日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

人の生き様を3人の東大卒業生に見る

2017年12月02日 09時08分59秒 | 日々雑感
 死を迎える時、自分の人生が満足であったと言えるために、生前何をすべきかは永遠のテーマである。人には各自各様の志があり、その志に向かって日常を送ることが有意義な生き方である、との教えは納得できる。しかし、若いときの志は、日常の生活に追われ、忘れ去られることしばしばである。

 最近の小学生・中学生の子供に将来何になりたいかを聞くと、スポーツ選手を筆頭に、幼稚園・保育園の先生、看護師・介護福祉士、医師・歯科医・薬剤師と続くのだそうだ。しかし“わからない”と答えた児童の割合が16.7%ということで、最も就きたい職業だったスポーツ選手の14.0%よりも多っかったとのことだ。この結果をもって、最近の若者に志が低いとか無いとか結論するのは早とちりだ。

 アンケートの取り方によって、他人の役に立ちたい、他人の出来ないことをやってみたい、が上位を占めるのは間違いない。ただ、そうするためにはどうすればよいかが分からないだけだ。

 情けないことに、現実には人を騙して金儲け、人を蹴落として出世する風潮が幅を利かしている。金がいくら貯まれば金儲けしたことになるのか、どこまで出世したら出世したことになるのか、そのような欲望には、限界が無いのも事実である。金儲けや出世は別の何かをするための手段であることを認識すれば、自ずからある程度で我慢できるだろうが。

 最近、東大卒業生で政治家や官僚になった人の生き様が気になるが、彼らの志は何だろうと思うことが多い。東大に入るためには、人一倍の努力が必要だ。その努力を生み出す源泉には、何かをしたいとの志がある筈である。

 今回の衆議院総選挙で落選した豊田真由子氏は東大卒でハーバード大に留学した華々しい経歴を有するが、彼女の志は何であったのだろうか。その志を政治家になることによって成し遂げたかったと推測されるが、秘書を罵倒したことで政治生命を絶たれた。これにより志が途絶えたとすると彼女の人生は余りにも情けない。

 国税庁長官佐川宣寿氏は東大経済学部卒業であり、大蔵省に入省し、志は人一倍高いと思われる。佐川氏は財務省理財局長を務めていた当時、大阪府内の国有地が当初の評価額より八億円以上安い価格で売却されていた経緯について、交渉記録の文書を破棄し、また記憶に無いと国会で答弁した。

 東大に入学するためには、一を聞いて十を知る洞察力と、抜群の記憶力が必要であり、交渉の経緯を詳細に知っている筈である。本来であればその高い能力を披露したかったであろうが、役人は上司である政治家の意向を忖度しなけば、出世できない。佐川氏自身も少なくとも若い頃は国民のために役立ちたいとの志はあったはずである。この志を全うするためには出世が不可欠と判断して、先の忘れたふりをしたのであろう。

 結果国税庁長官に上り詰めたが、税務は公平であることを基本としなければならない。しかし、長官の立場でそんな訓示を垂れても、佐川氏の辞書には公平さの言葉は無いと誰もが知ってしまった。佐川氏自身にもこれまで何のために苦労して勉強してきたのだろうかの疑念ないのであろうか。

 一方、東京大学卒で文科省事務次官などを歴任した前川喜平氏は、5月の記者会見で、総理のご意向などと書かれた文科省の内部文書を本物と認め、公平公正であるべき行政のあり方がゆがめられた、などと証言した。

 この証言により、事務次官退官後の優雅な天下り先への就職を絶たれたが、現在週に1回、厚木市と福島市で夜間中学校の講師として活動しているそうだ。人にはいくつになっても学ぶ権利があり、学べる手立てが講じられるべきだとの信念の下、これまで夜間中学は義務教育の最後のよりどころであるとして、拡充を訴えてきたそうだ。

 前川氏は、現在自ら夜間中学での講師になり、志を全うしているに違いない。料亭で皆におだてられて美食するより、心は充実している筈である。2017.12.02(犬賀 大好-395)

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