もとむら歯科通信

きょうも元気で、おいしく食べる事ができますように!
あなたにとって何か素晴らしいことが起こりますように。

鳥取 島根の旅 1

2013-10-01 07:22:07 | 久留米地名研究会

院長の大石です。

先日の休みに、鳥取、島根に行ってきました。

 

 

鳥取砂丘は、南北2,4km、東西16kmもの広さがあります。

この砂丘は、中国山地の花崗岩が、風化して千代川に流され、海岸に集まってできたのだそうです。

ここまで大きな砂丘ができたのには、実は人間の営みが関係しているのです。

中国地方は、古代から明治の初めまで、盛んに製鉄がおこなわれてきました。

もののけ姫にもでてくるたたら製鉄です。

山の中の渓流で、砂鉄を取って、大量の木を伐採して木炭を作り鉄を作っていました。

江戸時代の末期には、日本全体の鉄の90%を生産していたそうです。

その鉄は玉鋼と言われ、純度が高く、刃物に最も適した鋼で、日本刀に使われていました。

製鉄に使う木炭を作るために、海岸付近の大量の木を伐採するため、土壌の流出がどんどん進み、砂が海岸に堆積して、

あのような大きな砂丘になったのではないかとも言われています。

人間の営みは昔から、私たちが思っている以上に、環境に影響を与えてきたのかも知れません。

明治以降は、八幡製鉄などが、鐵を生産するようになり、たたら製鉄は廃れて行きました。

そのため、現在は、海岸の砂が流失して砂浜がなくなってきていると、鳥取の皆生温泉の海岸にあった看板に、

書いてありました。

流失を防ぐため、現在、皆生温泉の浜辺は独特の波打つ形に整備されていました。

鳥取砂丘も、現在は草木が生えないように維持しているそうです。

 

福岡県 糸島の元岡遺跡では、弥生時代の28基もの製鉄炉が見つかっています。

弥生時代に大原海岸の砂鉄を使って、たたら製鉄が行われていました。http://www.okunomasao.com/kodaiseitetu.html(奥野正雄先生)

この製鉄で、糸島半島の木が伐採されて、島だった糸島が半島になり、

現在の美しい白砂の海岸ができたのかもしれませんね。

 

また、ひもろぎ逍遥のルナさんによれば、(http://lunabura.exblog.jp/16450288/)

福岡の福津市の津屋崎でも江戸時代以降出雲より技術を導入して、たたら製鉄が行われていたそうです。

海ノ中道も、たたら製鉄のために大量に流出した砂が、堆積してできたのではと想像してみました。

歴史が身近になってなかなか面白いでしょう

 

久留米地名研究会 


2013年 10月例回のご案内です。

 
2013年 10月 5日  土曜日  13:30 ~ 16:30

サン・ライフ久留米 (西鉄久留米駅南700m  えーるピア久留米の隣)

「筑後川の向こう側 歯科技工士から観た古代」

大石 耕史  (久留米地名研究会 会員)

歯牙の噛み合わせの状態から、筑後川を挟んで異なった形質の人が住んでいるという

研究発表を行います。また、発掘された遺跡群と絡ませ、民族東遷の道筋も

辿ってみたいと考えています。ご興味おありの方におかれましては、

お気軽にご参加くださいませ。

 

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高良大社 神幸祭の写真

2012-11-01 22:33:05 | 久留米地名研究会

10月29日に高良山の神幸祭が開催されました。

発輿祭

 

御神輿を運び出して、神社を出発します。

神幸祭行列は200人ほどの人が参加しました。

 

高良山同志社の皆さんの獅子舞も出発です。

 

 

高良大社の竹間宮司。

 

 

デンティックの渡辺さんの勇姿!かっこいいですよ!!

 

味水御井神社

御井町の語源となった所です。

 

このあと、高良御子神社へ(わたしは一寸お休みしたので写真がありません。)

 

 

高良下宮社に到着

 

獅子舞

 

 

神様のお昼ごはんは何かな?

