ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

原田勇男 玉田尊英 THROUGH THE WIND vol.34 2016.4.20

2016-05-04 21:47:27 | エッセイ

 原田さんと玉田さんのTHROUGH THE WINDが届いた。

 生成りと言えば良いのか白すぎない紙に、モノクロで文字とスケッチが配され、印刷してさっと綴じられた風情のシンプルな冊子。おふたりの詩2編づつとエッセイ1編づつ、それに「それぞれに」と題されたあとがき。さっと吹きすぎた風のあとにいつのまにか落ちていた数葉の枯れ葉のような頁たち。

 冒頭は、原田さんの「隣の椅子」

 

 隣の椅子は

 今も空いたままだ

 わずかに木の香りがして

 時折だれかが身じろぎする気配

 

 (第2連略)

 

 長い髪のほそい背中を

 ゆるやかな背もたれにあずけ

 よく好きなチェホフを読んでいたね

 なにものにもかえがたい時間が

 記憶の底に沈んでいく

 

 (第4連略)

 

 帰らないひとのために

 隣の椅子を空けておこう

 

 晴れた朝も土砂降りの午後も

 外からよく見えるように

 いつもの椅子を窓際に寄せて

 優しい手触りのままで

 

 (原田勇男 隣の椅子)

 

 失ったものの記憶が、失われたなりに鮮やかによみがえる。原田さんは、過去にあくまでやさしく語りかける。

 その次には、玉田さんの「散歩道」

 

 病院の待合室は二階で

 見通しのよい

 大きなガラス張りの窓が心地よい

 

 枝を天にひろげた炎のような

 ユリノキの並木が

 冬の空を支えている

 

 (第3連略)

 

 サイモンとガーファンクルの

 「冬の散歩道」が頭のなかでひびく

 But look around, leaves are brown

 And the sky is a hazy shade of winter

 (見渡せば木々の葉は枯れ

 空は冬枯れ色に染まっている)

 

 この街に病む人は

 失われていく時間を

 はるかな季節のように

 取りかえしがきかないと

 思っているだろうか

 

 ふたりは歌う

 Hang on your hopes, my friend

 (希望だけはなくすなよ)

 

 (後略)

 (玉田尊英 散歩道)

 

 玉田さんも、また穏やかにやさしく語りかける。が、どこかに抑えた厳しさが垣間見え、サイモンとガーファンクルの名曲に託して未来への呼びかけを忘れることがない。しかし、それはあくまで抑制されている。ソフィスティケイトされた思いである。

 これらおふたりの詩の抑制は、ここに収められたそれぞれのエッセイの問題意識とは、ある意味で対極的なものと言える。

 原田さんは、「文明の危機と明日への問いかけ―映画『フクシマ後の世界』から―」を書き、玉田さんは、「暗い時代の予感 佐竹直子『獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代』を読む」を掲載されている。それぞれに語るべきことを持ち、ここに表現されている。どちらもタイトル自体が明晰にその内容を語っているものだ。

 ところで、あとがきにあたる「それぞれに」で、玉田さんが経済学者宇沢弘文のことに触れられている。

 

 「…その先見性に充ちた言葉は説得力がある。/宇沢の一九八九年の著作『豊かな社会の貧しさ』(岩波書店)のなかの「自動車は都市を破壊する」で彼が取り上げる自動車の負の要素は以下のようである。/自動車は日本の自然と社会を不可逆的に破壊しつつある。…」

 

 じつは、いま、元岩波書店社長の大塚信一「宇沢弘文のメッセージ」(集英社新書)を読み終えようとしているところで、ちょっと前には、その弟子にあたる財政学の神野直彦先生の本「人間国家への改革」で、宇沢弘文にもずいぶんと触れられているのを読んだばかりであった。今度、お会いした時には、宇沢のことなども話し合ってみたいものである。詩人会での話題として、こういうのも、実は、あり、ではあるはずである。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 小林康夫 大澤真幸 「知の... | トップ | 5月4日(水)のつぶやき »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

エッセイ」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL