森田宏幸のブログ

Morita Hiroyukiの自己宣伝のためのblog アニメーション作画・演出・研究 「猫の恩返し」「ぼくらの」監督

目的を見失わず前進しましょう(その2)

2011年02月26日 21時25分24秒 | 監督日記
森田宏幸です。
今日は2011年2月26日です。

前の記事の続きです。

「地位の向上」とは何か、「地位が向上した」とはどういう状態かについて考えます。
たとえば、分かりやすいところで、こんな結論も考えられます。
「『地位が向上した状態』とは、お金をたくさんもらえる状態のことだ」
というものです。

たしかに、お金があれば、私たちのたいていの悩みは解決します。お金の問題は大事です。しかし、この、「お金をたくさんもらうこと」”だけ”に執着すると、落とし穴に落とされる、というのが私の考えです。

ここ2か月ほどいろんなアニメーターたちと話しましたが、JAniCAの必要性を真っ向から否定する意見が、実はかなりありました。そうした人たちは、もちろん会員にはならないわけですが。

いろんな意見がある中で、もっとも分かりやすかったのは、次のような意見です。

「単価が安いと文句を言う前に、なぜ、自分で交渉しないのか? JAniCAで交渉して出来ることなら、自分でも出来るはずだ。交渉しない方が悪いのだ。むしろ、JAniCAのような組織は、交渉力のない人間を呼び寄せてしまう。だから、JAniCAの存在は、かえって迷惑である」

こうした意見には、なるほど、正しい現実理解が含まれていることは私も認めます。
仕事を引きうける時は、お金のことをきちんと話し合って、交渉しよう、ということは、プロとしての大切な構えです。自信を持って、交渉できるように、日々、技術を磨かなければいけません。それを怠るから、自信が持てないのだ、と自分を追い込むことは、仕事をしていく上で必ず必要な心構えでしょう。

また、「JAniCAのような組織は、交渉力のない人間を呼び寄せてしまいがちだ」という指摘も、固い言葉に置き換えれば、共同体主義の弱点を指摘していて一理あります。得てして共同体というものは、共同体がなければ生きていけない人間を創り出してしまうものです。これはたしかにそのとおりだ。

しかし、今の日本の社会で、共同体を形成して、自分たちの生活を守ろうとするしくみは、当たり前のことです。たとえば、前回書いた、健康保険のしくみなども、共同体主義の産物だと言えます。実は住宅ローンのしくみなども、歴史的ルーツは、共同体主義にあるという話を、私は最近、須藤喜直という方の講演で学びました。住宅ローンといえば一見、金融の話のようですが、そもそもの昔は、貧しい人でも家を建てられる仕組みを作ろうとした、互助会的な活動が始まりだということらしいです。企業の正社員は、収入が安くても、その安定と信頼から、住宅ローンを組みやすい。私の友人たちも、少ない収入で家を買う人たちがたくさんいます。
企業の正社員という組織に属すことで、生活を守るという、これは当たり前の生活感覚です。
しかし、

「正社員制の会社ならある。それならば、そういう会社を作る努力をする方が早いんじゃないですか」

という意見もあります。
そのとおり。そうした真っ当な会社作りを実践しておられる経営者はおられます。尊敬されるべきです。
しかしながら、今の時代、アニメーターに限らず、クリエーターを社員として雇用する会社は減る一方のようです。期限付きで、給料は月極の業務委託契約が、もっとも恵まれた条件と言えましょう。企画が出来るとか、現場のマネージメントが出来るとか、自ら仕事を作り出せるスキルがないと、正社員になるのは(少なくとも、私のまわりでは)厳しいらしい、と聞きます。一概には言えませんが。

ただ仮に、日本のアニメ会社すべてが、社員制を採用したとしても、同じ職域に属する者同士が横のつながりで連帯することには意味があります。企業という営利目的の組織では救えない問題を担うことが出来るのです。

あと、個人の交渉力によって事態を打開しようという試みが敗北することは、すでに歴史の中で検証済みです。さらに長くなりますが、このことも、皆さんに是非伝えておきたいです。

かつて、アニメーター・演出は、すべて、東映動画と虫プロの正社員でした。しかし、1960年代半ばから、そうした企業内でも出来高払いが採用されるようになり、1973年の虫プロ倒産を期に、正社員という雇用形態はほとんどなくなったのだと思います。
この過渡期にあって、アニメーターたちのあいだで、共有されていたのが、「出来高の方が稼げる」という考え方でした。

急激な勢いでテレビシリーズの本数が増えていた当時、大変な人手不足でした。なので、社員の人でも、休日などを使って、内緒で出来高の仕事をとり、アルバイトをしていました。なので、制作会社がアニメーション制作に膨大な人件費がかかることに気がついて、社員制をやめて出来高払いに移行しようとするとき、アニメーターたちは抵抗しなかったのです。

このことは、山本瑛一 著「虫プロ興亡期」にくわしく書かれています。たくさん引用したいですが、一部を選んで引用します。


(「虫プロ興亡期」P.312〜313 から転載始め)

