地理講義   

容量限界のため別ブログ「地理総合」に続く。https://blog.goo.ne.jp/morinoizumi777

13.百瀬川 天井川

2010年11月06日 | 地理講義

水門
大雨の時に、百瀬川に洪水を流し、集落を水害から防ぐ。
扇央の農地で農業用水を必要な時、農業用水路に配水する。
琵琶湖西岸断層帯の酒波断層(さなみだんそう)上にある。
図に向かって、せきを越える水は百瀬川本流に流れ、水門内で左に向かうのは農業用水である。


(2005年)



せき(砂防ダム)
百瀬川の本流・支流に、業界用語ではひらがなで書く[せき] は多数ある。
一般社会では [砂防ダム] という。
[せき]は山地から侵食運搬される砂礫を沢・谷で止め、下部・中部・上部の穴かわ水だけを流す。
図は水門横の [せき]だが、流れ落ちた水も、すぐに伏流して地表にはない。


(2003年)



水無川
百瀬川を流れる水は、扇央の砂礫地では伏流するので、[かれ川]になる。扇端で湧き出る。
扇央の河川敷地分には雑草が生い茂る。
大雨の降らない限り、せき(堰、砂防ダム)を通る水はほとんどない。


(2005年)



遊水池建設の始まり
百瀬川の洪水を貯水池にためておき、生来川へ落差工を使って流す計画である。
しかし、遊水池の建設は二人三人の作業員でのんびり行われている。


(2003年)


7年後の遊水地
もしかしたら、遊水地も落差工も、現政権から不要と断罪されたのかもしれない。
あるいは、ゆっくり工事を進め、長年、業者が一定収入を得られる仕組みかもしれない。
貯まった水は、前日に遊水地に降った雨であり、百瀬川の水ではない。


(2010年)



落差工の工事開始
遊水地の堤防の一部を切り取り、あとは遊水地堤防に鉄骨を組み立て、コンクリートを流す。
重機さえあらば、簡単にできる仕事である。
※ 作業員最終的に何をつくっているのか知らずにいた。


(2004)



落差工本体は完成
百瀬川の遊水地から、生来川へ、洪水を流す落差工本体は完成した。
しかし、遊水地から落差工までの水路はできていない。
2010年現在、落差工は使用できない。


(2007年)



落差工工事
百瀬川遊水地から生来川に水を落とす、落差工の工事はほぼ完成した。
問題は、遊水地の完成が遅れていて、落差工が役に立っていないことである。


(2007年)


河川名の混乱
橋のそばにある「百瀬川」の名前を刻んだ記念碑は間違いあるいはフライングである。
手前の橋のを流れている河川は、改修中の生来川である。
百瀬川は橋の向こうの、トンネルの上の天井川である。


(2004年)



トンネル
百瀬川は天井川である。天井川に橋をかけても、馬車・自動車は通行できない。
天井川の決めては、トンネルでがある。
しかし、トンネルは狭く、自動車の通行は、譲り合いが必要である。





トンネルの真上
天井川だが、水はわずかに流れている。古い雨水が流れているようである。
コンクリート部分に昔、橋があった。
百瀬川の天井川には、扇頂の水門操作によって、ふだんは水が流れない。





天井川の解消
百瀬川の天井川は、北部バイパスの橋脚建設の邪魔になった。
北部バイパスの直前で百瀬川はねじ曲げられ、生来川に合流した。
百瀬川の洪水は、鉄板の急造階段で生来川に流れ落ちる。
この階段を水が落ちるのは、梅雨末期と台風襲来時である。





天井川は今(八反田)
百瀬川の天井川に流れた水は、湖北バイバス付近で生来川に合流する。
湖北バイパスから琵琶湖までの天井川の役割は終わった。
不要となった天井川は埋められて、農道になった。八反田はその農道を利用する出入り口である。






百瀬川河口
琵琶湖の百瀬川河口である。正確には生来川河口なのかもしれない。
百瀬川の天井川部分が完全に解消されると、百瀬川河口でよいかもしれない。
琵琶湖の水位が上がると、生来川(百瀬川)の水が滞留し、河口が広く見える。


最新の画像もっと見る