 

久留米地名研究会の、古川さんもなぜかお手伝い!

 

高良内八幡神社へ到着

このあと御神輿は、高良大社へ戻りました。

御神輿の追っかけ、途中なかぬけしましたが、18000歩くらい歩いていました。

 

神様、皆さんお疲れさまでした。

夕方、鳳凰のような雲がでていましたよ。

 

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宇土半島、天草東海岸の旅

2012-10-15 07:09:39 | 久留米地名研究会

先週末に、久留米地名研究会で、宇土半島と天草に行ってきました。

 

宇土半島の永尾(えいのお)神社

永尾神社の鳥居 祭神は海童神(わだつみのかみ)。

だから入り口が海からなのですね。

拝殿をおかりして昼ご飯です。

神様ありがとうございました。

 

えいの絵の額がたくさん奉納されています。

永尾の名前の由来は、神社の周りが、エイのような地形だからとも言われています。

詳しくは、地名研究会の古川さんのページをどうぞ。

http://www.motomurashika.com/kurume-chimeiken/f-7kamabuta.htm

 

 

宇土半島は、近畿にある、継体天皇の棺を造ったとされる阿蘇ピンク石(馬門石)の産地です。

古代にここから近畿に船で石を運んだのだそうです。

2005年にはこの大王の石棺を運ぶ航海実験が行われました。

http://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/10hitugi/hitugi.html

 

ピンク石採石場でひと休み。

 

今夜は、秘湯のお宿、天草の湯楽亭。ここは洞窟風呂が有名です。

http://yurakutei.jp/index.shtml

 

 

 

赤湯、白湯の2種類 の温泉があり,赤湯をかけた、招き猫も湯の花で

このように!!

 

 

旅館からすぐ近くの海岸。目の前は雲仙です。

おいしい夕食のあとの、夜の海も天の川がきれいでロマンチックでしたよ。

いつものように、夕食後の地名や古代史のお話はつきません。

 

 

2日目は、天草東海岸へ。あまり観光客のいかない東海岸には、

美しい自然が残っています。

日本で3番目に大きなあこうの木。

矢岳巨石遺跡見学へ。

 

 

古代人が造ったドルメンとも言われている巨大な天井石は、長さ13m、幅6m、500トン。

ちょっと怖くて腰が引けてます!

 

ドルメンの上からの絶景

ここなら海からもよくみえますね。

船で島に近づく時に目印になったのでしょうか?

 

中は意外に広く大人50人くらい入れるようです。

奥には祭壇のようなものもあります。

手で支えているようですが....?

本当は、天井石は、5個の石で支えられています。

 

 

 

天草東海岸を南下して、龍ヶ岳を上り展望台へ

こちらにも巨石がありますが、公園化されていて天文台などがあります。

 

 

皆さんお世話になりました。

いつものようにわくわくする楽しい旅行をありがとうございました。

 

 

 

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高良大社 神幸祭のお知らせ

2012-10-13 08:14:35 | 久留米地名研究会

地名研究会では、謎の多い高良山大社についていろいろ勉強しています。

久留米市の古代史を考える時,高良山大社は、重要な位置を占めています。

 明日、10月14日、その高良山大社の神幸祭が,行われます。

高良大社にお祭りされている神様が、御神輿に乗って、回られるお祭りです。

神幸祭は、高良山上の本社から山麓の朝妻の頓宮(味水御井神社)まで、御神輿が神幸する祭儀で、通常は50年に一度行われています。

今年は平成4年の「御神期1600年大祭」から20年ぶりに、御井町・山川町・高良内町の三校区を神輿が巡る御神期大祭をコンパクトに纏めた形での御神幸祭が行われます。

 縮小版とはいえ、9時間ほどにもなる、みごたえのあるお祭りです。

 ぜひご参加してみてくださいね。

 

