日蓮正宗 聞正寺支部

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体験発表(6) 顕正会からの脱会

2018年06月09日 | ブログ
皆さんこんにちは。聞正寺支部のMです。
 私は本年二月に聞正寺にて御授戒を受けさせていただき、約三ヶ月の間、毎日喜びをもって信心をさせていただいております。
 私は新潟県下越の出身で、家の宗派は禅宗でした。
 若い頃から宗教に興味があり、何か信仰をすると幸せになれるのではないかとの思いもありましたが、特に何もしておりませんでした。
 そして、今から二十四・五年前、に職場の同僚から顕正会に誘われました。はじめは、顕正会という名前とその文字を見た時に、胡散臭く気持ちが悪いと思い、ずっと断り続けていました。同僚が何度も声をかけてきたり、幹部を連れて色々な話を聞かされて、「お金がかからない」「会館に行かなくてよい」「家で遙拝勤行すればよい」というので、試しに入会してしまいました。
 それから同僚に誘われ、ほぼ毎日、新潟の会館に連れて行かれました。
 最初の話とは違いましたが、幸せになれるのであればいいかなと思い、一緒に会館に通うようになりました。二・三ヶ月でニセの勤行をおぼえました。先輩達からは、勤行をしないと罰が出ると会うたびに言われ、怖くなって家でもニセの勤行を続けました。
 また、浅井のビデオを見せられ、「ロシアや中国が攻めてくる」「国家破産になる」「大地震が起こる」等と、ほぼ毎回このようなことを聞かされ、大変不安にさせられました。そして、顕正会に勧誘しなければいけないと、先輩達に毎回言われて、他国に攻められ、国家破産し、大地震が起こっては困ると思い、まず母親を顕正会に入会させてしまいました。その後、友人三人を入会させてしまいました。当然、入会させた喜びや功徳など無く、本当に申し訳なく後悔しております。
 半年ぐらいたった時、先輩から勧誘をもっとしなさいというプレッシャーが一層強くなり、嫌気がさして顕正会から逃げるようになりました。
 そのような時に、私を勧誘した同僚が、仕事で左手の指を二本切断するという大けがをしました。すごく頑張っていたのにこのような現証が出たのを見て、顕正会は本当に正しい教えなのかとの疑問と不信感しかありませんでした。そして、私はニセの勤行もさぼるようになり、顕正会の念珠・経本・新聞や本をすべて破棄しました。そして、顕正会の先輩達に顕正会を一切やめるということを伝えました。
 先輩達に、罰が出るぞと脅されましたが、無視して顕正会の関係を一切絶ちました。
 その後、宗教とは縁のない生活をしておりましたが、今から十五年程前に、タクシーの運転手になってから、お客さんに、創価学会や顕正会の人が乗ってきたときに、何度か勧誘されることがありました。しかし、入会するようなことはありませんでした。
 私は、顕正会や創価学会や嫌いでしたが、日蓮大聖人様は、素晴らしい仏様であると思っていましたので、本物の大聖人様の宗教がどこかにあるのだろうと思って、インターネットを見て調べていました。
 そして、総本山大石寺が正当な教えであるということは知っていましたが、実際にお寺に行くことは出来ませんでした。このようなことを思っているうちに、いつしか15年の歳月が過ぎておりました。
 そして、今から一年ほど前から、やはり正しい日蓮大聖人様の仏法を信仰したいと強く思うようになり、インターネットで日蓮正宗のことを勉強するようになりました。
 樋田さんの動画を見るようになり、日蓮正宗の教えが絶対正しいという思いが強くなり、確信に至りました。
 私は現在、新潟市に住んでおり、日蓮正宗のお寺が新潟市内に、正覚寺さんと正安寺さんと聞正寺があるということは知っていましたが、それでも電話をするのをずっとためらっておりました。どこに連絡しようかとずっと考えておりました。
 以前からタクシーでお客さんを乗せて聞正寺の前を何度も通っていたこともあり、思い切って今年の二月に電話をしました。
 はじめ奥様が出られ、私が日蓮正宗についてお話しを聞きたいと伝えると、御住職に変わって頂き、「一度お寺にいらしてください」と言われ、その日のうちに聞正寺にお参りをしました。
 御住職から顕正会の邪義や誤りを教えられ、日蓮正宗が正統で間違いないことを確信いたしまして、そのまま御授戒を受けることができました。
 本当に有り難く心から感謝しております。
 その後、正式な勤行を朝晩させていただいております。また、時間のあるときは、お寺に参詣して、勤行をしております。そして、御講に参詣して御法話を拝聴させていただくと、心が洗われます。
 昔の顕正会の時とは全く違い、日蓮正宗に入信してからは、心からの喜びがあり、安心があります。
 今思うと、顕正会のニセ本尊への勤行は、命がけがれ、欲といかりと愚痴が増す不幸な毎日でありました。
 本当に謗法の害毒とは恐ろしいです。
 また、先月、自宅に御本尊様を御安置していただきました。今この正しい日蓮正宗の正法に巡り会えて本当に幸せであります。
 入信してから、知り合いの顕正会の人達に電話で折伏をしております。私が日蓮正宗に入信したことを伝え、顕正会は間違いである話をすると次からは電話に出なくなります。電話に出られたときはしっかりと破折しております。
 昔の知人で顕正会の隊長をしていた人が、最近脳腫瘍で四十九歳の若さで亡くなられたことを聞きました。本当にかわいそうなことでした。顕正会に騙されている人を一人でも多く折伏して参ります。
 そして、これから母や、友人を折伏して、日蓮正宗に必ず帰依させて参ります。
 御法主上人猊下様は、
「我々の一生の中で何が本当に今生人界の思い出になるかと言うと、多くの人達を救うことなのです。一人でも多くの人達を救っていくことこそが、人間に生を受けて今ここにいる、そして正しい信心をしている我々の、本当の思い出になるのです。人を救うのですから、これ以上のすごい話はないのです」
と御指南されております。
 この御指南のまま、御住職のもと信心の喜びをもって折伏を実践して参ります。
 以上、御静聴ありがとうございました。  

※この体験発表は、2018年5月に発表された体験です。

体験発表(5)

2018年06月09日 | ブログ
みなさん、こんにちは。聞正寺支部のAです。

私は平成二十七年の二月に入信し、御住職・大塚正範御尊師の御指導のもと家族・親族九名・友人三名、職場の上司を入信に導くことができました。

入信したきっかけは、長女が幼稚園に入園した頃からの友人である久代さんから、一枚の日蓮正宗のリーフレットを頂いたことです。
長女の卒園後も、大切な友人である久代さんとは、共通の友人たちと子どもを連れて遊びに出かけたり、二人で下の子どもを連れて未就園児の会に参加していました。

私は当時、悩みを解決するため、知人に紹介された神社の神主が行う霊媒に通っていました。
しかし、ある時その神主の言動に疑問を持ち、久代さんに相談したい気持ちが湧き、会う約束をしました。
その時に初めて、久代さんに神社に通っている話をしました。すると久代さんは、私にリーフレットを手渡し、少し信心の話をしてくれました。それを読んで、内容がすっと心に入ったことを今でもはっきり覚えています。
その二日後、久代さんと寺院に初めて参詣しました。御住職様から信心について話を聞き、最後に

「Aさん、神社に通っていては絶対に幸せにはなれません。幸せになるどころかかえって不幸になります。神社には行ってはいけません」
と、はっきり破折して頂きました。

その時は、何故そのような厳しい事をおっしゃるのか理解が出来ませんでした。
でも、あのリーフレットを読んだ時の心を忘れることができず、何度も久代さんと信心の話をしました。
そして寺院にもその後、久代さんとお寺に二度参詣し、御住職様から、更に丁寧に信心の話をしていただきました。私自身も自分の疑問をぶつけ、少しずつ理解、納得し、一緒に読経して頂いて寺院をあとにしました。
入信する直前に参詣した時は、御授戒を受けようという気持ちになっていましたが、御住職様より
「Aさん、日蓮正宗は謗法(ほうぼう)厳戒(げんかい)ですから、しっかりとけじめをつけて神社参詣をやめてから御授戒を受けてください。」
と御指導頂きましたので、自分の心に整理をつけて改めて参詣しようと決意しました。

そのようななか、私の中で大きな転機が訪れました。
長らく専業主婦でいましたが、外資系の保険会社から声をかけて頂き、
久しぶりに社会復帰をすることになったのです。その最終面接の前日、
どうしても日蓮正宗に入信して、これを機に信心を根本に生きていきたいと強く思い、久代さんに電話をしました。
「この決意に魔が入らないよう、明日の朝に御授戒を受けよう」
と言われ、最終面接が九時だったので、朝
八時に寺院に参詣し晴れて日蓮正宗の信徒となることができました。

その後、無事にその保険会社に入社し、大変ながらも仕事と育児を両立してきました。当時は御本尊様を自宅に御安置できていませんでしたので、時間のある時、車の中などで、ずっと御題目を唱えていました。

御住職様の御指導もあり、入信前から一緒に参詣していた次女が、まず入信しました。昨年の三月の事です。次女を入信させたのだから、

長女、主人も、とは思っていましたが、御授戒はできる時でいいという気持ちも少しありました。
しかし、久代さんから早いほうがいいと言われ心を改め、昨年の五月のゴールデンウィーク二人お寺へ連れていき、二人は御授戒を受けました。

主人と長女の御授戒後、さらに信心を深めたい、もっと知りたいと思い、仕事の都合をつけてお寺に参詣しました。御住職様から折伏することが一番大切であると御指導いただき、積極的に折伏をしたい。と強く思うようになりました。

また、自宅に御本尊様を御安置させていただきたいと願い、八月に入仏式を執り行っていただけました。

そんななか、会社の直属の上司を御報恩御講に誘い、一緒に本年一月の御講に参詣できました
。支部の皆さんにも一緒に折伏して頂きましたが、入信には至りませんでした。思いが伝わらなかったことが残念でしたが、久代さんからは、折伏すると必ず魔が競うこと、破折するとかえって正法に背いてしまう逆縁の方が多く、すぐに入信する事は稀であることを教わり励まされました。

その後、両親にも信心しもらいたくて、母に日蓮正宗に入信したこと、何よりこの信心で救われていること、一緒に寺院参詣してほしいことを伝えました。不思議と母は、反対もせず、寺院参詣も「機会があったらね。」と言ってくれました。

