もとむら歯科通信

きょうも元気で、おいしく食べる事ができますように!
あなたにとって何か素晴らしいことが起こりますように。

奥野正男先生の講演に感動しました。

2012-02-05 07:30:08 | 久留米地名研究会



今日は、久留米地名研究会の例会でした。
今日のお話は、邪馬台国九州説の考古学者の奥野正男先生でした。
奥野先生は、今回、元岡古墳出土鉄刀銘文の話にからんで、ご専門の、九州の製鉄遺跡などについてお話されました。

奥野先生は炭坑で働きながら定時制高校を卒業。
若い頃より文学の道を目指され、34歳の時、炭坑を舞台にした小説、「地底の炎」でリアリズム文学賞を、受賞されました。それから事情があって、新境地の考古学を独学で学ばれ、本を書かれます。

47歳の時にはじめて書かれた邪馬台国に関する考古学の論文で最優秀賞受賞、さらに研究を続けられました。
その後自分の本をもって、大学の公募に応募し考古学民俗学の教授に就任され、退官後も吉野ヶ里などの精力的な研究を続けられて、現在に至っています。

人生で、何度も転機を経験されながら、その都度、独学で、その道で名前を残される所まで、努力される姿に、大変驚きと尊敬の念をもつと同時に、とても勇気づけられました。




30数年、考古学の研究の傍らにいつも欠かさなかった、白川静先生の漢字の辞典のお話も大変興味深いものでした。白川先生の辞典なしでは、魏志倭人伝の意味が全く違って来るのだそうです。古代中国でつくられた漢字の本来の意味を考えて訳された、奥野先生の魏志倭人伝の訳(邪馬台国はここだ)をぜひ読んでみたいと思います。

白川先生は、漢字には、古代の中国の思想と、それを受け継いで来た「日本人の心」が内蔵されていて、そのすべてを受け入れる思想は、自然を征服しようとする西洋の思想による行き詰まった現代の世界を、日本人が救う可能性を示しているといわれるのだそうです。

漢字の本当の意味、思想など、考えたことにない私にとってそれは、かなり衝撃的で、ワクワクするお話でした。白川先生のご本もぜひ読んでみたいと思います。

奥野先生、考古学のみならず、人生哲学とも言うような奥深いすばらしいお話を本当にありがとうございました。
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高良山の謎 NO3

2011-11-03 22:08:59 | 久留米地名研究会



今年も、11月になってしまいました。
ちょっと遅くなりましたが10月の話です。

10月は神無月ともいいますね。
それは、日本中の神様が、出雲に行かれるので、神様がいない月、神無月というのです。
出雲では、10月のことを神在月というそうです。

ところが、高良大社の神様は、10月に出雲には行かないのだそうです。
ですから高良山の10月は神在月ということになります。

これは高良山の宮司にお尋ねしたので間違いない話ですが、いったいどうしてなのかはよくわからないそうです。

高良大社は、ご祭神の玉垂尊がいったいどなたなのかが、わかっていないことをはじめ、
謎の多い神社です。  

調べていくと不思議な、おもしろい事がたくさんあります。

地名研究会で、一緒に勉強しませんか。
「ワクワクドキドキ」保証いたします。

地名研究会ホームページ
http://www.motomurashika.com/kurume-chimeiken/


    久留米地名研究会開催のお知らせ  

11月5日 13時〜17時 サンライフ久留米

中島 昭三氏 「筑後の地名から読み解く邪馬台国」

宮崎の秘境 栂尾に神楽を見に行くツアーなどもあります。
詳しくはhttp://ameblo.jp/kurume-chimei/  をご覧ください。

 
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高良山の謎

2011-04-21 22:35:14 | 久留米地名研究会




先日、久留米地名研究会で、春の高良山付近をトレッキングしてきました。
高良山は、久留米の人にとっては、遠足で何度となく訪れているところだと思います。

ここ数年、地名研究会で、会員の発表を聞いたり本を読んだりしているうちに、
高良山を含む久留米市の周辺は、、謎に満ちた、しかも歴史的に大変重要な場所だという事がわかってきました。

