廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

茨城県 日立市 入四間小学校

2016年09月07日 13時15分15秒 | 茨城の廃校
茨城道の駅スタンプラリー 
目指すは道の駅日立お魚センター。
新秋刀魚にメヒカリ、ノドグロを目指してGO。

しかし、思い起こせばこの冬アンキモを大量に買って、
日本酒とのマリアージュを楽しんだのをきっかけに通風発症。
禁酒中の身には秋刀魚と炊きたてご飯が関の山か…。

国道349号から日立市内に抜ける県道55号線沿いにある集落 入四間。
ここに、少女のように優しい顔立ちの二宮がいる入四間小学校跡があるとのこと。

入四間集落は日立鉱山の製錬所から排出される煙害によって大きな被害を受けた地。
足尾銅山をはじめ明治期の富国強兵による鉱山開発とそれに伴う鉱毒や煙害は全国各地にありますが、
ここ入四間には若き指導者「関右馬允」が入四間煙害対策委員長となり、話し合いで解決することになります。
この話は新田次郎の小説『ある町の高い煙突』のモデルにもなっているようです。

また、関右馬允はドイツ製カメラで入四間の農村風景を撮影し続け貴重な写真を残しています。
在野のジャーナリストで社会活動家でもあった関右馬允、
そんな関右馬允が寄贈した優しい顔立ちの二宮像はどんな二宮でしょうか?

明るく開けた学校跡にあるのは二宮の台座のみ。
いたであろう二宮は足首から折れて本人不在。
これもやはり震災のせいと思われますが、本体はどこかに保管されているのでしょうか。
修復して欲しいものです。

二宮の台座以外には学級増の記念碑がありました。
学級増を記念した石碑はあまり見かけませんね。

当時の建物関係はいっさい残っていません。
遊具類も公園になってからのものでしょうが、それでもかなり年期が入っています。
この10年滑り台を滑って遊んだ子供はいなさそうです。

苔むしたベンチも公園にした時に設置されたもののようですが、
古代遺跡のような感じです。

残念ながら美少女二宮には会えませんでしたが、
時代の歴史を感じさせるいい感じの廃校跡でした。


門柱を入ると正面に二宮像の台座がありますが、肝心の二宮は不在









学級増の記念碑は天然の造形を活かしたもの



校庭から一段高くなった場所に遊具類がありましたが、
本来は校舎があった場所のようなので遊具は移築か新たに設置されたもののようです。









校庭は徳にゲートボール場などにはなっていないようです。
歩くと足元からバッタがバサバサと飛び出してきます。



コンクリート製のベンチも古代遺跡化してます



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