海外旅行と日常生活のオンラインエッセイ

海外での体験を基にしたエッセイをオンラインで執筆。
非日常としての旅。日常としての生活。
絵日記ではなく文章で勝負。

腕を引っ張るのは誰?

2008-01-09 22:50:37 | 
一人旅の良いところは、見たいところを見て、行きたいところに行けることだ。
誰にも気兼ねしなくていい。

一人旅の欠点は、孤独になりがちなことだ。
なにかあっても誰も助けてくれない。
日本語の話相手もいない。
読書や独り言など、一人で時間を潰す方法を考え出さなければならない。

どこの国でも、男と女のさや当ては見ていて飽きない。
金銭を媒介にした場合、さらにその悲喜劇は面白さを増す。

そんな光景が日々展開する場所を歩くのが、一種の趣味になった。
そこに国民性というか民族性らしきものが見て取れるような時は、にわか評論家的な気分に浸ることができて、楽しかった。

インド・ムンバイの娼窟を歩いていた。
この時は、わざわざ足を運んだのではなく、ガイドブックに載っていた安宿の奥の通りがそういう場所だったのだ。これ幸いと、いつもの批評家気分で観察することにした。

にわか評論家として、すぐに奇妙なことに気づいた。
通常は女が客の気を引いたり、男も冷やかしをしたりして、男女がにぎやかに入り乱れているのが普通だ。
しかし、ここにそんな心温かな交流は見られない。
男集団と女集団が道路を挟んで向かい合い、それぞれ横一列に並んでいる。
道路を挟んだ、ぎこちない集団見合いのようだ。

男たちは、血走った眼で道の向こうの女たちを見つめる。
品定めといった余裕はなく、腹を空かせた狼という形相だ。
それが横一列に並んだ光景を想像してほしい。

それに対して、女たちは漫然と立っているだけのように見える。
手を振るでもなく胸を出して男たちを挑発するのでもなく、視線を合わせようともしない。
これで商売が成り立つのか心配になる。

ひとりの男の視線が一点に固定して動かなくなった。
瞬きも忘れて顔をこわばらせている。息が異常に荒い。

こいつあぶないんじゃないかと思った瞬間。
前触れもなくダッシュして女に突進する。
二言三言交わしただけで、すぐに部屋に入っていく。
女の言い値で交渉成立したのだろう。インド文明の清華である価格交渉は一切なかった。
インド人にあってはならない行動だ。

交渉は焦ったほうが負けである。男のほうとしてはズボンを汚したくないという急ぐ理由があったのかもしれない。

皮肉な心持ちで、男たちの列を女たちの列のほうから眺めていた。
性欲で血走った顔が立ち並ぶ様は、異様であった。
私が女ならすぐ逃げだすだろう。

いきなり腕を掴まれた。
体ごと巻きついてくる感じで引っ張られ、前進しようと出していた右足が宙に浮いた。
転ばないようにバランスを保つため次の足を踏み出せず、自然に立ち止まることになった。
振り向くと、小柄な女の子が腕を掴んでいた。
「私と寝ない?」ヒンディーではなく、英語で言った。

「もう済ましてきた後だから」
もはや自然に使えるようになった、断りの常套句だ。
彼女はしぶしぶ手を放してくれた。
一晩に一回だけ、は世界中で通用する真理なのだろう。

周囲の注目をかわすために、奥のほうに歩いていった。
調子に乗って、脇の道にも入ってみた。

特に危険そうな雰囲気はない。
表通りに比べれば、人影がまばらなだけだ。
特に面白くもないので、引き返そうとした。

いきなり腕を掴まれた。
体ごと持っていかれる感じで引っ張られ、前進しようと出していた右足が宙に浮くだけではすまず、そのまま両足ごと身体が引きづられてしまった。
立ち止まるどころか不自然な後退だ。

振り返った。大柄な女が腕を掴んでいた。
しかし、女ではないことはすぐわかった。

女の恰好はしている。化粧もしている。
しかし、首が太い。ノドボトケがある。
知らないうちに、嗜好の違う場所に立ち入っていたようだ。

私の手を拘束している「彼女」が何事か言った。
英語ではない。ヒンディー語で値段を言ったのだろう。
こちらは「彼女」の値段などに興味はない。

「もう済ましてきた後だから」などとは言わず、無言のまま問答無用で手を外そうとした。
バンリキに鋏まれたように、びくともしなかった。

いつの間にか周囲は御同類の方々に囲まれていた、

交渉は焦ったほうが負けである。しかし、私には急がなければならない理由があった。

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寒さ嫌い

2008-01-05 20:32:00 | 日常
もう何年も前のこと。
日本の人々がまだ厚手のジャンパーなどを防寒着として着込んでいる2月の日本に、薄いTシャツとサンダルで帰国した。

帰国に使った便は、日本に早朝到着するバンコク発シンガポール経由成田着だった。
あちらの空港では、じっと座っていてもダラダラと汗が流れて止まらない。
寒さ対策など考えが及ばなかった。
あの時は何か考えごとをするだけで、皮膚の下から汗が染み出てきそうだった。

東京で通勤通学に急ぐ人々は、ヨレヨレの夏服で凍えて歩く男を見ても、おやっという顔をするだけで、すぐに無表情に戻って通り過ぎていく。
東京の人々は変人を見慣れているのだろうと思った。いや、ホームレスと間違われたのかもしれない。

沖縄のような南国に育ったわけではないが、ヨーロッパの冬が寒いというだけで、予定を早々に切り上げて、東南アジアに飛んでしまっていた。

このバツの悪さも、旅行が中途半端になってしまったのも、全てが寒さのせいだと勝手に決め付けて、道路を踏みつけるような早足で、仮の宿となる姉のアパートに直進した。


その後しばらく、仕事のために長野で生活していた。

自分が寒さ嫌いだと忘れ去っていた。
仕事にも土地の人にも慣れてきたと感じるようになったある日の午後に、その年初めての雪が降った。

皆が仕事の手を休めて、窓の外に見入っていた。
「今年は降るのが遅かったなァ。温暖化の影響で毎年雪が少なくなってるし、今年も暖冬かなァ」
それぞれが今年の冬の予想を代わる代わる口にした。いつまでも今年の冬の話題が尽きることがなかった。
東京の忙しない職場環境と比較すると、和やかな雰囲気が漂っていた。

そのまま雪は降り続け、終業時間になった。
建物の外に出ると、一歩踏み出すごとに膝まで雪に埋まってしまう。

暖冬だと話し合っていた地元の人々は準備万端。
長靴に履きかえ、自動車に乗っている人はすでにタイヤをスタッドレスに交換済みだ。
「寒い。寒い」と唱えながらさっさと帰っていった。
彼らは雪に慣れていて、余裕の表情だった。

一方の私は、ジャンパーこそ着ていたが、スニーカーしか持っていない、
アパートまでの一歩一歩を、スニーカーの中に侵入してくる雪を踏みしめながら直進するしかなかった。

白い回廊となった田舎の一本道をひたすら進んだ。
ようやくアパートの部屋の前に立つと、惨めに震える指先で鍵を差し込んだ。

鍵が回らない。
渾身の力を込めた。それでも回らない。
何度も何度も試しているうちに、鍵が少しねじ曲がった。
ドアノブか鍵穴のどちらかが凍結しているのだ。

折れてしまったら終わりだ。鍵を鍵穴に残したまま立ち尽くした。
真白に雪化粧した飛騨山脈から麓のこの町まで、じわじわと夜の寒気が浸食してきていた。すぐに氷点下になるだろう。
どうしよう。どうしよう。どうすればいい?
このままでは確実に凍死する。

両手で身体を抱き締めたまま、足踏みを繰り返した。
足踏みしながら、無意味に雪空を見上げたり、足元を見たりを繰り返した。
道路向かいにある自動販売機が目に入った。

温かい飲み物がある!!

