☆William Shakespeare's The Merchant of Venice(ヴェニスの商人) 06.01.01. 10:30 クレール丸の内
新年一番は、例年ならヘラルド系の大作映画と決めていて、今回で言えば"キングコング"ということになるだろうが、新年早々リメイクと言うのもどうかと思い、重量感ある、このアル・パチーノ主演のこの映画にした。
とはいえ、この"ヴェニスの商人"と言う話、大嫌いなのだ。
そも、紗翁の戯曲と言うのが、好きではないのだが、なかでもとりわけこの話、嫌いだ。
舞台では13年位前に、毬谷友子がポーシャを演じたグローブ座公演を見たことがある。
言ってしまえば、キリスト教徒がいかに愚劣で卑劣で非道かと言う事を訴えた話だ。
ところは中世ヴェニス。虐げられたユダヤ人たち。
ゲットーに閉じ込められ、出るときは徴となる赤い帽子を強制されるとは、後世のナチスのダビデの星とどう違うのか?
そして、キリスト教徒たちは彼らに平然と唾棄し、足蹴にする。
自分達は清廉ぶって、金を貸しても利息は取らないと言うが、ユダヤ人に高利貸しの職が成立するのはニーズがあると言う事だ。
そして、放蕩の挙句に破産したバカ男・バッサーニオは、遺産娘に取り入るための金をアントーニオに無心し、このお調子者のゲイ男は、虚飾の言葉で友情を飾り、自分が平気で唾してきたシャイロックに金を貸せと言う。
シャイロックが持ち出した胸の肉1ポンドの証文を、何の考えもなく認める。
シャイロックだって、本気で肉1ポンドなどといったわけでもあるまい。どうせ利息を踏み倒す気のキリスト教徒・アントーニオへの、せめても一矢報いる気でしかない。
それが、アントーニオの破産。
バッサーニオは女たらしぶりを発揮してポーシャを籠絡するが、アントーニオの裁判のために、まだ初夜も共にしていない新婦の遺産を持って駆けつける・・・それってナンパに失敗したらできなかったことだろ。
法廷で訴えるシャイロックに対して、アントーニオの命を乞うべき連中がどいつもこいつも「命を助けろ」と罵倒する。懇願するなら、それも命を、言葉の使い方があると言うのに。
そして、ポーシャが男装して現われる。それを誰一人女だと見抜けないというご都合主義。
ポーシャの牽強付会、肉1ポンドを血の一滴すら取ってはならぬ。証文には書いてないという。
ならば、屠殺される牛からは1滴も血が流れないと言うのか?
シャイロックも迂闊だった。わざわざ自分の手を汚そうとせず、肉1ポンドを支払え、と書けばよかったのだ。そうすれば、アントーニオは自らの手で1ポンドの胸の肉を差し出さねばならなかったのだから。血を5リットル流そうが、1ポンドを髪の毛1本違えようが、それは総てアントーニオの責任になったのだ。
そして、どっちに転んでも全財産を没収されるのなら、いっそ自らの命と刺し違えて、アントーニオの肉を削ぎ取ればよかった。
総てはキリスト教徒の自己中心的な卑劣な手口で決着する。
更にポーシャは、自分の夫を姦計に陥れ、指輪を奪い、帰宅した哀れな男を詰問する。
そしてバカ男達は、また口から出まかせに自分の命だの全財産だのを引き合いに出して、友情を見せ付ける。
徹頭徹尾、キリスト教徒の低劣さを訴え続け、迫害されるユダヤ人に救いのない事を描く。
新年一番は、例年ならヘラルド系の大作映画と決めていて、今回で言えば"キングコング"ということになるだろうが、新年早々リメイクと言うのもどうかと思い、重量感ある、このアル・パチーノ主演のこの映画にした。
とはいえ、この"ヴェニスの商人"と言う話、大嫌いなのだ。
そも、紗翁の戯曲と言うのが、好きではないのだが、なかでもとりわけこの話、嫌いだ。
舞台では13年位前に、毬谷友子がポーシャを演じたグローブ座公演を見たことがある。
言ってしまえば、キリスト教徒がいかに愚劣で卑劣で非道かと言う事を訴えた話だ。
ところは中世ヴェニス。虐げられたユダヤ人たち。
ゲットーに閉じ込められ、出るときは徴となる赤い帽子を強制されるとは、後世のナチスのダビデの星とどう違うのか?
そして、キリスト教徒たちは彼らに平然と唾棄し、足蹴にする。
自分達は清廉ぶって、金を貸しても利息は取らないと言うが、ユダヤ人に高利貸しの職が成立するのはニーズがあると言う事だ。
そして、放蕩の挙句に破産したバカ男・バッサーニオは、遺産娘に取り入るための金をアントーニオに無心し、このお調子者のゲイ男は、虚飾の言葉で友情を飾り、自分が平気で唾してきたシャイロックに金を貸せと言う。
シャイロックが持ち出した胸の肉1ポンドの証文を、何の考えもなく認める。
シャイロックだって、本気で肉1ポンドなどといったわけでもあるまい。どうせ利息を踏み倒す気のキリスト教徒・アントーニオへの、せめても一矢報いる気でしかない。
それが、アントーニオの破産。
バッサーニオは女たらしぶりを発揮してポーシャを籠絡するが、アントーニオの裁判のために、まだ初夜も共にしていない新婦の遺産を持って駆けつける・・・それってナンパに失敗したらできなかったことだろ。
法廷で訴えるシャイロックに対して、アントーニオの命を乞うべき連中がどいつもこいつも「命を助けろ」と罵倒する。懇願するなら、それも命を、言葉の使い方があると言うのに。
そして、ポーシャが男装して現われる。それを誰一人女だと見抜けないというご都合主義。
ポーシャの牽強付会、肉1ポンドを血の一滴すら取ってはならぬ。証文には書いてないという。
ならば、屠殺される牛からは1滴も血が流れないと言うのか?
シャイロックも迂闊だった。わざわざ自分の手を汚そうとせず、肉1ポンドを支払え、と書けばよかったのだ。そうすれば、アントーニオは自らの手で1ポンドの胸の肉を差し出さねばならなかったのだから。血を5リットル流そうが、1ポンドを髪の毛1本違えようが、それは総てアントーニオの責任になったのだ。
そして、どっちに転んでも全財産を没収されるのなら、いっそ自らの命と刺し違えて、アントーニオの肉を削ぎ取ればよかった。
総てはキリスト教徒の自己中心的な卑劣な手口で決着する。
更にポーシャは、自分の夫を姦計に陥れ、指輪を奪い、帰宅した哀れな男を詰問する。
そしてバカ男達は、また口から出まかせに自分の命だの全財産だのを引き合いに出して、友情を見せ付ける。
徹頭徹尾、キリスト教徒の低劣さを訴え続け、迫害されるユダヤ人に救いのない事を描く。










