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昭和一桁の自己表現:いろいろと、あれこれ書きます

風化進む8月6日無辜の民大量虐殺の日

2017-08-09 00:58:03 | 随想:社会的なトピックス
今年も8月6日がやってきた
   あの日の記憶は伝えられ得るのか
 あの日広島では12,13歳の少年少女6300人が原爆の劫火に焼かれ、未来ある若い命を散らした。当時、旧制中校、女学校の1、2年生である。犠牲者の名前を刻んだ原爆犠牲学徒の碑を見ると、各校とも中学校女学校の1年生が圧倒的に多い。私も昭和20年4月、長崎県立島原中学校に入学した1年生であった。もし広島の中学だったら、と思うと、人の運命や偶然が人生を左右する怖さを感じないわけにはいかない。
 かれらは、広島のトップクラスの生徒たちが集まっていた県立や市立の生徒たちだった。もし原爆の犠牲にならなかったら、日本の指導者になった人も出たにちがいない。地元の広島大学に進んだ人も多かっただろうから、昭和26年4月、私と同じ教室で机を並べて授業を受けた人もいたにちがいない。6300人の少年少女は、そうした未来を8月6日を最後として、すべて失ったのであった。家族はもちろんだが、本人の無念さを代弁する言葉が見つからない。
 当時の中学校や女学校の1年生に、なぜ原爆の犠牲者が際立って多いのか。3年生以上の多くは、軍需工場などに狩り出されていて、原爆投下の中心地から比較的離れた地点にいた。これに対して1年生は、空襲されたときの延焼を食い止めるための防火帯を作るため、民家を倒したり移動したりする作業に従事させられていた。そのため市街地のど真ん中にいたのである。放射能はもちろんだが、3キロメートル以内では電柱や樹木が黒焦げになった熱線や、秒速440メートルに及ぶ爆風に直接襲われて、一瞬にして犠牲になった生徒も多かった。
 しかしその凄まじさを現在に伝えることのできる体験者も少なくなった。被爆者の平均年齢は81歳になった。原爆の「語り部」たちも年老いてゆき、体験者でない若い世代の人が増えてきた。
 最も影響力を持つ地元のテレビ局にも、かつてのような熱気を全く感じない。かつては地元のテレビ局は、オーバ-にいうと一日中、原爆関連の番組を放送していた。比較的古くから開局していたNHK,RCCテレビ、広島テレビの3局はもちろん、後発の2局も、原爆の日に向けてドキュメンタリーやドラマなど意欲的な番組作りをしていた、原爆関連番組で全国的な賞を受けることもしばしばであった。そうした熱意も意欲もエネルギーも、今のテレビ局にはないようにみえる。8月6日当日も、8時15分からの記念式典だけは放映するが、それが済むと8時半には、さっさとキー局が流す一般番組に切り替わる。NHKでも10時にはそうなった。地元局の番組制作関係者自身が戦後生まれになった今日、テレビ局でも「原爆風化」が進むことは無理がないことかもしれない。
 前日5日の午後、NHK広島が放映した、ぐるっとにっぽんヒロシマ8.6ドラマ「ふたりのキャンパス」を視た。広島の女子高生16歳の里保と、悲惨な体験を伝えることの難しさを感じていた80歳の雄造(近藤正臣)が.「原爆の絵」を描くことで、少しずつ相手を知り、変わっていく物語である。
 その中で雄造が里保に言う。「原爆を体験しとらん人には分からんことです。あの日を見なかった人には分からんことです。」
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