ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始めいつのまにか、トライアスリートになってしまった私。

【馬屋原氏訂正】難波先生より

2014-04-30 14:16:58 | 難波紘二先生
【馬屋原氏訂正】
 前号の「馬屋原・小川法」の記事に誤りがありました。馬屋原先生から直接に「武田ブログ」に訂正依頼の書き込みがありますが、先生から寄せられたメールに基づいて以下のように訂正いたします。申し訳ありませんでした。
 なお、手許にあるドイツ語のガイヤー「Ultrahistochemie(超組織化学)」(1969)という電子顕微鏡用の技術マニュアルを見ると、雑誌Histochemie, 1967のMayahara論文がすでに引用され、染色法も掲載されています。後に「馬屋原・小川法」と称せられるようになった有名な方法です。
1.大阪の会への参加動機:ツィッター情報ではなく、「泉ブログ」
http://blog.fujioizumi.verse.jp/?eid=247
の57:「カッパのへそ」を読んでの参加、だそうです。
2.略歴:<関西大学に医学部はなく、京都大学理学部・発生生物学講座の出身で、就職したのが「関西医科大学」の解剖学教室の小川和朗教授(後京大教授)のところ。5年後に理学部に戻って発生生物学講座の助手、そのまた5年後に、京大に移られた小川教授に助教授にするからと呼ばれ医学部に移り、そのまた5年後に小川先生から武田薬品中央研究・薬剤安全性研究所に行け、と命じられました。>
 とのことで、複雑すぎて私には覚えきれません…
3.馬屋原・小川法の原著論文:DBで探した論文は間違いで、
<これはずっと後の文献で、正確には、Histochemieに載った以下の論文です。
Mayahara, H., Hirano, H., Saito, T. and Ogawa, K.: The new lead citrate method for the ultracytochemical demonstration of actiivity of non-specific alkaline phosphatase (orthophophoric monoester phosphohydrolase. Histochemie, 11, 88-96 (1967)
なお、二人目の平野先生は当時助教授、後に杏林医大教授、斉藤先生は講師で、後に
自治医科大学教授ですが、馬屋原・小川法とは無関係です。>
とのことでした。
4.馬屋原氏の故地:広島県神石郡「三和・小畑(こばたけ)」ではなく、「三和・高蓋(たかふた)」が「馬屋原氏」の本籍地だそうだ。
 広島県には「三和」が2箇所あり、「みわ」と読むと私の出身地。「さんわ」と読むのがかつての「神石郡三和町」(現神石高原町)です。昭和30年頃の町村合併で、3村が合併した場合「三和」という新町名にしたところが多かった。いま住んでいる「福富町」も合併による新町名だ。馬屋原先生は「父祖の地」にはまだ行ったことがないそうで、自宅からあまり遠くないところなのでいつかご案内したいものだ。
 高蓋の近くには中世の山城跡が点在しており、恐らく馬屋原氏はそれらを支配した豪族だったのであろう。今住んでいるところに、私が「ハートレイク」と呼んでいるダム湖(正式名はしゃくなげ湖)があるが、半島状の突出部には「福原城」の石垣が残っている。福原氏はこのへんの豪族だった。元の街道は左側の湖の底の部分にあり、福原城は見張りの山城としては格好の位置にあった。

 福原氏の末裔が、広島宇品に整形外科病院をつくられ、後に県医師会長になられた故福原照明先生です。
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