グレーゾーンを生きてゆく。

乳がんになって、これからの人生はどうなるのか…
そんな不安の中でも前進あるのみで、歩いていきたい。

年が明けて3週間も経ってしまったんですね…

2008-01-15 | わたしのきもち
まずは、
  明けましておめでとうございます。
  もとい、寒中お見舞い申し上げます。
  ひっそり・こっそり、放置し放題なこんなブログですが、
  読んでくださってる皆さん、今年もよろしくお願いします。
…と、トンチンカンなタイミングの挨拶からスタートです。

前回の記事から今までを駆け足で振り返ると、
こんな感じで。

クリスマス前に放射線治療が終わって、すぐに仕事に復活。
年末年始の超繁忙期を風邪気味ながらも気力で乗り切って、
それから1週間ばかり実家に帰省して骨休め。
成人の日絡みの3連休も働いて、
「がん患者なのに、人並みに働ける自分ってスゴイ」と自己満足に浸る。
しかしホットフラッシュでの睡眠不足は相変わらずで、早起きは出来ず、
料理、後片付けなど最低限の家事をようやっとするのが精いっぱい。
でも編み物は細々とできる気力はある。
嫌なことから編み物に現実逃避しているような…ちょっと情けない日々です。

今年に入ってからは寝坊は少なくしなきゃ!と決心しつつも、全然できていません。
目覚まし時計は無意識に止められ、一人で朝を迎えるのは結構寂しい。

もう一つ、タスオミン、今年に入ってから既に4回飲み忘れました。
しかも元旦から忘れちゃうなんて、私、緊張感がなさ過ぎる。

寝坊は減らす。
薬は飲み忘れない。
今年の二大目標になりそうです。

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今年に入ってから、ちょっと気になることが。
長時間座っていると、左ひざ・左臀部に痛みが出てくる。
立ったり歩いたりするときには感じない、座っているときだけ。
どうしたんだろう。
編み物に集中して(掃除とかの家事はどーしたの?)
「さあこれからだ~~~!」と波に乗れそうなときに、「あ、痛っ」。
このときって、結構凹みます。
体勢を変えて座ってもなかなか治らない。
最終的には痛みが気になって編み物中断。
こんなことが、もう2週間以上。

近所にカイロプラクティックがあるらしいから、行ってみようかな…

マーガレットを作りました

2007-12-26 | 趣味らしきコト
「編み物を始めた」とここで書いてから、
いつかは出来上がったものをアップしよう、と思って、

写真を携帯で撮ったはいいものの、
とても小さく、しかも写真の腕がない…

恥ずかしながら告白すると、
携帯からパソコンへ写真データを移して、それを加工して…なんて作業、
この年になって初体験で。

横から縦の方向転換って、どうやるの?
あ、明るさって調節できるんだ!
…などなど、格闘すること...何日かかったんだろう???
ようやく勝手がわかってきたところで、やっとアップできます。



編み物復活第1号は、かわいい毛糸を使って
シンプルなふわふわマフラーにしようと最初は考えていた。

本屋さんでニットの本を物色するうちに、
マフラーよりちょっと大きいサイズで編んでいって、
両端を腕が通るように縫いとじると、
ボレロのような感じに仕上がるマーガレットというものがあることを知った。
外ではボリュームたっぷりマフラー、室内ではボレロとして羽織れる。
なんて機能的なんだろう!

去年は暖冬だったけれど、今年は冷え込みそうな長期予報が出ていたっけ。
寒がりの姉にぴったりかも…というわけで、
マフラーから昇格(?)して、ちょっと大作にとりかかった。

2週間ぐらいかかって、完成!
根を詰めて取り掛かれば、たぶん1週間ぐらいでいけたかも…(ホントか?)

写真のモデルは、姉。
ボレロ状態の写真は、撮り忘れてしまいました…ショック。
姉には気に入ってもらえたようで、よかった。
今度は自分用にも作ろう…と、毛糸のあるところを巡回する私

今日でおしまい!