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奥野正男先生の講演に感動しました。

2012-02-05 07:30:08 | 久留米地名研究会



今日は、久留米地名研究会の例会でした。
今日のお話は、邪馬台国九州説の考古学者の奥野正男先生でした。
奥野先生は、今回、元岡古墳出土鉄刀銘文の話にからんで、ご専門の、九州の製鉄遺跡などについてお話されました。

奥野先生は炭坑で働きながら定時制高校を卒業。
若い頃より文学の道を目指され、34歳の時、炭坑を舞台にした小説、「地底の炎」でリアリズム文学賞を、受賞されました。それから事情があって、新境地の考古学を独学で学ばれ、本を書かれます。

47歳の時にはじめて書かれた邪馬台国に関する考古学の論文で最優秀賞受賞、さらに研究を続けられました。
その後自分の本をもって、大学の公募に応募し考古学民俗学の教授に就任され、退官後も吉野ヶ里などの精力的な研究を続けられて、現在に至っています。

人生で、何度も転機を経験されながら、その都度、独学で、その道で名前を残される所まで、努力される姿に、大変驚きと尊敬の念をもつと同時に、とても勇気づけられました。




30数年、考古学の研究の傍らにいつも欠かさなかった、白川静先生の漢字の辞典のお話も大変興味深いものでした。白川先生の辞典なしでは、魏志倭人伝の意味が全く違って来るのだそうです。古代中国でつくられた漢字の本来の意味を考えて訳された、奥野先生の魏志倭人伝の訳(邪馬台国はここだ)をぜひ読んでみたいと思います。

白川先生は、漢字には、古代の中国の思想と、それを受け継いで来た「日本人の心」が内蔵されていて、そのすべてを受け入れる思想は、自然を征服しようとする西洋の思想による行き詰まった現代の世界を、日本人が救う可能性を示しているといわれるのだそうです。

漢字の本当の意味、思想など、考えたことにない私にとってそれは、かなり衝撃的で、ワクワクするお話でした。白川先生のご本もぜひ読んでみたいと思います。

奥野先生、考古学のみならず、人生哲学とも言うような奥深いすばらしいお話を本当にありがとうございました。
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高良山の謎 NO3

2011-11-03 22:08:59 | 久留米地名研究会



今年も、11月になってしまいました。
ちょっと遅くなりましたが10月の話です。

10月は神無月ともいいますね。
それは、日本中の神様が、出雲に行かれるので、神様がいない月、神無月というのです。
出雲では、10月のことを神在月というそうです。

ところが、高良大社の神様は、10月に出雲には行かないのだそうです。
ですから高良山の10月は神在月ということになります。

これは高良山の宮司にお尋ねしたので間違いない話ですが、いったいどうしてなのかはよくわからないそうです。

高良大社は、ご祭神の玉垂尊がいったいどなたなのかが、わかっていないことをはじめ、
謎の多い神社です。  

調べていくと不思議な、おもしろい事がたくさんあります。

地名研究会で、一緒に勉強しませんか。
「ワクワクドキドキ」保証いたします。

地名研究会ホームページ
http://www.motomurashika.com/kurume-chimeiken/


    久留米地名研究会開催のお知らせ  

11月5日 13時~17時 サンライフ久留米

中島 昭三氏 「筑後の地名から読み解く邪馬台国」

宮崎の秘境 栂尾に神楽を見に行くツアーなどもあります。
詳しくはhttp://ameblo.jp/kurume-chimei/  をご覧ください。

 
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高良山の謎

2011-04-21 22:35:14 | 久留米地名研究会




先日、久留米地名研究会で、春の高良山付近をトレッキングしてきました。
高良山は、久留米の人にとっては、遠足で何度となく訪れているところだと思います。

ここ数年、地名研究会で、会員の発表を聞いたり本を読んだりしているうちに、
高良山を含む久留米市の周辺は、、謎に満ちた、しかも歴史的に大変重要な場所だという事がわかってきました。

今回のトレッキングで訪れた、高樹神社や、祇園山古墳、神籠石、出目八幡宮、味水御井神社などのことを、ブログ ひもろぎ逍遥の、るなさんがとてもわかりやすく魅力的な文章で書いてくださっています。

地元の私たちもよく知らない、古く、日頃はあまり人もおとずれない神社や、史跡に隠された不思議な暗号たち。
初めはバラバラで、意味不明のもの達がだんだんつながって意味を持ってくるその驚きに、大興奮です。
私たちが習った歴史は、一つだけですが、それはもしかしたら、本当ではないのかもしれませんよ!?