飛んで行って、ホットの缶コーヒーを買った。
熱い液体を喉から胃袋まで一気に流しこみ、一息ついた。
緊張が解けたためか、いいアイディアを閃いた。

もう1本買って、再びドアの前に立った。
缶を開けた。
熱い液体を口に含んで、一点集中で鍵穴に吹き付けた。
鍵を回そうとしたが、動かない。
ドアノブにも吹きかけた。それでも駄目だ。
あきらめず何度も何度も吹きかけると、なんとか鍵を回すことができた。

ガチャリ、という音とともにドアが開いた。
金庫破りのような達成感と充実感に嬉し涙がでた。

そのまま部屋に駆け込んで、ストーブを点ける。
ヒマラヤで遭難して無事生還した人たちと同じ感動に、魂を震わせた。


翌朝。ドアで残雪を押しながら、外に出た。
もう雪は止んでいた。

ドアを閉めようとノブに手をかけると、べったりと粘りつく感触があった。

ドアノブを確認すると、コーヒー色の薄いシャーベット状のものがノブ全体に付着していた。手に付いたものを舐めてみると甘かった。

缶コーヒーの糖分が冷気で凝結したと、すぐに思い至った。

いつもの癖で、自分の好きなブランドを買ったのが失敗だった。
非常事態だったのだから、せめてブラックにすべきだった。そうではない。お茶にすればよかったのだ。

すべては雪のせいだ。寒さのせいだ。
寒い土地になんて来るんじゃなかった。
地団駄を踏みながら、朝の冷気の中、凝結したコーヒーをこすり取るしかなかった。

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風の中の世界

2007-05-03 15:05:28 | 旅のコラム
「こんな何もないところで降りる人がいるのねぇ」
おばさんの無遠慮な言葉を耳にしながらバスを降りる。
風が強い。髪の毛が撒きあがる。
ここは道路が続くだけで何もない。
なんとか文化村への忌憚のない感想やら、これから訪れる島への期待の言葉が延々と続くバスの車内とは別世界。
海岸に沿った道路のはずだが、防風林が視界から海を遮っている。一直線に並ぶ樹木の上にリゾートホテルが見える。
それ以外には、道路の向かいに人が住んでいる気配のない家とバス停があるだけ。
人間の声など、どこからも聞こえてきそうにない。
そのかわり高速で通過する自動車には不自由しない。道路を横切るのは、少しばかり命がけ。
帰りのバスの時刻を確認する。幸いこの時間帯は一時間に一本はある。
風が強い。くすんだ雲が空を覆い始めている。
私の存在など気にすることもなく、車が来ては過ぎ去っていく。
目的地があるはずの方向へ身体を向ける。長い息を吐いて、歩き出す。

ひっそりとそれはあった。
個性のないシンプルな二階建ての建物。XX商事という看板があれば似合いそうだ。
車が2台止まっているが、人が活動している気配はない。
ガラス扉を押すと、右横に受付があった。
おばさんが珍しい生き物が来たというふうに、私を見る。
入館料を払うと、初めて真っ暗な館内に電気が入る。アフリカの部族音楽が流れ出してきた。
いよいよだ。展示室に踏み込んだ。
そこにマコンデ彫刻があった。

合成繊維のカーペットの上を歩く。
とん、とん、とん。無人の館内で遠慮がちに反響する。
漆黒の木彫り彫刻が整然と陳列してある。
ひん曲がった顔を彫った物。頭から手が生えた精霊を彫った物。硬い木材に荒削りな造形。アフリカの彫刻、マコンデがあった。

マコンデ彫刻の美術館は世界でここにしかない。
パンフレットにはそう書いてある。個人の収集家が設立したらしい。
日本で唯一と言ってよいほどのマニアックな彫刻なのだろう。
マコンデを知ったのは小学生の時だ。もう三十年程前になるだろうか。
私の記憶の中ではずっと、おどろおどろしいイメージを伴い続けていた。
藤子不二雄が二人に分かれる前、「ブラック商会変奇郎」というマンガがあった。
その中の話しのひとつで、マコンデ彫刻が呪いの芸術として紹介され、呪い屋がマコンデ彫刻の呪力で人を呪い殺していた。
ここで本物を鑑賞する限り、アフリカ古来の精霊や風俗を感性の赴くままに刻み付けているように感じる。デフォルメがアフリカ的に奔放で一見いびつな印象を与える。
骸骨や身体の障害をモチーフにしたものが多く、アフリカの現実である飢餓や疫病などをテーマにしているものも多い。
藤子不二雄が参考にした種本は、アフリカ文化への無理解と未開への偏見をもって書かれていたのだろう。

二階に上がった。
今度は民芸品や衣装を主に展示している。
来館者ノートがあった。暇つぶしに読んでみる。
北海道から九州まで日本全国を合わせれば、マニアックな人間もそれなりの人数となるようだ。
月に二回くらいは人が来ている。
私も「難しいだろうが、できるだけ続けて欲しい」と書いた。

はじめからおわりまで一時間あまり。
私にとって儀式に似た行為は終わった。感動も感慨もない。
芸術品としては興味深いが、もうマコンデ彫刻を見にくることはないだろう。
自分でもあまり判然としないが、何かを確認したいと感じていた。
子供の頃の夢というか幻想というか、信じ続けたいのに終わらせなければならないもの。
エジプトのミイラに強烈な神秘を感じたら、どうしても宇宙に行きたいと思ったら、どうすればよいのか。
写真を眺めているだけではいつまでたっても満足できない。インターネットで情報を集めてみてもオタクになるだけ。本物を体験しなければ、いつまでも心の片隅でくすぶり続け、ある時ふと思い出しては、どうしようか悩む。
私にとってマコンデはそういうものだったのだろう。たとえ願望どおりのものでなかったとしても。

