ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

鍛代敏雄 戦国大名の正体 家中粛清と権威志向 中公新書

2017-01-03 21:59:28 | エッセイ

 武士とは何者か、ということが、私にとってひとつの根本的な問題で、ある時代からある時代までの為政者であるわけだが、弓矢や刀剣使いの専門家という側面もあり、狩猟民の後裔であろうか、というところと、農耕民の集団のリーダーであるという側面もあるわけで、そのあたりの正体を見極めたいという思いがある。

 農民だとか、百姓だとかいう一般庶民と、支配階級である武士というものとの関係性、その連続性と断層、区分線をどう引けるのか。江戸時代は、武士とそれ以外の階層との断層が固定化していたとして、それ以前は、それほど別のものではなかったのではないかなど、なんとなく、イメージしているところはあるのだが、そのあたりをうまくコンパクトにまとめてくれた解説書とか新書版のものがないかとはつねづね思っているところだ。

 で、「戦国大名の正体」という書名を、気仙沼図書館で見かけて、そのあたりの根本的問題になんらかの解決なり、見通しなりを与えてくれるのでは、と期待させられるところがあって、手に取ったということになる。

 鍛代氏は、1959年生まれの、東北福祉大の歴史学の教授とのこと。

 さて、この本の目的は、

 

 「遺された資料や参考とした文献にヒントを得て、戦国大名と呼ばれた武将たちの実像を観察し、とくに戦国乱世を生きた彼らの行動規範や思考回路を探索すること。」(ⅰページ はしがき)

 

 日本にキリスト教の布教のためやってきた宣教師・伴天連(ばてれん)たちの記録、戦国大名たちの分国法、法度(はっと)、公家や連歌師らの日記など、それらの原資料にあたって、戦国大名の実像を描いていく。なかなかの力作であり、確かな読み応えがある、と言える。こういう新書と出会うのは、楽しいことである。

 上に書いた、私の根本的な疑問に対して、そうさっぱりと解決を与えてくれる本というわけにはいかないが、ひとつのしっかりしたアプローチを与えてくれたとは言える。

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