ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始めいつのまにか、トライアスリートになってしまった私。

【書いた奴】難波先生より

2015-09-07 11:18:41 | 難波紘二先生
【書いた奴】
 8/31号のメルマガに、
 < 3)中辻憲夫:「幹細胞と再生医療」(丸善出版)
 1950年生まれ、京大理学部卒の幹細胞研究者、京大名誉教授なのに「(STAP細胞事件は)残念ながら事件の核心の多くが隠されたままである」としか書かない無責任さにあきれた。お薦めできない本だ。新聞書評でほめた奴の顔が見たい。その点、益川先生は「STAP細胞問題の根っこにある政治とカネ」とズバリ書いている。>
と書いた。
 ひょっこり問題の書評の切り抜きが出てきた。8/23「毎日」の書評で、評者は村上陽一郎だった。読みなおすと「ES細胞を基礎とした研究を、実際の再生医療までに繋げるための諸段階、決して容易でないそのプロセスを、判り易く整理し、そこで何が今後必要なのか、明確に指示する著者の意見は、傾聴に値する。」と結んでいる。みごとな誉め言葉だ。わたし同様にだまされて買った読者も多いだろう。

 この本のアマゾン書評を見ると、Book-Reviewは1件。「白楽ロックビル」という人物が★五つにして、<=本は軽少だが内容と文体は重厚で良書である= と題して、
「著者とは友人である。うんぬん> と書いている。
 タイトルは「新書にしては難解な文体の本だ」と読むべきだろう。つまり失敗作だが「友人だから」ほめている。「白楽ロックビル」は「投稿者 白楽ロックビル(お茶の水女子大学・名誉教授)」とある。ロックビルというのは米マリーランド州ロックビルにあり、NIHへの日本人留学生が多く住む土地の名だ。
 「白楽ロックビル」は『科学研究者の事件と倫理』(講談社、2011/9)という科学倫理に関するつまらない本をペンネームで書いた卑怯な男だ。
 著者紹介には「1974年、名大理学部、分子生物学卒」とあり、現職が「お茶の水大教授」となっている。そんな男しか誉めない、中辻憲夫:「幹細胞と再生医療」(丸善出版)がどんな本か分かるだろう。村上陽一郎も「友人誉め」をしたのではないか?
 WIKIに「白楽ロックビル」という項目があり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%A5%BD%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%93%E3%83%AB
 それを見ると埼玉大理工学部卒で、名大理学部分子生物学の大沢文夫の下で研究し、学位をもらっている。本名「林正男」とある。なんで、本名で書き込まないのか、本を出さないのか?
 名大理学部の分子生物学には広島大原医硏生化学(分子生物学)の教授から移った「大沢省三」という人物もいたが、別の大沢らしい。

 <ロックビル先生は博士号を「足の裏についた米粒みたいなものだ。取らないと気になるが、取っても食えるわけではない」と断言する。>(この文字列をそのままグーグルに入力すると元記事にヒットする。)という格言は、昔から日本の医者の世界で医学博士号について言われていた。そのパクリだ。医師免許があると食える医者にとって「医学博士号」は「足の裏のメシ粒」になるのであり、理学部卒だけでは食えない場合、学位は足の裏のメシ粒ではない。だから小保方は早稲田の博士号にしがみついている。こういうパクリをやるようではこの人物の倫理観もあやしい。「バイオ政治学」が専門というが、底は浅い。欺されたのは勉強不足の朝日の記者だな。
http://webronza.asahi.com/science/articles/2014071000010.html