今回のトレッキングで訪れた、高樹神社や、祇園山古墳、神籠石、出目八幡宮、味水御井神社などのことを、ブログ ひもろぎ逍遥の、るなさんがとてもわかりやすく魅力的な文章で書いてくださっています。

地元の私たちもよく知らない、古く、日頃はあまり人もおとずれない神社や、史跡に隠された不思議な暗号たち。
初めはバラバラで、意味不明のもの達がだんだんつながって意味を持ってくるその驚きに、大興奮です。
私たちが習った歴史は、一つだけですが、それはもしかしたら、本当ではないのかもしれませんよ!?

ひもろぎ逍遥  http://lunabura.exblog.jp/

写真は、昭和30年代の、久留米市と高良山です。
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久留米地名研究会の新年会と旅行

2011-02-10 23:02:32 | 久留米地名研究会
1月22日に,地名研究会の恒例の旅行に行ってきました。
土曜日は、東峰町の千代丸温泉の伊東屋で新年会。
いつものように皆でわいわい修学旅行のように,夜遅くまで地名や歴史の話をしました。

翌日は、雪の残る山道を、小鹿田へ。



山道が凍って、2度も途中で進めなくなりましたが、3度目の道でようやく皿山へ到着。  



雪の小鹿田の皿山は、時が止まったような美しい里でした。



水の重みを使う唐臼が,土をうつ音が響きます。
勢いのいい水も今日は寒さでたくさんのつららに。



熱く燃える登りがまの火




美しい小鹿田焼きの皿


窯元を一巡りして、お気に入りを買った後は、ほっと一息、山のそばやさんへ







みんなでおいしい地鶏そばを頂きました。


皆さん十分堪能された事だと思います。

毎回、楽しい旅行を,計画して下さる古川さんに感謝です。




おいしかった!

毎回大好評の、久留米地名研究会2月例会は、謎の神社研究者のお話でした。高良山の話など面白かったですよ。
地名、古代史に興味のある方は,ぜひおいで下さい。

もとむら歯科は,久留米市の歯科です。

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久留米地名研究会 今日は今年最後の例会です。

2010-12-04 08:25:17 | 久留米地名研究会
 久留米地名研究会、今年最後の例会が行われます。
はじめての方もOKですのでふるってご参加ください。
古代史に興味のある方必見です!

2010年12月4日 土曜日

13:30 〜 5:00

場所 : 久留米市生涯学習センターえーるピア

場所がいつもと違いますのでご注意下さい。
西鉄久留米駅南700メートル。歩いても十分ほどです。

参加費 : 資料代500円程度。 駐車場は有りますが有料です。

講演テーマ

1)「 物部の誕生 」
古田史学の会前事務局長 神尾 正武 氏 (佐世保市)

2)「 筑後川の向こう側  咬合から観た 筑紫平野の縄文系日本人、弥生系日本人」
久留米地名研究会会員  大石 耕史 (久留米市) 
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地名研究会 阿蘇合宿

2010-08-27 07:28:33 | 久留米地名研究会
久留米地名研究会の夏期合宿に、行ってきました。合宿といっても、土曜の夕方に三々五々集まって、語り合うのが主な目的です。



場所は南阿蘇高森の外輪山の南東の山の中です。「簡易民宿さくらそう」http://smaken.jp/user/usc_to.cgi?up_c1=24285。ここは普通の民家ですが、標高900メーチルの山の中にあり、緑にかこまれて広い庭では、気持ちよくくつろげます。食事は、持ち込み、自炊です。
開放的なお部屋、使い勝手のいい広い台所があります。
夕方、食べ物の買い出しにいき、飲んで食べながら皆でわいわいと、夜遅くまで、地名や古代史の話に花が咲きました。いつもの事ながら、まるで子供のころの遠足のように楽しい会です。




日曜の朝は、早く起きて、清々しい露のおりた庭や、周辺を散歩して、おいしい朝ご飯を食べました。2時間ばかり、中原先生の茂賀の浦の最新のお話や、古川さんから近くの草壁
吉見神社についての話を聞いたあと、実際に草壁吉見神社に行きました。ここは、階段を下りたところにある珍しい神社です。
神主さんの奥様、氏子の方から興味深いお話を聞かせていただきました。