ひもろぎ逍遥  http://lunabura.exblog.jp/

写真は、昭和30年代の、久留米市と高良山です。
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久留米地名研究会の新年会と旅行

2011-02-10 23:02:32 | 久留米地名研究会
1月22日に,地名研究会の恒例の旅行に行ってきました。
土曜日は、東峰町の千代丸温泉の伊東屋で新年会。
いつものように皆でわいわい修学旅行のように,夜遅くまで地名や歴史の話をしました。

翌日は、雪の残る山道を、小鹿田へ。



山道が凍って、2度も途中で進めなくなりましたが、3度目の道でようやく皿山へ到着。  



雪の小鹿田の皿山は、時が止まったような美しい里でした。



水の重みを使う唐臼が,土をうつ音が響きます。
勢いのいい水も今日は寒さでたくさんのつららに。



熱く燃える登りがまの火




美しい小鹿田焼きの皿


窯元を一巡りして、お気に入りを買った後は、ほっと一息、山のそばやさんへ







みんなでおいしい地鶏そばを頂きました。


皆さん十分堪能された事だと思います。

毎回、楽しい旅行を,計画して下さる古川さんに感謝です。




おいしかった!

毎回大好評の、久留米地名研究会2月例会は、謎の神社研究者のお話でした。高良山の話など面白かったですよ。
地名、古代史に興味のある方は,ぜひおいで下さい。

もとむら歯科は,久留米市の歯科です。

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久留米地名研究会 今日は今年最後の例会です。

2010-12-04 08:25:17 | 久留米地名研究会
 久留米地名研究会、今年最後の例会が行われます。
はじめての方もOKですのでふるってご参加ください。
古代史に興味のある方必見です!

2010年12月4日 土曜日

13:30 ~ 5:00

場所 : 久留米市生涯学習センターえーるピア

場所がいつもと違いますのでご注意下さい。
西鉄久留米駅南700メートル。歩いても十分ほどです。

参加費 : 資料代500円程度。 駐車場は有りますが有料です。

講演テーマ

1)「 物部の誕生 」
古田史学の会前事務局長 神尾 正武 氏 (佐世保市)

2)「 筑後川の向こう側  咬合から観た 筑紫平野の縄文系日本人、弥生系日本人」
久留米地名研究会会員  大石 耕史 (久留米市) 
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地名研究会 阿蘇合宿

2010-08-27 07:28:33 | 久留米地名研究会
久留米地名研究会の夏期合宿に、行ってきました。合宿といっても、土曜の夕方に三々五々集まって、語り合うのが主な目的です。



場所は南阿蘇高森の外輪山の南東の山の中です。「簡易民宿さくらそう」http://smaken.jp/user/usc_to.cgi?up_c1=24285。ここは普通の民家ですが、標高900メーチルの山の中にあり、緑にかこまれて広い庭では、気持ちよくくつろげます。食事は、持ち込み、自炊です。
開放的なお部屋、使い勝手のいい広い台所があります。
夕方、食べ物の買い出しにいき、飲んで食べながら皆でわいわいと、夜遅くまで、地名や古代史の話に花が咲きました。いつもの事ながら、まるで子供のころの遠足のように楽しい会です。




日曜の朝は、早く起きて、清々しい露のおりた庭や、周辺を散歩して、おいしい朝ご飯を食べました。2時間ばかり、中原先生の茂賀の浦の最新のお話や、古川さんから近くの草壁
吉見神社についての話を聞いたあと、実際に草壁吉見神社に行きました。ここは、階段を下りたところにある珍しい神社です。
神主さんの奥様、氏子の方から興味深いお話を聞かせていただきました。