入るとき入り口だった出口から出た。
駐車場に入館前になかった黒い4WDがいた。男女のカップルがシートを倒して昼寝している。

風が吹く。
来たときとは反対側のバス停に立つ。
自動車は風のように目の前を走り去っていく。
まるで置き忘れられた小石のように風の中に取り残されている。

なんの前触れもなく手前のカーブから青い乗り物が出現した。
油圧式ブレーキのプシッという音と共に、バスが目の前で止まる。
圧倒的な文明の威圧感に気圧された。
ドアが開いた。
紺色の制服の女の子が降りてくる。
「ご乗車になりますか?」遠慮がちな優しい声。
この中もまた、おばさんたちの雑多な声で満たされているのだろうか?
気が滅入った。それなら風の中の世界に立っていたかった。
これが暗黒大陸行きの長距離バスならばいい。そこでは頭から手が生えた精霊やら奇妙に捻じ曲がった顔を持つ人間が待っている。
風にあおられ世界が揺らぐ。
「伊勢方面にいかれるんですよね?」制服の女の子が重ねて尋ねた。
言葉を発しようとしたが、口が動かせただけで言葉にならなかった。

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異臭

2007-04-22 20:17:15 | 
「あなたがやったの?」
予想もしない質問が、小さなフロント席の中からナナオに飛んできた。
ナナオには、なぜその事件に自分が関係付けられるのかもわからない。そんな事件があったことを、たった今彼女から聞いたばかりだ。
――思い当たることがあっただろうか・・
眉をひそめて、記憶をまさぐる。
一方、フロントに座るグアテマラ人の女の子は、待ち続けてもずっと回答が返ってこないことにイラついた。彼女にとって、東洋人は何を考えているのか分からない不気味な存在だ。
恐怖心が好奇心を抑えられず、彼女は身を乗り出した。
「本当にあなたが殺したんじゃないのね?」

ナナオにとって、今日の朝はいつもと変わりなく始まった。
日本で仕事に行くのと同じ時間に電子時計が鳴り出した。――いつもここから朝がはじまる。
スペイン語学校の授業に行く時間。日本と同じ時間感覚で生活していることに辟易していたが、これからの長い南米旅行に備えなければならない。コミュニケーションができれば出会いも期待できる。平凡な観光旅行をしたくなかった。
電気式の温水シャワーが、ナナオの裸身に通り雨のように気まぐれな水の粒を注ぐ。
湯加減も気まぐれ。別の部屋でシャワーを使っていると水加減も気まぐれに止まる。
爽快とは言い難い気分で、夜の余韻から覚醒するのが習慣になっている。
もう三日も着続けているTシャツとチノパンを身につけると部屋を出た。
ナナオの泊まっている部屋は三階にあるのだが、まっすぐ階段で一階に下りられるわけではない。
世界遺産に登録された古都アンティグアは、法律で二階より大きい建物は建設できないよう規制されている。そこでこのホテルは、表通りから目立たないように三階部分を無理に増築してしまっていた。
三階専用の階段を下りると昼間でも薄暗い二階の奥角に出る。二階の通路を二度左に曲がって、もうひとつ別の階段に降り換えなければならない。何事も素直には動いていかないのだ。
そのような出来事に遭遇するたびに、「この国らしい」とナナオは納得するようにしていた。この日もいつもと変わりのない感想を持っただけだ。
臭いがした。
厭な臭いだ。
酵母発酵した納豆が想定外に腐ったような臭い。たんぱく質が腐敗した臭いだ。
鼻を巡らせて臭いの源を探した。
7号室のドアから臭いが漏れてきている。
外国人の長期滞在者が多いため、食料を買い込んで部屋に持ち込むことがよくある。ルーズな人間は世界中どこにでもいる。食べかけを放置したまま出かけているのだろう。
この国らしいことだと思っただけで、ナナオはふたつめの階段を下りていった。

「ブエノス・ディアス」
フロント席に座るグアテマラ人の女の子もブエノス・ディアスを返してきた。
誰もが最初に習得するスペイン語だ。
「今日のホテル代を払う」
これは三日ほどレベルアップしたスペイン語。
ナナオはいつも当日払いにしている。いざホテルと揉めてしまった時には、さっさと別のホテルに替わるためだ。
長期的な展望よりもその日の対処。ナナオが長期滞在で身につけた処世術だ。
金を払ったものが勝てるわけではない。金を払ったことを人質にとられて、泣き寝入りを余儀なくされる。明日はもう金を払わないという断固とした態度のほうが、相手に対する脅しとなり、交渉事がうまくいく。
これもこの国らしいことのひとつかもしれない。
ナナオは受付の女の子が帳簿に記入し終わるのを待った。
「7号室からひどくくさい臭いがする」
女の子が怪訝な顔をした。
朝一番は不注意が多い。ナナオは臭うという動詞を一人称の語尾にしていた。これではナナオが臭いことになる。ナナオは慌てて三人称で言い直した。
「毎日掃除をしているはずよ」
彼女は即座にそう答えたが、この安ホテルでは宿泊客から要求でもされなければ、そんなサービスは提供しないことを彼女自身知っている。
ただナナオが難癖をつけて何か要求をしてくるのではないかと疑った。弱みを見せてはならない。
ナナオはナナオでスペイン語を使ってみたかっただけだった。
「Asi?(そう?)」とだけ答えて、出口に向かっていった。
彼女は面倒にならなかったことに安堵していたが、7号室の部屋代をおとといから受け取ってないことに思い至っていた。これは放っておくことができない。
「おい、ちょっと待て」
ナナオは、フロント待ちする宿泊客用の汚いソファに陣取るグアテマラ人の男に呼びとめられた。茶色の肌に濃い眉毛。無精髭に囲まれた口が下品に歪んでいる。日本語ではむさくるしいと表現されるタイプの男だ。
むさくるしい男に呼び止められて素直に立ち止まる趣味はナナオにはない。それにこの男は外国人に麻薬を売っているという話しを聞いていた。関わる気はない。かまわず歩く。
「待てよ!! アミーゴ。7号室の女と知り合いか?」
ホテル中に響く大声で怒鳴られて、ナナオは驚いて足を止めてしまった。
「チーノ。あのオランダ人の女と親しいのか?」
チーノという言葉は東洋人に対する蔑称に使われるのが一般的だ。ナナオは男に不快感を持った。
「オランダ人?」
「ああ、あのいい女だ」
ナナオにはオランダ人もアメリカ人も同じに見えるが、「7号室の女」に該当するいい女の記憶はなかった。
「知らないな」そっけなく答えた。
フンと男は鼻を噴いた。
「いいよ。もう行けよ」
男はソファに深く座りなおし、腕を組んで俯いた。もうナナオには関心を失ったようだ。
ナナオは男の自分勝手な態度にますます不快感をつのらせたが、出口に向かって勢いよく歩きだした。
見え透いた嘘をつく受付の女の子も、麻薬の売人も、ナナオにとっては「この国らしいこと」でしかない。