帰りは、雄大な阿蘇猫岳を眺めながら、途中温泉に入って帰ってきました。
この夏は東京や関西でのセミナー続きで、
心身ともに、大変忙しかったのですが、気持ちよく夏の疲れがいやされた楽しい合宿でした



帰りの道路に狐がでてきました。本当はいけないのでしょうが、やせていたので、お菓子をあげてしまいました。
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久留米地名研究会  第27回例会のお知らせ

2010-06-12 06:41:18 | 久留米地名研究会



きょうは久留米地名研究会の例会が、あります。

「書道家の眼から見た邪馬台国」魏志倭人伝) 井上悦文先生

「卑弥呼と神武、そして熊襲」 消された三政権の関係 
         内倉 武久(富田林市)『太宰府は日本の首都だった』他著

6月12日 土曜日

 午後13時30分

久留米市役所 3F 小会議室

参加費 500円(資料代)

なんだか、面白そうですよ。ぜひ奮ってご参加くださいね。  

写真は筑後川の夕焼け UFOではありません。飛行機雲です。
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白鳥伝説 谷川健一

2010-05-13 23:01:00 | 久留米地名研究会


久留米地名研究会のよびかけ人である、民俗学者の谷川健一先生の白鳥伝説を、読んでいます。

(谷川先生は、邪馬台国九州説の立場をとっておられ、邪馬台国は、久留米辺りであっただろうと言われています。)

歌人でもある谷川先生の文章は、格調たかく、美しく、あまりに壮大で、部分的に何度も何度も読み返しながら、一年がかりで読んでいます。

地名研究会で、いろいろ教えていただき、だんだんとわかってくるようになると、さらに、谷川先生の知識の、広さと深さに呆然とします。

自分で要約しようとしても、どこからどうまとめたらいいのやら、途方に暮れてしまうので、出版社の紹介の文章で、ご紹介します。

『日本書紀』や『旧事本紀』には、つぎのような奇怪な伝承が残されている。神武東征以前、天神の子ニギハヤヒが天磐船に乗って畿内に天降った、という伝承である。 天神の子とは、いったい何者だろうか。 民俗学者・谷川健一氏の古代史の闇をさぐる壮大な旅が、ここからはじまる。 銅鐸、白鳥伝説、ヒノモトの地名伝承等をもとに、北九州筑紫平野を起点にはじめた旅は、瀬戸内海を経、畿内に達し、さらに東北にまでいたる。そして、そこからみえてきたものは…………。 それは、正史から抹殺された物部氏の秘められた歴史だった。神武東征以前に雨降った天神の子とは、じつは物部一族であり、彼らはヒノモトと称する物部王国をつくり、自らを白鳥の子孫と考えていた、という信じがたい事実であった。 これらの「信じがたい」事実が、谷川氏の柔軟で鋭い感性と、綿密で膨大な資料の博捜、地名検証によって、しだいにその実像をあらわしていくさまは壮観といえる。 上巻では、こうした物部氏東遷の経緯をスリリングに追い求め、下巻では、神武軍によって敗れた物部氏の一団が、東北へ敗走し、やがて中世になって、エゾとともに東北史のなかに蘇る姿を描きだす。 歴史学者が見落とした、いな、見ることすらできなかったヴィヴィッドな古代の姿が、ここにはありありと見えてくる。歴史に残る名著である。

本を読むうちに、私たちの興味はどんどん膨らんで、この連休私たちは、ニギハヤヒの足跡を追って、奈良に行ってきました。


次回は、ニギハヤヒの後を追って行って来た、奈良旅行のご報告をします。
お楽しみに!
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久留米地名研究会のホームページが出来ました。

2010-02-26 07:49:02 | 久留米地名研究会



久留米地名研究会のホームページが出来ました。

2007年秋 久留米大学にて谷川健一氏の記念講演「筑紫平野と物部氏ー大きな壷は大きな平野に生まれる」が開催されました。

講演後、谷川先生の呼びかけにより、高良大社宮司さんを会長として、久留米地名研究会が発足することになり、「久留米地名研究会」を立ち上げようという呼びかけが行われました。

