思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

雅子皇后になったら 日本の皇室は崩壊する!?

2015-08-24 14:20:50 | Weblog
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11123210427.html


2012年01月01日 01時10分54秒
雅子皇后になったら 日本の皇室は崩壊する!?
テーマ:ブログ

正田家の皆様は、 美智子さまが 皇太子妃に 決定された



1958年から 今日まで、 一度たりとも そのご身分を



利用されることは ありませんでした。 




それに 引き換えて、 雅子さまの ご実家の 小和田家。




雅子さまの お父様の 小和田 恆(ひさし)氏は 現在79歳。



普通は 外交官として 最高の 外務事務次官を 終えた後は



引退なのに、 国連大使、 国際司法裁判所の判事 を経て



現在は 国際司法裁判所所長。



この 凄い キャリアには、 明らかに 皇太子妃の 



お父君としての 優遇が 感じられ、 



何かしらの 権力を うかがわせます。



そして、 その権力は、 ご自身の ロシア時代の部下や



外交官などを 次々と 東宮大夫職や 宮内庁に 送り、



雅子妃のガードを 固めているのです。




雅子妃は 妹と そのお子たちと スケート場を 貸切りにする 



のみならず、千人近い警護員を 動員して 高速道路を 麻痺させ、



東京ディズニーランドも ほぼ 貸しきり状態に してしまう 雅子さま。



80人もの 警護員を 引き連れ、 10台もの車を 連ねて



行われた 2泊3日の 山中湖 付添旅行。




『適応障害』 とかいう ”ご病気”のための ご静養中に



公務を キャンセルして、 乗馬を 楽しんだり、



宝石の 展示会へ 行かれる 雅子さま。



ご結婚後 18年間も経つのに、 



皇室に 合わない ということでしたら、 皇室を お出になり、



ご自分を 解放される以外、 治らないのでは ないでしょうか。




異常とも 言える 愛子さまの お付き添い登校は 



1年9カ月間 欠かさず なさり、



学校の 特別室で お二人で お昼食を とる。



天皇陛下の お見舞いに 行けない 雅子さまが


 ”お付添登校” だけは 欠かさず なさっていました。


最近では、 お一人で 登校することが 多くなった、 と


聞きますが、 それでも、 遅刻は 相変わらずなのだとか。


その原因は、 母親である 雅子さまが


朝、 起きることが出来ないから だそうです。


地球広し と言えど、 どこの国の 母親に こんな人が いるでしょうか。



ましてや、 彼女は 皇太子妃 なのです。




一年に 一度も 両陛下に 拝謁することもなく



天皇陛下に 「愛子に 会ってみたい」 と 言わしめた 



皇太子ご夫妻。



にも かかわらず、 小和田夫妻、 ご姉妹との 会食には、



ずっと 出かけられる 皇太子ご夫妻。



まるで、 皇太子様にとって ご両親の 両陛下より



小和田夫妻の方が 大切で 重要であるかのような お振る舞い。





天皇陛下が 19日間 ご入院中に 一度も お見舞いに伺わなかった



雅子妃について、 テレビで 評論家の三宅久之氏は



『人間として失格』 と いみじくも おっしゃっていました。



私が、 以前、 ブログの タイトルに



『皇太子妃として 妻として 母としても 落第、 失格の雅子様。』



と 書きましたが、 



三宅氏は 更に 「人としても」 と おっしゃられて いました。




宮中祭祀の中でも 最も 重要な 新嘗(にいなめ)祭を



ご入院中の 天皇陛下に代って なさるのに



最もふさわしい 皇太子殿下が なさらず、



(すでに 天皇陛下より 一度 ご指導を 受けていらっしゃる)