ホテルを出た後は、ナナオはいつもと同じように日常をこなした。
スペイン語の授業。文法はすでに終了していて、雑談風に日常会話をする。
グアテマラ人の先生は文法を教える時より手を抜いている。テーマを決めて討論するとか、宿題をだして添削するとかという工夫は一切しない。ただ、だらだらと食べ物の話とか昨日起こった殺人事件の話をする。
授業が終わった後はランチだ。250円の定食をだす小さな店をいつも利用する。
この店の黒人のおばさんはいつも無愛想だ。ナナオが毎日挨拶しても、怒ったような顔をするだけだ。それでもナナオがここのランチを食べるのは、一番安いからという理由による。
この日は銀行に行かなければならなかった。
明日のホテル代に使うグアテマラ通貨ケツァルが足りないからだ。
一度にまとまった額を両替したいのだが、銀行では一日100ドルまでしか両替してくれない。外国人旅行者が強盗に襲われるのを防ぐためだ。
銀行の正面に立つ警備員はショットガンを地面に向けている。暴発したら何人もの死傷者がでるだろう。いつみても緊張感がなく役に立ちそうにない。
どれもこの国らしいことばかりだ。

日本食レストランで夕食を済ませ、ホテルに戻ったときには夜9時を過ぎていた。
「ブエナス・ノーチェス」
スペイン語教科書の1ページ目にあるスペイン語を使った。
フロントの席からは予想した返答はなかった。
「あなたのせいで大変な目にあったわ」
受付の女の子はたいそうな剣幕だった。
「7号室が部屋代を払っていないことがわかって、オーナーが部屋まで行ったの」
当然のことながら異臭がする。ドアを叩いても返事はない。
合鍵でドアを開けると、まるで男のように大柄なオランダ人女性がベッドの上に横たわっていた。死んでいることは一目で分かった。
「警察が来て、死体を運び出して、警官に小突かれて、大変な目に遭っちゃった」彼女は口を尖らせた。
「あなたが変なことを言うからこんなことになったんだから」
目の前の東洋人に動揺したり反省する様子は見られなかった。感情がないかのようにぼうっと立っているだけだ。
それが彼女の癪に障った。
「あなたがやったの?」返事がない。眉根を寄せて困ったような顔をするだけ。
身を乗り出して、ナナオの目の前にその顔を近付けた。
「あなたが殺したんじゃないのね?」
瞳の中を覗いてみたが、彼女の好奇心を満足させる答えは見つからなかった。東洋人は本当に何を考えているかわからない。
彼女はフンと鼻を噴いた。
「今度から気をつけなさい。仕返しされるから」
ナナオには仕返しされる心当たりはなかったが、自分に八つ当たりする人物には心当たりがあった。この国らしいことだ。
ナナオは朝とは逆方向で7号室の前を通った。もう臭いはしなかった。

瞼の間から、うっすらと天井が見える。
夜の最も深い時間であることが分かる。
空気の振動が微塵も感じられない静けさ。冷気を感じる。

その日すぐに寝入ったナナオは夢を見た。
それは夢というより脳髄の端に辛うじて残っていた記憶の断片だった。
麻薬の売人の男と巨人のような背の高い白人の女が公園で寄り添って座っていた。
女は180センチをゆうに越えるほど背が高い。彼女は男の腰を抱え込むように抱いて、キスをしていた。時々、男のお尻を愛おしそうに撫で回した。
男性優位のラテンアメリカでは異色な光景だった。
麻薬をねだっていたのかもしれない。

薄明かりのような意識状態が続く。
寝返りを打とうとしたが、動かない。
もう一度。やはり身体が反応しない。
冷や汗が噴き出す。
嫌な予感がした。何か悪いことが起こる。
部屋の中に気配を感じた。しだいに気配が大きく重くなってくる。
何かが自分の上に覆いかぶさってくる。
何も見えないのに、何かがいる。
見えない何かが意識の中でしだいに具体化しだした。
知りたくないと思っても、強制的にナナオの意識に浸入してきた。
白人の大女だ。自分の上に覆いかぶさって、両腕を押さえつけている。
あのオランダ女。なぜ自分のところにやってくるのか?
ナナオには訳がわからない。
これが受付の女の子が言っていた仕返しなのか?
どうか気のせいであってほしい。理不尽すぎる。
この国らしいと納得できることではない。

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十字架の丘

2007-04-19 00:10:24 | 旅のコラム
日曜日の気持ちのよい晴れた日だというのに誰もやってこない。
あまり大勢来てもらっては困るが、全く来てくれないのも困る。
「誰もこねぇな」イラついたようにミゲルが言った。
アンヘルはじっと地面に視線を落としたまま、押し黙っている。
俺は気持ちの置き所に困って、目の前に立つ巨大な十字架を見上げた。
丘の上の手入れされた草地の中央に立てられたそれは、なにか物悲しく見える。
今朝からずっと俺たち3人。まるで世界から取り残されたようだった。

またこの道を登らなければならない。
自分はもう15年もの間、小学校の生徒たちと十字架の丘を登っている。
騒がしくて物覚えの悪い子供たちを教えるのは根気がいる。けれど給料はひどく少ない。
やる気もなく、掛け算があやしい子供でもさっさと卒業させた。
生徒たちがその後どうなろうと自分の知ったことではない。どうせ彼らの人生だ。
――それにしても。
町の歴史を知る授業の一環とはいえ、舗装されていない砂利道を登るのは体力がいる。
子供たちは知性のかけらもなく、自分勝手に騒いでいる。
列がバラバラにならないように何度も子供たちをかき集めなければならかった。
額に汗が伝った。
まだ十字架は遠い。

「誰もこねぇ」ミゲルの声に怒気が含まれていた。「おまえは絶対うまくいくといってたな」
アンヘルがゆらりと立ち上がった。べっ。唾を吐き出した。
二人は俺を見据えて、ゆっくりとにじり寄ってきた。
俺は焦った。
確かに二人を誘ったのは俺だが、誰もこないのは俺のせいじゃない。
額にいやな汗が吹き出た。襲うつもりが襲われたんじゃシャレにならない。
その時だ。――人だ。人の声がする。
「来た。来たぞ」ミゲルの声が上ずった。
俺たちは急いで十字架の陰に隠れた。
ポケットからナイフを出し、待ち構えた。