久留米地名研究会 http://www.motomurashika.com/kurume-chimeiken/index.htm


それから二年が過ぎ、現在30名ほどが集まり、活動を続けています。
第一土曜の午後2時から久留米市役所の3階の小会議室で、例会を開催しています。

久留米の地名、九州、全国の地名、民俗、古代史などもとりあげます。

ホームページでは、地名の考え方、などの情報もあり、初心者の方でも、興味深く楽しむ事が出来ます。

今まで、数名の方をおつれしましたが、皆とても楽しかったと大好評でした。

地名は時間の化石と言われています。

ここ筑紫平野の歴史は相当古く、調べれば調べるほど、興味は尽きることがありません。

地名を通じてご一緒に、古代への旅へと、でかけませんか?


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菊池盆地は、古代、巨大な湖の底だった。

2010-01-17 20:26:37 | 久留米地名研究会

菊池平野と花房台地

もとむら歯科、院長の大石です。

先週の週末は地名研究会例会、新年会&菊鹿盆地(熊本県)のフィールドワークでした。
植木の温泉で、修学旅行のような楽しい新年会をした後、一泊し、次の日は
菊池の、中原 英先生に案内していただいて,菊鹿盆地を巡りました。

中原先生は、地質学がご専門です。

先生のお話によれば、菊地川を境にして南北で地殻が反対方向に動いているそうです。

菊池では、現在でも一晩のうちに畑が陥没して、ちいさな小屋が、そのまま落ち込んでしまったりすることがあるそうです。
50万年後には,菊池辺りは陥没して、九州は二つの島に分かれると言われています。



中原先生は、長年にわたる菊池周辺の地層の研究から、古代に、阿蘇の噴火などの地殻変動で、水がせき止められて菊池に、巨大な湖が出来た事を発見されました。
この湖は「肥後国誌」によれば「茂賀の浦」と言われていたと伝えられています。

中原先生によれば、水平な地形は、水の底に土などが,堆積してつくられるそうです。

菊鹿盆地の水平な平野は,その湖の水平堆積の跡なのだそうです。

9万年前には菊池盆地の北の「うてな台地」や、南の「花房台地」も湖の底だったそうです。


北のうてな台地から、南の花房台地を望む。遠くに見える、平らな花房台地は9万年前の湖底。


花房層


その後、数回の大きな地殻変動により、土地が陥没し、湖の水が流れ出し、湖はだんだん小さくなりました。


私たちは、盆地の高台から、また盆地の中心から菊池全体を見せていただき
数段にわたる水平堆積の跡を観察しました。


台地が数段になっている。

中原先生はさらに地層を研究されて、縄文時代に湖だった範囲,弥生時代に湖だった範囲を,それぞれ縄文湖、弥生湖と、名付けておられます。
私たちが、次に見て回ったのは、その縄文湖、弥生湖の跡です。
弥生湖の水を抜いたのは,稲作の最適地をつくるために,人為的に、行ったという,「蹴破り伝説」も残っています。

湖のふちと思われるところには連続した土地の段差があり、水路が残っています。

また、縄文湖の淵には、縄文人の墓と思われる,横穴がたくさん残っています。
弥生湖の周辺には、弥生時代に起源があると思われる神社が、並んでいます。

現在残る地名にも、昔の地形などにちなむと思われるものがあり、縄文時代、弥生時代に
その地名がすでにあったのではないかという事も考えられます。


地学と歴史が融合した、中原先生の、壮大なライフワークの研究の説明を、現地でお聴きして、間近に観察し、私たち久留米地名研究会会員は、タイムマシンに乗ったかのようなワクワク感に大興奮でした。

