で、ロードショーでは、どうでしょう? 第532回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『スノーピアサー』
世界は凍り、一年で世界を一周する列車とその乗客だけが残った、という奇想SF。
人間の本能と推進する物語と突き刺す構図というポン・ジュノ濃度100%の映画的興奮で鼻血が吹き出して、そのまま凍るほど。
列車ほど、映画的な乗り物はない。
と言ったのは、巨匠デビット・リーンでしたが、確かに、列車が題材の映画は、まぁ多いんですよね。
やっぱ、それはフィルムに似ているからなんですかね。
で、その列車映画の歴史に楔を打ちこむつもりで、ポン・ジュノは作ったらしいです。
2014年、人類は急速に進行する温暖化を食い止めるため、人工冷却物質の散布を実施。
それは予想外の結果を招き、地球は氷河期に突入。
ほとんどの生物は死に絶えてしまう。
17年後の2031年、“スノーピアサー”と呼ばれる列車の中で生活する乗客たちだけが人類のすべてとなっていた。
その列車は永久機関のエンジンを積み、1度も止まることなく1年をかけて地球を1周する“走る箱舟”。
前方車両では富裕層が優雅に暮らし、後方車両に押し込められた貧困層は、劣悪な環境で虐げられていた。
幾度か起こった革命はすべて失敗。
だが、あるひとつの知らせを頼りに、一人の男が革命に立ち上がる・・・。
原作は、ジャン=マルク・ロシェットとジャック・ロブによるバンド・デシネで、三部作だそう。
そこkら設定だけをもらい、脚色、オリジナルな作品に仕立てたそう。
なので、原案はポン・ジュノになっている。
脚本は、ポン・ジュノとケリー・マスターソン。
出演は、革命に立ち上がる男に、クリス・エヴァンス。
謎のz年俸車両の男に、盟友ソン・ガンホ。
その娘に、コ・アソン。
大統領に、ティルダ・スウィントン。
革命を手助けする若者に、ジェイミー・ベル。
貧困層の集団に、オクタヴィア・スペンサー、ユエン・ブレムナー、
革命のリーダーに、ジョン・ハート。
富裕層の教師に、アリソン・ピル。
列車の管理者に、エド・ハリス。
ほかに、ルーク・パスクァリーノ、ケニー・ドーティ、スティーヴン・パーク、アドナン・ハスコヴィッチ、クラーク・ミドルトン、トーマス・レマルキス、ポール・レイザー、ヴラド・イヴァノフなど。
一応、日本人も乗っています。
撮影は、『母なる証明』でも組んでいるホン・ギョンピョ。
プロダクションデザインは、オンドレイ・ネクヴァシール。
衣装デザインは、キャサリン・ジョージ。
編集は、キム・チャンジュとスティーヴ・M・チョー。
列車なので、ひたすら振動と音が鳴り続ける中、音楽との相乗効果に最大に仕上げたのはマルコ・ベルトラミ。
世界の縮図を列車に載せて、皮肉な寓話が脳内を突っ走る!
奇想SFのイメージに乗り物ほろ酔いになる逸品。
おまけ。
工場、クラブ、教室、水族館と寿司列車・・・、一両ごとに違う現実を、列車化させて見せる奇妙なイメージ、この面白さは、SFならでは。
ややネタバレ。
列車としては、通路がなく、いきなり車両全部が部屋でつながっている(プール、サウナなどは特に)は、列車としてはおかしいのですが、そうしないと通路を進み続け、扉を開けるイメージが薄れるしね。
ネタバレ。
わざとかもしれないけど、谷の飛行機とエンジン内部の子供の腕(失われる腕というモチーフの一つなんだし)が少し見づらい。
もちろん、子供の腕の喪失をハリウッドコード的にきちんと取れなかったんだろうなというのも分かるし、ポン・ジュノにしては、ってことなんだけど。
最後の列車破壊で、乗客の大部分を殺すことになるのは、救いではないと思ってしまわなくもない。
エンジンは残るが列車は止まるとか、地上でエンジンを分け合う姿は見たかった。
まぁ、そんなに世界は優しくはないぞ、というメッセージとも読み取れるが。
意外に穴はなくはない。
ポン・ジュノ作品にしては、少しホンがズサンではある。
クロノールに、あれだけの爆発力があるなら、扉を開けるためのクロノールの量を間違えてるよね。
あの爆発力があるって知らないとは思えないし、持ってる量と爆弾に使った量がおかしいよね。
あと、火が危なくて、クロノールが燃えて危険だって言ってんだから、あれだけのクロノールがあるなら、自爆してやるって脅しに使えるよね。
自爆テロという社会的題材が現れてくるし。
武器は少ないんだから、火も持ってこないと。
そうすれば、煙で、列車を混乱に陥れられるよね。
それで、前に進みやすくなるし。
で、たぶん、スプリンクラーあるから、それで火が失われればいい。
最後の橋もクロノールで爆破出来た。
火をつける方法がマッチしかないのに、渡してるのもねぇ。
最後の作戦をか投げていたなら、途中で手に入れる努力してないのもねぇ。
あと、娘の特殊能力も未消化だし。
それで面白さが失われているわけではないけれど。