身震いした。
俺がこんな大それたことをするのにも、ちゃんとした理由がある。
公園で見かけた女の子に恋をした。彼女をデートに誘おうにも手持ちがない。
これからも財布が温かくなる見通しはない。
ということは、ずっと、もしかしたら一生女の子と仲良くすることができないということだ。
俺みたいな人間は、外国人観光客から金をせしめるしか方法がない。
彼女のことを想ったが、足が固まって動かない。
――ダメだ。また今度にしよう。
そういいかけた時に、アンヘルが俺の背中を勢いよく押した。
自分の意思とは関係なく、十字架の陰から飛び出してしまった。
――もうやるしかない。
「動くな。静かにしろ」俺は精一杯叫んだ。
子供たちの無邪気な目がいっせいに俺を振り向いた。
外国人観光客はいなかった。
俺はナイフを持ったまま立ち尽くした。
みんな無言だった。
子供たちの中にグアテマラ人の大人がいた。
何か言いたそうな気持ちを抑えている様子だった。
――学校の先生なら俺の顔に見覚えがあるのかもしれない。
俺はあわてた。
強盗をするっていうのに、覆面を用意していなかった。
――顔だ。顔を隠さなきゃ。いや、もう見られてしまった。顔を見られたら殺さなきゃならない。警察に捕まる。
――いや、目的は金だ。金さえ手に入ればいいんだ。
もう迷いはなかった。
俺は十字架のそばから離れて、前に踏み出して行った。

ナイフを持って正面に立つ少年に見覚えがあった。
自分が掛け算さえまともに覚えさせることなく卒業させた、生徒のひとりだ。
強盗するというのに、顔を隠すことを思いつかなかったらしい。
あいかわらず進歩がないようだ。その原因をつくったのは自分なのかもしれないと思うと複雑ではある。忠告ぐらいしてやったほうがいいのだろうか。
「金だ。金を出せ」彼がナイフを突きつけた。
頬が引き攣って、口を動かすことができない。
必死になってしゃがれ声を絞り出した。
「持っているわけないだろう」
背後に立つ十字架の影が、自分の頭上にかかったのを感じた。

「――それで犯人はきみも知っている人なのかい?」
犯人は誰だかわからないと彼女は答えた。
「犯行の状況や人間関係まで具体的なのに、犯人が誰かわからないってことかい?」
――それはおかしい。
「犯人を誰なのか特定できないのに、ディテールだけが妙に具体的すぎる。誰かの作り話じゃないかい?」
「だって、そう聞いたんだもの」というのが彼女の答えだ。「この町はみんな近所みたいなものだし、なんでもわかるものなのよ」
強弁するが、声が小さい。
彼女も自分の言ったことに確信はないようだ。
グアテマラ人の噂話はどこまで本気にしてよいか、いつも迷う。

カフェのオープン・テラスからカテドラルの向こうに見える、丘の上の十字架を見上げた。
――あそこで人が殺されたのか・・
ピクニックをするにはとても気持ちのよい晴れた日にもかかわらず、人影はなかった。


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据え膳を食わなかった男

2007-04-14 23:33:20 | 
スエ・ゼンゾウ氏がエクアドルの首都キトを選んだのは、南米にはいい女が多いと聞いたからだ。

キトには、旅行者向けのスペイン語学校がたくさんある。
ラテンアメリカでは、他にグアテマラのアンティグアとコスタリカのサン・ホセに同じようなスペイン語学校が集まっている。
そのような場所ができるには、ある一定の条件がある。
物価が安いことと、自然や遺跡などの観光名所があることだ。
アメリカやヨーロッパの年金生活者が、少ない年金で自国より快適な生活ができることが基準となる。そのような場所は長期旅行者にとっても生活しやすい。

スエ・ゼンゾウはキトに着くと、さっそくスペイン語学校の門を叩いた。
ホームステイを希望した。ホテル代を浮かせるためだ。
「あいにくと今どこも一杯でねぇ」と校長は言った。
スエ・ゼンゾウは思惑が外れて、少しばかり思案した。
――他の学校を当たってみるか。
まとわりつく視線を感じた。
校長が値踏みするように彼を見つめていた。
何か思い巡らしているようでもあった。
一転してにこやかな表情に変わった。
「私の家ではどうかな?」

校長の家には未亡人の娘と7歳の男の子がいた。
語学学校の校長だけあり、つたない英語でも意味を汲み取ってくれる。娘も英語が堪能だ。
スペイン語学校のほうは先生の都合がつかないとのことで、しばらく待つことになった。その間ホームステイ代はタダにしてくれることになった。
それなりに裕福なようで、食事はたっぷりで部屋も立派だ。
未亡人の娘が家族に接するように親切だった。

1ヵ月経った。
いまだにスペイン語学校には行っていない。
スエ・ゼンゾウは催促しなかった。
スペイン語の勉強などどうでもよくなっていた。
陽気なラテンの女の子と楽しく会話できればよい。――もともとその程度の考えだった。

ベッドに寝転んで、もう何度となく読んだガイドブックをまた読み返していた。
校長の娘が遠慮がちにドアを開けた。
「テレビで野球をやってるの。観にこない?」
南米はサッカーがメジャー・スポーツで、野球の放送は珍しい。
サッカーより野球が好きだとはいったが、とりたてて観たいとも思わない。
だが断ったからといって、他に何もすることがなかった。

ソファに二人して座った。
アメリカに移民したエクアドル人の選手が出場している。
――なんだ。ただのエクアドルびいきか。
すぐに観る気が失せた。
家はとても静かだ。
校長は仕事で学校。息子は勉強で学校。
他には誰もいない。
漠然と野球を見続けた。

すぐ隣から湿り気を帯びた熱さを感じた。
彼女の太股と臀部がぴったり接していた。
――ラテンの女は警戒感がなくて、人懐っこいところがいい。
女性がすぐ間近にいてくれることを嬉しく感じた。

そのまま時間が過ぎた。試合は中盤を終わったところだ。
彼女が猛然と首を振り、彼を睨みつけた。
いきなり首元の襟を掴んだ。
「日本人は頭がおかしいの?」
何のことだか分からない。
彼女は繰り返した。
「日本人は頭がおかしいの? 女が二人きりで一緒にいて手を出さないなんて! あなた、おかしくならないの?」
しどろもどろになった。
「私は一週間もセックスをしなかったら、頭がおかしくなっちゃうわ!」
自己欺瞞のないストレートな欲求不満を訴えられて、どうしてよいか分からない。

あの時の校長の顔を思い出した。
自分がこのために、娘のために選ばれたことを悟った。

突然の人生の選択を前にして、何もできなかった。
ただテレビの画面を見つめることしかできなかった。

次の日、家を追い出された。
男として"役立たず"と思われたからだろう。

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いま、そこにあるチチ

2007-04-04 23:19:39 | 
彼は崖の下を見ていた。
太陽が裸の上半身をじりじりと焼いていたが、そんなことはどうでもいい。
彼は解決策を思いつかず、イラついていた。

――ちくしょう。どうすりゃいい。
じっと崖を見下ろすしかできない。

背後で人の気配がした。
頭を上げて、振り返った。
人がこちらに歩いてくる。
肌の色が薄いこげ茶色だ。服装に違和感があるが、メキシコ人だろう。

「ここから下に降りるのはどうすればいい」スペイン語で話しかけた。
メキシコ人は顔をしかめた。
「なんちゅうただ?おいらはメキシコ人ではねえだば」
――ちっ、下手な英語だ。
良く見れば、肌が日に焼けているが東洋人だ。
貧乏そうではないから、日本人か。