ブログではあまり詳しくは書けませんでしたが、すばらしい研究の詳細は、もうすぐ久留米地名研究会のホームページが出来ますので、
そちらをご覧になってくださいね。

また,中原先生に、山鹿の「方保田東原遺跡」にも案内していただきました。
ここは熊本県を代表する,弥生の大集落の遺跡です。
この遺跡からは、日本で唯一の「石包丁型鉄器」が出土し、無数の弥生式土器が,出てきます。
全国の土器も出ており、交易の中心だったこともうかがわれます。
発掘された範囲はまだ5パーセントくらいだそうですから、今からまだあっというような発見があるかもしれないそうですよ。


私の収穫。

ここからあまりに多くの土器が出るせいか、発掘調査後の土の中にも土器のかけらがたくさん埋まっています。
私たちは山になっている土の上に上り、子供のように夢中になって、土器のかけらを掘り出しました。
会員Aさんは、なんと石包丁を発見!
宝探しは大人になっても楽しいですね!
親子づれで行っても楽しめると思います。

中原先生、すばらしい一日を、本当にありがとうございました。

皆さんんも久留米地名研究会の面白いフィールドワークに、参加されてみませんか。

久留米地名研究会へのお問合せは、研究会事務局 DENTIC 内 大石耕史まで。

080-318-51518
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壱岐の神社

2010-01-07 23:41:37 | 久留米地名研究会


正月に家族で壱岐に一泊の旅行をしました。目当てはおいしい玄界灘の海の幸と,神社めぐりです。

地名研究会では、地名の研究だけでなく、古代史や,神社などの話もでます。
地名研究会に入っていると、旅行がとても興味深く、楽しいものになります。

唐津からフェリーで一時間半で、壱岐の印通寺港に着き、
フェリーを降りて、昼食をとり、さっそく島内を車で走りだしました。

途中で立ち寄った、壱岐で一番大きな住吉神社の祭神は、住吉三神、「表筒男神」「中筒男」「底筒男」であり、
海水浴場になっている美しい筒城浜というのはそれと関係がありそうです。



壱岐対馬には,(北九州はどこでもですが)神功皇后をまつった神社がたくさんあります。
また、神功皇后伝説も,たくさん残っています。実在の人物ではないなどとも言われますが、
伝説の多さ、そのリアリティにとても架空の人物だとは思えません。



壱岐の住吉神社でも、神功皇后は,祭神として祭られています。

神功皇后は、住吉大神の神託により、身ごもったまま、三韓征伐にいき勝利を収めます。
皇后は帰ってくるまで子供(応神天皇)が生まれないようにと、おなかに石をくくりつけて、
出産を遅らせたそうです。



神功皇后ゆかりの聖母宮という神社もあります。
ここで主人はおみくじをひきましたが、いつものようにまた大吉!

この場所は、神功皇后が勝利を収めた,帰りに立ち寄られ
勝本と名付けられました。

私たちは,旅館に着くと,旅館の周りを散策に出かけました。
表へ出たとたんに、大きな黒い雲が空を覆って,雷鳴とともに、大粒の雨が降り出しました。
慌てて旅館に戻ると,すっかり雨はやみ、今度は美しい虹が・・・。

温泉の扉には,龍神と神功皇后の絵が描かれています。
この平山旅館の温泉は、神功皇后が,三韓征伐から帰って、出産をされた時、産湯につかったとの言い伝えがあるそうです。

神功皇后は,住吉大神の神託により,龍神から,潮の満ち引きを変える事のできるという
「干珠」 「満珠」の珠を借りて、勝利を収める事が出来たとも言われています。

どうやら私たちも、龍神さまの歓迎を受けたようです。

    

        久留米地名研究会 1月例会 阿漕 古川会員のすばらしいお話が聞けます。 
              
              1月9日(土曜日) 14時より
              久留米市役所2階
              問い合わせ 080-3185-1518 大石
壱岐
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 八女と矢部は同じ地名? 永井正範さんの発表

2009-12-08 07:50:49 | 久留米地名研究会



土曜日は久留米地名研究会の例会が行われました。
今回は、関西のたつの市在住の、永井正範さんのお話が、ありました。

永井さんは、九州のご出身で、九州の歴史や地名にもよく精通されています。
昨年に引き続き2度目のご発表でした。
永井さんのお話は、あまり歴史に詳しくない人にも、とてもわかりやすく、面白く、
しかも深遠で、ロマンにあふれています。
昨年一回目のお話を伺って私は永井さんの大ファンになりました。

