球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

アーカイブ(書庫)

2012-06-21 | マジメな話
書庫なんて言葉があるくらいなので、現実の世界にも書庫という場所が存在する。
図書館では、"開架"の対義語。開架は人の目に付く所で自由に本を取れるスペース。
普段皆さんが想像するのは多分こっち。
一方で書庫は保管環境優先でよく空調も効いた、締め切った空間。"書庫"という部屋がある感じ。



今日は(趣味半分で)勉強していることの情報を得るために学会誌を引っ張ってきたいと思い
大学の図書館に行った。卒業して何年も経って改めて大学に戻ってみたら、
大学の資料の豊富さにちょっとびっくり。
一大企業と言われている企業の一開発拠点の図書館より、はるかに多くの情報が眠っていた。
伊達に最高学府なんて言われていなかったのか、などと感心。
というか先日訪問した国立国会図書館にも多分なかった資料達。

もっとも学生なんてやっている間は暇さえ出来れば遊んでいるし、
何かを学ぶ時には学会誌ではなく(入ってすぐある)教科書から学ぶのが当然のこと。
学会誌をまとめた冊子などは入り口から遠い場所にあるわ、使い道が分からないわ、内容もひたすら眠く
何回分かの機関誌を年毎に固めて再製本してある気味の悪い冊子という印象しかなかった。

しかし今になって手に取ってみると、結構宝の山の中にいるような幸せな感覚を持つことが出来る。
自分にとって役に立つ情報なんて一握りで、さらに理解できる情報なんてさらにそのごく一部だけど。
なんだろう、自分の遊び場が急に増えたような嬉しさに近い感覚。
子供が"えー、こんなにおもちゃがあっても持て余しちゃうんだけど"って思いながら
手当たり次第におもちゃに手をつけていく贅沢な感じがあった。



その中で、古い情報が"書庫"に眠っている。85年以前の情報、という印象だったかな。
一応そこにも机はあるんだけど、学生は誰もいない。自分ひとりでうろつく。
バイオハザード2の図書館みたいに、ボタンを押すと棚が横に動いて動いた隙間の棚が見られるようになる
スライド式書架を組み合わせた省スペース構造。
それぞれの書架もギッチギチではなく、あと15年分くらいの情報は優に格納してくれるように思われた。
…色々と面白すぎたので、本来の用が20分で済んだにも関わらず図書館の中を150分うろついた。
夜遅くなってなければもう少しうろついたかも。



記録についての話。
二つ重要なことがある。
 1.昔の記録ってあんまり残ってない。
 2.業界人でも人が手書きでない文書(ワープロとか)を作成できるようになってから30年も経ってない。
活版印刷が日本に伝わったのは16世紀で、一応はそのあたりから人が記録を残しやすく(大量印刷の意)
なった訳だけど、それこそ学会みたいな比較的ローカルな出版物は、昭和60年頃になって
ようやく手書きとワープロ文字が半々くらいになってきた。

思えばワープロの発明によってローカルな文書を残していくことの困難をぐっと引き下げた。
さらに記録媒体の容量の急激な向上もあって、"劣化せず、手軽に自分がしたことを残す"ことが
できるようになったのは本当21世紀以降の話なんだよね。

昭和から平成の境目で何が変わったかと考えたときに、
 一個人が手書きによらない手段で記録を残すことができるようになったということが言えるのだと思う。
20世紀から21世紀の境目で何が変わったかと考えたときに、
 記録を劣化しない形(デジタル)で手軽に残せるようになったということが言えると思う。

もっとも、こと文字に関して言えば2012年現在"記録性"なんて堅苦しい概念より
"いつでもどこでもコミュニケーション"という使い方をもてはやす風潮があるから、
記録の目的を持たない言葉が世の中に溢れているんだけど…

僕はね、何かを書くんなら記録の機能を持った場に記録性があるものを書くってことには
こだわり続けたいとずっと思ってる。


…大学のコピーカードがすごい余った。
コメント
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