さっきと同じ質問を英語で繰り返した。
知らないという答えだった。

――へっ、知らないとよ。ニヤニヤしやがって。役にたたねぇジャップだ。ちくしょう。なんでこんなときに限って、ぼけっとした日本人しかいないんだ。

彼は首を振りながら、下りる場所を探すために歩き出した。


彼は誰も知る人のいないところで、一人旅をしてみたかった。
世間のしがらみもなく、煩悩もない解放感。
初めて見るカリブの海と太陽はとても眩しく、美しい。
カリブ海に面したマヤ遺跡のトゥルムは、日本から20時間以上かけてやってきた価値がある。

オオトカゲが行く手を塞いでいた。
じっと動かずしばらく彼を見つめていたが、思い出したように走り出し、岩の陰に隠れた。
崖の下を見下ろしたまま動かない、白人の若者がいるのに気付いたのはその時だ。
上半身裸で、背中にはデイ・パックを背負っていた。
見せるほどの立派な肉体でもないが、白人はビーチで裸になりたがる。

じっとがけの下を見つめたままだ。
カリブ海を観賞しているわけではないようだ。

英語で話しかけられたら億劫だ。
素知らぬ顔で通り過ぎるに限る。

若者のそばを歩きすぎようと早足になった。

若者が振り向いて、話しかけてきた。
何を言っているのかわからない。おそらくスペイン語だろう。
肌の色が同じだからって、自分をメキシコ人と間違えたか。
「What did you say? I'm not a mexican.」
自分では上手に英語を喋ったつもりだ。

小馬鹿にしたような顔をした。
今度は英語で言い直してきた。

――崖の下に降りる方法だって?
ここに住んでいるわけではないから、知るわけがない。

ふてくされたように、若者は歩きだした。
何か探し物をしているようだ。

――ここから何か見えるとでもいうのか。
若者と同じ崖の先に立った。

元来た道を振り返ると、海に挑むマヤ遺跡。
目の前には、光に溶けるような淡いブルーのカリブ海。
眼下には白い砂浜。そして白い肌・・・

――白い肌?
崖の下には、まるで隔離されたように岩場で仕切られた砂浜があった。
そこには数人の女の子が寝そべっていた。
トップレスだ。白人はビーチで裸になりたがるのだ。

バッグからカメラを出した。
スイッチを押すと、悲鳴のようなモータ音と共にレンズが前方に迫り出した。
一眼レフの望遠レンズではないが、日本製の4倍光学ズームはその性能を極限まで発揮した。

彼女たちは緩慢ながら動いている。
自動焦点が合いにくい。こんなときはオートは不便だ。
想像で補えば、乳房の輪郭が確認できる程度には見ることができる。

シャッターに指をかけた。
しかし、わずかながら理性が勝った。
さすがにシャッターを切るのは躊躇してしまう。

そうだ。
近くに行けばよい。
観光客が沢山いるのだから、あそこに迷い込んだフリをすればよい。
戻る道を尋ねれば、あの子達と知り合うきっかけになる。

でも砂浜に下りていく道が見つからない。
焦る。焦る。
誰か通りかかって教えてくれないだろうか。

あそこへ続く道はどこにある。
カメラの中では手が届きそうな距離なのに、届かない。
ファインダーを覗き込むことしかできない。


彼女はまどろみから目覚めた。
友人たちの声が聞こえる。

上半身をゆったりと上げた。
身体は太陽光を吸収して火照っている。

ビニールシートの上で立ち上がると、波に分け入っていった。
太腿にまとわりつく海水が心地よい。

海水で体温を十分下げてから、陸のほうに振り向いた。
崖の上に人影?
誰かがこちらを覗いている。
遠目にやぼったい東洋人に見える。カメラをこちらに向けている。

鼻で笑った。
彼女にとって発情した東洋人などというものは嘲笑の対象でしかない。

あの東洋人は私を見て興奮しているのだ。
東洋人のアレは小さいというが、本当だろうか。
試してやろう。

両手を背中で結んで、大空に大きく身を反らした。
豊満な胸がダンスした。


彼はカメラに食いついた。
身体が前のめりになった。

一瞬の浮遊感とともに、足を踏み外した。
必死に崖にしがみつく。
あっと思うまもなく、カメラが崖の下に落ちていった。

――まずい。見つかる。
女の子たちに見られないよう、岩の陰に沿って逃げた。

カメラと思い出を写したフィルムと日本人の誇り。
そこにチチがあったために、失ったもの。

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プッシー・キャット

2007-03-31 23:01:06 | 
メルカードは面白い。
その国、その街で何が消費されているのか。何が求められているか。
それぞれの違いがあり、比較して考えさせられることも多い。

グアテマラの古都アンティグアのメルカードは、その中でも独特だ。
庶民的雰囲気とエキゾチシズムが混然一体となっている。

普通の食料品、雑貨の屋台はもちろん。
ドライバー一本で腕時計の電池交換をする屋台。
使い捨てライターのガス補充という商売まであった。

外の空き地では、民族衣装を着たマヤ系のインディヘナのおばちゃんたちがビニールシートの上に野菜を並べている。
形がそろってなくて個性的なのが特徴だ。

メルカードを市場と説明してしまえば簡単だ。
しかし、築地や青果市場のような経済システムの一部のような清潔なイメージは似合わない。
中南米のメルカードは”メルカード”という言葉でしか言い表せない、原住民に密着した生活感を持っている。

その日、私は古着屋を探していた。
日本から持ってきたTシャツは手洗いのしすぎで穴があいてしまった。

グアテマラで外国製品は日本で購入するより高額だ。2倍くらいする。
ご当地Tシャツはデザインも原住民に密着しているので、外国人にとっては着るのに相当の勇気が必要なものばかり。
自尊心を守ったうえでお金を節約したければ、アメリカ製の古着を選択するしかなかった。

アメリカ製はさすがにデザインが”普通”なものが多い。
混血メスティーソのでっぷり太ったおばちゃんが、嬉しそうにTシャツを合わせている。胸のロゴには”PUSSY CAT”と書いてある。