そして二月の御講に娘たちと母を連れて参詣でき、御講のあとに御住職様よりお話をいただいて、母は入信できました。

また同居をしている、九十歳を過ぎた祖母ですが、御住職様から、三世の生命について御指導いただいておりましたので、大好きな祖母の今世と来世の幸せを思い、必ず入信させたいと思いました。祖母に
「おばあちゃん、有り難いお経をいただきにいこうね」と話すと、祖母はすごくうれしそうでした。祖母を車に乗せ、娘たちとお寺に参詣しました。
祖母から、若い時に曹洞宗のお寺に参詣していたと聞いていましたが、御宝前で
「もう南無妙法蓮華経以外は唱えたらいけないからね。この御本尊様だけをお詣りしていたら必ず幸せになれるからね」と言うと、祖母は「解ったよ」とにこやかに答えてくれました。

無事に御授戒を受けると、祖母は目に涙を浮かべて、「こんなにいい日はない、本当にうれしかった。」と言ってくれました。
帰りの車中でも、「今日はいい日だった、本当に有難かった」と何度も言ってくれるのを聞いて、改めて御本尊様のすばらしさ、喜びを感じました。

その後、岡田副講頭、久代さんと一緒に、お寺周辺の学会宅へ、リーフレットを持って訪問折伏もさせていただきました。
初めての体験でした。異体同心が大事と御住職様より繰り返し御指導いただいていましたので、みんなで団結して訪問折伏することが大変有り難く、これからも続けたいと決意しています。

ほかにも、御縁のある方には信心の喜びを伝え、リーフレット等を渡す機会が以前より増えてきた功徳でしょう、
三月度の御報恩御講に、前々からお互いの悩みを話し合っていた主人の母と一緒に参詣でき、義母は入信を決意できました。
御授戒のお経には支部の皆さんが参加してくださり、無事に御授戒を頂いた後には、温かい拍手で義母の入信を祝ってくださいました。

その後、私の姉と姪、二人とも御授戒を受け、春季総登山にも参加出来ました

そのようにしていると、会社の同僚のTさんが、心の病を患って、会社を休職するということを知りました。私は、自分の信心体験から、なんとか元気になってもらいたいと、Tさんをお寺にお誘いしました。

一度誘ってから、少し時間は経ったものの、一緒にお寺に参詣できました。Tさんは信心に対して、少し不安があるようでしたので、その日は勤行だけでも一緒にと思いました。しかし御住職様お共をして読経をしたあと、Tさんの気持ちが変わったようで、入信を決意できました。。

その後、普段あまり連絡をくれないTさんから電話があり、声色が全く違って元気な様子で驚きました。Tさん自身も、「私なんだかすごく元気です。」と話してくれました。

「妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書三六〇頁)
の御金言をTさんの折伏を通して実感しました。

折伏をしていくなか、魔が競ったり、罪障消滅をさせていただいたりということもありました。そのたびに御住職様に御指導いただき、久代さんや支部の方に励ましていただきながら、大きな壁を乗り越える喜びを感じています。
もう、信心がない生活など考えられません。こんなに前を向いて向上していける有り難さをもっと沢山の方にお伝えしたいと思います。

さて、四月十六日・十七日は、聞正寺支部の第一回目の支部総登山でした。お寺で見た写真の総本山大石寺に是非参詣させていただきたいとずっと思っていましたので、まさしく念願の御登山でした。
家族と相談し、四月は私が参加することになりました。

待ち遠しく迎え、初めて参詣した大石寺は素晴らしく、感激しました。
布教講演・丑寅勤行と参加させていただき、翌日の御開扉で初めて本門戒壇の大御本尊様にお目通りさせていただいた際には、感謝で胸がいっぱいになりました。
その後、宝物殿の見学では、日蓮大聖人様の御生涯を知ることができ、その尊い教えが760年以上に渡って正しく受け継がれている事に深く感激しました。
これからは、家族、また支部の皆さんと何度も何度も御登山させていただこうと強く決意しました。

新潟に戻ってすぐ、以前に悩みを聞いて折伏させて頂いた友人のKさんから連絡をもらいました。是非、お寺に参詣したいと言ってくれましたので一緒に参詣し、Kさんは入信できました。まさに御登山の功徳だと思いました。

その後、七月に友人もう一名が御授戒を受け、九月には義兄の折伏が成就しました。
そして、一月に入信に至らなかった上司は、九月十三日に御授戒を受け、これをもって支部の年間折伏誓願目標は達成となりました。十月一日には、そその上司を御登山にお連れできました。

昨入信より、御題目を唱え、お寺院に参詣し、同志の助けを得て、十三人の方を日蓮正宗に導くことができました。御住職の御指導のまま、素直に折伏を実践させていただいた結果であり、私を折伏してくれた久代さんが、常に声をかけて励ましてくれたり、一緒にお寺に参詣し、唱題してくれたお陰です。
二人で、「これから多くの友人を折伏して、一緒に信心をして、みんなで幸せになっていきたいね」
と励ましあっています。


御法主(ごほっす)日如上人猊下(にちにょしょうにんげいか)様(さま)は
「広宣流布の戦いというのは、仏様が私達に託された尊い使命なのです。
その仏様の使命を果たすべく行じて行くところに、本当の喜びがあるのです。そしてまた、そこに本当の生き甲斐があるのであり、そこにこそ本当の幸せがあるのです(中略)つまり自らが題目を唱えるとともに、このすばらしき御本尊様の功徳を他に知らしめるために折伏を行じて下種結縁し、もって広宣流布に挺身していくことこそが、我々の信心にとって一番大切なことなのであります。」
と御指南であります。

信心しなければ得ることのなかった歓喜を与えてくださる御本尊様への御報恩謝徳を忘れず、平成三十三年の御命題達成のため、御法主上人猊下の御指南のまま、御住職様の御指導のもと、支部の皆さんと異体同心し、唱題を根本に折伏に精進してまいります

※この体験は、二〇一六年に発表された体験です。

体験発表 (4)

2018年01月23日 | ブログ
体験発表 聞正寺支部 富樫和枝

私はつい先日まで長いこと親しい友人に、信心の話をすることについてなかなか乗り越えられない壁が
ありました。その悩みをきっかけに学んだことについてお話いたします。
 まず、私のこれまでの信行をふり返ってお話させて下さい。

 石川県から上京してきた二十代の私は、日蓮正宗に入信するまでは常に不安を抱えていて、たまにいいことがあっても、これは長く続かない、また落とし穴が待っているんだと思っていました。当時は一人暮らしでアルバイトをして生活していて、でもなかなか長続きしなくて、いろんな職種を転々としていました。全く将来が見えてこなくて、これからどうやって生きていけばいいのだろうと思いながらも、運が巡ってくるかもしれないし、どうにかなるだろうと流されるがままの日々でした。

 そんな中でアルバイトで知り合った友人から誘われてお寺に行き、折伏を受けました。
 東京都にある日蓮正宗の寺院です。何度か通い話を聞き、信心している人たちの確信に満ちた話に心を動かされたのですが、それでも入信の決心がつかずにいましたが、当時の御住職様の「いろいろ心配しているようだけど大丈夫。一緒に信心していきましょう」のお言葉に「はい」と返して、平成10年の10月10日に入信しました。

 その寺院には信徒さんが大勢いて、御住職よりの直接の御指導をいただける機会はほとんどありませんでしたが、講頭さんが築いてこられた盤石な講中組織があり、私は女子部員として講員の皆さんのお世話になり育成を受けました。その寺院の青年部は男子部と女子部にきっちりと分けられ、さらに住んでいる地域ごとに班分けされていました。世田谷区に住んでいた私は、神奈川県や大田区など、都内を中心に西の方の地域の女子部の方々と一緒の班でした。入信した次の日から、代わる代わる女子部員が私のアパートに来てくれて勤行を教えてくれました。

 班長さんは横浜の方でしたが、根気よく私の家に通ってくれて、事あるごとにいろいろな話をしてくれました。唱題の功徳、御講参詣の大事、御住職のもと開かれる勉強会の楽しさや教学の大事、毎日の勤行を怠ると大変なことになること、折伏の体験、家族が受けてきた功徳、登山の大事も、自身の他県を交えつつみ隠さず話してくれました。特に謗法の恐ろしさについては聞いている私がドキドキしてしまうほどの迫力の話でした。

 そんなこんなで、いつしか私も自然に青年部の活動に参加し、折伏するようになり、アルバイト先の人たちに信心の話をし、お寺にお連れできたりしました。やがてその功徳で登録していた派遣会社から文具の通販関係の職場を紹介してもらい、安定した生活が送れるようになりました。
 
 私はそこでもいろいろな人たちに信心の話をしました。その職場は働く人の入れ替わりが頻繁で、新しい人が来るたびに話しかけて、お昼を一緒に食べたりして信心の話をしていました。不思議なことにそれによってトラブルが起こるなどはなく、私に辛く当たってくる人がいても、しばらくするとその人は異動になったり退職していなくなりました。

信心の話をした人の何人かはお寺にお連れできて、講中の方々に折伏していただきました。

やがて私は講中の先輩の紹介で大白法の編集の仕事を社員としてさせていただけることになり、その職場を退職しました。その頃、ちょうど女子部を卒部しており、大白法の仕事は法華講の人たちばかりの中でいるのもあり、だんだんと下種・折伏ができなくなっていきました。

信心の話をした人の中には、大切に思うかけがえのない友人がおりましたが、話をした後、メールの返事が来なくなり、着信拒否をされて連絡がとれなくなりもう会えなくなる人が何人もいました。そのことが急に辛く感じるようになっていました。

逆縁であるため、素直に聞き入れられないということも、私自身の罪障消滅であることも判っているのですが、楽しい思い出を作り何でも話し合っていたはずの友人が自分の元を去っていくのは耐え難く、きっと強引に話をしたのが悪かったのだ。もっとその人の気持ちを考えて、縁が切れないように気を付けて話せば良かったのだ等後悔しました。

今の主人と結婚し、聞正寺に移籍してからも、そのモヤモヤは続き、その頃に折伏した友人も、御祈念が足りなかったのか、同じように私から離れていきました。

千葉の浦安に住み始めた頃に仲良い友人ができました。週に一度家に来てくれるヤクルトさんで、世間話をしているうちに仲良くなりました。彼女はヤクルトを辞めた後も会ってくれて一緒に食事をしたりしておりましたが、私はなかなか彼女に信心の話ができませんでした。


月に一度新潟へ行き、聞正寺で御住職や講中の皆さんにお会いするたび、申し訳なく思うのですが、どうしても出来てしまった壁は破れませんでした。

浦安では、お世話になっている寺院の信徒さんと、チラシを配ったり訪問折伏をするようになりました。
その時間はドキドキしますが楽しくて、初対面の人とは話ができるのですが、やはり親しい人には緊張して
言葉が出ません。

