菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

大将!愛情の大トロんとこ握ってくれ。 『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』

2009年01月14日 00時07分38秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第32回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

 



『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』

 

 

 

 





『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』は、ギレルモ・デル・トロ密度120%の濃縮果汁。
なにしろ、人間よりも異形の生物たちの生物の方が多く出ているんですもの。
しかも、そのすべてがまるで、実在しているかのように、生き生きと描かれている。
その偏愛ぶりに、シャッポを脱ぎます。
ここに出てくる一体でさえ、今の実写邦画界は再現可能だろうか?
そんなことさえ、考えてしまうほどの、存在感。
デル・トロが敬愛するのは、日本の作家たちでもあるのに。
いつか、彼の手で、日本生まれの作品が描かれることを期してしまう。

でも、交渉を続けていた、『童夢』は、上手く行かずに、ひとまずあきらめたみたい。
残念。
というより、アレを邦画で成し遂げられないものかね?

濃縮の意味は、ついに原作から離れて、デル・トロの2作目は、オリジナルストーリーに。
しかも、『ブレイド2』で出てきた種族が今回のメインの相手。

異形モノが好きな方には、ホントもうたまりませんよ。


最初から、3部作を意識していたらしく、1での幼少期から、今度は少年期の話が、冒頭に語られます。
3作では、きっと青年期から、入るはず。
そう、『ヘルボーイ』映画版は、人間に育てられたモンスターの成長譚というなかなかにない物語。
顔はおっさんだが、まだまだ若いヘルボーイが、じょじょに成長していく過程こそが、軸。

アメコミで、モンスター・モノでありながら、自己の存在への言及、成長、愛の受容、自然との共生、社会との兼ね合いという様々なテーマがアクションと共に描かれる。
で、白眉は、エレメンタルとの対決。
エレメンタルは、森の神の一種で、敵の放った巨大モンスター。
だが、いわば、動物と一緒で、エレメンタルに高い知性はない。
しかも、この種族の最後の一匹。
(尊敬を公言している宮崎駿的エピソードだ)
しかも、その境遇は、世界に一人のヘルボーイとも重なる。
彼もまた、人間に使われる身でもある。
それを分かり、ヘルボーイは、どう決着をつけるのか?
はたしてはたして?



てんこ盛りに入れらえたそれらが、主人公の物語として機能していく。



まぁ、次から次へと出てくるモンスターに、ただただ感嘆していくことも可能。
ただ魚を切り続けるモンスターにも愛情が注がれているのを感じちゃうほどなんだから。
おいらのお気に入りは、やっぱエイブです。
その水棲性と感知能力と知識だけで、モンスター退治には向いてない(もちろん、人人間よりは強いけど)が、でも、臆することなく、皮肉を交じりに、戦い続ける。
前回のリズへとの恋が次の段階に進んだからか、エイブが姫に恋して、ラブコメの様相も加わる。
でも、脇。
そんな彼の切なさ。


あと、『ヘルボーイ』の中で、グッとくるのは、名前の使い方。
相手によって、いくつもの名前を使い分けるのよね。
ヘルボーイ、レッド、ビッグ・エイプ、ラーマ、モンスター・・・。
これずべて、ヘルボーイの名前。
本名、通称、愛称、蔑称・・・。
その時々に違う名前が口にされることの意味。
ベイブと言われたくないリズに、言ってしまったヘルボーイが、「エイブって言ったんだ」とごまかす様とかね。
こういう丁寧さに惚れるわけですよ。
ビッグ・エイプの大きなお猿さんの訳はどうかと思うけど。
そういえば、エイプ(ヘルボーイ)、エイブ(本名は違う)、ベイブ(リズ)の3人にわざと似た響きで、あだ名があるのは、仲間感を高める狙いなのかしら?


実は、物語の外にも中にも愛が溢れた一作。
[世界か?愛か?選ぶ]なんて物語を、作りこみで、語るわけですから。
日本的細やかさと、ラテン的勢いと、アメリカン・スケールの複合を味わえます。

『1』を未見の方は、それを観てから、劇場でどうぞ。



コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 悩むなら、なって悩め。  ... | トップ | リメイクのフックの外見と中身 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画(公開映画)」カテゴリの最新記事