またまた懐中時計。今日はロンジンです。
国内販売物、山形の蜂屋時計店のケース付き。
「山形 蜂屋時計店」で検索しますと出てきますがそうなのかどうか不明です。
古物競り市場で越後から東北地方を主戦とする買出し屋さんから出たまんまのもの
ですので時計とケースは合わせではないと思われます。
1925年の製造、大正14年になります。
この頃世界ではウォルサムやエルジンのアメリカン懐中時計が全盛の頃でして
日本では服部時計店がウォルサムやこのロンジンの代理店をしていた頃です。
時計屋には縁の深い「御徒町駅」が開業した年であり、山手線が環状営業した年です。
第二次世界大戦中に国民から金の供出があったということで、この時計もグレードから
金無垢であったと思われますが、御多分に漏れず替えケースに交換されております。
その替えケースがなんと国産ケースの「ウォルサム」(笑)
アメリカン12サイズと同じほぼサイズです。
当時の時計屋さんが適当にケースを交換したのかそれとも服部時計店がやったのか。
真実は不明です。
機械式時計には穴石に赤い人造ルビーが使用されている事が普通ですがこれはなぜか
青いサファイアになっています。
スワンネック(微調整緩急針)に19石以上使用されている機械ならいうことは
ないのですが、舶来モノ絶対崇拝時代に国内販売モノとしてはこれでも精一杯
ではないでしょうか。
国内販売物、山形の蜂屋時計店のケース付き。
「山形 蜂屋時計店」で検索しますと出てきますがそうなのかどうか不明です。
古物競り市場で越後から東北地方を主戦とする買出し屋さんから出たまんまのもの
ですので時計とケースは合わせではないと思われます。
1925年の製造、大正14年になります。
この頃世界ではウォルサムやエルジンのアメリカン懐中時計が全盛の頃でして
日本では服部時計店がウォルサムやこのロンジンの代理店をしていた頃です。
時計屋には縁の深い「御徒町駅」が開業した年であり、山手線が環状営業した年です。
第二次世界大戦中に国民から金の供出があったということで、この時計もグレードから
金無垢であったと思われますが、御多分に漏れず替えケースに交換されております。
その替えケースがなんと国産ケースの「ウォルサム」(笑)
アメリカン12サイズと同じほぼサイズです。
当時の時計屋さんが適当にケースを交換したのかそれとも服部時計店がやったのか。
真実は不明です。
機械式時計には穴石に赤い人造ルビーが使用されている事が普通ですがこれはなぜか
青いサファイアになっています。
スワンネック(微調整緩急針)に19石以上使用されている機械ならいうことは
ないのですが、舶来モノ絶対崇拝時代に国内販売モノとしてはこれでも精一杯
ではないでしょうか。
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