今回は八女と、矢部の名前についての話でした。

永井さんによれば、八女と矢部は元々同じだというのです。

永井さんは、地元ではこれは常識なのかと思っていたら、誰に聴いてもそのような見解はありませんという事で、
今回ご自分の考え
として発表されました。

八女は、かなり古くからある、地名で、その起源はよくわかっていません。

日本語において、もともとマ行だった音が、バ行にかわる事は、よく見られます。
例えば、「さみしい」が、「さびしい」になったり、「眼をつむる」と「眼をつぶる」という言い方があったり。
八女では、昔、「蝉」の事を「せび」といっていたそうです。

ですから、矢部は、もともと「やめ」だったのではないかと、永井さんは考えます。
では、なぜ「マ行」が「バ行」にかわったりするのでしょうか。

そのヒントは古代の中国語にあります。

中国では南北朝時代に、漢民族を南に追いやるように、北の遊牧騎馬民族の鮮卑族が進出して北魏を打ち立てます。
南に追いやられた漢民族は呉の国をつくります。北魏は、徹底して漢化政策をうちだして、漢人との通婚などもすすめ、
漢人の文化を受け継ぎます。

ところが、彼らは、マ行が発音できずマ行がバ行になってしまったそうです。
ほとんど漢人と同化してしまっても、発音だけはまねできませんでした。

マ行で発音するのが、呉音、バ行で発音するのが漢音だそうです。

もともとの漢民族の言葉が、日本に入ってきて呉音になり、北の遊牧民族の言葉が、漢音として伝わってきたのです。
面白いですね。
中国では、呉音は、すでになくなり、中国の呉音の研究者は、日本語を研究するそうです。

マ行がバ行にかわるのが、新しい言葉として、同じ鮮卑族が、打ち立てた隋や唐から入ってきた時に、
それっておしゃれ!とばかりに、日本古来の言葉でもマ行をバ行に変える事がはやったのではないだろうかというのが
永井さんの見解です。
現代でも和製英語をつくる日本人が、古代でも同じような事をしていたのかも知れませんね。
永井さんありがとうございました。
また、来年も、久留米地名研究会で、面白いお話を聞かせてくださいね。
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地図っておもしろい。久留米市の地図を見て、大発見?

2009-09-28 07:05:08 | 久留米地名研究会
久留米地名研究会に入って、地図を見るのがおもしろくなりました。

ドライブする時も、ナビを見ながら、地名の由来を考えたり、あちこちに小さな神社を探したりと楽しんでいます。

地図を見ることで、いろいろなことがわかります。

久留米市のもとむら歯科のあたり(野中町、国分町など)の人々と、主人のふるさとの鳥栖市の人々は、顔や顎、歯の形などが違い、人種?が違うかも知れないという話は、以前ブログに書きました。

縄文人と弥生人

地図を見ていると、久留米市の道と、鳥栖市の道にも、特徴があるような気がします。

久留米市の(野中町、国分町、御井町などの)、古くからの道は、迷路のようにくねくねと入り組んでいて、行き止まりなども多く、自由がすき、気分しだいの、縄文人らしい道が多いような気がします。

