならあると思います。
訂正とお詫び (Unknown)
2014-06-28 02:33:37
「知魚楽」の表記を間違えました。訂正いたします。
Unknown (Unknown)
2014-06-28 05:26:49
せっかくなので「知魚楽」の残りの抜粋を書きます。

おおざっぱにいって、科学者のものの考え方は、次の両極端の間のどこかにある。一方の極端は「実証されていない物事は一切、信じない。」
という考え方であり、他の極端は「存在しないことが実証されていないもの、起こり得ないことが証明されていないことは、どれも排除しない。」という考え方である。
もしも科学者の全部が、この両極端のどちらかを固執していたとするならば、今日の科学はあり得なかったであろう。デモクリトスの昔はおろか、十九世紀になっても、原子の存在の直接的証明はなかった。それにもかかわらず原子から出発した科学者たちの方が、原子抜きで自然現象を理解しようとした科学者たちより、はるかに深くかつ広い自然認識に到着し得たのである。「実証されていない物事は一切信じない」という考え方が窮屈すぎることは、科学の歴史に照らせば、明々白々なのである。さればといって、実証的あるいは論理的に完全に否定し得ない事物は、どれも排除しないという立場があまりに寛容すぎることも明らかである。科学者は思考や実験の課程において、きびしい選択をしなければならない。いいかえれば、意識的・無意識的に、あらゆる可能性の中の
大多数を排除するか、あるいは一時、忘れなければならない。
実際、科学者の誰ひとりとして、どちらかの極端の考え方を固守しているわけではない。問題はむしろ、両極端のどちらに近い態度をとるかにある。
今日の物理学者にとって最もわからないのは、素粒子なるものの正体である。とにかく、それが原子よりも、はるかに微小なものであることは確かだが、細かくみれば、やはり、それ自身としての構造がありそうに思われる。しかし実験によって、そういう細かいところを直接、見わけるのは不可能に近い。ひとつの素粒子をよくみようとすれば、他の素粒子をうんとそばまで近づけた時に、どういう反応を示すかを調べなければならない。ところが、実験的につかめるのは、反応の現場ではなく、二つの素粒子が近づく前と後とだけである。こういう事情のもとでは、物理学者の考え方は、上述の両極端のどちらかに偏りやすい。あるひとたちは、ふたつの素粒子が遠くはなれている状態だけを問題にすべきだという考え方、あるいは個々の素粒子の細かい構造など考えて見たって仕様がないという態度を取る。私などは、これとは反対に、素粒子の構造は何等かの仕方で合理的に把握できるだろうと信じて、ああでもない、こうでもないと思い悩んでいる。荘子が魚の楽しみを知ったようには簡単にいかないが、いつかは素粒子の心を知ったといえる日がくるだろうと思っている。しかし、そのためには、今までの常識の枠を破った奇妙な考え方をしなければならないかも知れない。そういう可能性を、あらかじめ排除するわけには、いかないのである。
Unknown (Unknown)
2014-06-29 05:28:42
中国繋がりで。いま上野の東京国立博物館で、「台北故宮博物院、神品至宝」展が開かれているからでしょう、NHKが「故宮」のシリーズを始め、昨夜は第一回《 流転の至宝 》が放映されていました。期待していたのに、がっかりでした。『世に倦む日々』さんのブログを拝見したら、久し振りに意見が一致しました。視聴者の意見は様々でしょうが、あのアニメは如何なものかと思いました。せっかくの企画なのに。今夜は録画しておきます。
Unknown (3つのコメントの主)
2014-06-29 13:05:45
各コメントについて、一つ一つ丁寧に回答をいただき感謝しております。

知魚楽の出典については、他の方が検索で見つけられたようですね。全文も載せてくださっているようなので、私から特に追加する情報はありません。
ただ、荘子と恵子が、合理性と実証性について話している、というふうに湯川氏が解釈していると感じさせてしまったのであれば、それは私の文章力のなさが原因です。湯川氏は、おそらくこのエピソードに込められた老荘思想について十分理解された上で、自然に対する科学者の立ち位置の話の比喩として用いられたのだと思います。

>遺伝子の再構成は免疫遺伝子の例はよく知られているが、それ以外の体細胞にもあるに違いない。「免疫グロブリン・スーパーファミリー」遺伝子には、免疫グロブリン遺伝子、T細胞受容体(TCR)遺伝子、組織適合抗原(MHC)遺伝子、神経接着(N-CAM)遺伝子、ホルモン受容体遺伝子などが含まれている。神経回路は免疫系と同じように複雑な「スーパー・システム」である。成人後も続く学習能力の向上には、脳室上衣下からの神経幹細胞の補充と新しいシナプスの形成に作用する複雑な遺伝子が関与していると見るのが妥当だろう。

この部分には反対です。現在まで体細胞における不可逆的遺伝子再構成は、TCR遺伝子およびBCR遺伝子のみでしか観察されていません。「免疫グロブリンスーパーファミリー」は、「イムノグロブリン(類似)」ドメインを持つタンパク質の総称であり、そのいずれでも不可逆的遺伝子再構成は見いだされていません。次世代シーケンサーの発達した現在において報告がないということは、そうした現象が存在しない事を強く示唆しています。実際、過去に嗅覚受容体が遺伝子再構成によって多彩なレパートリーを生じているという説があったようですが、後に否定されました。限られた遺伝情報から多彩なレパートリーを生じる方法としては、他に選択的スプライシングがあります。一例としては、ショウジョウバエの免疫グロブリンスーパーファミリー遺伝子DS-CAMがスプライシングによって数万種類のレパートリーを形成し、細胞間の相互認識を調節している例が面白いです。

>笹井先生
最近、ES細胞から眼とか脳下垂体を作ってしまいました。具体的には眼杯とラトケ嚢です。今回の騒動でこうした研究が続けられなくなるとしたら惜しいと思います。
ただ、世界は既に笹井先生にcatch-upしているようです。去年、オーストリアでヒトのiPS細胞から脳を作っちゃった人もいました。
湯川秀樹の随筆を載せた者です。 (Unknown)
2014-06-29 18:21:17
私は図書館で読みコピーした、と書きましたが、記憶力の無い方で残念です。それとも自分がネットで検索ばかりしているからでしょうか。「岩波」は買い取り方式と聞いた事があります。ですから、全集などは注文販売が多いと思い、また近くに図書館のない方もいらっしゃるかもしれないと思い、全文書きました。以前読まれていらしても、もう一度と思われる方の為に。『虚心坦懐』あなたにこの言葉を差し上げます。
Unknown (3つのコメントの主)
2014-06-29 22:34:17
これは失礼しました。図書館でしたね。訂正します。難波先生の文章はしっかりと読んだのですが、コメント欄は斜め読みしておりました。実際には、いくつかのサイトで全文が読める事を直前に検索して知っておりましたため、つい勘違いしました。コメント主さんには「知魚楽」の誤記があったので、コピー&ペーストではないことは分かったのですが。

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