2007-12-21 | 放射線療法
最終日は徒歩通院、しっかり歩いていった。

ライナック室では、いつも私はほとんど無言で、
技師さんたちにアイコンタクト&会釈で挨拶をしていた。
体型が中年化しているとはいえ、辛うじて嫁入り前なもので、
上半身をさらすのに恥ずかしさがないと言えばちょっと嘘になる。
心の中では「お願いします」「ありがとうございます」とつぶやいてはいるけど、
言葉にする前にぺこり→すぐ着替えにかかってしまっていた。

最終日の今日は、照射が終わって「ありがとうございました」とお礼を言った。
一人の技師さんが「今までお疲れ様でした、大事にしてくださいね」と声をかけてくれた。
些細なことだけど、嬉しかった。

ああ、これで終わるんだな…さよなら、放射線科。
また戻ってくることのないように、頑張ります。





こんなことを書いているうちに、大事なことに今ごろ気がついた。

相方に、私は声をかけているんだろうか?
→答えはノー、しかない。

ホットフラッシュで眠れないことのつらさ、気持ちの不安定さ、今後の身の置き方、
諸々の気持ちを受け止めてほしいけれど、それを言葉に出して言えないでいる。

2ヶ月先まで、外来診察はない。
その間、どうやって気持ちを落ち着かせて過ごしていけるのか。
いちばんそばにいて暮らしている人間にもう少し心を開ければいいのだけれど、
私は怖くて逃げている。

なぜ逃げてるのか。
→きっと受けとめてはもらえない…という思い込みが私の中に出来上がっている。
 言ったところでこの人は変わんないよ、という、ひどい思い込み。
 
実際のところはどうなのか、わからないのに。
私ってば、偏ってるな…進歩がないな…

まずは、「今日で終わったよ」という報告からしよう。
でも、その後の言葉、どう言えばいいんだろう。
「疲れやすくなって、朝起きられなくなって、ごめんね。
 文句一つ言わず、起こさずにいてくれてありがとう。
 明日から仕事戻るから、早起きできるよう頑張るよ。」
あー、その後は…わかんないな。

こんな悲しい思い込みも、放射線で焼けてなくなっちゃえばよかったのにね。
そんなことよりも、自分の中から気持ちを・行動を変えていかなくちゃ。

とにかく、相方に何がしか言ってみなくちゃ。
ちょっとの勇気…いちばん欠けてて・必要なもの、私にくださいな

明日で終わります

2007-12-21 | 放射線療法
早いもので、ここまで来た。

毎回、週の初めに放射線科の診察がある。
胸の調子や副作用がどうか質問の後に視触診、という流れ。
診察が終わってリニアック室に行く前に、
必ず先生もナースさんも一言言ってくれている。
「何か変わったことがあったら、いつでも声をかけてくださいね」

その呼びかけに、先週は乗ってみた。
放射線科には直接関係ないことだから、すっごい勇気が要ったけど、
ホットフラッシュのつらさ、訴えてみた。

ほぼ毎晩、途中で目が覚めて、再び寝付けなくて、
今は仕事を平日休んでいるから昼寝すればいいけれど、
仕事の完全復帰が見えてきた今、年末年始はこの調子で大丈夫なのか、
とても不安がある…と言ってみた。

「副作用が出るのは仕方ないし、つらいところだよね」と受け止めてくれ、
「お守りだと思って…」ということで、2週間分の入眠剤が処方された。
放射線科の先生、ナースさん、本当にありがとう。

本当は外科の診察で言うべきことなんだろうけれどね。
待ちくたびれた後の診察って集中できなかったりするし、
あとがつっかえてると思うと突っ込んだ質問もできないし、
言いにくい雰囲気ってある。
しかも今度の診察の2月まで先が長すぎるような気がして。
でも、こうやって言ってみることもアリなんだ!というのが収穫。
どんな場面でも、言ったもん勝ち!なんだよね。

