森の風

日々の気づきなど綴ってみます♪

過去の全てに感謝して

2017-02-28 07:11:26 | 日記
過去をほじくり返してみれば

相手にも、言い分はたくさんあることだろう。

わたし自身未熟で世間知らずゆえに、

また親ともども、ある意味苦労知らずで
いわゆるサラリーマンの苦労を理解できなかった部分もあった。

所詮、夫婦はお互い様。

卵が先かニワトリが先か…

あの時、主人の働きにもっと感謝できていれば…と、思うことがある。

こちらにも柔軟性が無くて、自分の生き方、考え方の「正しさ」ばかり主張していたところがあった。

人は、みんな自分が正しいと信じて生きているから…

育った環境、金銭感覚の違いは、とても大きいなと思う。

ただ好きだとか、若さゆえの欲望だけで結婚するのではなく、長い目で見て、ある程度、事前に相手との暮らしを想像した方が良いだろうなと思う。

わたしの場合、親の意見、特に亡き父親の意向が強く影響していた。

その理由は、今となっては、聞くすべもないのだけれど。

よほど焦っていたのか、早く結婚させたいという意思が感じられて…

それもこれも、わたしのことを心配してくれていたからだろうし、

もちろん悪気なんかはあるはずもなく。

ただ、この結婚に大反対だったのは、母親だった。

直感的に何かを感じていたのだろうか。

周囲が反対するときは、もっと悩むべきなのだろうに。

その時は、もう自分が決めたのだからと、何かを強く思い込んでしまっていて、

誰にも相談することなく、悲壮感を感じながら結婚をした。

今も母が「結婚式の時、あなたは泣いていたから」と、言うけれど

「わたしが居ないとこの人はダメなんだ。」という同情心から結婚した様な…

それは、自分に自信が無かったからなのかもしれない。

ずっと親の意見が、絶対と信じて生きてきていて、

母も、父を絶対的存在であるかのように立てていた。

そんな封建的な風潮が色濃く残っていた時代でもあった。

なので、当然のように、わたしも父を尊敬していた。

父は厳しくて怖かったけれど、すごく優しいところもあって、

困ったことがあれば、何でも父に相談すれば解決出来た。

お酒を飲んで、適当なことを言っていたかもしれない時でさえ、父には「真実」がわかるのだと母は、言っていた。

わたしも、それを子供の時から信じて生きてきた。

親も人間なんだと、気づいたのは、成人をとっくに過ぎてからだった。

母も、世間知らずのわりには、支配的というか、

「親の言うことを聞いていればいい、
友達に、相談して何でもしゃべるんじゃない、相談するなら私にしなさい。」と。

それは、未熟でのほほんとしていたわたしが

よほど心配だったからなのだろうな。

母に少しでも反発すれば、即わがままだと言われ、何かにつけキビシク躾けられたことは、良かったのか悪かったのか。

でも今は、過去のすべてのことが、これで良かったのだと思えるようになった。

それは、とても頼もしい人に出会えたから。

任せておいてと言ってくれたから。

どこまでも付いて行きたい。

会ったことはないけれど、一度は会ってみたい。

そう思える人とのご縁で、過去のすべてを

肯定し、感謝できるようになれた。

そのお蔭で、今日も家族の為に、辛くても前向きに頑張ることができていることを

本当に有り難いと思う。
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二人で

2017-02-27 11:10:44 | 日記
その当時、お友達から、わたしは、いろんな人や物事などから、いつも支援を受けるだろうと言われたけれど、

それはほんとにそうだった。

たとえばボランティア、伊勢神宮への参拝、親孝行など。

特に、自分のためではなく、人の為にやろうとする時、そう感じることが多かった。

