四季の森空間

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53年振りの同窓会

2013-10-09 13:56:43 | 同窓会
           2013.02.18


<神原荘での再会>

備中高梁駅で、誰かは判らぬが同窓生が車で待っていてくれる約束であった。
予定の列車に岡山駅で乗り遅れた為に、これも56年振りに再会したいとこが
岡山から「岡山道」を飛ばして高梁駅まで送ってくれた。ちょうど列車の到着
時刻通りの時間に駅に着いて事無きを得た。

果たして53年振りとなると顔が分からない、しかし乗降客は少なく、人待ち
顔の女性に声を掛けるとやはり同窓生だった。迎えてくれた男性は僅かだが面
影があるようなないような状況である。そのうち、”いいちゃん”(僕の中学
時代の愛称は勇を略して”いいちゃん”と呼ばれていたのである)と呼びかけ
てくれて迎えの人達と判明した。しかしまだ名前が判らない。





会場は高梁駅から車で20分ほどの標高400mの山の上にある神原荘(こう
ばらそう)。直ぐ近くには「朝霧温泉ゆ・ら・ら」や「パインツリーゴルフク
ラブ」がある。上の写真は神原荘から「朝霧温泉ゆ・ら・ら」を撮ったもの。




向こうの山並みの右の方に、標高430mの臥牛山が横たわり、その山頂には
松山城が遠く鎌倉時代からでんと構えている。




聞けば、中学校の同窓会は毎年のようにここ何年も開いていたそうで、僕が出
席していないだけの事のようである。勿論久し振りに参加した方もおられるよ
うで、お互いに名前を聞き合う光景が繰り広げられる。僕は直接の呼びかけで
お世話になった菊池(旧姓若原)幸子さんはなんとか判別出来たものの、小川
君、藤村君を除いて誰も識別出来ない。

男性は髪が薄くなったり禿げたり、女性もそれ相応の容貌に変わってしまって
いる。それも53年振りに会ったのでは判らなくても仕方がないだろうと自覚
し、自然に判るまで特段の努力はしなかった。そしてついに翌朝別れる時が来
ても出席者23名中6名程度しか名前も顔も判別出来なかった。53年の相貌
の変化は大変なものである。皆夫々に人生の年輪を重ねたのである。



菊池(若原)さん、小林・小川君




同窓会などの模様し物には、幹事には相当な負荷が掛かるのが通常であり、い
つもその負荷を出席者が負担してあげなければ長続きしないものと思うが、今
回も幹事の湯浅、秋山、柳井、菊池の諸氏には感謝したい。金銭的な事で少し
でも幹事の持ち出し等にならないよう気を付けなかればならない。連絡や調査
等にも何らかの経費が掛かるものである。

同席で貰った名簿によると、平成25年1月調で79名中、出席者23名、不
名者10人、物故者15人であった。特に物故者に木村妙子、藤村哲夫、藤村
白志、藤村秀太郎、笹川恵美子さんは思い出す事の出来る方々であり誠に残念
で堪らない。


会は、菊池さんの「追善供養御和讃(ご詠歌)」や校歌斉唱もあり、和やかに
進んで行った。女性の方のチョコレートのプレゼントや手作りのプレゼントも
あって大層楽しいものとなった。そこは容貌は初老だが、中学時代の青春の世
界そのものになっていた。

小川君、藤村君のカラオケ






宴会の模様







昨日晩には子供の頃に帰ったようにはしゃいでいた者も、今朝は70歳を前
にした老境に差し掛かった人達なのである。時間は容赦なく流れているもの
である。










楽しい再会も束の間、別れは必ずやって来るもので、翌朝には夫々が日常の生
活に、家庭へと車に分乗して去って行く。今朝は特段に寒く、木々は霜に白く
包まれていた。









三木市から車で来たという小林君の車に同乗させて貰って、高梁の町並みを眼
下に見ながらループ状の国道482号線を登って行って、県道72号線を経由
して岡山空港まで送って貰った。高梁から僅かに1時間で到着し、12:20
のJAL1684便には時間が余ってしまうと思われた。

ところが昨日、56年振りで再会した岡山在住のいとこに早く空港に着きそう
な旨電話したところ、空港に10時ころに見送りに来てくれた。昨日の慌ただ
しい再会の続きを、空港内のコーヒーショップで搭乗時まですることが出来た。

本来なら先祖や父母や兄が眠るお墓参りでもして帰るべきだが、このところ法
事等以外では岡山・高梁そして実家のあった野原には帰る事がない。先の兄の
3周忌の法要があったのは4,5年も前の事である。それ以降は帰っていない。
この上空はゴルフやら、海外旅行では毎年素知らぬ顔で通過しているに拘わら
ずだ。なんという事だろう・・・。


岡山で18年、神戸・大阪で13年、そして東京・千葉・埼玉で36年生きて
来たことになるが、この歳になると郷里から帰る時には流石にもうセンチメン
タルになる事はない。父や母が健在な頃は、伯備線に乗っても暫くは見送る母
の姿が去来したものだ。もう帰るところは東京の郊外と言ってよい埼玉の高層
のマンションの一室しかないのだ!

でも、4人の孫が時々は遊びに来てくれるし、今年幼稚園に入る上の娘の二番
目の孫は毎夕のように電話をくれて、パソコンでスカイプに映りたいと言って
愛らしい瞳で見つめて呉れるのである。(スカイプは無料のテレビ電話のよう
なものである)

今回お世話になった湯浅和迪さん、秋山公子さん、柳井喜久子さんそして何よ
り今回の出席の機会を作って下さった菊池幸子さん、本当にお世話になりまし
た。
また、故郷の偉人山田方谷のNHK大河ドラマ放送の署名では多くの方に協力
を頂いた。現在はネットでも署名が可能になっていますので、署名用紙がない
場合はこちらから署名できます。→山田方谷マニアックス(ここをクリック
下さい)
うらびれた高梁が、これによって少しでも活気ある街になるよう願っている。

2013年1月30日に平沼赳夫議員が衆議院代表質問で山田方谷を取り上げた。
平沼議員は岡山3区の議員で養父は第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎である。

 →平沼赳夫議員の山田方谷の説明

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