帰りは、雄大な阿蘇猫岳を眺めながら、途中温泉に入って帰ってきました。
この夏は東京や関西でのセミナー続きで、
心身ともに、大変忙しかったのですが、気持ちよく夏の疲れがいやされた楽しい合宿でした



帰りの道路に狐がでてきました。本当はいけないのでしょうが、やせていたので、お菓子をあげてしまいました。
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久留米地名研究会  第27回例会のお知らせ

2010-06-12 06:41:18 | 久留米地名研究会



きょうは久留米地名研究会の例会が、あります。

「書道家の眼から見た邪馬台国」魏志倭人伝) 井上悦文先生

「卑弥呼と神武、そして熊襲」 消された三政権の関係 
         内倉 武久(富田林市)『太宰府は日本の首都だった』他著

6月12日 土曜日

 午後13時30分

久留米市役所 3F 小会議室

参加費 500円(資料代)

なんだか、面白そうですよ。ぜひ奮ってご参加くださいね。  

写真は筑後川の夕焼け UFOではありません。飛行機雲です。
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白鳥伝説 谷川健一

2010-05-13 23:01:00 | 久留米地名研究会


久留米地名研究会のよびかけ人である、民俗学者の谷川健一先生の白鳥伝説を、読んでいます。

(谷川先生は、邪馬台国九州説の立場をとっておられ、邪馬台国は、久留米辺りであっただろうと言われています。)

歌人でもある谷川先生の文章は、格調たかく、美しく、あまりに壮大で、部分的に何度も何度も読み返しながら、一年がかりで読んでいます。

地名研究会で、いろいろ教えていただき、だんだんとわかってくるようになると、さらに、谷川先生の知識の、広さと深さに呆然とします。

自分で要約しようとしても、どこからどうまとめたらいいのやら、途方に暮れてしまうので、出版社の紹介の文章で、ご紹介します。

『日本書紀』や『旧事本紀』には、つぎのような奇怪な伝承が残されている。神武東征以前、天神の子ニギハヤヒが天磐船に乗って畿内に天降った、という伝承である。 天神の子とは、いったい何者だろうか。 民俗学者・谷川健一氏の古代史の闇をさぐる壮大な旅が、ここからはじまる。 銅鐸、白鳥伝説、ヒノモトの地名伝承等をもとに、北九州筑紫平野を起点にはじめた旅は、瀬戸内海を経、畿内に達し、さらに東北にまでいたる。そして、そこからみえてきたものは…………。 それは、正史から抹殺された物部氏の秘められた歴史だった。神武東征以前に雨降った天神の子とは、じつは物部一族であり、彼らはヒノモトと称する物部王国をつくり、自らを白鳥の子孫と考えていた、という信じがたい事実であった。 これらの「信じがたい」事実が、谷川氏の柔軟で鋭い感性と、綿密で膨大な資料の博捜、地名検証によって、しだいにその実像をあらわしていくさまは壮観といえる。 上巻では、こうした物部氏東遷の経緯をスリリングに追い求め、下巻では、神武軍によって敗れた物部氏の一団が、東北へ敗走し、やがて中世になって、エゾとともに東北史のなかに蘇る姿を描きだす。 歴史学者が見落とした、いな、見ることすらできなかったヴィヴィッドな古代の姿が、ここにはありありと見えてくる。歴史に残る名著である。

本を読むうちに、私たちの興味はどんどん膨らんで、この連休私たちは、ニギハヤヒの足跡を追って、奈良に行ってきました。


次回は、ニギハヤヒの後を追って行って来た、奈良旅行のご報告をします。
お楽しみに!
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久留米地名研究会のホームページが出来ました。