そして今年、主人が転職をしたため神奈川県に引っ越しました。

25年間勤め、コツコツ積み上げてきたキャリアを捨てて、一から始めた仕事に、毎日悪戦苦闘しながらも
頑張っている主人を見て、私も前に進まなくてはと思いました。それから唱題が以前より真剣になりました。

11月に総本山で奉修される御大会で、代表登山をさせていただきました。1日目の晩に奉修された御法主上人猊下様の御説法では、御影堂で参列させていただくことができました。お練りの行列が御影堂に近づき、御僧侶が入堂されたときから御影堂の中の空気がきりりと引き締まっていくのが判りました。そして、御法主上人猊下が御入堂されると、すべて澄み切っていくような気持ちになりました。こんなに素晴らしい信心をしているのに、それを堂々と人に伝えられないだなんて、私はとんでもないおろか者だなと思いました。

その後、元ヤクルトさんの友人と会えることになり、東京駅地下のエリアで食事をしました。テーブル席に行って落ち着いて話したかったのですが、タイミング悪くカウンター席になってしまい、焦りました。唱題が足りなかったかなと後悔しました。楽しく食事してまた終わりそうかなと思いました。でも、別れ際に立ち話をしているときに、ずっと話したかったと言って信心の話ができました。リーフレットと大白法を渡すと、彼女は、「私も富樫さんが作っている新聞、読みたいと思っていました。」と喜んで受け取ってくれました。

まだまだの段階の折伏ではありますが、これまでのような後ろめたい気持ちは全くなく、心を込めて話ができて嬉しさでいっぱいになりました。

私の石川県にいる家族・親族にも、つい感情的になり進まずにいた折伏ですが、改めて落ち着いて話していこうと思います。

聞正寺では、御講に参詣するのが、以前はしんどく感じることもありましたが、勤行の時の御祈念で、「聞正寺の皆様と僧俗一致異体同心の信心をさせてください」と願ううちに、今は主人とのドライブも楽しく参詣させて頂いています。御住職から親身になった御指導をいつもいただけて、講中和気あいあいとした、参詣すると元気になれる聞正寺で、これからも精一杯精進してまいります。

最後に、御法主上人猊下様は、本年12月の広布唱題会の砌で
「今、末法は謗法が充満し、ために多くの人々が知らず知らずのうちに悪縁に誑かされ、邪義邪宗の害毒によって不幸の境界から脱することができずにおります。こうした人々を救済していくためには、正像過時の如き摂受ではなく、破邪顕正の折伏をもってするのが唯一最善の方途であり、折伏こそが末法の一切衆生救済の最高の慈悲行であります。」

と御指南されております。唱題を根本に、臆することなく、破邪顕正の折伏を実践していくことをお誓いして体験発表を終わります。

体験発表(3)

2017年11月29日 | ブログ
みなさん、こんにちは。聞正寺支部の久代です。

私は入信してから今に至るまで、御本尊様から沢山の功徳を頂戴し、充実した生活を送らせて頂いています。昨年は有り難いことに、次女が総本山での全国少年部大会にて御法主日如上人猊下様の御前で、体験発表をさせて頂くことができました。本当に貴重な経験をさせて頂きました。これは家族全員の喜びであり、この御恩に報いるには折伏しかないと決意しております。
昨年は3名の方を入信に導くことができました。本年は年頭に昨年以上の方を必ず折伏させて頂きたいと御本尊様に固く御誓い致しました。

そのような中、本年は今現在7名の方を入信へ導くことができました。
本日はその折伏体験を発表させて頂きます。


私の娘が幼稚園に入園した時からの友人であるAさんに昨年、信心の話をすることが出来ました。
Aさんのお子さんと娘が年少の頃から同じクラスで、クラス役員を一緒にした縁で少しずつ仲良くなり、また互いに同じくらいの時期にAさんも私も出産をし、上の子の縁だけでなく下の子の御縁もあり、娘が幼稚園を卒園するころには、母親同士の域を超えて、Aさんは私の大切な友人となっていました。
卒園してからも、私は末子が翌年に入園するため、毎週火曜日は午前中、園の未就園児の会に参加し、その後、聞正寺支部の婦人部会に参加させて頂いていました。
ある時、いつものように寺院で唱題をしていると、ふとAさんにも信心のお話をさせていただきたいという思いが湧いてきました。
それと同時に少しの葛藤もありました。とても良い関係を築かせて頂いているAさんに信心の話をしたら、Aさんは私のことをどう思うのだろう。もしかしたら嫌われてしまうのかな、今までのように仲良く出来なくなってしまうのかな。そう思いました。
それでも弱い心は唱題で打ち消して、勇気を出して、Aさんに自分が信心をしていることを伝え、リーフレットを渡そうと心に誓いました。
早速、次の火曜日に一緒に未就園児の会に行こうとAさんを誘いました。
火曜日の朝、少し緊張しながら会の時間までを過ごしていると、Aさんからラインで「今日、会の後相談したいことがあるから一緒にお昼を食べない?」とメッセージが来ました。これは御本尊様のお計らいだと思いました。そして、会の後、Aさんの話を聞いてみると、Aさんは下のお子さんを連れて、とある神社に通いお祓いの様なことをしてもらっていること、そして、そこの神主のお婆さんに子供の躾のことで注意を受け、とても落ち込んでいることを話してくれました。私はまさかAさんから信仰の話を聞くとは思っていなく驚きましたが、落ち着いて神社にはまともな教義など無く、低級な教えでは幸せになれないこと、また、自分が日蓮正宗の信心をしていることを伝え、準備していたリーフレットを渡しました。そして、二日後、寺院に一緒に行く約束をすることが出来ました。
そして、Aさんと私と下の子たちを連れて寺院に参詣し、御住職様にしっかりと破折して頂きました。
その後もAさんとは何度も信心の話をしました。夏の少年部合宿の時には、御山から見る富士山がとても綺麗で、この景色をAさんに見せてあげたいと、ラインで、これが大石寺から見る富士山だよ。とても綺麗だよと写真を送りました。いつか一緒にこの景色が見たい。そう思いました。
Aさんに嫌われてしまうかもしれないと思った私の弱い心は、Aさんに信心の話をするたびに消えてしまいました。話をすればするほど、Aさんにこの信心の素晴らしさを伝えたい。誠心誠意伝えたいと強く思いました。そしてAさんも私の信心の話を聞いてくれ、自分の信仰に対する考えを話してくれました。その後も寺院に一緒に参詣し、御住職様から正法について分かりやすくお話をして頂き、勤行にも参加致しましたが、入信には至りませんでした。

そして、平成二十七年、達成・出陣の年を迎えました。新年の元旦勤行の時に、私は御本尊様に一つの誓いをしました。
それは、今までの自分の境界を、唱題をもってさらに切り開いていくということです。これまでも、寺院における法要や唱題行には率先して参加させて頂いていましたが、自分自身のなかで、本当にこれが今、私が出来る信心の全てなのだろうか、もっと信心に対して努力をしたい。そう思いました。
猊下様の御指南のままに信心をした先にはどんな境界が待っているのか。
それは、御指南のままに努力した人にしか分らない。自分が信心に対する絶対の確信と功徳を得るには自分が努力実践する以外ないと、法要の際に御本尊様から教えていただいたような気がしました。
そして、四月から勤務が忙しくなることを考え、それまではとにかく自分の使える時間を全て唱題に費やそうと心に決めました。
毎日、朝、子どもを学校へ送り出し、だいたいの家事を済ませたらすぐに
末子と寺院に参詣しました。三歳になったばかりの末子のことを思うと、寺院での唱題は今までは一時間でしたが、意を決し、寺院では毎日二時間の唱題行を行い、その後家で出来る時間を見つけて四十分から一時間の唱題をし、合わせて毎日二時間四十分から三時間の唱題をしました。
朝になると、今日は休んで家にいようか…と思う日もありましたが、ここで頑張らなければ、いつ頑張るのか。と自分に言い聞かせ、末子と頑張って参詣させて頂きました。
唱題を続けて一か月半が経った頃、寺院にいると久しぶりにAさんから
連絡がきました。とても真剣な声で、
「今、自分のなかでとても大事なことがあって、どちらの道にいこうか迷っている。そして私も久代さんがお話してくれたように、信じれらるなにかが欲しいんだ。」と話してくれました。
私は、今この時を逃してはいけないと、Aさんの話に耳を傾けた後、
「この日蓮正宗の信心をして歩き出せば、必ず大丈夫。だから明日の朝とにかく御授戒を受けさせて頂こう」と話しました。Aさんは自身の仕事が朝の九時からでしたが、二人で八時に寺院で待ち合わせをし、無事に御授戒を受けることが出来ました。
この時、他県にいる、いつも励ましあっている講員さんにすぐ連絡をし、一緒に御祈念をしてほしい旨を伝えると皆さん快諾してくれ、唱題で応援をしてくれました。それが私には本当に心強かったです。

そして、後日、Aさんの下のお子さんも御授戒を受ける事が出来ました。
末子も、大好きなお友達に、一緒に南無妙法蓮華経しよう。と伝える事が出来ました。小さな子ども大切なお友達に伝える小さな可愛らしい折伏は、本当に心温まることでした。
末子も毎日私と寺院に参詣していましたので、御本尊様から一言でもお友達に伝えられる功徳を頂けた、そのように思いました。

三月になり、毎月卒塔婆は建立しておりますが、特に春季彼岸会の際には、私と主人と子供たち全員で先祖代々の卒塔婆を建立させて頂きました。その後三月二十三日、母と私と子供たちと、未入信の義理の母の家を訪ねました。今まで何度か折伏をさせて頂いていましたが、義母は信心に興味はないとのことで、入信には至っていませんでした。しかし、この日は不思議と信心の話がスムーズに進み、義母も素直に喜んで聞いてくれ、そのまま寺院へと参詣し入信することが出来ました。今まで私がずっと気になっていた神棚を外し謗法払いすることが出来ました。
本当に有難かったです。御住職様より常日頃から折伏・唱題同様、先祖供養・卒塔婆建立の大切さも御指導頂いておりましたが、御彼岸に家族全員で先祖の卒塔婆供養をさせて頂いた功徳でしょうか、有り難くも義母の心に思いが通じたのだと思います。御本尊様に心から感謝申し上げました。