 大勢の人手をかけてつくる手工業のアニメの経費は、大部分が人件費である。それが、高度経済成長で、どんどん値あがりする。五年から十年のあいだには、月給は確実に倍になる。局は制作費をそんなテンポであげてはくれない。このギャップをどうするかが、プロダクションの経営上の最大の問題になった。
 そこで、プロダクションは、それまでの、アニメーターを社員として雇って月給を払う、という制度を見直すことを考えた。
 月給制は、生活保障が基本だから、物価があがれば昇給しなければいけないし、ひとつの作品が終わって次の作品にはいるまでのような、仕事がないときにも支払わねばならない。
 もしこれを、作品ごとの契約で、出来高制にきりかえれば、仕事をしたぶんだけ支払えばよく、ロスがなくなる。
 その場合、プロダクションは、局からもらう制作費から、まず利益をトップオフし、残った額を工程にふりわけで、原画は一秒いくら(あるいは一カットいくら)、動画や仕上げ、背景は一枚いくら、撮影は一秒いくら、というふうに単価を設定すれば、赤字になることはないし、収益も確実になる。工賃の単価は、物価の値上がりとは無関係に、局が制作費をあげてくれたときだけあげればよい。
 このシステムがプロダクションにとって都合がいいことは、すでにずうっとやってきた外注で実証ずみである。難しいのは、どうやって、社員のクピを切り、契約にきりかえるかだ。しかし、その答えは、意外に簡単だった。アニメ界にまんえんしていたアルバイトの習慣が役に立ったのである。
 アニメーターたちは、それまでのアルバイトの経験によって、自分の労働量を月給でもらった場合と出来高にした場合、収入がどうちがうかを、実際に知った。月給制では、時間外手当てが、ある限度でうちきりになる。
 あとは代休にふりかえられるのだが、忙しいのでそんな代休はとることができない。有能でまじめなひとほど、何百日と代休をかかえて、なお、徹夜だ休日出勤だと、代休という名のタダ働きをさせられる。契約になって、この全労働量を出来高でもらえば、仕事の単価は安くても、収入の総額は確実にふえる。
 そこで、アニメーターのほうから、続々と、社員をやめて契約になるものがでてきた。先頭を切ったのは、机ひとつあれば仕事ができ、アルバイトでも主役だった、原画家、動画家たちである。次いで、仕上げ、背景、撮影などのひとが、グループで作業場を設けたり、カメラ機材をもつなどして、あとを追った。
 アニメ界は、アニメーターの自宅や、アパートの一室ていどの、職能別の零細プロダクションが林立し、局からの元請けであるプロダクションの下で、子請け、孫請け、管関(ひまご)請けなどを形成する、複雑怪奇な様相の時代となった。

(転載終わり)


このようにして、アニメーターたちがほとんど、フリーになったらしい。私自身これを読んで、今のアニメーターたちの生活実感とも合うと思う。こうした、先輩たちが歩んできた影響の下に、今の私たちの状況があることを知るべきでしょう。

先輩たちがフリーになったのち、上記の通り、人手不足の売り手市場で、結構な年収を稼ぎ出していたそうだ。それが、現在46才の私が、アニメーターになる、そのほんの10年ぐらい前までは続いていた。アニメーターになって1年目の時、先輩方が、昔は稼げてよかった、みたいな話をしているのを直接私は聞いていた。絵コンテの仕事(テレビシリーズ1本、20〜30万円)だけで、年収1000〜1500万行けた、みたいな武勇伝を語られる方もいるらしい。

しかし、その後、物価の上昇とか、社会状況の変化などを無視して、単価は据え置かれ、世の中の相対的には下がっていった。
アニメーターの皆さんなら誰しもご存じだろうが、業界中どこへ行っても、だいたい単価は横並びで同じだ。(例外はあるだろうが)原画ならテレビシリーズでカット4000円、オリジナルDVDなら6000円、劇場映画なら1万円〜2万円だ。単価を統一して交渉する組合などないのに! これをどこで決めているのか、未だに私には分からないけれど、会社同士の横のつながりなどで、だいたい、決まっているものなのだろう。

交渉しても、「どこでもこの値段でやってますよ」と言われたら、なかなか切り崩せない。そうやって、ほとんどのアニメーターたちが状況に服従しているだろう。そして、本当に力がある、その技術に価値が認められた人たちは、一部で大事にされただろうが、そこそこで交渉力を発揮しても、長年かけてじわじわと、各個撃破されていったというのが、ニッポンのアニメーターの歴史の真実ではないだろうか。


以上を根拠にして、私は、個人の交渉力に期待して、事態を打開すべきという立場は取りません。

そして、お金が稼げることと、「地位の向上」は、別の話だと断言できます。
山本瑛一氏が書いている、アニメーターたちがフリーになっていた時代、稼ぎは増えていたけれど、地位は落ちていたのだと、言えると思います。
私たちの先輩たちは、優れた作品を残した尊敬すべき人々であったけれど、こと、アニメーター全体の地位を守ることに関しては、ことごとく間違った道を選んできたということが言えるのだと思います。

「地位の向上」とは何かというと、それは、業界の中にしっかりと立ち位置を確保して、自由に(自覚をともなって)ものが言えて、業界全体の問題に堂々と根拠を持って、口を挟んで無視されないということではないでしょうか。そのことを通じて、収入を増やしていくということが、健全な成長というものではないかと思います。

前述の通り、業界にはなんとなく相場というものがあって、それが、低い水準で硬直化してしまっています。その私たちの仕事の賃金体系に、「これぐらいは払って下さい」「これぐらい払う必要があります。そうすればすべてが(業界全体が)うまく行くんです、ということを示さなければいけないということを、一気に体現したのが、あの、「若手育成プロジェクト」であるということを次に書かせてください。

(さらに続く)

ジャンル:
ウェブログ
キーワード
アニメーター テレビシリーズ 住宅ローン 共同体主義 高度経済成長 時間外手当 アニメーション制作 クリエーター 日本の社会 日本のアニメ
コメント (0) |  トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« 目的を見失わない... | トップ | 目的を見失わずに... »

コメント

コメントはありません。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。

あわせて読む