四季の森空間

四季の草花、ゴルフ、旅行

岐阜市之倉陶祖祭

2014-04-14 17:22:13 | 旅行


早朝3時半頃に自宅を出て、環八、東名、新東名を走って三ヶ日で再度東名に入り豊田JCTで東海環状
に入り、せと品野ICを出たのは八時過ぎであった。

この4月から高速道の割引が変わってしまい、平日はETC割引が殆ど無くなってしまった。平日利
用が主の定年退職組には大打撃である。休日はどこも混むし、料金が全て高いのである。東京~せと
品野間は325kmあるが休日割引だと4,340円(平日は7,750円)である。

帰りは多治見~狭山日高で324km4,610円(平日8,170円)である。走行標準時間は東名が
3時間40分、帰りの中央高速が4時間06分である。これに休憩時間や渋滞時間が加算されるので、
帰着したのは8時半頃になった。

一般道も走るので走行距離は約700kmである。プリウスで経済運転を行うと25km/Lは走る
のでガソリンは28Lで済んだ。運転は好きなので、疲れる事は無いが少々腰が痛くなった。


瀬戸と多治見の中間ぐらいのところに市之倉という焼き物の町があり、春と秋に陶祖祭を開催してい
る。そのメイン会場は「市之倉さかづき美術館」である。そのすぐそばに幸兵衛窯がある。






幸兵衛窯HPには以下の様に説明がある。

幸兵衛窯は、文化初年(1804年)初代加藤幸兵衛により、美濃国市之倉郷
にて開窯され、間もなく江戸城本丸、西御丸へ染付食器を納める御用窯となりました。流麗精緻な染
付の優品を手掛けた二代、中国宣徳染付の研究に没頭した三代、名人気質の四代の後を受けた、五代
幸兵衛(1893~1982)は、青磁、金襴手、染付、赤絵、天目など中国陶磁をはじめ、乾山、
李朝など幅広い技法を駆使した名品の数々を生み出し、幸兵衛窯の礎を築き上げました。

六代加藤卓男(1917~2005)は、長年の研究の末、ペルシア陶器や正倉院三彩の技法を復元
し、ラスター彩、青釉、三彩、ペルシア色絵など伝統と独創の融合した作品を制作しました。これら
の功績により人間国宝に認定されました。

現当主である七代加藤幸兵衛は、独自の現代的な作風をはじめ、桃山陶やペルシア陶器といった幅広
い作風を展開し活躍しています。そして七代幸兵衛の指導のもと、三十余名の熟練職人を擁し、品格
ある和食器の制作を志しております。



ペルシャ風の焼き物が展示されている。






























これらは美濃焼である。























市之倉川に沿って13程の窯がある。

ここは下流の八幡神社で、陶天井がある。







2年前にも来たが、我が家人の目的は豊泉窯の染付の器が目的らしい。





帰りは中央道を走った。甲府を抜けて笹子トンネル手前の釈迦堂PA。

このあたりまだ桃が残っている。






往路で厚木辺りを走っている時に、NHKのラジオ深夜便だと思うのだが、久坂部 羊氏が自然死について興味
深い話をされていた。こちらは四季の森空間の「生きる」に載せているのでそちらを参照ください
→医者の父がめざした”明るい最期  





2年前には一泊で来たので、今回よりも詳しく美濃・瀬戸について載せている。

→ 新東名で行く瀬戸多治見参照 


 → 旅の最初に戻る
 → HPの最初に戻る




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