私はジョン・レノンが好きだ。それは理屈じゃなくて体がジョンの声を求めているのかもしれない。しかし、イマジンやパワー・トゥー・ザ・ピープルは好きではないと思っていた。世界の人類は1つといった考え方は好きになれない。そんな気持ち悪い考え方には嫌悪感さえ持ってしまう。世界は平和の中で動くはずはない。戦争と戦争の間の休戦状態が平和であるに過ぎない。世界平和をどう実現するのか。そんなもの実現なんてしないのさ、と私は答える。
3年前、ワールド・トレード・センターのテロでいろいろな人がコメントしていた。「テロ対策を充実すべきだ」とか「事件の背景にあるアメリカとイスラム諸国の関係を理解すべきだ」とか知識人と称する連中が相当に的外れな議論をしていて、私にはしっくりこないオピニオンばかりであった。それは本質とかけ離れすぎた言葉遊びに過ぎないからだろう。
それでは私に確固とした考えがあるのかと問われると、ない。ひとつ私が思うのは、戦争や対立が共同体を媒介にして起こっているということということである。私たちはおのおのの生活において共同体としての国家やたとえば、会社などの組織から恩恵をこうむっている。といってそのような共同体を構成するのは私たち一人一人の個人であることは間違えない。その個人である私たちは本来は幻想として概念化されているに過ぎない共同体に実体を感じて生きている。共同体と共同体のあいだで利益の対立があった場合、私たちは自分が所属すると思い込んでいる組織に価値を見出そうとする。そして戦争がおこってしまう。アメリカ対イスラムの対立構造を作り上げているのだ。
戦争なんてなくなるわけがないと私は断言してしまったが、私に何か解決法があるのかというとない。このことも述べた。それではあまりにもニヒルなので、私はこう考えることにしている。国家をはじめとする共同体意識を破壊すればいいと。なぜなら戦争は共同体が利益を確保するためにはじめられることだからだ。こんなことをいうと右翼に怒られるかもしれないが、右翼せよ左翼にせよ、暴走族の連中とおなじで、一人では何もできない、組織の背景があって初めて自己主張しているに過ぎない。そこで組織間の対立が生まれる。個人になりなさい。といって個人主義を礼賛しているわけではないのであるが。
個人のつながりに国家や国籍は関係ない。人を愛してしまうのは理屈じゃない。その相手の属する背景なんて考えて恋をするナンセンスなやつがいるだろうか。肌の色なんて気にならない、恋する相手に関しては。つまり、個人と個人がお互いに理解して、理解しようとして、人のつながりが生まれるのである。このつながっていること、このことが大切であり、それが少しずつ自分のまわりに広がっていくこと、そして自分が知らない人にまで何かが伝わっていくこと、そしてそのネットワークが国境を越えていったとしたら少しは世界もましになるような気がする。これで戦争が回避されるかというとどうだか知らないが、根本的に共同体幻想が人類の対立を生む以上、個人的なつながりが本質的解決法としかいいようがないのである。あなたのそばにいる人たちを思いやっているだろうか。あなたのとなりにいる人を愛することができないなら、それより大きな共同体をどうして平和に導くことができるだろうか。ジョン・レノン的平和ではなくて、個人と個人の余計な概念や抽象論など介在しない、具体的で現実にある人のつながりに目を向けることが9・11の悲劇を避ける方策なのかもしれない。それでも人は殺しあうと思うが。
3年前、ワールド・トレード・センターのテロでいろいろな人がコメントしていた。「テロ対策を充実すべきだ」とか「事件の背景にあるアメリカとイスラム諸国の関係を理解すべきだ」とか知識人と称する連中が相当に的外れな議論をしていて、私にはしっくりこないオピニオンばかりであった。それは本質とかけ離れすぎた言葉遊びに過ぎないからだろう。
それでは私に確固とした考えがあるのかと問われると、ない。ひとつ私が思うのは、戦争や対立が共同体を媒介にして起こっているということということである。私たちはおのおのの生活において共同体としての国家やたとえば、会社などの組織から恩恵をこうむっている。といってそのような共同体を構成するのは私たち一人一人の個人であることは間違えない。その個人である私たちは本来は幻想として概念化されているに過ぎない共同体に実体を感じて生きている。共同体と共同体のあいだで利益の対立があった場合、私たちは自分が所属すると思い込んでいる組織に価値を見出そうとする。そして戦争がおこってしまう。アメリカ対イスラムの対立構造を作り上げているのだ。
戦争なんてなくなるわけがないと私は断言してしまったが、私に何か解決法があるのかというとない。このことも述べた。それではあまりにもニヒルなので、私はこう考えることにしている。国家をはじめとする共同体意識を破壊すればいいと。なぜなら戦争は共同体が利益を確保するためにはじめられることだからだ。こんなことをいうと右翼に怒られるかもしれないが、右翼せよ左翼にせよ、暴走族の連中とおなじで、一人では何もできない、組織の背景があって初めて自己主張しているに過ぎない。そこで組織間の対立が生まれる。個人になりなさい。といって個人主義を礼賛しているわけではないのであるが。
個人のつながりに国家や国籍は関係ない。人を愛してしまうのは理屈じゃない。その相手の属する背景なんて考えて恋をするナンセンスなやつがいるだろうか。肌の色なんて気にならない、恋する相手に関しては。つまり、個人と個人がお互いに理解して、理解しようとして、人のつながりが生まれるのである。このつながっていること、このことが大切であり、それが少しずつ自分のまわりに広がっていくこと、そして自分が知らない人にまで何かが伝わっていくこと、そしてそのネットワークが国境を越えていったとしたら少しは世界もましになるような気がする。これで戦争が回避されるかというとどうだか知らないが、根本的に共同体幻想が人類の対立を生む以上、個人的なつながりが本質的解決法としかいいようがないのである。あなたのそばにいる人たちを思いやっているだろうか。あなたのとなりにいる人を愛することができないなら、それより大きな共同体をどうして平和に導くことができるだろうか。ジョン・レノン的平和ではなくて、個人と個人の余計な概念や抽象論など介在しない、具体的で現実にある人のつながりに目を向けることが9・11の悲劇を避ける方策なのかもしれない。それでも人は殺しあうと思うが。
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