それは、何かに、たとえば神様に、「人の為になることをしなさい」と言われているようだった。

また、そういうことを意識すればするほど、周囲の助けが来たような気がする。

なので、私利私欲ではなく、「与えること」

それを常に考えるようにしようと思った。
 
それが、自分のためであり、家族のためであり、周囲の人、あるいはもっと広げて世の中の全てのためになるというそうな、そんな気持ちだった。

そこで、まずは最も身近で大切な家族に「与えること」なのだが、

それが意外にも、困難を極めた感じだった。

長くて広くて大きな視点で見ることを、お友達からも再三教えてもらっていたので、

子供たちのために、こうしたらどうか?と主人に提案し、何度となく話し合いをしようとするのだけれど、

どうしても、それが叶わなかった。

ごくごく当たり前のことを頼んだだけだと思うけれど。

娘ですら、わたしと相談の上、考えた末に、父親と話をしてなんとか理解し合おうとしてくれたのだが、その時だけで、何も変わらず、提案は却下。

息子は、話が通じないので、とうとう取っ組み合いの喧嘩になって、必死に主人に訴えたけれど、それも徒労に終わった感じだった。

結果、主人は、やはりどこまでも全てを自分の思い通りにしたいのだと分かった。

余程強いコンプレックスなのか何なのか、誰に対しても、心を許して素直になれないようだった。

なので、それからは周囲も諦めに入り、何も言わなくなった。

北風と太陽の話のように、ともかく主人の頑なな心が、少しでも溶かされてくれればと、願いながら。

そーそーと、すべてを受け止めようと決めて。

お金が無いと愚痴れば、内職を探したり、
節約をしたり。

羽仁もと子さんの友の会に入って、家計管理を勉強しようとしたけれど、家庭の内情がバレてしまうという理由で反対された。

なにをしても、文句が出るので、ほんとにヤル気を失いそうだった。

未だに、一方的な関係は続いていて、
一時は、別れて住むことを真剣に考えて、自治体に相談に行ったこともあったけれど、

経済的な問題も無視できず、子供たちの為にどちらが良いのか悩んでばかりで、実行には至らなかった。

そんな厳しい頑なさに、わたしの心の叫びは強くなるばかりだったようで、

ある時、心を守るために、心療内科で診察を受け少しだけ薬を飲む事になった。

それも、お友達が勧めてくれたお蔭だった。

自分では、そのおかしさに気づけずにいたから。

自分さえもっと頑張れば良いのだと信じこもうとしていたから。

心の叫びを無視してしまうのは、つくづく危険だなと思う。

心が歪み、イライラしたり突然キレたり…泣き出したり。

今思うと、当時のわたしは、すごく不安定だった。

ツイッターやブログも、何度となく止めたくなり、実際、何度も、辞めてはやり直しばかり。

お友達の提案で、ともかく胸の中をさらけ出すことからやり始めて、できるだけ、心の中をあるがまま紙に書いては、破り捨てる。

悪口も言ってはいけないではなく、誰にも見せないのだから、紙にはどんどん書く。

醜いこともすべて書き出す。

そんなこともやってみた。

でも、結局は、薬のお陰で楽になってきたような気がしている。

今は、最低量の半分で済んでいるので、有り難いなと思う。

無償の愛とも言えるような深くて強い愛情を受けると

人は、何かに自然と気付いたりするのではないだろうか。

それは、おそらく自分の良心なのではないかと思う。

まさに、太陽の光に溶かされて、良心が発露してくるのだろう。

最近主人は、皮肉にも病を得て、少しだけ変わってきたような気もする。

本当のところはよくわからないけれど…

そして、ここまでわたしが努力し続けることができたことは、本当に信じ難いことだけれど、事実であって、

それは、もちろんいつも応援し励まし続けてくれた大事な大事なお友達のお蔭!