かわいいメス猫。女性器という意味もある。
英語がわかるなら、顔から火が出るほど恥ずかしいだろう。

手にとって見ると、どれも小さなしみがあるし、よれよれだ。
それでも値段を聞いてみると日本円で1000円もする。新品のご当地Tシャツより高い。

そんな馬鹿な!!
粘って粘ってまけさせようとしたがダメだった。

デザインはいまいちだが、新品でデザインに問題なさそうなグアテマラ製のTシャツを買った。胸にシンプルなスペイン語のロゴが書いてあった。

その意味するところを知ったのはずっと後のことだった。
「Jesus te salva.(イエスは救い給う)」

知らずにこのTシャツを着て、世界中を旅していたのだ。
顔から火が出るほど恥ずかしい。

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ドルフィン・レース

2007-03-29 23:28:07 | 
夕涼みというには強すぎる風が、長い毛髪をぐしゃぐしゃに乱舞させて、顔に叩きつけてくる。

バハ・カリフォルニアのラ・パスから大陸側のロス・モチスへの客船。
三等船室の相部屋を抜けだして、船上のデッキにいた。

アメリカ人青年との相部屋だったが、アメリカ人の自己紹介トークは好きではない。
こちらも自己紹介をしなければならない。
何より英語で考えることを強制されるのは疲れる。
それはアメリカ人のルールではあるのだろうが、日本人のルールではない。
そんな意地があった。

わざわざデッキに出たものの、熱帯でも夕方は次第に気温が下がり始めるし、ゆったりとした船旅には程遠い速度で疾走する船の風は乱暴だ。
諦めて船室のおしゃべりなアメリカ人の相手をするか、風邪を引くまでここにいるかを頭の中で両天秤にかけていた。

「イルカだ!!」デッキの後方から声がした。
世界各国、老若男女の口から同じ言葉が続いた。
嬌声や口笛がそれに伴った。

船に平行して、イルカの群れが飛び跳ねながら泳いでいる。
遊んでいるようにも、私たちをからかっているようにも見えた。
ちょこざいなイルカたちと数十トンの客船の激しいレースだ。

人間文明の象徴たる巨大な無機質の怪物が負けるわけがないとは思うものの、光の粒のようにきらきらした野生の生命に肩入れしたい気持ちもある。

デッキにいる皆が、アメリカ人もメキシコ人も、もちろん日本人も、ひとつになって興奮に包まれていた。

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女神様の胸

2007-03-27 23:00:26 | 
インドのエローラ洞窟寺院は驚嘆するほど素晴らしい遺跡だ。
大岩を掘り込んだ大寺院。洞窟に彫り込まれた彫刻の数々。

入場料も50ドル。インドの物価からすると驚嘆するほど高額だ。

ヒンズー教の神様の像はそれぞれが独特のポーズをとっており、エキゾチックである。
パールバティーという女神様は、とても肉感的に表現されている。
腰布だけの姿で豊満な乳房は剥き出しだ。
インド人は昔から太目の女性が好みだったようだ。
目の保養には違いない。

沢山の女神像を見ているうちに気付いた。
インド政府は一人当たり50ドル取って遺跡の保存に努力しているはずだが、ひどく汚れている。
インド人はがめついだけで、仕事は適当なのだろう。

でも、男であるシヴァ神の像は比較的きれいだ。
女神様は胸の部分だけが異様に黒ずんでいる。なぜだろう?
女神の胸をじっと見つめた。

−−−世界中からやって来たスケベ男たちが残した痕跡−−−

合点がいったらおかしくなった。洞窟に笑い声がこだました。

私もまた痕跡を残してから、遺跡を去った。

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台南のバス運転手

2007-03-25 21:25:35 | 
台湾南部の台南に烏山頭水庫というダムがある。現地の人はウーシャントウと発音していた。
日本人技術者の八田與一という人が建設した当時は、東洋一のダムだった。

彼の銅像もある。
ユニークなことに、ご立派そうな立像や銅像でなく、座り込んで頬杖をついた格好をしている。

規模の大きなダムで、景色は雄大であったが、特に見所はない。
レストランで食事だけして、帰りのバスを待った。

時間になってもバスが来ない。
きょろきょろと周囲を見回したが、見当たらない。
日本のように時間厳守ではないらしい。
諦めてぼやっと下を見ていると、後方の駐車場から大型車のエンジン音がしてバスが目の前に停車した。

ここが始発だったらしい。
ドアが開いた。
スポーツマンタイプの運転手が手招きする。
「台南駅にいくでしょうか?」確認のために英語で訊いた。
一瞬ビックリした表情をしたが、日本人だと分かったようだ。

乗客は私一人だった。
彼は運転しながら、ちらちらと私のほうを見た。
外国人ずれしてないのか、興味津々のようだ。

突然、彼が台湾語で何か言って、窓の外を指差した。
何かの記念塔らしい。

それからは、何か目立つ建物があると、指差してくれた。
競技場のときもあれば、大きな寺院のときもあった。
親切心で観光案内をしてくれていたのだろう。

台南市の市街に入った。
檳榔(びんろう)売りのけばけばしいネオンが見えると、ニヤニヤしながら指差した。
ガラス張りで外から丸見えの売り場では、ミニスカートやキャバクラ嬢のような格好をした若い女性が売り子をしている。
男同士の共感で頷きあった。

台南火車站(台南駅)に着いた。
出発地から終点まで、誰も乗ってこなかった。
ずっと彼と二人きりだった。

彼は元気良く手を差し出してきた。
手を強く握った。
「謝謝」
発音が正しかったかどうか分からないが、礼を言った。

彼は何度も頷いた。

私がバスを降りると、ドアが閉まった。
運転手は大きく手を振り、バスは去っていった。

彼と私のコミュニケーションに言葉はまったくなかったが、ほのぼのとした気分にしてくれた。
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前科あり!!

2007-03-24 15:59:19 | 
朝。スペイン語学校に行くためにホテルの部屋を出た。

グアテマラのアンティグアでの滞在が長くなっていた。
定宿の"LA QUINTA"ではなく、通りひとつ先のちょっとばかり高めのホテルに宿を変えていた。
部屋はシャワーがついて少し広めなのを除けば、あまり代わり映えしなかったが、なんにしろ気分を変えてみたかった。

フロントのそばに九官鳥の鳥篭が吊るされていた。

白人のお婆さんが九官鳥に盛んに話しかけている。
何か言葉を仕込もうとしているらしい。
白髪の上に細い手足は皺に覆われている。
一心不乱に九官鳥に語りかける姿はボケ老婆そのままだ。

ホテルを出るために近付いていくと、驚いたように私を見た。
目が合ったので反射的に「Buenos Dias(おはよう)」と言った。
向こうは少し口篭りながらも「ブ、ブエノス・ディアス・・・」と返した。

ホテルを出るまで、私を胡散臭そうな目で見ていた。

スペイン語学校で、そのお婆さんの話をした。

「へぇ、もう出所したのか」という感想が返ってきた。
出所?なんだそれ。

あのお婆さんは、ここらへんの変わり者だったらしい。

アンティグアではゴミ処理は全て有料である。
それを払いたくなくて、中国人の住むアパートの玄関の前に自分の家のゴミを捨てていたらしい。人種的偏見もあるだろう。
私を胡散臭そうに見ていた理由もわかった。

隣の家でパーティーがあると、必ず怒鳴り込んでくる。
そのくせ平気で音楽を大音量で流す。

あげくのはてに土地所有登記書類を偽造して、他人の土地を勝手に売却してしまったらしい。
当然、逮捕されて服役した。

もともと生活するのに困らない資産をもっているとのことで、故意にやっているとしか思えない。

それにしても、あの半分ボケたようなお婆さんが前科者だとは・・・
世の中には想像を超えたことが沢山ある。

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マリファナ体験??