掌典(しょうてん)長が 執り行ったことは 記憶に 新しいところです。



その昔、 天皇陛下が 雅子皇太子妃に 



「国民は 皆 期待していますよ (お子様)」 と



おっしゃったところ、 雅子さまは、 きっとなって、



 「私のまわりに そんなことを 言う人は いません」



と 口答えなされたそう。



畏れ多くも、 そのような 口のきき方を



天皇陛下にできる 女性。  それが 雅子さまです。



皇太子妃としての ご覚悟、 認識、 自覚のない妻を 



正すことも 制するころも 出来ない 皇太子様に



国民は 失望を 感じています。



このような 皇太子殿下が 次期天皇陛下に なられる。



果たして 国民の心は ついて いけるでしょうか。



皇室あっての 日本国民。



国民あっての 皇室です。





私は 2010年4月27日のブログ に こう 書きました。




『将来は 警視総監になる と 思われていたような方で




皇太子さまの ロンドンに留学中のお付であり、




東宮の警護長に あたられていた方 (末綱 隆氏)が、




きくところによると、




3年間 雅子さまが お口を きいて くださらなかったため、




いたたまれず、 辞めざるを 得なかった という お話。




ご自分が結婚される前の 皇太子さまを




よくご存知で、 信頼の厚かった彼が




お嫌だったのでしょうか。




こんな意地悪なことが出来る 雅子さまが




ご病気であるということさえ 不思議。』




もし、 これが 事実なら、 本当に 雅子さまは 



ご病気と 言えるでしょうか。



只の 「わがまま病 でしょう」 という 声も 多くあります。



雅子さまの 主治医は 慶應大学の 大野教授・医師。



彼には 創価学会会員 との 噂も あります。



また 妹の 礼子さんの ご主人の 友人とか。



この方は 1億円もの 補助金を 不正に 受け取った



ことでも 有名です。  後に、 警視庁が



雅子妃の 主治医と 判り、 あわてて 名前を 消去したそうです。



他の人は 刑罰を 受けた というのに。




今まで、 「適応障害」 と 言われていた ご病名は



今や 「ディスチミア症候群」 ではないかと 云われています。



全て まわりが 悪い。



全ては 皇室のせい、 宮内庁病院のせい、 宮内庁のせい、



職員のせい、 学習院のせい、 マスコミのせい、 etc. etc. etc.



本当に、 そうでしょうか。







思い起こせば、 小和田家の 権力の乱用は



雅子さまの ご婚約が 取り沙汰された時から 始まっていました。




雅子さまの お名前が  世に出始めてから、



お父様の 小和田恆氏は、 ご出身地の 新潟県新発田市へ行き、



ご自分の ルーツを お調べになったそうです。



下級藩士 では あるものの、 「士族の出」 であったため、



雅子さまに 皇室へ入る資格がある と 確認された とか。




雅子さまのお母さま。 ご婚約が 決定したら、



石川県金沢市の 業者に 金箔の箪笥を オーダーされ、



その際、 業者に 「良い宣伝になるから」 と、 



タダで 提供させようと したようです。



このことが (マスコミに) 明るみに出たのは、 業者が 喜んで、



つい うっかり 人に話してしまったため でした。



その後の いきさつは、 皆さん ご存じのとおり。



「金箔の箪笥を 頼んではいない。 オーダーしたものと 違う」



と キャンセルされました。



これは、 事実が 世に知られることを 恐れて のことでしょう。




金箔箪笥 だけでは ありません。



皇后さまより 大きな 真珠の ネックレスを 



おつけになって いらっしゃる 雅子さま。



これは 「田崎真珠」 から 提供された ものと 聞いています。




ご婚約当時の 素晴らしいドレスの 数々。



これは、 「君島一郎さん」から 提供された ものでした。



雅子さまの お母さまが、



「宮中に入ってしまえば、 いくらでも どうとでも なりますから」



と、 そう、 おっしゃったそうです。



私は 不安がっていた 君島氏ご本人から このことを 聞きました。



小和田夫人の ミンクのコート姿に 違和感を 覚えたものでした。




雅子さまの ご実家の 小和田家。



小和田家とは そういう お家です。







美智子皇后陛下の ご実家の 正田家。



正田家は、 美智子さまが 宮中に 上がられてから、



一度たりとも 「娘 扱い」 されたことは ありません。



常に 絶えず ”謙虚” で ”控え目”。




それに 対して、 小和田家は 雅子さまを 



いつまでも 「わが娘」 扱い。 



不遜に 厚かましくも 東宮御所に 自由勝手に 出入りし、



皇太子殿下を まるで 「婿」 扱い。



頻繁に 行われる 小和田家との レストランでの 食事会、



雅子さまの ご静養は、 小和田家の 軽井沢の別荘で。



全く もって おかしなこと。



雅子さまは 宮中に お入りになり、 



現在は 皇室の一員なのです。 



私は 雅子さまと 小和田家は 皇室を なめきっている と 思います。



おまけに ジャーナリストたちや 評論家を 手なづけ、 



マスコミ操作までする 小和田家。





1980年 ~ 1990年 の 10年間、 私は インドネシアで



実業の世界 (石油・ガス・プラント関係) に 生きておりました。



ジャカルタから 東京へ向かう 機中で、



メキシコへ赴任するため、 日本へ一時帰国をされる 公使と 



隣り合わせに なりました。



ちょうど、 雅子さまの ご婚約が 騒がれていた頃です。



私は、 雅子さまと同じ 外務省に勤められる 公使に



「雅子さんは ご結婚されるでしょうか?」



と 問いかけて みました。



すると、 公使は、



「絶対、 結婚 しませんよ!!



あの方は、 (外務)省 始まって以来の 非常に優秀な成績で



入省された方 です。 2番目の方との差が 凄く ありました。



これほど 優秀な方が ”皇太子妃なんかに” なるはずが ありません!」



私は これを聞いて、 大変な ショックを 受けました。



わが耳を疑い、 ポカンとして しまいました。



”皇太子妃なんかに” とは、 どういうことでしょう。



外交官のほうが 皇太子妃より 上、 ということでしょうか?