2010-02-26 07:49:02 | 久留米地名研究会



久留米地名研究会のホームページが出来ました。

2007年秋 久留米大学にて谷川健一氏の記念講演「筑紫平野と物部氏ー大きな壷は大きな平野に生まれる」が開催されました。

講演後、谷川先生の呼びかけにより、高良大社宮司さんを会長として、久留米地名研究会が発足することになり、「久留米地名研究会」を立ち上げようという呼びかけが行われました。

久留米地名研究会 http://www.motomurashika.com/kurume-chimeiken/index.htm


それから二年が過ぎ、現在30名ほどが集まり、活動を続けています。
第一土曜の午後2時から久留米市役所の3階の小会議室で、例会を開催しています。

久留米の地名、九州、全国の地名、民俗、古代史などもとりあげます。

ホームページでは、地名の考え方、などの情報もあり、初心者の方でも、興味深く楽しむ事が出来ます。

今まで、数名の方をおつれしましたが、皆とても楽しかったと大好評でした。

地名は時間の化石と言われています。

ここ筑紫平野の歴史は相当古く、調べれば調べるほど、興味は尽きることがありません。

地名を通じてご一緒に、古代への旅へと、でかけませんか?


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菊池盆地は、古代、巨大な湖の底だった。

2010-01-17 20:26:37 | 久留米地名研究会

菊池平野と花房台地

もとむら歯科、院長の大石です。

先週の週末は地名研究会例会、新年会&菊鹿盆地(熊本県)のフィールドワークでした。
植木の温泉で、修学旅行のような楽しい新年会をした後、一泊し、次の日は
菊池の、中原 英先生に案内していただいて,菊鹿盆地を巡りました。

中原先生は、地質学がご専門です。

先生のお話によれば、菊地川を境にして南北で地殻が反対方向に動いているそうです。

菊池では、現在でも一晩のうちに畑が陥没して、ちいさな小屋が、そのまま落ち込んでしまったりすることがあるそうです。
50万年後には,菊池辺りは陥没して、九州は二つの島に分かれると言われています。



中原先生は、長年にわたる菊池周辺の地層の研究から、古代に、阿蘇の噴火などの地殻変動で、水がせき止められて菊池に、巨大な湖が出来た事を発見されました。
この湖は「肥後国誌」によれば「茂賀の浦」と言われていたと伝えられています。

中原先生によれば、水平な地形は、水の底に土などが,堆積してつくられるそうです。

菊鹿盆地の水平な平野は,その湖の水平堆積の跡なのだそうです。

9万年前には菊池盆地の北の「うてな台地」や、南の「花房台地」も湖の底だったそうです。


北のうてな台地から、南の花房台地を望む。遠くに見える、平らな花房台地は9万年前の湖底。


花房層


その後、数回の大きな地殻変動により、土地が陥没し、湖の水が流れ出し、湖はだんだん小さくなりました。


私たちは、盆地の高台から、また盆地の中心から菊池全体を見せていただき
数段にわたる水平堆積の跡を観察しました。


台地が数段になっている。

中原先生はさらに地層を研究されて、縄文時代に湖だった範囲,弥生時代に湖だった範囲を,それぞれ縄文湖、弥生湖と、名付けておられます。
私たちが、次に見て回ったのは、その縄文湖、弥生湖の跡です。
弥生湖の水を抜いたのは,稲作の最適地をつくるために,人為的に、行ったという,「蹴破り伝説」も残っています。

湖のふちと思われるところには連続した土地の段差があり、水路が残っています。

また、縄文湖の淵には、縄文人の墓と思われる,横穴がたくさん残っています。
弥生湖の周辺には、弥生時代に起源があると思われる神社が、並んでいます。

現在残る地名にも、昔の地形などにちなむと思われるものがあり、縄文時代、弥生時代に
その地名がすでにあったのではないかという事も考えられます。


地学と歴史が融合した、中原先生の、壮大なライフワークの研究の説明を、現地でお聴きして、間近に観察し、私たち久留米地名研究会会員は、タイムマシンに乗ったかのようなワクワク感に大興奮でした。

