地理講義   

多少面倒な講義です。

242.伊里前のお地蔵さま 宮城県南三陸町歌津伊里前(いさとまえ)

2017年02月20日 | 地理講義

伊里前のお地蔵様

伊里前のお地蔵様は、2011年3月11日の津波による犠牲者32名を供養する。伊里前を見守る観音様1体もあるから合計33体である。地震と津波により歌津大橋が流された。住民は残った橋脚に向かって供養をしていたが、2013年3月11日にお地蔵様が寄贈されて、大橋の橋脚に代わり、お地蔵様に献花することとなった。お地蔵様は復興商店街(福幸商店街)の一角にあり、伊里前の復興を見守っている。お地蔵様は静岡県の遠藤さんによる木彫である。

宮城県南三陸町伊里前(歌津町伊里前)は漁業の町であった
伊里前の中心を東西に走る国道45号線にはバイパスとなる歌津大橋が海岸線にでき、伊里前は静かな漁業集落であった。また近郷の漁村・農村、通行人を相手とする在郷町でもあった。元禄6年(1693)には宿65軒、長さ2丁の宿場町が作られた。

 

しかし、2011年3月11日の東日本大震災の巨大津波の襲撃により、国道45号線歌津大橋は崩壊、伊里前の集落は壊滅した。国道45号線は、旧来の伊里前の集落中心部を通る道を再利用することになった。

伊里前の集落は、巨大津波により壊滅的打撃を受けた。三嶋神社への直線道路は国道45号線、左は伊里前湾であり、破壊された歌津大橋の橋脚が見える。

 伊里湾口を走り抜ける国道45号線歌津大橋は崩壊、橋桁のみが残った。左山中は三嶋神社。

地形図からもGoogleEarthからも、国道45号線歌津大橋の損壊は読み取ることができる。


2013年5月、復旧工事開始。右は伊里前湾にかかる歌津鉄橋だが、崩落のため撤去。国道45号線は三嶋神社前で急カーブ。道路両側には津波襲来にそなえ、土盛りがなされる。

伊里前には復興商店街ができている。復興のために低地は土盛りされている。毎日のように景観は変わる。現在、国道45号線の直線道路は三嶋神社に遮られ、直角に左折する。ここから農家の庭先を通る。国道45号線最悪の隘路となっている。三嶋神社門前が遠見遮断である。
しかし、三嶋神社を遠見遮断としない考えもある。写真手前は津波で流され、土盛りが進められている。100年前、馬車が荷物運びを始めるようになった時、道路幅は2間3.3mに拡幅された。それ以前は、1間である。三嶋神社の石段幅と同じである。馬車交通が本格化するまでは、市街地の国道、当時の東浜街道は、三嶋神社にまっすぐに上がる道であり、商店街は宿場町でありながらも、三嶋神社の門前町でもあった。左の道は石段下の直角交差点であった。100年前、馬車交通が本格化して道路を2間に拡幅した結果、1間の三嶋神社石段が取り残されて道路とは不連続になったものである。三嶋神社は遠見遮断ではなく、東浜街道の拡幅から取り残されたものである。
なお、馬車道の標準幅は1往復2間(3.6m)だが、現在の1往復(片道1車線の2車線道路)の幅は6mである。これは戦中戦後に道路改良事業により、トラックの通行を円滑にするために拡幅されたものである。

 伊里前湾は津波がなければ、静かな、きれいな海である。

ジャンル:
災害
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