鳥栖には、整然とした道が多く、合理的でシンプル好きの、弥生人が作った道だなあと感心します。


同じような、かつて水田や、畑があったところを比べても、鳥栖は整然としているし、久留米の道は、好き勝手にくねくねしています。

鳥栖の整然とした田んぼは、条里制の遺構だそうです。



久留米市の地図



鳥栖市の地図



私たちは愛情を込めて、縄文道、弥生道と呼んでいます。

同じ久留米市でも、南に下るにつれて、たくさんの水路(クリーク)が、張り巡らされています。

このあたりはかつて海だったところで、水路は、干拓された跡に残った海の名残だそうです。
地名にも、海だったことを示す、島の着く地名が、多く残っています。


久留米市青木あたりの地図

地名研究会では、地名だけではなく、古代史や、古文書、遺跡など、さまざまのジャンル
に詳しい会員から、毎回おもしろい話が聴けます。

どなたでも参加できます。
お誘いあわせの上ぜひ御参加ください。

 10月の久留米地名研究会が、開催されます。

今回は、高良大社の、もっとも古い宮司家といわれている、
稲員家の子孫の方のお話を伺います。

古くから稲員家に伝わる興味深いお話が聴けると思います。

時間 10月3日(土曜日) 午後2時
場所 久留米市 御井町 御井寺

参加御希望の方は、DENTIC 大石耕史 080-3185-1518
まで、御連絡ください。



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久留米地名研究会 古田武彦先生の講演

2009-07-10 00:13:50 | 久留米地名研究会
7月3日の、久留米地名研究会の、例会が行なわれました。

今回の講師は、九州王朝説で有名な、古田武彦先生でした。
古田先生は、昼に久留米大学の市民講座の講義をされて、夜は御井寺に来ていただいたのです。

先生は83歳ですが、とてもお元気で、夜8時過ぎから10時半くらいまで、たちっぱなしで、話をされました。

昨年は、福岡県の小郡に、本当の飛鳥があり、それは、地形が鳥の形をしているからだということを証明するために、地面に印をつけて、気球のうえから観測するという壮大な実験をされました。

今回は、君が代が、いまの皇室の直接の先祖の歌ではなく、福岡にあった九州王朝の歌である可能性があり、さらにその前の政権の時代の歌である可能性がある、という話など、実際の地名などを交えながらの話は、とてもおもしろく、引き込まれて2時間半が、あっという間にすぎました。

最後の質問に、的確に答えられるのにも、驚きました。冷静でありながら、暖かみがあり古田先生のお人柄がしのばれました。
さすがに多くの信奉者を持っていらっしゃる先生だと感動いたしました。

古田先生、どうもありがとうございました。
また来年もお越しいただいて、ぜひお話をお聞かせくださいね。

古田史学


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高良山のなぞ NO1

2009-03-16 07:53:34 | 久留米地名研究会





久留米市の歯科 もとむら歯科の大石です。

高良山は久留米の人々にとって、とてもなじみの深い山です。

久留米で育った人は、小学校、中学校の遠足で何度も登ったことでしょう。

高良大社の展望台からは、筑後平野が一面に見渡すことができます。

以前は高良山のような山は、どこにでもあるありふれた山だと思っていましたが、

地名研究会で、いろいろと勉強するうちに、

実は、「高良山は古代の歴史のロマンとなぞに満ちた、すごい所だ」
と言う事がわかってきました。

調べれば調べるほど、なぞは深まり、そのおもしろさにすっかりとりこになりました。


筑後一の宮、高良大社の創建は1600年前といわれています。

古い神社の森にはよく大きな木がありますが、高良山にはあまり大きな木がありません。

何故でしょうか

高良山は、はげ山だったからです。

知っていましたか?

それではどうしてはげ山になったのでしょう

高良山近辺には、かつて銅山がありました。

古代においては銅を鋳造するために大量の森の木を切って使っていたそうです。

高良山の木も古代の銅の鋳造に使われたのかもしれませんね。

また、高良山は古代から近代まで、何度も山城として使われ、

戦が繰り返されてきた歴史があります。

山城は、敵が、姿を隠して攻めてこないように、木をすべて切っていました。

それも高良山に木がなくなった原因かも知れません。

いまみられるような、杉がたくさん植えられはじめたのは、いまから300数十年前のことだそうです。


知っているようで知らない高良山の歴史、おもしろそうでしょう?

久留米地名研究会では久留米や筑後、九州の地名、それにまつわる歴史の話、フィ

ールドワークなど幅広い分野の研究をしています。

私たちと一緒にドキドキワクワクしませんか?

皆様の参加、お待ちしています。


場所:久留米市 御井町 三井寺 0942-43-4953

例会 第一土曜 2時

お問い合わせ 地名研究会 事務局 DENTIC 大石まで

       0942−38−5603




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