入眠剤を飲んで寝た夜は、朝までノンストップで眠っていられる。
本当に感謝感激。勇気を出して言えてよかった。
(今夜は缶チューハイ飲んだので、入眠剤はお休み…)


26回中、23回は胸全体に、残り3回は摘出した部分にだけ照射。
胸そのものは、うっすら日焼けかな?ぐらいの色づきだけど、
腋の下がもっと日焼けして、こすれて皮がむけてきた。
痛い・かゆいの症状はないけれど、塗り薬が処方された。
塗っていると、黒い皮がどんどんはがれてきて、赤い皮膚が出てきた。
これ以上ヒドイ症状が出ませんように…



徒歩通院、寒さに負けてしまう日が半分
相方に病院まで送ってもらえた日は、帰りは徒歩。

おいしいランチ…週に1、2度いただきました。
いちばんよかったのは、三陸産のかきフライ定食…思い出しただけで
あんなに大粒なかきは久々でした。揚げたてを頬張ったときは超幸せ。
また食べたいな。

映画の水曜レディースデイは、コレ観たい!と思えるものがなくて、断念

いよいよ明日でおしまい。
最後の晩餐ならぬ・最後のランチは何処に行こうかな

明日、終わったとき、どんな気持ちになってるのかな?
というか、あさってから勤務に完全復活だ。
年末年始まで当然大忙しだなぁ…

副作用が強くなってきて…

2007-12-21 | ホルモン療法
ブログを覗いていただいている皆様、大変ご無沙汰してしまいました。

生きてはいますが、身体も・心もだめだめな日々を送ってました。
何て後ろ向きな出だしなんでしょう

副作用、まずはホットフラッシュ。
前回の苦しかった生理が終わってから、明らかにホットフラッシュが多くなった。
今では日中で1時間に1回は「あ…キター…じわー…だらー…さむー」を感じるように。

いちばんの問題は、夜。
必ず1回は全身汗だくになって夜中に目覚める。
以前のような激しい動悸バクバクはもうないけれど、汗の量がとんでもない。
そこから再び眠りに着くのがこれまた至難の業で、
軽く1時間はうだうだすることに。
その間にもいろいろなことが浮かんでは悲しくなり、泣き、悩み、
どうしようもない時間を過ごす。

眠剤、必要かな…
主治医に相談したいけど、またあの混み込みな外来はつらいな…
しかも予約なしで飛び込んでも大丈夫なのかな…
眠剤もだけど安定剤も欲しいような…
あー、もうくよくよするの、いいかげん疲れちゃう・・・
汗がひかないのも気持ち悪いな…
隣の相方め、いびきがうるさいっ。
意地でも寝てやる!…って気合入れるのも良くないんだよね…
・・・・・・・てな感じで、ほぼ毎晩。

朝の目覚めは、暑さのせいか布団を蹴っ飛ばした状態で、非常に寒い。
湯たんぽで辛うじて少し暖がとれればラッキー、布団から出てたらがっくり。

枕元に汗拭き用タオルを常備し、布団カバーは洗い替えの間隔が短くなり、と
ちょっと面倒が増えた。



それに、11月最後の連休に風邪をもらってしまってから、今まで治らない。
こんなに1ヶ月以上引きずるなんて、今までなかった。
インフルエンザじゃないのは幸いだけれど、
のどと鼻をやられ、微熱がずっと続き、頭はくらくら。
一時期は、お腹もゴロゴロひどくて大変だった。
ニンニクとかショウガとか、身体が温かくなるものを取り入れたものの、
食べたその場はいいんだけど…
治りづらい原因の一つは、やっぱホットフラッシュじゃないかなー。
これが屋外だったりすると、汗をかいた後の寒気が半端じゃない。
最近は気温も低かったから、より寒く感じるようになった。
そして暖かい室内でようやくぬくぬくできたら、過剰に暑くなって、また発汗。
この汗をかいた後の対処、ちゃんとしなきゃ。