一人ではなく、二人だったから、

ここまで頑張れたのだと思う。
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家庭の問題と現実的な努力

2017-02-26 11:11:56 | 日記
その頃 わたしが抱えていた家庭の問題は、

何も特別なことではなく、何処にでもあるような問題だったのだろうと思う。

例えば、夫のアルコール依存症とか、子供の精神疾患、夫婦の不和など。

日本の多くの家庭で、最低一つは当てはまるのではないかと思われるような

その人は、悩めるわたしのために、なんらかの手立てを打つべく、共に考えていきましょうと言ってくださった。

宗教や、目に見えないものに頼ろうとしていた当時のわたしは、そういう現実的なことでは、埒が明かないのではという気もしていた。

現実的な努力は、ついつい面倒くさかったり、何かを相手のせいにすることで、問題が解決したような気になっていたところもあった。

でも、そこで、長年、人と心の交流をして気づいたのは、

自分の目の前の現実を、素直に受け止めることの大切さと、

結果を焦らずに、コツコツと小さな努力を積み重ねることの大切さだった。

良し悪しもわからないうちに、
こーすればあーなると勝手に信じて、焦って、闇雲に行動してしまい、後悔することもよくあったので。

先ずは、こーしたいという自分の欲望ではなく、ありのままの現実を見つめることが大切なんだと自分に言い聞かせた。

難しいけれど、主観はできるだけ捨てて。

そして、やがて、わたしは、もっと人への思い遣り、優しさを持ちたいと思うようになった。

自分自身を大切にできないのに、人を大切になど出来ないということもわかってきた。

今まで、そうありたいと努力をしていたつもりだったけれど、なぜか空回りしていたことにも。

その理由は、無意識に、根元の部分が蔑ろになっていたからだということにも気付かされた。

根元=自分自身。

自分を大切にできれば、心にゆとりも生まれ、

自然と、人にも優しくなれる。

イライラしたり、悪口を言ったり、不平不満だらけなのは、自分が満たされていないから。

実は、そのことをハッキリと自覚できたのは、ごく最近のことだったのだけれど。

母親のわたしがそんなことでは、大切な家族は救われないのにね。

誰かに振り回され、自分を見失いがちで、

もっと色んな事を丁寧にしたいと思いながら、どうしてもそれが出来なくて。

むしろ、独身の時には、それが出来ていたのになぜだろう?

人間、一度思い込むと、なかなか変わらないのかも。

その方は、根気強く、わたしの脳を「音のない会話」=SNSによって刺激しようとしてくださったのだった。

毎日のEメールのやり取りや、ツイッターで、いろんな人の考えに触れたり、視野を広げていくことで。

そのお陰で
わたしは、臨機応変な対応=柔軟性の大切さにも気づくことができた。

また「ありのまま」の大切さにも。

変に勘繰らずに、目の前の全てを、ありのままに受け止めること。

人であれ、出来事であれ。

もしも、百歩譲って、霊能者さんの言ったことが本当ならば

唯一心当たりがあるとしたら

それは、親の育て方にも関係するのかもしれないなと、ふと思った。

それは、若い頃に、わたしが人からよく言われたことだったのだが、

自分で言うのもおこがましいのだけれど良くも悪くも「純粋」ということ。

裏を返せば「世間知らず」とも。

両親もある意味そんな感じで生きてきた人達だった。

亡き父が、母と結婚した時の持ち物は、古い柳ごおりの中に、沢山の古本とお下がりの紋付きだけだったとか。

わたしが子供の頃も、父はいつも机に向かって書き物をしたり本を読んでいる姿が印象的だった。

小学校の低学年の時、父にぶ厚い大学ノートと万年筆をもらって、父と一緒に炬燵で日記を書いていたことがあったが、なんだか一人前に扱ってもらえたようで、とっても嬉しかった。