その後も唱題を続け、御縁の方への折伏を続けさせて頂きました。
そして四月になり、今度は母の折伏のお手伝いをさせて頂きました。
Bさんという、二十代のとても素敵な女性です。この方は、母が訪問折伏で出会い、何度か信心の話をして連絡先を交換した方でした。
市外へお引越しをされたのですが、久しぶりに新潟市に来るということで、母は、Bさんと会う約束をしていました。そして、寺院にお連れできるようであれば電話をするから、と母と約束をしました。
自宅で待っていると母から電話が来ました。私はすぐに車で待ち合わせ場所の喫茶店へ向かいました。喫茶店でBさんと母と私と、信心の話をしました。そして、母が良かったら今から寺院に行ってみない?と切り出しました。Bさんは、この後人と会う約束があるから、四時までにまたここに戻ってこれれば、と言ってくれましたので、早速寺院に向かいました。車の中でも楽しく信心の話をし、寺院では御住職様からも日蓮正宗の信仰について大変分かりやすくお話をして頂きました。その後、母が熱心にBさんにお話をしている姿を見て、私は今自分が出来ることは何か。と考えました。とにかく今日、Bさんが入信できるよう、母の話に耳を傾け心の中で御題目を唱えていました。そして四時に戻るにはここで入信を勧めないと間に合わないと、とにかく今日、御授戒を受けて信心を始めてみませんかと声を掛けました。母も、私も、一緒にやりましょう。と伝えました。するとBさんは、そうですよね、やってみなくちゃ分からないですよね。と決意され無事に御授戒を受けることが出来ました。

母と異体同心で折伏をし、それぞれがこの折伏の為に自分がなすべき行動ができたことがとても有り難く、これからも家族一体となって折伏を続けていきたいと強く感じました。

その後、五月二日・三日と支部総登山に参加しました。
御山の坊で過ごしていると、Aさんからラインが届きました。ゴールデンウィーク中にAさんの長女とさらにご主人も御授戒を受けさせたい。とのことでした。早速、御住職様に御指導を頂き六日に御授戒を受けることになりました。私は嬉しかった反面、魔が入らなければいいなと思い
絶対に二人を入信させてあげたいと、

御開扉の際には、本門戒壇の大御本尊様に御報恩申し上げるとともに、二人が無事に入信できるよう御祈念させて頂きました。そして下山してからも、四日・五日・六日と御授戒の日まで、暇を見つけてはとにかく唱題をしました。
六日当日、Aさんは御主人と上のお子さんと家族全員で聞正寺に参詣され、無事に御授戒を受けることが出来ました。
私の娘と仲良しだったAさんの上のお子さんが、並んで読経する姿は親として何にも代え難い感激でした。そして、これからも、信心で努力する姿を子供たちに見せていきたい。そう決意しました。
こうして、Aさんは一家そろって信心が出来るようになりました。
先日もAさんと二人で信心の話をしました。少し前の、入信するときのことを振り返り、入信することが出来て本当に良かったね。と喜び合いました。あの時真剣に悩んだAさんは、信心で乗り越え、今笑顔で頑張っています。嫌われるかもしれない、それでもし折伏することを諦めていたらAさんを救うことは出来なかった、そして弱い自分を打ち破って真の勇気を頂ける唱題をこれからも続けてまいります。

そして、最後はモンゴルから来たCさんです。
Cさんは私の友人の御縁で来日しました。不思議な御縁で、私たち家族と出会う前にドライブで大石寺まで行ったことがあったそうです。
母は遠い異国の地から来たCさんに、なんとか信心の素晴らしさを伝えたいと友人とCさんを自宅に招き、私たち家族と父と母と、皆で食事をしました。その時にCさんに御本尊様に御目通りしてもらい、南無妙法蓮華経と唱える素晴らしさ、信心の素晴らしさを伝えました。
御住職様に御報告すると、Cさんが御本尊様に御目通りすることが出来たことは大変素晴らしいことです。これからもCさんが入信できるよう折伏を続けて下さいと御指導下さいました。
私は、はっとしました。自宅に御本尊様が御安置され、毎日御題目を唱えさせて頂ける私にとってそれは当り前のことでしたが、御住職様の仰るとおり、御本尊様に御目通り出来る事はとても有り難く、尊いことであると改めて気付かせて頂きました。私自身もCさんの折伏を通して、もちろん出来るだけ長い時間唱題させて頂けることが一番ですが、たとえ短い時間しか参詣できなくても、時を逃さず、尊さを感じ、御本尊様に御目通りさせて頂くことの大切さを、他の講員さんにもお伝えしていこうと思いました。

その後、Cさんは車で事故を起こしてしまい、なかなか会えませんでしたが、一ヶ月後、お会いすることができ、先日の事故のように、この先何があるか分からない。しかし、この信心していくと必ず御本尊様からの御加護があることを強くお話ししましたところ、お寺に行くことを約束してくれました。その後、
改めてCさんと母と子供たちと寺院に参詣し、Cさんは
無事に御授戒を受けることができました。遠いモンゴルから来日し、
日蓮正宗の信心に出会えた素晴らしさに私は感激しました。
そして、初めて唱えるとは思えないほど上手に御題目を唱えるCさんの姿を見て、本当に素晴らしく、感動致しました。御本尊様に心から御報恩申し上げさせて頂きました。

また、Cさんが入信した御縁で、新しい出会いもありました。モンゴルから来日している方がいらっしゃって、母とまた折伏をしています。
必ず入信に導けるよう、さらに精進してまいります。

御法主日如上人猊下様は、
「折伏すると、様々な問題にぶつかるでしょう。おとなしく自分の殻に閉じ篭もって信心をしていたら、何も起こりません。でも実際に折伏に打って出ると、色々な魔が起きてきます。しかし、先ほども言ったとおり、魔は仏には勝てないのでありますから、必ず魔を打ち破ることができるのです。しかも、その度ごとに私達は信心の功徳を積んでいけるのです。」
と仰せです。
入信したころは、私に折伏など出来るのだろうか。と思っていました。
けれど、御法主上人猊下様の御指南のままに、御住職様の御指導に素直に従っていくならば、必ず折伏できる境界になっていけると確信しております。
私の周りの御縁の方には、まだまだ信心の喜びを伝えたい、折伏したい方がたくさん居ます。
これからも唱題を根本に、異体同心で折伏行にまい進し、平成三十三年の御命題達成、本年度の折伏誓願目標の早期完遂のため力のかぎり精進してまいります。

以上、御静聴まことにありがとうございました。

この体験は平成二十七年地方部総会にて発表された体験です。


体験発表(2)