ブログではあまり詳しくは書けませんでしたが、すばらしい研究の詳細は、もうすぐ久留米地名研究会のホームページが出来ますので、
そちらをご覧になってくださいね。

また,中原先生に、山鹿の「方保田東原遺跡」にも案内していただきました。
ここは熊本県を代表する,弥生の大集落の遺跡です。
この遺跡からは、日本で唯一の「石包丁型鉄器」が出土し、無数の弥生式土器が,出てきます。
全国の土器も出ており、交易の中心だったこともうかがわれます。
発掘された範囲はまだ5パーセントくらいだそうですから、今からまだあっというような発見があるかもしれないそうですよ。


私の収穫。

ここからあまりに多くの土器が出るせいか、発掘調査後の土の中にも土器のかけらがたくさん埋まっています。
私たちは山になっている土の上に上り、子供のように夢中になって、土器のかけらを掘り出しました。
会員Aさんは、なんと石包丁を発見!
宝探しは大人になっても楽しいですね!
親子づれで行っても楽しめると思います。

中原先生、すばらしい一日を、本当にありがとうございました。

皆さんんも久留米地名研究会の面白いフィールドワークに、参加されてみませんか。

久留米地名研究会へのお問合せは、研究会事務局 DENTIC 内 大石耕史まで。

080-318-51518
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壱岐の神社

2010-01-07 23:41:37 | 久留米地名研究会


正月に家族で壱岐に一泊の旅行をしました。目当てはおいしい玄界灘の海の幸と,神社めぐりです。

地名研究会では、地名の研究だけでなく、古代史や,神社などの話もでます。
地名研究会に入っていると、旅行がとても興味深く、楽しいものになります。

唐津からフェリーで一時間半で、壱岐の印通寺港に着き、
フェリーを降りて、昼食をとり、さっそく島内を車で走りだしました。

途中で立ち寄った、壱岐で一番大きな住吉神社の祭神は、住吉三神、「表筒男神」「中筒男」「底筒男」であり、
海水浴場になっている美しい筒城浜というのはそれと関係がありそうです。



壱岐対馬には,(北九州はどこでもですが)神功皇后をまつった神社がたくさんあります。
また、神功皇后伝説も,たくさん残っています。実在の人物ではないなどとも言われますが、
伝説の多さ、そのリアリティにとても架空の人物だとは思えません。



壱岐の住吉神社でも、神功皇后は,祭神として祭られています。

神功皇后は、住吉大神の神託により、身ごもったまま、三韓征伐にいき勝利を収めます。
皇后は帰ってくるまで子供(応神天皇)が生まれないようにと、おなかに石をくくりつけて、
出産を遅らせたそうです。



神功皇后ゆかりの聖母宮という神社もあります。
ここで主人はおみくじをひきましたが、いつものようにまた大吉!

この場所は、神功皇后が勝利を収めた,帰りに立ち寄られ
勝本と名付けられました。

私たちは,旅館に着くと,旅館の周りを散策に出かけました。
表へ出たとたんに、大きな黒い雲が空を覆って,雷鳴とともに、大粒の雨が降り出しました。
慌てて旅館に戻ると,すっかり雨はやみ、今度は美しい虹が・・・。

温泉の扉には,龍神と神功皇后の絵が描かれています。
この平山旅館の温泉は、神功皇后が,三韓征伐から帰って、出産をされた時、産湯につかったとの言い伝えがあるそうです。

神功皇后は,住吉大神の神託により,龍神から,潮の満ち引きを変える事のできるという
「干珠」 「満珠」の珠を借りて、勝利を収める事が出来たとも言われています。

どうやら私たちも、龍神さまの歓迎を受けたようです。

    

        久留米地名研究会 1月例会 阿漕 古川会員のすばらしいお話が聞けます。 
              
              1月9日(土曜日) 14時より
              久留米市役所2階
              問い合わせ 080-3185-1518 大石
壱岐
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