 村上は「1936年生まれ、1962年東大教養学部科学史科」の卒業で、ここは理系実験系の学科ではない。主に物理学史の本を書いている評論家だ。わたしよりも5歳年上で、79歳か80歳だ。昔、拙宅に泊まられた恩師から「村上さんは実験の体験がないので、実はそれが自分の弱点だと本人がそういった」と聞かされたことがある。その頃わたしは村上を尊敬していたので、それに冷や水をかけられたわけだ。
 村上陽一郎(編)(著者7人)『現代科学論の名著』(中公新書,1989/5) は、12冊の本を紹介しているが、村上が書いたのは論理哲学、科学社会史など、哲学・思想がらみの5冊だけだ。
 肝心の生化学・分子生物学・発生生物学の本は、シュレジンガー『生命とは何か』だけで、横山輝雄が執筆している。村上も横山も柴谷篤弘『生命の探究:現代生物学入門』(中公新書, 1966/10)という名著を読んでいないのだろう。
 まだ蔵書目録に未入力だった、村上陽一郎『あらためて教養とは』(新潮文庫,2009/4)が書棚から見つかった。人名索引がついているのでそれを見ると、挙げられている207人のなかに、理系の人物はアインシュタイン、江崎悌三(昆虫図鑑著者)、ケプラー、シュレジンガー、竹内正(病理学者、村上の父の友人)、プトレマイオス、ニールス・ボア、バートランド・ラッセルのたった8人しかいない。後は文学、哲学、芸能関係が主体だ。書かれている内容は、竹内洋が『教養主義の没落:変わりゆくエリート学生文化』(中公新書, 2003)で批判したこと、そのものだ。つまり古い教養主義である。

 今やシェークスピアやダンテを読んでいることが、「教養」ではない。教養とはアリストテレスが述べたように「専門的なことはわからなくても、相手の言っていることのどこが正しくて、どこが間違っているかを見分ける能力」のことだ。
 「旧石器遺跡捏造」事件では、脂肪酸の比較生化学についての知識に欠けていたため、石器に付いた捏造者の手の脂を「ナウマンゾウの脂肪酸」と考古学者たちが信じこんだ。
 「STAP細胞事件」では、「遺伝子を再構成したT細胞の免疫遺伝子が初期化される」ということなどありえないのに、「仕込まれた時限爆弾」に気づかないで、理研CDBが崩壊した。いずれも関係者やメディアに「教養」がなかったからだ。それなのに村上は「教養の原点はモラルだ」と主張して、新渡戸稲造「武士道」を典型例としてあげている。モラルは善悪の規準であって、教養とは関係がない。
(非常に厳密に言うと、オーストリアの哲学者O.ワイニンガーが『性と性格』(村松書店)で述べ、論理哲学者のウィトゲンシュタインが引用したように「倫理と論理は同じものである。それは自己に対する義務である」という意味において、つまりダブル・スタンダードを排除するという点において、倫理的責任と論理的一貫性の間には関係がある。だが、これは村上のいう「教養」とは異なる。)
 生物学・生命科学のエッセンスを理解していることが、現代に必要な教養なのだ。「熱力学の第二法則を知らない文系知識人は、現代に生きる石器時代人だ」とC.P.スノーは『二つの文化と科学革命』(みすず書房,1967)で述べている。村上陽一郎に「エントロピー増大の法則」(熱力学第二法則)が理解できているかどうかは疑わしい。とうてい「幹細胞」研究の現状がわかっているとは思えない。とっくに賞味期限切れの人物だろう。「毎日」も、いいかげんこの手の人を書評の評者に起用するのをやめたらどうだろう。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-09-07 15:37:45
>「遺伝子を再構成したT細胞の免疫遺伝子が初期化される」

こんなことはnatureのアーティクル論文では主張されていない。難波氏の誤読にすぎない。
Unknown (Unknown)
2015-09-10 05:24:43
「「エントロピー増大の法則」(熱力学第二法則)が理解できているかどうか」とか偉そうに書いてあるけど、時間の矢のパラドックスとかマクセルの悪魔がどうやって退治されたか、理解してるんだろうか、ナンバ氏は?

何事も上辺(うわべ)でなく、深く広く理解する事が大切ですよ。専門家の誰一人として免疫遺伝子が初期化されたかのように見えるデータを問題視していない理由は理解できましたか?

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