2017年11月29日 | ブログ
皆さんこんばんは。聞正寺支部の久代です。
本日は、友人のA子さんを折伏させて頂いた事をお話しさせて頂きます。
私は現在、3人の子供、主人と暮らしております。
私が入信したのは約12年前でした。入信したと言っても当時まだ入信したての母に勧められるがまま一緒に寺院に参詣し、とにかく信心しようと、母に言われるがままの入信でした。
 入信するまでの私は、今世間で良く言われる(宗教アレルギー)と言われるような状態で、宗教・信心の根本も知らず、特定の信仰することを嫌う割には、自分の欲にまかせた願い事の為に、御利益があると言われれば神社でも地蔵でも何でも簡単に手を合わせるのが当然の日々でした。
 実は私が小さい頃は母が立正佼成会の活動に大変熱心で、その影響で私も自分の意志では無かったのですが佼成会の鼓笛隊などの子供の活動はもちろん、団参と言われる集団で東京に行く行事にも参加していたのです。近所の子は誰もそんな事をしていないのに何で私はこんなことしなくてはいけないのか、行きたくない、やりたくない。と思いながらも熱心に佼成会の活動をする母を押し切ることも出来ず、こういう宗教的な事は自分が大人になったら絶対にやらない。と心に誓いながら活動していました。
 もちろん立正佼成会の活動をして家族が幸せになるわけはなく、家庭は駄目なるだけ駄目になり母共々立正佼成会から離れることが出来たのです。
 やっと嫌な宗教活動から離れられる。そう思ったのもつかの間、幸せになるには宗教が必要だと考えていた母は、知人から真光、顕正会と勧められ、その度に私は母に連れられいろいろな所へ行きました。もちろん何の功徳も無い邪宗に私たち親子は救われるはずは無く、私の宗教アレルギーはますます酷くなるのでした。
 そんないきさつもあり、日蓮正宗に入信したのも母に付き合って仕方なくだったのですが、次第に今までとは違う母の姿勢に、日蓮正宗の信心は今までのものとは違いそうだな。と感じ、不思議なことに私は今までのような嫌悪感もなく寺院に参詣するようになりました。
 その後はもちろん御本尊様から今まで全く感じたことのなかった功徳を頂き、
日蓮正宗に対する信心に確信を持てるようになりました。
 しかし寺院に参詣し御登山までさせていただきながらも、肝心の折伏となると私は全く駄目でした。自分で勝手に、勉強不足の私が話したところできっと理解されない、それに以前の私のように信仰と聞いただけで耳を塞ぐ人だって沢山いるだろうと思い込み、自分に自信が無く人に嫌われるのが怖かった私は、頑張って折伏してみようかなと思う心が湧いても、相手の人が私より優れている所を見つけては、きっと私が話しても説得力が無いだろうな。と、話す前から諦めてしまっていました。
 そんな気持ちを抱えながらも寺院に参詣しお塔婆を立ててご供養をし、年に1、2度御登山させて頂いていると一人の友人にある思いを持つようになりました。
 その友人というのはA子さんでした。幼い頃からの付き合いではありましたが、信心の話は全くしたことはなく私の家へ何度も来た事はありますが、御本尊様の事も一度も触れたことがありませんでした。
彼女は社会人としてバリバリと働く生活。キラキラした目でいつも私に自分の人生観を話してくれて私もその話を聞きながら彼女が自分の目指すべく目標に達することを本当に願っていました。
 でもある日、彼女に日蓮正宗の信心をして欲しい。毎月寺院に参詣して御先祖様のお塔婆を立てて欲しいと願う自分がいることに気付きました。
 私がお寺に参詣し、御住職様のお話を聞いて行く中で感じていた事は私は今まで自分がやがて年老いて、また来世に行くこと。自分の命は父、母、祖母、祖父、そしてそのまたご先祖様と幾つもの命が繋がってきた結果であること、そして又自分も子供へと命を繋げて行くんだという事を今まで考えたこともなく生きていた。自分の夢、自分の将来…信心しなければ本当にご先祖様に報恩感謝の気持ちが全く無かった自分だっただろうなという事でした。
だからA子さんにも信心をしてそういう気持ちを感じて欲しかったのです。
 そう思い始めてから私は、まず母に何となく自分の気持ちを話しました。
母も私の気持ちに共感してくれて、時を見てA子さんに信心の話をしよう、あなたが切り出す勇気がないのならまず最初は私が話してあげるからと、ちょうどA子さんが母の家を訪ねた際に信心の話を切り出してくれました。
 それから私のほうから、信心することは本当に大切なんだよ。という話をしてみました。しかしA子さんから返って来た返事は、キリスト教の人が何かあると教会を訪れて心の原点に帰れたようなホッとしたような気持になるようなものが宗教なんじゃないの?それなら私は信仰に見出さなくても自分が仕事から離れてまた別のグループの仲間たちに会えば、ホッとしてまた頑張れるから。と言われてしまいました。それは違うよ。とその時は言い合いになったら悪い、きちんと彼女を納得できる言葉を考えようと、簡単に説明した程度で話をやめました。私はその晩、その日の話を振り返って考えてみました。伝わらなかった事が悔しい反面、この末法の時代に育って来た私達にとっては彼女のような気持ちを持っていても仕方のない事なのかなとも思いました。様々な新興宗教が事件を起こしそれがニュースに流れ、特定の信仰をするのが悪いことと思い、クリスマスが何か知らずに盛り上がり、年末年始には神社に集まるのが当然のようにマスコミが報道する。そして他宗教であれば自分の家のお墓参りはお盆の時だけ。また謗法の寺や他宗教ほどテレビに露出したり可愛いお土産を作り、入り込み易いようにしている。
それが当たり前と思って世の中から育てられてきた私達。本当に恐ろしいと痛感しました。
 そして問題の根が深いと感じた私は聞正寺の前ご住職のもとへ彼女を連れて行きお話を伺おうと決心したのです。
そしてA子さんに母と二人で寺院に行ってみようと話し3人で寺院へ行き、御住職様より何故信心をしなければ行けないのか?そして日蓮正宗でなければいけないのはどうしてなのか?ということをお話しして頂きました。
彼女は御住職様の話を聞いたうえで、自分は歴史上の偉人の凄さを学んだり、尊敬する著名人の著書を読んだりして生き方を学んでいる、それでこういう人の様にのようになりたいというように考えて努力すればいいだけの事だけではないのか?と話し、その日はそのまま寺院をあとにしました。 その後も何とか彼女に信心して欲しいと御祈念しながら唱題を重ねる日々は続きました。どうしたら彼女に私の話しが伝わるか、聞かない彼女が悪いのではない、私の話しなら信じてみよう。そう思ってもらえる自分になろう、彼女ではなくまず自分自身が信心にもっと真剣にならなければいけないんだ。そう思うようになりました。仏法は道理であるというお言葉や因果という言葉をもう一度胸に刻み、寺院に参詣し読経唱題はもちろんだが、生活、子育てにおいても道理、因果をもっときちんと考えていこうと強く誓いました。初めて折伏をした私にとって、人を折伏しているはずなのに、相手を想ううちに自分に対する気持ちが変わって行く事、自分の生き方を考えているはずなのに日蓮正宗の教えが思い浮かんで来る事は本当に信心の正しさを確信させて頂ける出来事でした。信心即生活、自行化他という言葉が心に染みていくのが分かりました。
それから何回か彼女に信心の話しをしました。情けない話、信心に対する学びが足りない私は、自分の素直な気持ちを心を込めて話しをさせて頂きます。と御本尊様にお誓いし、彼女に、私達の命は何人何百人と続くご先祖様が一生懸命生きたお陰で成り立っている。そしてまた私達はご先祖様同様この命を繋げて行かなければならない。自分の人生、自分の夢だけをと言いたいのは分かる。でも正しい日蓮正宗の信心で先祖供養していこうよ。と切り出しました。私の気持ちが伝わったのか昨年末、ついにご授戒を受ける事が出来たのです。
御授戒を受けてホッとした私に講頭さんは、まだ終わっていないよ、御本尊下付まで頑張らないとね。と声をかけて下さいました。正直、御授戒までで精一杯だったのにこれ以上私に出来るだろうかと不安でした。その後も彼女とは会うものの、それ以上進展しない日々が続きました。
ところがある日、私の家に彼女が来た時、母もたまたま居ましたので3人で話す機会がありました。その日は今までとは違いました。これまで私達は何故信心が大切なのかを一生懸命話して来ました。しかしその日は母が壮絶な自分の人生を何気ない話しから話し初め、その後私達二人で自分の努力には限界がある。成りたい自分になろうと努力しても前世からの因果や間違えた信心で努力してもどうにもならないことがある。だから日蓮正宗の信心をしていかなければいけないんだ。と強く話しました。
彼女も納得してくれ、また寺院に参詣する事が出来ました。そして聞正寺の御住職様から沢山お話をして頂き、御本尊下付をする事が出来ました。
この折伏で沢山私は学ぶ事がありました。何故折伏をしなければいけないのか、頭で理解するのではなく体で感じることが出来ました。
 そして人の顔色ばかりを伺い自信が無かった私でも、唱題で強い人間に変われる、諦めずに思い祈り続けていれば御本尊様のお力によって必ず願いを叶えて下さる事も確信しました。この思いこそ折伏の功徳だったと思います。また御本尊様はその思いと共に、新しい下種先として今まで知らなかった私の身近にいる学会員の家庭を教えて下さいました。そこでまず時を見て二人の学会員の方に、私は日蓮正宗の信徒です。是非一緒に大石寺に登山出来る日が来るのを願っています。と伝えました。
また、学会員の方ではありませんが、前から信心の話をしたいと思っていた方を寺院にお連れしご住職様にお話をして頂きました。これからも下種、折伏をしていきたいです。
私はまだまだ未熟者です。未熟であるがこそもっと御住職様からお話しを聞き、もっと学び、そして心から相手に幸せになってもらいたいと願い折伏に邁進していこうと思います。
最後にこれからも法華講員として恥じない生活を送り新たに賜ったご命題に向けて全力で精進する事をここで皆様にもお誓いし、私の体験発表とさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

この体験発表は、平成21年の広布推進会で発表された体験です。

体験発表(1)