母も俳句が長年の趣味で、高齢の今も唯一の生き甲斐のようでありがたい限り。

両親、特に父は、わたしに、できるだけ良い物を与えたいと思ってくれていたようだ。

それは、主に芸術的、情操面において。

環境にも気を遣っていたのか、引っ越し先はいつも田舎だった。

きっと父自身、都会の水に合わなかったのだろうと思う。

家庭の中がそんな感じだから、外の風がひと一倍冷たく感じられたのは当然なのかもしれない。

なんとなく生きづらくて、学校生活も負担だった。

でも、そんなわたしにも、お友達はいつも寄ってきてくれていたので、それはとてもありがたいことだったと、今にして思う。

                                      (つづく)
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目に見えない世界は

2017-02-25 10:48:16 | 日記
大枚を叩いてそんな「奇妙な体験」をしてしまい、

愚かなわたしは、その時少し有頂天になっていたような気がする。
 
ネットで人を救う?

でも、何をすれば良いのかもわからず、

下手にネットで何かをするなど、とても危険で無鉄砲な行為だと、いろんな人に反対された。

宗教でも、光が見えたという話をしたら、
「それが何?」って感じで、そんなことはよくあるよみたいに言われたし。

まして、人生経験の浅い未熟な自分に、いったい人の何が救えるというのか。

客観的に見て、そんなことは、とてもおかしな話だということは、一目瞭然だった。

なので、とりあえずは、その宗教に入り、精一杯やってみることにした。

でもその内、何かと表に立たされることが多くなり、目立つようになると、それはそれで負担もあった。

また人を勧誘することも、正直言って負担だった。

かと言って、頼まれると、断りきれずに引き受けてしまうというような状態だった。

そこには怖さ、不安もあった…
断ると‥なにか悪いことが起こるんじゃないかとか。

また、団体の内部の力関係、人間関係が見えてきて、どこもやっぱり人間のすることなんだなと思って、
内心がっかりだった。

実は、当時は、その宗教だけではなく、いろんなことをやり尽くしていた時期だったような気がする。

夫婦で西国三十三箇所巡りを二周して、御朱印を貰い掛け軸を作り

キリスト教(カトリック)の教会でお話を聞いたり

高野山の荒神様まで祈祷に行ったこともあった。

本を読み漁り、今ほど情報も無い中で、娘の病気に関することや、自分の生き方、考え方について、何かを探ろうと必死だった。

地域柄、お写経を身近にできる環境なので、
薬師寺などでお写経を百巻以上書いたり。

それでも、何かを得られて満足したというような記憶もなく、何かいつも物足りなさを感じていた。

そのうち、ネットの精神世界を見ていたら、ふとあるサイトに出会い、そこで目からウロコのような気持ちになった。

何か自分が求めていたものに出会えたような気持ちになったのは、とても不思議だった。

そして、二年弱で、わたしはその宗教団体に行かなくなった。

持っていたグッズや本を処分して、何年か後に脱退させてもらった。

今まで自分が良かれとやってきたことが、果たして本当に良いことだったのか?

目に見えない世界にこだわることは、むしろ良くないのでは?

という強い疑問も湧いてきていた。

そして、その方との出会いが…

その人は、彗星のごとく、目の前に現れたような感じだった。

もちろんお顔も名前も年齢も、知らないのに

グイグイと心の中に入り込んでくるようで、
しかも考え方が一致することも多くて。

しかも、わたしのすべての疑問にできる限り答えてくださるということだった。

心強い味方を得たようで、本当に嬉しかった。

その方は、先ずは家族を救い、次に皆んなを‥と言われた。

でも、わたし自身は、自分のことすら救うことが出来ていなかった。

精神的な不安がいつもあり、イライラも強く、一触即発のようなピリピリとした感じだったと思う。

ギスギスして、素直じゃなくて、いつも肩に力が入っていて、しかも自分ではそのことに気付けていなかった。

家族にもきっと、良くない影響を与えてしまっていただろうなと思う。

そんなわたしが、誰かを救う?