もうひとつ困っているのが、憂鬱な気持ちがなかなか切り替えられないこと。
これは、副作用なのか・もともとこういう私の性格なのか・
はたまた環境がそうさせているのか、判断が出来ない。

表向き、仕事上は元気でハイテンションな自分がいる。
その反動か、家では引きこもって何もせず横になってる自分がいる。

友人から、面倒な仕事から、日常のルーティンワークから、
相方から、将来から、自分で立ち上げたブログから…
いろんなものから逃げてる自分に気づく。

そんな自分が嫌になってくる。

私、何やってんだろう。
時間はたっぷりあったのに、くよくよしてばっかりで、自分の気持ちの整理が出来てない。
何をすべきなのか、自分のこれからのこと、真剣に向き合わなきゃいけないのに。

でも…やっぱり、何も考えがまとまらない。まとまらないまんまなんだ…

家の中が陰気臭くなって、相方に申し訳ない。
こんな自分でも、ここにいていいんだ…と、本当は安心して毎日を送りたいよ…



…ごめんなさい、グダグダな気持ち、ちょっと言ってしまいました。

アリシア、買いに行こう。

2007-11-30 | 趣味らしきコト
たまには病気以外のことも、ね。


さっきまで、「とくダネ!」でアリシア・キーズが生で歌ってた。

デビューのときから大好きで、2枚のアルバムはかなり聞き込んでいた。
車で聞くFMからアリシアのライブ音源と思しき曲を最近聞き、
ニューアルバムが出るのを知った。
買おうかどうかちょっと迷ってたけど、
生歌に完全ノックアウト。
小倉さん同様、私もうるうるしながら聞き入ってしまった。

もう買います買います!
「とくダネ!」効果でなくなっちゃう前に駆け込みます!

ライブ、観に行きたいなぁ
待ってるよ、アリシア!来日公演…

ゾラデックスから、リュープリン。

2007-11-28 | ホルモン療法
先週、外来があったのをまだ書いていなかった。

診察のときに思うのは、自分の準備不足と詰めの甘さ。

1ヶ月間の副作用の報告をしなきゃなー、ということで
薬2種類のパンフレットにある副作用一覧に当てはまるところに
蛍光ペンで印をつけたのに、持って行くのを忘れた…
編み物セットの準備より、そっちのほうが優先順位高いでしょうがっ!と
自分に突っ込んだのが病院着いてから。ほんと、しょうもないなぁ。
自分の思っていることが診察ではなかなか全部伝えきれていない私、
今回もダメダメ。

(1日だけ、朝起きたときからめまいがひどくて、仕事を休もうと思ったけれど、
気合で何とか乗り切った。
1日だけ、コーヒー飲んだだけでたくさん吐いてしまった。
ホットフラッシュ、2日に一遍ぐらいで夜中に来るのが嫌だ。
それから目が覚めて眠れなくて、泣きたくなる。実際泣いてしまう。
体重がわずかに増えた。ウエスト周りがまずいことになっている。
気持ちの落ち込みは、なかなか上がってこない。
これがデフォルトなんだと覚悟を決めなきゃいけないのかな…。)

副作用で一番つらいことは気分の落ち込みなのだが、
しかし原因は薬なのか・人間関係なのか…というか両方じゃん!ってわかってるけれど、
そろそろ何とかしないといけないな…

血液検査の結果も問題ないということで、いよいよ注射。
リュープリンに変わったことで、次の診察は来年2月の中旬。
タスオミンの処方箋も100日分。

何だか、あっけないもんだ。
2ヶ月前は、病理結果で抗がん剤は必須と言われてショックで、
もう一つの検査結果が来るまで落ちつかない日々を過ごし、
ようやく1ヶ月前からホルモンでいこうと方針が決まり。
あの散々悩んだ日々は何だったんだろう?と思えるくらい、今は一見平和だ。

