春を待ちわびる心は、萌えを誘う力水としての春の雨を待っている。しかし、それだけではないのだろう。春待は抒情的な季語。胸底にある、締め付けられるような感情が詠まれたような気がする。「一天」とした格調の高い硬質な響き。地を濡らすのは力士が神聖な土俵に上がる時に身を清めるために使われる力水である。この天と地の縦軸に人間は暮し、異常気象による豪雨や、地震や火山の噴火など、天変地異は近年、鎮魂を祈る手に休むいとまがない程の大災害をもたらしてきた。作者のいる九州も、私のいる東日本も復興の最中に有り、心の春から遠い気持ちが「待春」の本意かもしれないと思われてしかたがない。(博子)