2017年11月11日 | ブログ
「支部講員の体験発表」
皆さんこんばんは。聞正寺支部の岡田です。
本日は私の入信してからの折伏の体験についてお話させて頂きます。
 私は入信してはや十五年目に入りました。入信するまでは、母の勧めで立正佼成会の活動をしていました。結婚後、家庭の悩みがあり、何とか家族の心を一つにしたいと毎日のように佼成会に通う生活を十数年続けていましたが、自分の悩みは減るどころか増えていくばかり、そればかりか努力しても何も報われない状況に苛立ち、
「何でこんなに私が一生懸命なのに誰も変わってくれないのか?」
と円満になりたいと思っていた家族や周りの人を愛するどころか恨んでしまうような気持ちになる事が多くなっていくのでした。
立正佼成会の活動をしても不幸になるばかりの人は私だけではありませんでした。なんで幸せになるために信心活動をしているのに、我が家をはじめ周りも病気や家庭不和など不幸になる人ばかりなのだろうと佼成会に対して不信な心が起き、自分から辞める事を決意し、佼成会の本尊を返すことが出来ました。
 日蓮正宗に入信直後、立正佼成会は一家離散の教えという話を聞き、
自分の体験と重ねて鳥肌の立つほど恐ろしい思いだったのを覚えています。
 その後、やはり何か信心をして自分を向上し、高めたいと思っていた私は顕正会、真光と勧められるがまま縁してみましたが、私の求めていた信心とは全く違い、納得がいかず辞めることが出来ました。
 その後すぐに職場で徳島から来ていた法華講員のAさんに出会いました。毎日毎日、熱心に信心の話をしてくれました。そして話の内容も良く分からないまま、あまりの熱心さに心打たれ、
「お寺に一緒に連れて行って下さい。」
と、お願いし、私の日蓮正宗の信徒としての人生が始まりました。
Aさんが、
 「幸せになるには日蓮正宗の南無妙法蓮華経しかないんだよ。正しい信心は一つしかないの。」
と、毎日のように話してくれていたので、大御本尊様にお会い出来るのが待ち遠しかった反面、今まで縁あっていろいろな信心をしても、納得のいかない事ばかりだった私は、正直言って不安でした。
 しかし、その不安はすぐに消えました。お寺の御本尊様にお目通りし、ご住職様のお話を聞き、勤行唱題を毎日続けていくうちに私の心は歓喜に包まれていきました。
 過去を振り返れば、若い頃は両親に不満だらけで考えずに言いたい事を言ったり、やりたい事をやったり、めちゃくちゃな人生を送ってきました。結婚してからも家族となかなか上手くいかず、心の中はいつも不満ばかりでどんな時でも相手のせいにしていました。しかし、お寺でいろいろな話を聞かせて頂く中でこの世には、目に見えない「因果」という法則があるということを教えて頂きました。「まいた種しか実はならない」、その言葉を聞いた瞬間とてつもないショックを受けたのです。
 今までの自分は信心をしているとは言っても、両親をはじめ主人や祖父祖母や周りの人たちのせいにし、相手の心や思いを考えることなんて、みじんもありませんでした。前世はもちろん、今まで60年あまり生きてきていろいろな悪業を知らず知らずに積んで相手のせいにしてきた私が心から幸せになりたいと思っても因果の法則がある以上、幸せになるわけがないということを気づかせて頂きました。それと同時に家族や親に対してとても申し訳ないという気持ちが湧いてきました。
 この気持ちを全て聞正寺前ご住職様に話し御指導頂きました。「幸せになるためには、罪障消滅と宿業転換しかない、一生懸命、勤行唱題し折伏活動するしかありません。」
という言葉を頂き、
自分を向上させ、高めたいと信心を始めたのだから折伏するしかありません。それはそれは無我夢中で折伏活動を始めました。幸い知人が多かったので下種や折伏も順調に出来ると喜んでいたのも束の間、しばらくして私を通さず御本尊様を直接お寺に返しに行った人がいたりし、なかなか上手くいきませんでした。何故か考えてみれば長年してきた、佼成会の信心や押しつけの信心のやり方が抜けきらず相手の心など考えずに無理に折伏をしてきた結果だと気づかせて頂きました。そして折伏に大切なのは
「開示悟入」が大切であると思います。まず相手の心を開かせ、御本尊様の尊い功徳を示して、ゆっくりゆっくりと進めて行こうと、気の短い私の性格に反する方法で活動しようと決心しました。その為朝夕の勤行はもちろん唱題に唱題を重ねて御本尊様に縁ある方に巡り合わせてくださいと強くご祈念を続けていきました。
 そんなある日、Bさんに縁させて頂く事ができたのです。
Bさんは、私が日蓮正宗に入信する前からの知り合いで、
私がお店をやめて十四年近く経ったのですが私の家の近くで働いていたのです。お互いにびっくりしました。御本尊様が縁してくださった様な気がしました。
このBさんを折伏しようと決心しました。まず信心の話をさせて頂こうと食事に誘いました。御本尊様に少しでも信心の話が出来ますようにとご祈念して出かけました。懐かしいお話をしていると、突然最近結婚したが上手くいっていないという話をBさんがしてきたのです。そこでチャンスと思い信心の話を切り出しました。何か信心していますか?興味はありますか?と聞いたところ、そういう縁は全くないということで、逆にBさんの方から信心について質問してきたので、私は力強く信心しています。日蓮正宗の南無妙法蓮華経と唱えて行けば、どんな困った問題でも必ず解決させて頂けますよと話をさせていただきました。
その後、Bさんと寺院に参詣する事が出来て、前ご住職様から日蓮正宗の話をして頂き、無事に御本尊下付させて頂く事が出来ました。御住職に御恩返しする事ができて、感謝でいっぱいでした。今度こそ慌てず、押し付けずしっかり育成していくことを心に誓いました。
それから間もなく平成二十一年の六月、聞正寺に二代目のご住職様と御縁させて頂く事が出来ました。ご住職様の御指導のまま、講が一体となり唱題を重ね折伏活動を展開しているところ、四、五人続けて折伏することができ、昨年の誓願達成まであと一人、というところまできました。私も何とか支部の目標を達成したいという思いで唱題をしていたところ、突然親戚のCさんの名前が浮かんできたのです。若夫婦と二世帯で住んでいますが十年以上前から夫婦とも頭の病気で思うようにいかない生活をしていました。そして同居の一人息子が半年前に急に
自らの命を五十一歳という若さで断ってしまったのです。私はなんとか下種をしたいと朝も夜も一生懸命に唱題をしました。そしてご住職様にお話しをして、早速、御住職様と講頭さんと三人でCさんの家を訪れました。
中に入ってお話をしていると、隣の狭い部屋に神棚がおいてある事に気付きました。高齢な夫婦なので一日も早く日蓮正宗に縁してほしい、その為には一日も早く謗法払いをしなくてはいけないと御住職様からお話して頂いたのですが、その時は、返事をしてくれませんでしたので後日一人で訪ねて再度説得したところ了承してくれたので講頭御夫婦と謗法払いに行きました。異様な寒気と動機の中、講頭さんと黙々と袋に謗法物を詰めていき、もうすぐ全ての謗法物を詰め終わるというその時、
やっぱり神棚などを外すのはやめて欲しいと家族総出で凄い剣幕で言いに来たのです。
仕方が無いのでその日は、日蓮正宗の南無妙法蓮華経を唱えない限り
絶対に幸せになれないですよと話し、悔しい思いで袋に詰めた謗法物をそのままにCさんの家を後にしました。私が小さいときから一番お世話になったので、この信心に縁してもらう事が一番の恩返しと喜んでいたのも束の間、残念で仕方ありませんでした。
年末、あと一人で目標達成というのにCさんに御本尊下付してもらう事が出来ず、肩を落としていましたが、次の日の二十九日、お昼頃、講頭さんから連絡があり、Cさんの家から帰宅したのち、講頭さんが以前から下種していたDさんに話したところ、すんなりと入信し御本尊下付ができ、誓願目標を達成できたことを知りました。御住職様と講中皆で喜び合い、また唱題の大切さや講中一体となれば折伏成就できる事を確信いたしました。
今年に入り、昨年の達成した時の喜びを胸に、また喜びだけでなくCさん宅から帰る時のあの悔しい、やるせない思いを忘れることなく折伏活動をスタートしました。そして先日、
十年以上、折伏してきた、Eさんを入信に導くことが出来ました。
Eさんは、信心の話をしても、私はとにかく忙しいからと言って、毎回お寺に行くことを断わり続けていましたが、何とかお寺にお連れする事ができ、入信に至りました。
私の胸にあったのは、御本尊様を信じる気持ち、猊下様の御指南、そして御住職様の指導を信じる気持ちでした。
御法主上人猊下様は、
「妙法広布に生き、世のため、人のために尽くすという事はまことに大事なことで、これこそ最も価値ある一生であります。」と御指南されております。
これからも、御本尊様を信じ切って行けば願いは必ず叶う、そしてどんなに辛い冬も必ず春となる事を信じて、更に折伏にまい進してまいります。
最後になりますが、体験発表のお話を頂いた後、4カ月前から下種していたFさんをお寺に連れていくことができ、御住職様にお話をして頂いて、そのまま入信することが出来ました。これもこの推進会のお陰でとても有り難く思っております。
本年また、もう一人折伏させて頂く事をお誓いして、私の体験発表とさせて頂きます。

この体験発表は平成二十二年、広布推進会にて発表された内容です。


日蓮正宗の信仰-七百五十年の伝統を受け継ぐ-

2015年01月29日 | ブログ
日蓮正宗の信仰-七百五十年の伝統を受け継ぐ-

不安な社会を生き抜くために
現在、私たちは世界的な経済危機をはじめとする
様々な苦難に見舞われ、行き先の見えない社会生活を余儀なくされています。
そのほか、仕事や人間関係によるストレス、病気、老後の問題など、不安な要素は数限りなくあります。
こうした不安な社会を生き抜くために私たちは、何を心の支えとしていけばよいのでしょう。
日蓮大聖人はすべての人々を救うために、南無妙法蓮華経の教えを打ち立てられました。
あなたも仏様の真実の言葉に耳を傾けてみませんか。

日蓮大聖人の教え・信仰の功徳
日蓮大聖人は、信仰をたもつ信徒に、「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」(御書八三二)と教えられています。
これは、どんなに苦しい状況にあっても、妙法を信じていくならば、必ず幸せになれると励まされたお言葉です。
日蓮大聖人の教えを素直に信じ、妙法の信仰をたもつことにより、
①御本尊に祈念する願いや希望が必ず叶えられる  
②生命が浄化され、物事を正しく判断できる智慧をさずかり、悩みや苦しみに打ち勝つ心を持つことができる。
③自分だけでなく、周りの人々をも真の幸せに導くことができる。
④父母を救い、先祖代々の人々を成仏させ子孫に幸せをもたらす福徳を備えることができる。
など、さまざまな功徳を得ることができるのです。
実際に多くの人々が日蓮大聖人の教えを信仰・実践して、もろもろの苦難を克服し、乾季と感謝に満ちた日々を過ごしています。
この限りある人生、かけがえのない尊い一生を、誰もが悔いなく幸せに送りたいと願っています。
さあ、あなたも日蓮正宗の寺院へ足を運び、幸せの一歩を踏み出しましょう。私たちはいつでもあなたを待っています。


日蓮正宗総本山大石寺
七百五十年の歴史をもつ日蓮正宗の総本山大石寺は、正応3(1290)年10月、宗祖日蓮大聖人により法脈を受けられた第二祖日興上人
によって開創されました。近年、参詣信徒の増加にともない、寺域の整備、諸堂宇の建立が進められ、壮大かつ優美な一大霊場と
なっています。

~日蓮正宗リーフレットより~

南無阿弥陀仏”の教えでは救われません! -人々を救えるのは南無妙法蓮華経のみ-

2015年01月29日 | ブログ

南無阿弥陀仏”の教えでは救われません! -人々を救えるのは南無妙法蓮華経のみ-

念仏はあきらめの教えです

念仏を唱える宗教では、この世は苦悩に満ちた穢れた土であり、死後に阿弥陀仏によって西方極楽浄土に往生することだけを願いなさいと教えます。
これでは目の前で悩み苦しむ人に対し、「あなたは今の世では救われることがない」と突き放しているようなもので、とても人々を救う教えとはいえません。

※阿弥陀仏を本尊とする宗派には、法然の浄土宗(鎮西流・西山流など)、親鸞の浄土真宗(本願寺派・大谷派など)、一遍の踊り念仏の時宗などがありますが、ここではそれらを統括して「念仏」と表現します。


≪念仏は釈尊の真意ではありません≫
釈尊は三十歳で悟りを開いて仏となり、八十歳で入滅されるまでの五十年間にさまざまな教えを説かれました。そのうち、最後の八年間に『法華経』を説かれました。

釈尊は法華経を説くにあたり、「今まで四十余年にわたって説いてきた経々には、真実を顕わしていない。
これらの教えは、人々を法華経に導くために仮に説いた教え(方便)である」(趣意・『無量義経』法華経二三㌻)と明かされました。

念仏では、方便のお経である『阿弥陀経』などを依経としています。したがって、念仏の教えは釈尊の真意ではないのです。


≪法華経こそ真実の教えです≫
釈尊が法華経において、自ら「真実の法とは、法華経ただ一つである」(趣意『方便品第二』法華経一七四㌻)と説かれているように、法華経こそが真実の教えであり、釈尊仏法における最高の教えです。

さらに釈尊は、自身の入滅後二千年以降の末法時代に至ると、「自分の教えの力は無くなり、そこに新たな仏が出現し、一切衆生を救済するであろう」と予言されました。

この予言どおり、末法の仏として出現されたのが日蓮大聖人です。

≪すべての人が救われる教えは南無妙法蓮華経です≫
日蓮大聖人は、法華経の肝心・南無妙法蓮華経を唱え出だされ、御本尊を顕わされました。末法の人々はこの御本尊を信じ、南無妙法蓮華経の題目を唱えることによってのみ、真の幸福を得ることができると説かれたのです。

すべての人が救われる教えは南無妙法蓮華経なのですから、勇気を出して正しい信仰を選び、我が家の繁栄と幸福を祈るとともに、先祖の追善供養を行ってまいりましょう。


宗旨を替えたら、先祖が迷うのではありませんか?という人がいますが、そのような心配はいりません。
あなたが南無妙法蓮華経の教えに帰依し、日蓮正宗寺院において追善供養することにより、先祖の精霊は正しい御本尊の功徳によって必ず成仏できるのです。
御来寺を心よりお待ち申し上げております。


~日蓮正宗リーフレットより~

日蓮正宗のお寺に来てみませんか?

2014年12月09日 | ブログ
日蓮正宗のお寺に来てみませんか?


