ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

東浩紀 ゲンロン0 観光客の哲学 株式会社ゲンロン

2017-06-10 13:00:42 | エッセイ

 東浩紀は、批評家・作家。株式会社ゲンロンという出版社(のようなもの)の代表でもある。

 以前には、早稲田大学文化構想学部の教授だったときがある。

 フランス現代思想が専門の哲学者である。

 学者であって、かつ独自な「思想家」であるといっていいと思う。

 「象牙の塔に閉じこもる講壇哲学者」の対極にある「資本主義社会に飛び出して会社経営もし、政治の原理への発言も辞さないアクチュアルな市井の思想家」というようなことになるのだろうか。

 この「観光客の哲学」も、現在の日本において重要な書物であることに間違いはないだろう。

 

「本書は哲学書である。ぼくは批評家だが、哲学について考えている。…(中略)…とりわけ、二一世紀のこのネットとテロとヘイトに覆われた世界において、ほんとうに必要とされる哲学はどのようなものかを考えてきた。本書にはその現時点での結論が書きこまれている。」(はじめに 6ページ)

 

 「ほんとうに必要とされる哲学」。

 これは、現代の哲学にとって、根源的な問いである。

 「哲学などは、モノの役にも立たない」、一般の人びとからは、常にそう揶揄されてきた、そういうふうに哲学者たちは被害妄想を膨らませてきたわけだ。

 大学において、哲学を学ぶ者たちは、常に、そんな問いを自ら問いかけて続けてきた。

 逆にいえば、「哲学などモノの役にも立たない」のではないかという疑念なしに、学び続ける哲学者などは、それこそほんとうに「モノの役にも立たない」連中である。

 ま、これが、デカルトのいう「方法的懐疑」に通じることだと、私は理解しているが、東が、ここでことさらに「ほんとうに必要とされる哲学」などと言いたてる背景には、そういうことがある、とここは初心者向け解説。

 

「ぼくはこの四半世紀、哲学や社会分析からサブカル評論や小説執筆まで、多岐にわたる仕事を行ってきた。それゆえ、受容も多様で、不毛な誤解に曝されることもあった。本書はその状況を変えるためにも書かれた。だから本書はいままでの仕事をたがいに接続するように構成されている。本書は。『存在論的、郵便的』の続編としても、『動物化するポストモダン』の続編としても、『一般意志2.0』の続編としても、『弱いつながり』の続編としても読むことができるはずである。『クォンタム・ファミリーズ』の続編としてすら読むことができるかもしれない。」(7ページ)

 

 さて、「第1章観光」から、観光客とは何かについて。

 

「ぼくは二〇一四年に『弱いつながり』という小さな本を刊行した。そこでぼくは、村人、旅人、観光客という三分法を提案している。人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体に属する「村人」でもなく、どの共同体にも属さない「旅人」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり他の共同体も訪ねる「観光客」的なありかたが大切だという主張である。」(14ページ)

 

「…思想や批評を少しでもかじった読者であれば、そんな話はありふれていると感じたはずである。…(中略)…ぼくの観光客論は、山口昌男の有名な「中心―周縁」図式をはじめ、思想史や批評誌のさまざまな議論から示唆を受けている。…(中略)…ぼくが強い影響を受けた柄谷行人が、…(中略)…「共同体」は閉じているからだめだ、「外部」からやってくる「他者」が必要なのだと説き続けていた。」(14ページ)

 

 このあと、大学で一応哲学を学び、市役所に長く勤務し、地方自治について考え続けてきた私としては、まさに、もっとも興味深いことが考察されていくことになる。

 ルソー、ヴォルテール(小説「カンディード」)、ハンナ・アーレント、ハートとネグリ、後半の方では、ドストエフスキーなどが取り上げられる。これは、思い浮かぶままランダムに書いただけで、もっと多くの思想家が取り上げられる。

 

 もっと、引用して紹介し、考えてみたいところは多々あるが、あとは、直接、本に当たってもらう方がよいだろう。

 興味深く、基本的に同意できる叙述である。現時点での、日本社会を理解するための原論として参照すべき書物の一つであることに間違いはない。

 真面目過ぎてもよろしくない、というような趣旨も書かれている。少々のおふざけというか、気楽な観光客の立ち位置がよろしい、みたいな。

 ところで、「郵便的な誤配」ということが、この書物全体の重要なキーワードであるが、最初の「存在論的、郵便的」を読んだときから、日本の郵便にはほとんど誤配がないんだがな、と軽口を叩いている。もちろん、ごく少数故意の事件もあり、誤配が皆無ではないのだが、日本で生まれ育った人間にとっては、ここでの「郵便的」という言葉が実感として理解しずらいところはあると思われる。

 東自身、この言葉は日本の郵便制度と直接は関わりのない、デリダからの専門的な術語であることは明記しているところではある。

 

※ちなみに「存在論的、郵便的」以降、「思想地図」など東の著作はずいぶんと読んでいる。ブログに掲載のものは以下の通り。(日付はブログ掲載時)

 

東浩紀 弱いつながり-検索ワードを探す旅 幻冬舎 2014-08-03 

東浩紀 セカイからもっと近くに 東京創元社 2014-05-05

東浩紀編集 福島第一原発観光地化計画 思想地図βvol4-2 株式会社ゲンロン2014-04-07

東浩紀 クリュセの魚 河出書房新社2014-02-18

東浩紀編集 チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図βvol4-1

2013-07-29

東浩紀「動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会」講談社現代新書。

2013-07-04

 

エッセイ「新日本国憲法ゲンロン草案」を、私なりにざっと読む

2012-10-15

 このエッセイは、東浩紀が編集人、発行人を務める「思想地図β」の第3巻目「日本2.0」に発表された「新日本国憲法ゲンロン草案」(東を含むゲンロン憲法委員会起草)についてのもの。

「一般意志2.0」は、ブログに本の紹介を書きはじめる前だったようだ。

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