2007-03-23 22:30:52 | 
私は長期旅行をするにあたって誓いを立てていた。

マリファナや麻薬類には絶対手をださない。

もともと酒も煙草もやらないので、そんなものに旅行資金を浪費するのは馬鹿らしい。それならできるだけ多くの国に行きたい。

その誓いを破ってしまったことがあった。

グアテマラの古都アンティグアの"LA QUINTA"という安宿に泊まっていた。
一、二週間ほど周辺国に何度か旅行していたが、ずっとこの安宿を定宿にしていたので、いつのまにかグアテマラ人に"QUINTA(キンタ)"というあだ名を付けられてしまった。

この宿は英語のガイドブックには掲載されているようで、金のなさそうなヒッピー風旅行者には人気の宿だった。

その中に、スペイン人の17歳前後の二人の女の子がいた。
60年代ヒッピーの格好を真似ていたが、どことなく90年代以降のファッション・センスが取り入れられていた。

彼女たちが投宿して数日後に、同年代のサーファーの二人組みの男の子がやってきた。アメリカ人だ。

両者はすぐに意気投合。
しばしば大声でロックを合唱したり、馬鹿笑いをしていた。
私には迷惑な話だ。

ある日、旅行者向けのスペイン語学校の授業に行くために部屋を出た。
私の部屋は宿の奥にあり、外に出るときは必ず彼らの部屋の前を通る。

いままで嗅いだことのない鼻にまとわりつく匂いが、鼻腔の奥を刺激した。
喩えるならハッカを食べたときのジンとした刺激に似ている。

匂いの元は彼らの部屋で、ドアは開け放たれたままだった。

インドに傾倒するヒッピーの真似をして、お香でも焚いているのだろう。

チラッと中を覗くと、スペイン人の女の子がベッドにうつ伏せになって横たわっていた。身体全体に力みがなく弛緩して、まるで死体のようだった。
男の子が壁に上半身を寄りかかり、冷たいタイルの上に白いブリーフ・パンツだけで素足を投げ出していた。目の焦点が定まっていない。
もう一組の男女は見当たらない。

この手のどうしようもない若者は世界中どこにでもいる。
無視してスペイン語学校に急いだ。

その日は頭がはっきりして、とてもハッピーな気分でスペイン語の勉強がはかどったのを憶えている。

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サルバドールの不思議少女

2007-03-20 23:31:46 | 
ブラジルのサルバドールで変な女の子に付き纏われた。

サルバドールは昔のブラジルの首都で、植民地様式のレンガ造りの建物が多く残っている。最近では観光に力を入れているらしく、外国人観光客が多い。

夜になっても人が溢れている土産物屋通りを歩いていた。

正面からムラータ(いくぶんか白人の血が混じった黒人)の少女がまっすぐ近付いてきた。
私のすぐ前で立ち止まると、そばにあったカラーコーンを掴み口元に据えて私の顔に向けた。
「テーニョ・アンブレ!!(お腹すいた〜)」
口元につけた先端に穴が開いていて即席スピーカーになった。

私は周囲の観光客の好奇の的となり、気恥ずかしさでその子を睨みつけた。
彼女は悪びれる様子もなく、私の目を正面から見つめていた。
「俺とデートでもするか?レストランで飯を奢ってやる」口を歪めながら英語で言った。
「本当に!?」顔が喜びで輝いた。
「嘘だよ!!」
顔をそむけて早足で去った。

次の日。観光客向けレストランやカフェの集まる丘の上の広場を歩いていた。
昨夜の女の子がいた。
紙で折った出来の悪い鶴のような首飾りを持っている。
「ふーん。物売りもするのか」
「有名な教会のお守りだよ。5レアルでいいよ」
見かけによらず英語が達者だ。世界中どこの観光地でも目端の利く子供は学校に行かずとも英語を身につける。
「仏教徒には必要ないよ」ぴしゃりと断った。

「ねえ、1レアル頂戴」
「なんで?」
「子供のミルク代が必要なんだ」
彼女は14歳より上には見えない。
ほっそりした褐色の身体をTシャツと白い短パンに包んだ、よく飛び跳ねる小鹿のような体型には、子供を生んだ後の母親らしいどっしりした安定感が見られない。
まだ女になりきっていないと断言できる。

「嘘つきめ」
「本当さ。証明してやるよ」
自分でTシャツをはだけ、白いブラジャーを剥き出しにした。
指先でブラジャーの先端を絞りあげ、その指を唖然として動けない私の口の中に突っ込んだ。
観光客であふれた広場の真ん中だ。

「どうだい。ミルクだろ?ミルクだろ?」
勢いに押されて、肯いてしまった。
実際のところ味なんてなかった。
「ほら。1レアル頂戴」
訳の分からぬ敗北感に操られて、1レアルを渡してしまった。

この子は"乳少女"ならぬ"痴少女"だ。
そんなクダラナイことを思っているうちに彼女の姿は雑踏の中に消えていった。

翌日の昼前、次の目的地に出発するためホテルを出た。
バス乗り場は広場の向こうにある。

またも彼女がいた。
イタリア人のでっぷり太った中年夫婦にあのお守りを売りつけようとしていた。

「もう行っちゃうの?」
私は黙って頷いた。
「じゃあね。またおいで」

あっさりしたものだ。
何かを期待していたわけではないが、ちょっと落胆している自分がいた。

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50センターボのおねだり

2007-03-18 23:19:24 | 旅のコラム
ホームレスというか、ストリート・チルドレンならぬストリート・ティーンエイジャーの女の子によく声をかけられた。

南米コロンビアでのことだ。

台詞はいつも同じ。
「セニョール。50センターボ恵んでください」

そういったことに鈍い私は、50センターボぐらいならよかろうと思い、与えていた。
すると、何か拍子抜けしたような寂しそうな笑顔で彼女たちは去っていく。

何か別に訴えたいことがあるのだろうかとも感じたが、自分にこれ以上できることはないし、50センターボで彼女たちの境遇が変わるわけもないので、それ以上深く考えることはなかった。

長い時間が過ぎ去った今、わかることがある。

彼女たちは”一晩の宿”を望んでいたのだ。確信できる。

自分の身体を、毎日三食欠かさず食べていそうな外国人に与えることによって、フカフカのベッドと安らかな眠りを得る。
気に入られれば、それが何日間か続く。

生まれてから飢えたこともなく、町の片隅で野宿をしたこともない人間には咄嗟には想像しにくいことだった。

自分に出来ることがないことに変わりはない。
だとしても自分はなんと鈍いのかと今更ながら呆れる。

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