肩を詠んで、頭部のないクメールの仏像を思わせている。その歴史に触れると長くなるばかりでなく、たくさんの説があるので割愛するが、嘗てあったクメール人王朝に作者の想いがあるのだろう。メコン川中・下流域に民族の生活が存在したことを「水澄む」が語っているように思う。
今も、世界では宗教戦争が頻繁に起きている。寛容な宗教観を持つ日本にいると不思議に思うが、そんな意識が「まろき肩」に意図なく現われているようだ。(博子)
今も、世界では宗教戦争が頻繁に起きている。寛容な宗教観を持つ日本にいると不思議に思うが、そんな意識が「まろき肩」に意図なく現われているようだ。(博子)