しかし、3ヶ月も何もない状態に耐えられるかなー?
放射線が終わったら、約2ヶ月、タスオミンを飲むだけ。
その間に、私はどうなっているんだろう。青写真も、まだできないな。

そろそろ、編み物の作品が出来つつあります。
しかし、超自己流なので、いったいどんな着地点になることやら。
そして、写真のアップの方法も知らない自分って…(恥)。
勉強してから、また来ます。


10回終了。

2007-11-28 | 放射線療法
平日は放射線で病院通い、週末は仕事という日々を過ごしている。

3連休の終わりから風邪を引いてしまい、今もぐったり。
今日は機械点検のため、放射線はお休み。それを利用して
どこか出かけようとか、あれしたいとか考え…ただけでおしまい。
具合がよろしくないって、やっぱり悲しいなぁ…

徒歩通院、今のところ半々ってところでしょうか。
昨日おとといはバスのお世話になった。
車は本当に極力使わないようにしよう。ガソリン高過ぎだし。

昨日までで10回。あと16回、頑張って通おう。

まずは、早く風邪治さなきゃな…

振り返り・病理が出るまで

2007-11-28 | 手術後…
退院から1週間は静養期間ということで、まるまる自由な時間をもらった。
引きこもってはネットでいろんな方のブログを読んだり
(未だに読み逃げてばかりの意気地なし・・・)、
乳がんに関する本を読んだり、将来が不安で泣いてたり、
左右非対称の胸に慣れるまで、じーっと鏡の前で見つめてたり、
姉からもらったビリーで筋肉痛になったり(これは週1ペースで続けるのがやっと)、
引きこもってばかりじゃいかんと思い、生まれて初めて「ひとりカラオケ」に挑戦したり
(あ、これもある意味引きこもってる趣味ですな)。

そして、もう一つの検査を受けることを主治医に伝えた。
必要な手続きを済ませ、一つまたスッキリした気分。

そうそう、バイト先の健康診断もあった。
提携している内科の先生に診てもらうのもこれで3回目。
「変わったことは何かありますか?」
「先週、手術して退院してきたばかりなんですー」
「えっ、何の手術?」「…乳がん。」
先生、あちゃー、って顔してました。
血液検査も尿検査も、今まで全然引っかからなかった。
確かに、いわゆる「パーツ」の病気は健康診断のデータだけじゃわからないよね…。
そして、ドクターの性(?)なのか、術創を見せてほしいと言われ、
相方よりも先に見せることに。
先生、「いやー、これはきれいに手術してもらったねー」と感心して、マジマジ見てた。
胸と腋の下の中間の位置に5センチほどの傷、そして乳輪に沿って半周の傷、ドレーンの管が出てた穴のところ。
「きれい、キレイ」と連呼されると、何だかうれしい様な・変な気分。
診察の最後に「よく頑張ったね」と言ってくれたこと、また嬉しかったな。

そして、バイト復帰。
周りから「本当に大丈夫なのか」とハラハラされながらも、
全然人並みに働いてました。

手術後の相方、イライラしてました。
彼も、彼なりの不安や、どうしようもない気持ちがあるのでしょう。
でも、表現方法が間違っている…そう感じる出来事が多くなりました。

抗がん剤、もしすることになっても、
ホルモン療法だけになったとしても、
こんな調子じゃ乗り越えられない。
こんな身体になったからって、いたわってもらえないなら、
受け止めてもらえないなら、受け入れられないのなら、
思い切って別れた方がいいのかな…

家に引きこもっていると、こんなことで悩む時間ばかりになってしまうので、
バイト復帰できたこの時期は、少しでも嫌なことを忘れられるいい時間になった。

どんな病理が出るか…このときは結構楽観的に考えていた。
手術が思ったよりもあっさりと終わったし、
胸も左右の大きさの違いをカバーできる方法も考えたし、
仕事の場面では乳がん患者になる前の自分とほとんど変わりなかったし、
「私、大丈夫なもんだなー。抗がん剤しなくてもよさそうなんじゃない?」なんて思ってた。
そんな気持ちのまま、スッキリ・すんなり物事が運んでくれると思ってた。