-あらゆる悩みを解決するために!-

はじめに

人は誰しも、何らかの悩みを抱えながら生きています。たとえば、病気や経済苦、人間関係の悩みなど、あげればキリがないでしょう。
特に悩みがないという人でも、老いや死の苦しみから逃れることは出来ません。

しかし、いかなる苦悩が生じようとも、それらすべてを根本的に解決して、力強く人生を切り
開き、必ず幸せな境界を築くことができる教えがあります。
それが日蓮大聖人の仏法です。


南無妙法蓮華経の教えは仏教の最高峰

究極の経典である法華経には、釈尊滅後二千年を経た末法の世に“法華経の行者”、すなわち
日蓮大聖人が出現することが予言されています。
その大聖人は、
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」
                                   (上野殿御返事・御書1219㌻)
と、末法においては、ただ南無妙法蓮華経だけが人々を救う教えであると御教示されています。
大聖人は弘安2年(1279)年10月、南無妙法蓮華経の教えを御本尊として顕され、一切衆生に
与えられました。

正しい信仰によって悩みを解決

御本尊の功徳について大聖人は、
「わざはひも転じて幸ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。
 何事か成就せざるべき」(経王殿御返事・御書685㌻)
と仰せです。
私たちが御本尊を信じ、南無妙法蓮華経のお題目を唱える時、今まで悩んでいたあらゆる問題を正しく解決でき、充実した幸せな人生が送れるのです。


これらのことを丁寧にお教えする所が、日蓮正宗の寺院です。どうか一人で悩んでいないで、
お寺に来てみませんか?
必ず解決の道が見つかります。
あなたの御来訪を、心よりお待ちしております。

日蓮正宗リーフレットより





日蓮大聖人の仏法は戒壇の大御本尊が根本です!

2014年12月06日 | ブログ
日蓮大聖人の仏法は戒壇の大御本尊が根本です!


何のための信仰か


創価学会員である皆さんは、何のために信仰しているのですか?
「毎日を心安らかに過ごしたい」
「一家和楽の幸せな人生を送りたい」等の願いを成就するため、信仰をされているのではないでしょうか?
そうであれば、現在皆さんが行っている新聞啓蒙や集票活動、財務などの学会活動によって、その願いどおりの人生になっているのでしょうか?
むしろ「今のままで本当によいのだろうか」と疑問や不安を抱いているのではありませんか?


大御本尊は信仰の根源

日蓮大聖人は、
「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ(中略)余は二十七年なり」
(御書1396㌻)
と仰せられ、出世の本懐として、本門戒壇の大御本尊を顕されました。
この大御本尊について日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり」(御書文段197㌻)
と仰せられています。この大御本尊は、第二祖日興上人以来、代々の御法主上人に相伝され、日蓮正宗総本山大石寺に厳護されています。
この大御本尊こそ信仰の根源であり、大御本尊への信心によってのみ、成仏がかなえられるのです。したがって、戸田城聖創価学会
第2会長は「学会の使命は大御本尊への車引き」と述べ、登山会を開始したのです。


謗法の創価学会にいる限り、祈りは通じない!

創価学会員である皆さんは、何のために信仰しているのですか?
「毎日を心安らかに過ごしたい」
「一家和楽の幸せな人生を送りたい」等の願いを成就するため、信仰をされているのではないでしょうか?
そうであれば、現在皆さんが行っている新聞啓蒙や集票活動、財務などの学会活動によって、その願いどおりの人生になっているのでしょうか?
むしろ「今のままで本当によいのだろうか」と疑問や不安を抱いているのではありませんか?


~あなたの成仏のために~
あなたが今、様々な願いを成就し、揺るぎない幸せの境界、成仏を  かなえるためには、大御本尊への信心を持つことです。それにはまず、日蓮正宗寺院に足を運ぶことです。そして僧侶や法華講の人の話を  聞いてください。そこからあなたの本当に幸せな人生が始まるのです。
~戸田城聖創価学会第2会長指導より~
「日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提の三大秘法の大御本尊を根本とした教えでなくてはならない。この教えは今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである」(戸田城聖全集3-83㌻)

日蓮正宗リーフレットより                 

―創価学会員によるー「友人葬」は間違いです!

2014年12月06日 | ブログ
―創価学会員によるー「友人葬」は間違いです!

Question1 友人葬は故人が希望していたことなので…?

誰しも家族の遺志を尊重したいと思うものです。故人の遺志は友人葬を願ったものだったのでしょうか。
「自分の葬儀は、友人葬で…」と言った故人は、おそらく創価学会の一方的な報道により、日蓮正宗に対する大きな誤解を持っていたからに違いありません。今こそ、あなた自身が、自分の目で日蓮正宗の真の姿、教えを確かめ、大切な家族の成仏を左右する葬儀について考える必要があるのではないでしょうか?

Question2 本人の信心によって成仏が決まるのですから葬儀はどんな形でも構わないのでは…?


日寛上人は『臨終用心抄』に、「臨終の一念は多年の行功に依ると申して不断の意懸けに依る也」
と記され、生前の信心によって功徳を積んでこそ、安からな臨終を迎えられることを御指南されて
います。しかし「本人の信心によって成仏が決まる」と言っても、その信心が正しいものでなければならないのは当然のことでしょう。しかも葬儀は、亡くなられた方の一生をしめくくる大事な儀式であると同時に、来世への旅立ちの場でもあるのですから、どんな形でもよいはずはありません。

Question3 学会幹部に葬儀の導師を任せるとどうなるのですか?

『当家引導雑雑記』には、
「仰せに云く不和案内にして亡霊の引導は悪道に堕すべし、是は法然・弘法に超え過ぎたる罪障なり」
とあります。つまり、葬儀の導師としての正しい心得も知らず、ただお経が読めるというだけで、学会幹部が導師を行う友人葬は、故人を悪道に堕とし苦しめることになります。
また、導師を務めた学会幹部(儀典部員)は、念仏の法然や真言の弘法よりも大きな罪障を積むことになる、ということです。こうした学会の友人葬で送ったとしても、故人は喜ぶはずがありません。

Question4創価学会の「友人葬」の、何がいけないの?

そもそも、現今の創価学会の教義や本尊はみな仏の意に背く「ニセモノ」です。
ですから、葬儀の方式がどうのとか、僧侶に頼むとか頼まないとかいう以前に、創価学会の「友人葬」で送られる故人は、死後の安らぎを得られるどころか、かえって謗法の悪因縁によって、大変な苦悩を受けなければなりません。大聖人の教えは、日蓮正宗に脈々を受け継がれています。今こそ勇気をもって日蓮正宗寺院を訪問し、大聖人の教えに基づいた正しい葬儀の在り方を求めるべきです。



大切な家族を「友人葬」で送るのですか。それで、本当に良いのですか。


友人葬儀を行った人の中には、僧侶のいない葬儀を目の当たりにして、親類から責められたり、「あんな葬儀では、故人が浮かばれない」と後悔する人も多いようです。
葬儀は、一人の人間の一生をしめくくる大事な節目であり、また三世の生命の上からは、未来世の幸・不幸を左右する重要な儀式です。もし、間違った葬儀を行えば、家族の願いとは逆に、かえって故人を苦しめることになります。
「学会員は、友人葬を決まっているから仕方がない」とあきらめないで、今一度、正しい仏法に基づく葬儀について考えませんか。

『妙法尼御前御返事』
人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、
老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし。
(人の人生はいつ幕を閉じるかわかりません。日蓮大聖人は「先づ臨終の事を習ふて」と仰せられ、何よりも先に成仏するための教えを習うよう御教示されています。)


日蓮正宗リーフレットより 

どの宗教でも幸せになれるのですか?  ━正しい信仰は一つ━

2014年12月05日 | ブログ
どの宗教でも幸せになれるのですか?  ━正しい信仰は一つ━


現代人の宗教心

あなたは、「宗教」「信仰」について、どのような考えをお持ちでしょうか。
日本人のなかには、無宗教を自負し、信仰など必要ないと考えている人も多いようです。
しかし、無宗教と言いながら、初詣は神社に、結婚式は教会で、葬式は先祖からのお寺に頼むというように、現代の日本では、宗教を単なる通過儀礼のように考えている人もいます。
釈尊(お釈迦様)は、信仰心のない人のことを、
「仏という人生の根本の師を知らず、もっとも慈愛深い親を持たず、したがって仏の救済もなく、何を目的として生きるのかも知らず、正法の財宝(功徳)にも恵まれることのない、心の貧しい人である」(涅槃経・取意)と説かれています。


宗教ならどれでもいいの?

では、宗教であれば、どれでもよいのでしょうか?
宗教のなかには、経典も教義も低度なものから、道理に合った高度な教義を持つものまで、歴然とした違いがあります。低く
ても浅い、誤った本尊・教義の邪まな宗教を信ずれば、必ず不幸な結果を招くことになるのです。
日蓮大聖人は、『立正安国論』に経文を引かれて、
「正法を信ぜず、信仰を壊る者は、福徳が尽き、孝養心のある子供に恵まれず、親子・兄弟・親戚が仲違いをして
いがみ合う。天候不順で作物が実らず、悪病が流行し、悪い思想も蔓延し、生活を脅かす。奇怪な事件や災いが次々に
起こり、死後は苦しみの地獄、餓鬼、畜生の世界に堕ちる」(御書249㌻取意)
と仰せです。このように、誤った宗教を信ずれば、心身両面にわたって不幸な結果を招き、人生を台無しにしてしまうことに
なるのです。


真の幸せは正しい信仰によって!


正しい信仰は、私たちに最高の利益と、崩れることのない幸福、そして勇気と希望を与えてくれます。
日蓮大聖人は、正法たる妙法を信受する功徳について、
「(御本尊を信じ)南無妙法蓮華経を唱えるならば、あらゆる罪を消すことができ、必ず様々な幸がもたらされる。この教えは、たいへん深く真実である。心から信じていきなさい」(聖愚問答抄・御書406㌻取意)
と仰せです。


~誰もが、幸せな人生を望み、努力しています。しかし、真の幸せを求めるのであれば、それは正しい信仰を持つ以外にありません。
かけがえのない人生を幸福なものとするため、ぜひ、日蓮正宗の僧侶の話や、喜々として信仰に励む
日蓮正宗信徒方の体験を聞いてください。心から納得できる正しい教えに出会えることでしょう。~


あなたは今悩みを抱えていませんか?幸福な人生を歩みたいと思いませんか?