どうひいき目に見ても、現実にあり得ないことだった。

おそらく憑依体質のわたし。

何かに良くないものに魅入られてしまったのではないかと、すごく気になっていた矢先の
その人の出現ではあったのだけれど。
            (つづく)
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奇妙な体験

2017-02-24 16:57:58 | 日記
娘の症状は、思春期に差し掛かる頃から出始め、

ある病名の診断がくだされた時は、高校を卒業する頃だったと思う。

先生方の暖かいご協力の下、娘自身の努力もあり、無事進学し、資格を取り仕事もしていたけれど、

精神症状が邪魔をしてしまい、困っていた。

難病というか、これという治療法も薬も無く…

そんな矢先、娘がファンであったところのある作家さんが、ご自身のホームページでご紹介されていた

あるお寺の霊能師の方を訪れる機会を得、二人で東京に向った。

その時は、遊び半分の気持ちもあり、娘だけが占いをしてもらったような感じだった。

わたしのことは、聞く必要がなかったし。

その後、家族会で知りあった人に、是非とも先祖供養をと誘われ、

少し戸惑いながらも、付いて行ってみると、それはある大本系の宗教団体だった。

一週間考えた末、入信を断ろうと思い、その旨を伝えに行ったのだけれど…

なかなか納得してもらえず、意志に反し、入信することに。

それまでに、再度翌年に、東京のお寺を訪れることになり、そこで相談してみたのだけれど

そこで計らずも、不思議というか、奇妙な体験をした。

その時は、娘のお祓いを勧められ、大枚をはたいてでも、娘が楽になればと、

意を決して例のお寺を訪れたのだった。

余談だけれど、費用は、わたしの持参金と

娘も自分の貯金を使うと言い、二人で旅費と費用を捻出。

主人は、そういうことも、ご先祖様や神さまのことも、一切信じない人なので。

行く事を許してくれただけでも恩の字だった。

祈祷は、1日につき3時間の3日間ということで、

わたしも娘も、大きな数珠を手に持ち、床に座って、3時間ずっと、南無観世音菩薩と唱え続けるように言われた。

一日目は、特に変わったことは無かったが、

2日目の中頃から、わたしには、なにやら目の前の金色の仏像が、光を放ち始めたような気がして、内心驚いた。

3日目には、あたりが金色一色の世界になり、ただただ光の中にいるような気持ちになってしまった。

目の前のお釈迦様の仏像は、観音菩薩、不動明王、弥勒菩薩、虚空蔵菩薩などさまざまな姿が重なり合い、まるで夢を見ているようだった。

祈祷が終わり、その話をすると、霊能師の方は、

「明るくなったり暗くなったりしたでしょう」と言われた。

娘もそれは感じたと言っていた。

そして、それまで娘に霊感があると思っていたのだけれど、その方は、わたしに向かって
「あなたは、人の心が綺麗か汚いかがわかるようになる」と言われたので、すごく意外だった。

そして、ネットで人を助けるだろうと。

前年に伺った時にも、お祓いを勧められたのだが、娘が薬を忘れ、熱を出したので、帰らざるを得なくなったのだったが、

その時、見料を支払っていなかったことを思い出して、帰り際にお寺に行くと、

祈祷師さんは、いきなり喉のあたりを抑えて、苦しそうにされ、「なんで私に!」と叫ばれたので、びっくりした。

そして、翌年の3日間の祈祷の最後には、
「あなた方には凄く強い男性が付いている」と言われた。

その人は、いったい誰なのか?
まったくわからないままだった。

霊能師さんは、「頑張ってください」と、わたしに向かって頭を下げ、手を合わせてくださった。

そして、「二度とこんな所に来なくて良いように」とも言われた。

娘には、すぐに薬を止めて、観音様に般若心経をあげるようにと言われたけれど、

さすがに、薬を止めるのは危険だと思い、
それは実行させなかった。

その時、宗教団体のことは、自由にすれば良いと言われた。

何時でも、辞められるからと。

ともかく、わたしが明るくなることが、1番のポイントのようだった。 (つづく)
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