振り返り・入院するまで

2007-11-24 | 発見・告知・手術前
バイト先の店長には前もって言ってあったが、ほかの面々にも伝えなければならない。
20人弱いるメンバーの中で、年齢は私、上から3番目。20代の子が多く、中には10代の学生さんもいる。
勤務時間もまちまちなメンバーへ一斉に伝える手段として、手紙を書いて連絡ノートに貼り付けた。
30代の仲間のリアクションが一番早かった。
自分の親がそんな病気を持っていたりして、やはりリアルに感じるところがあるのだろう。
20代の子たちは、どう接していいのか、何を喋ったらいいのかわからずにいたようだ。
あとは、男性陣。確かにデリケートな問題だから、話しかけづらそうだった。
公表したのは早過ぎたのか、明かさない方が良かったのかと、少し後悔することもあったけれど、
総合的に考えて、言って良かったと思っている。

外来2回目、相方も同伴。針生検の結果が上がってくる。
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ホルモンレセプター・両方プラスなので、ホルモン療法はやる方向でいきましょう。
Her2はマイナスなので、たちは悪くなさそうです。
内視鏡を使った温存手術が、あなたの場合は可能です。
傷も目立たない位置にするので、きれいに仕上がると思います。
化学療法は、手術前・手術後、どちらでも可能です。
しかし、抗がん剤を使っても使わなくても経過が変わらないケースというのもあり、
それを調べる検査が最近日本で始まったばかりです。
保険外なので患者さんの実費対応になりますが、
希望すればおつなぎします。
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来週の診察までに、CTと骨シンチの検査の結果をあわせて今後の方針を決めましょう、ということでこの日は終了。
相方は、最新の検査のことが気になるらしく。
私は、そこまでやらなくても…と思い。

外来3回目。
CTも骨シンチも転移箇所は見つからず。
CTで見えるしこりは2センチ弱。
術前抗がん剤をしなくてもいい大きさなので、手術を先にすることに。
手術方法は、内視鏡で乳房温存・センチネルリンパ生検で確定。
日程は、一番早くてお盆、その次が2週間後以降にあきが…ということで、
もう待つのに耐え切れないなー、お盆は稼ぎ時だけど仕方ないなー、
姉も呼ぶことになるけどしょうがないかー…で、お盆に決める。

手術や治療に対しては当然前向きに受けるつもりでいるけれど、
思うのは、この先の私の人生。
ホルモン治療で5年かかるとして、四十路過ぎて、そこから妊娠できる!?
私を産んだとき、母は40歳。
母子手帳には妊娠中毒症で大変だった記録が残っている。
化学療法やホルモン治療を受けた身体でも、
高齢出産、できないことはないだろうけれど、
あきらめきれない思いはあるけれど、
産めればラッキー、ぐらいに考えておいたほうがダメージ少なくていいのかな…。

しかし、それまで相方は私のそばにいるんだろうか。
一緒にこれからの生活を頑張っていられるのだろうか。
5年間、耐えられるのだろうか。
それがいちばん不安で、しょうがなかった。

そんな気持ちの影響かどうかはわからないけれど、
ビー玉の部分が少しちくちく痛みを持つことがあった。
そのたびに「ああ、私、がん患者なんだ…」と悲しくなった。
実際そこ以外、身体のほかの部分は全然平気で健康体に見えるのに、何の問題もないのに。
こんな小さな塊のためにこんなに心を振り回されて、周りの人間をも巻き込んで、
一体私はこれからどうなるんだろう…。

手術が決まったことで大きな一区切りだったけれど、
手術が終わってからの生活がとにかく不安に思えた。
そして、5年後の自分のイメージが浮かばない。