①~あなたの悩みや苦しみは、あなたの過去から行ってきたことの結果です。~

日蓮大聖人は、
「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」(開目抄・御書571㌻等)
とお経文を引かれて、現在の過去は過去の行いによるものであり、未来の結果は現在の行いによるものであることを教えられています。
したがって、これからの人生を幸福なものに変えたいならば、
今現在の行いを正しいものに変えていくことが大事です。


②~そのためには正しい信仰が必要です。~

仏法では、今の時を「末法」といい、あらゆる教えはもとより釈尊の仏法であっても、人々を正しく導く力が失われる時代であると説いています。また、すべての人々を救うため、真実の教えを説く新たな仏が現われることも予言しています。
この予言どおり、末法に日蓮大聖人が出現され、南無妙法蓮華経の御本尊を顕されました。この御本尊を信仰すれば、いかなる苦難や障害も乗り越える強い生命力がわき、物事を正しく解決する智慧を授かり、必ず本当の幸せを得ることができます。


③~信仰は『信ずる』ことから始まります~

その重要性を日蓮大聖人は、
「仏法の根本は信を以って源とす」(日女御前御返事・御書1388㌻)と仰せられています。
日蓮大聖人の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるとき、今までの自分が変わります。自分が変わることによって周りの人たちも変わり、周囲の環境も変わって、苦悩の人生は歓びの人生へと必ず変わっていくのです。
~信ずることは行動することです~
何よりもまず、日蓮大聖人の教えを実践してみてください。そして御本尊の広大なる功徳・利益を実感してください。さあ、一刻も早く日蓮正宗のお寺に足を運びましょう。

④~信ずることは行動することです~


何よりもまず、日蓮大聖人の教えを実践してみてください。そして御本尊の広大なる功徳・利益を実感してください。さあ、一刻も早く日蓮正宗のお寺に足を運びましょう。


日蓮大聖人御金言
只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ事や有るべき、来たらぬ福や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし
(聖愚問答抄・御書406㌻)

~日蓮正宗リーフレットより~

人生の四苦八苦を乗り越えるためにー妙法の教えによってー

2014年12月04日 | ブログ
人生の四苦八苦を乗り越えるためにー妙法の教えによってー

≪人生の苦しみ≫

私たちの生きる世界は、様々な苦しみで満ちています。病気や老いによる肉体的・精神的な苦痛、職場や地域などでの
人間関係の悩み、そしてやがて誰もが迎える臨終に対する怖れなど、その多くは文明の発達や人の努力だけで解決
できるものではありません。
 ≪苦脳の人生からの脱却≫
「自分には特に悩みはない」などと言っている人にも、この四苦八苦は必ずやってきます。しかもそれは、過去世から今日
まで積んできた罪障により、重なり合って現われることが多く、それによって苦脳のどん底に陥ることもあるのです。
一切衆生を救済するために出現された御本仏・日蓮大聖人は、
「偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(佐渡御書・御書580㌻)
と仰せられ、過去よりの罪障がたとえどんなに大きくとも、大聖人の顕された妙法の教えを信ずる功徳によって、それらはすべて消え去り、苦脳の人生から必ず脱却できることを教えられています。
≪正しい信仰に生きよう≫
今、あなたが大聖人の正法を信じ、南無妙法蓮華経のお題目を唱えることによって、今までの苦しみの生命が清らかな生命へと変わります。弱かった心は何物をも怖れない強い心に変わり、いかなる苦脳も克服
できる自在の境地となれるのです。
苦脳の人生を、幸福な人生へと変えることのできる宗教、それは日蓮正宗しかありません。人生の四苦八苦を乗り越えていくことができる教え、それは御本仏・日蓮大聖人の南無妙法蓮華経医以外にはないのです

四苦八苦(しくはっく)
             
四苦八苦(①~④は四苦)
①生 苦(せいく) …生まれてくる苦しみ
 ②老 苦(ろうく) …老いていく苦しみ
 ③病 苦(びょうく)…病気による苦しみ
 ④死 苦(しく)  …死を向かえる苦しみ
 ⑤愛別離苦(あいべつりく) …愛する者とはいつかは別れなければならない苦しみ
 ⑥怨憎会苦(おんぞうえく) …恨み憎む者や自分の望まない状況に遭遇する苦しみ
 ⑦求不得苦(ぐふとっく)  …求めるものを得られない苦しみ
 ⑧五陰盛苦(ごおんじょうく)…人間の身体的・精神的作用が盛んになることによって受ける苦しみ
                   



~日蓮大聖人の教えは心の支え~-心の悩みを抱えている人へ-

現代社会が抱える心の問題

変化の激しい現代社会で私たちは、多くのストレスを感じながら生きています。周囲の環境や対人関係での悩み、健康の不安など、心の負担が大きくなるにつれ、やがて心の病気にかかってしまいます。心の病気は、うつ病などの精神疾患を引き起こし、幼児虐待、いじめ、引きこもりなどの原因となり、自殺者が毎年3万人を超えることも現代社会が抱える大きな問題です。


苦しみから救われる道

大聖人は、悩み苦しむ人々に対し、
「大風ふき候へどもつよきすけをかひぬればうたれず。(中略)甲斐無き者なれども、たすくる者強ければたうれず」(三三蔵祈雨事・御書873㌻)
と示されています。この御文は、人生において嵐のような苦難が押し寄せてこようとも、心に強い支えがあれば決して倒れることはない、との意味です。
大聖人の顕されてた御本尊の功徳は絶大です。もし、あなたがまだ一人で悩んでいるとしたら、ぜひ日蓮正宗寺院に足を運んでください。そこには、あなたを必ず救う真実の仏法があります。


信仰の実践


こうした心の問題を解決しようと、社会や個人においても様々な取り組みがなされていますが、有効な解決策は見いだされていません。
日蓮大聖人の仏法は、心の問題を根本から解決し、苦悩が渦巻く世の中を生き抜く勇気と希望を与えてくれます。心が折れそうになったとき、また生きることが苦しくなったとき、大聖人の仏法がどれほど心の支えとなり、勇気が湧き力強く立ち上がれるか、今こそ信仰の重要性を認識するときです。

日蓮大聖人御金言
わざはひも転じて幸ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。
何事か成就せざるべき。(経王殿御返事・御書685㌻)
(どのような災いも幸いに変わるのである。心して強盛にこの御本尊に祈念していきなさい。何事も成就しないわけがない。必ず叶うのである。)


日蓮正宗リーフレットより


続・創価学会 ついに戒壇の大御本尊を否定 大白法 号外(平成26年11月21日付)より

2014年11月29日 | ブログ
創価学会 ついに戒壇の大御本尊を否定 大白法 号外(平成26年11月21日付)より

≪会則改変の流れ≫


昭和54年4月24日制定

「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
と、「本門戒壇の大御本尊を根本とする」と明記していたが、


            ↓

平成14年3月28日の改変

「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」
と、「弘安2年10月12日の本門戒壇」の文言を削り、会員の大御本尊への信仰心・渇仰心をできるだけ薄めようとした。

              ↓   

今回の改変    

「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」
と、教義の根幹である御本尊に関する定義を変更した。


あなたは、大御本尊を捨てますか?

今回の会則変更の説明の中で、原田は、「当時(中略)会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえ、この『一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊』については『弘安2年(1279年)の大御本尊』を指すとの説明を行っていました」と述べました。

これは、教義・信仰の一番大事な根幹である御本尊について、これまでは「会員の皆様の感情や歴史的な経過を踏まえ」本音を言わなかったということであり、学会員をだますために嘘をついていたということです。

また、原田は、
「創価学会は(中略)広宣流布のための御本尊を認定します」と述べました。

自分たちが御本尊を認定するということは、それは救われる立場の者が、救う立場である仏(御本尊)を認定するということになり、本末転倒した増上慢の言です。

さらに、原田は、
「会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」

と発表しました。

日蓮大聖人は『聖人御難事』に、

「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」(御書 1396㌻)

と教示されるように、弘安2年10月12日に「本門戒壇の大御本尊」を建立され、「出世の本懐」を遂げられたのです。

この大御本尊について、日寛上人が『観心本尊抄分段』に、

「弘安2年の本門戒壇の大御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」(御書文段 197㌻)

と仰せのように、大御本尊こそ、本門三大秘法随一の究極の御法体であり、一閻浮提総与の大御本尊であります。

大御本尊との決別は、大聖人、日寛上人に背く大謗法です。



あなたは、これまでの会長指導を否定するのですか?
かつて、戸田会長は、
「ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです」(戸田城聖先生講演集 下ー112㌻)

と、大聖人の仏法は大御本尊を離れては絶対にだめであることを指導していました。

さらに池田会長も、
「大聖人様の出世の御本懐として、万人から仰がれる大御本尊であらせられる。われわれが登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受できることは言うまでもない」(大白蓮華 昭和38年10月号)

と、学会の信心の根源は本門戒壇の大御本尊であり、そこに絶対信を置くよう指導しています。

大御本尊との決別は、学会を再建した戸田会長や池田会長の指導に背くことなのです。


あなたは、現執行部の暴挙を認めますか?
創価学会総本部(大誓堂)にある常住御本尊は、総本山第64世日昇上人が本門戒壇の大御本尊を書写した御本尊です。また、創価学会発行の日寛上人本尊も、日寛上人が大御本尊を書写した御本尊を複写したものです。

故に、
「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と言いながら、これらの本尊を拝むことは、大いなる矛盾であり、支離滅裂な信仰です。

本門戒壇の大御本尊こそ日蓮大聖人の「出世の本懐」であり、信仰の根本です。この大御本尊の受持によってのみ、私たちの成仏が叶うのです。


今こそ、決断の時
勇気を出して、創価学会と決別しましょう

創価学会 ついに戒壇の大御本尊を否定 大白法 号外(平成26年11月21日付)より

2014年11月28日 | ブログ
創価学会 ついに戒壇の大御本尊を否定 大白法 号外(平成26年11月21日付)より

「会則教義条項」の驚くべき変更内容


創価学会は、11月7日に行われた「総務会」において「創価学会会則 教義条項」の変更を議決し、同日の「全国総県長会議」の席上、
会長の原田稔は、今後、学会が自ら「御本尊を認定」するとして、

「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」(聖教新聞 11月8日付)と述べました。

この発表は、本門戒壇の大御本尊を否定するということであり、御本仏日蓮大聖人への大反逆の行為です。


あきれた自語相違

①池田大作スピーチ(破門後・平成5年9月)
「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」

②創価学会の本尊は大御本尊の書写
・総本部(大誓堂)にある創価学会常住御本尊(総本山第64世日昇上人書写)
・創価学会発行本尊のもとである日寛上人御本尊どちらも、「大御本尊の書写」

③勤行「祈念文」(現行・平成16年9月制定)
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます」

④「任用試験のために」(大白蓮華 平成26年8月号)
「『出世の本懐』
弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されました」

しかし今回、↓


「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」(原田発言)

それでもあなたは学会について行きますか?