この メンタリティー。



外務省も また 皇室を 何と 思っているのでしょうか。




私は、 前述の 雅子さまの 警護官の辞任の話 と共に、



同じ 2010年4月27日のブログ に 愛子さまの養育係の退任 についても 



書いておりました。




『愛子さまに至っては、 幼児教育のスペシャリストである




福迫 美樹子さんが、09年4月に、




さらに 元学習院幼稚園長の小山 久子さんを



定年を待たずに 抜擢し、 08年4月に




愛子様の養育専任女官に就いたが、




昨年12月に退任している。




また、 今年1月に長きにわたって雅子さまに仕え、




愛子さまからの信頼も厚かった 木幡 清子東宮女官長も




東宮から去っている。』





こういう エピソードが あります。


美智子妃殿下が 平民から 選ばれたことを 快く 思っていない


皇族と 元皇族からなる 菊栄親睦会の 方々から、


美智子妃いじめが なされたことは 有名な話。


常陸宮様が キリスト教に ご興味を お持ちになられたところ、


美智子妃の存在を 不快に思う 方々が



「キリスト教のことは、 聖心女子大学を ご卒業の 美智子妃に


お聞きに なれば よろしいのに」 と ご進言されたそうです。


常陸宮様が 美智子妃に 話を お聞きになりに 行かれた時、


美智子妃は それに応えて お話をされました。


しかしながら、 このことは、 全く 形を変えて


天皇陛下(昭和天皇)の お耳に 入れられることに なりました。


”美智子妃は、 神道を敬畏せず、皇室内に キリスト教を 布教している” と。


天皇陛下は 怒り心頭に 達せられ、 



美智子妃を 呼びつけられたそうです。


皇位を 継ぐ者が 他の宗教を 奨励するとは 何事ぞ!


天皇陛下の お怒りは 凄まじく、 その ご様子は、




『シャンデリアが 震えている』 くらいの ものであった と 


伝えられています。


その後、 美智子妃は 『保養』 もしくは 『ご静養』 の名の下に


葉山で 事実上の 『幽閉』 状態に なられたそうです。


期間は 6ヶ月間にも 及んだと 言われています。



この間、 皇太子殿下と お会いすることも 許されず、



お父様の 正田英三郎氏が 二度ほど 美智子様を



お見舞いすることが できた と 伺っております。



まるで、 懲罰 であるかのような、



非情なものだと 思います。



ましてや、 天皇陛下は 皇室の中で 随一の 



美智子様の 味方であった からです。






今年の クリスマス・イブの日。


皇太子殿下は 雅子妃、 愛子さまと共に


雅子妃の妹 礼子さんのところへ 行き、


キリスト生誕祭である クリスマスを 一緒に お祝いされたそうです。


いずれ、 日本神道の長に なられる 皇太子殿下が


他宗教の祝い事の クリスマスを 祝う。



こんなことが あって よろしいのでしょうか。




その昔、 私が イギリスの エリザベス女王の 従兄弟



パトリック・オブ・リッチフィールド伯爵 と おつきあいをしていた頃、



日本の平安神宮を ご案内したことが あります。



その時、 彼は、 「僕は お参りしないよ。 



イギリス正教だから」 と おっしゃり、



美しい 平安神宮の 写真だけ 撮られていました。




美智子妃は 常陸宮様に 乞われて、 キリスト教について


ただ お話しただけで、 懲罰に匹敵する


『保養』 という名の 幽閉状態に 陥らされました。




皇太子様は 皇太子としての 自覚は おありになるのでしょうか。



天皇陛下の 後を継がれ、 宮中祭祀を行う お気持ちは



あるのでしょうか。 なぜ、 クリスマスを 祝われる



ディナーを 雅子さまご一家と なさるのでしょうか。



愛子さまに ご自分を 「パパ」 と 呼ばせ、



雅子妃を 「ママ」と 呼ばせている 皇太子ご夫妻。



皇族には 雅な 「おもうさま」 「おたたさま」 という



お言葉が あるのに。




お口から出る言葉は 国民のことではなく、



常に 「雅子が...」「愛子が...」。



天皇陛下御名代で 行かれた 工場視察では



両手を ポケットの中に 入れられたまま。



お召し列車の 中では、 片手に カメラを持ち パシャパシャ。



片手で お手振り。。。





まもなく 行なわれる 皇室の方々による 新年一般参賀。


これまで、 天皇陛下、 皇后陛下が 一日に 5回から 6回も 



お手振りに 出られても、 雅子さまは 3回のみ。



「ご病気」 と称して お出にならないことも ありました。



このような方が 皇后陛下と なられた時、



皇室から 人心は離れること でしょう。



国民不在では 皇室は 成り立ちません。



つまりは、 皇室崩壊に つながっていくのでは 



ないでしょうか?




今でさえ、 図々しい 小和田家の人々。



雅子さまが 皇后様になられた時は



小和田家の 横暴さは、 さらに 度を増すことでしょう。



天皇陛下の 親族であることを 利用し、 



権力の乱用が 続くでしょう。




非難の声が 上がっている中で



間もなく 迎える 新年の 宮中一般参賀。



雅子さまも きっと 美しく 装われて 



お出ましになられる ことでしょう。



しかし、 私たちは リアリティー (現実) を



しっかり 見ていかなければ なりません。



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