菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

人生で一番長く見る顔

2010年01月04日 00時00分38秒 | ブロぐ。
人が、人生で一番長く見る顔は、誰の顔だろうか?

自分の顔だろうか?
親の顔だろうか?
伴侶の顔だろうか?
子供の顔だろうか?
惚れたスターの顔だろうか?


鏡に映る自分の顔は、左右反転している。
それは、本当の私の顔だろうか?


写真で映した自分の顔は左右反転していない。
だが、静止している。
映像で撮った顔はどうだろうか?
たぶん、もっとも見慣れた自分の顔は、鏡の中の自分である。
(自分の顔を映像で見る機会が多い仕事の人は、また違うのか?)
ということは、他人が観ているであろう自分の顔とは違う顔を自分は一番見慣れている。


録音した自分の声に聞き覚えがなく、違和感を覚える。
映像で自分の顔を見る時に感じる違和感は、それに近いものなのだろうか?


幻肢痛というものがある。
腕を切断した人がないはずの手が痛むと言う症状だ。
だが、脳自体には痛覚はないので、存在しない部位の痛みはないはずなのである。
脳の中では切断した手の神経地図が残っていて、その地図が書き換えられないで起こると言われている。
その痛みは脳が勝手に作り出した痛みなのである。
それを治療する方法がある。
それには、鏡を使う。
切断していない自分の腕を鏡の箱の中に入れ、目で見る分には両手があるよう錯覚させる。
これを続けると、幻肢痛が和らぐそうである。
だが、鏡に映っているのは(例えば、失くしたのが左手なら)、右手の鏡像である。
元々の左手ではない。
しかし、脳では
脳は視覚にかなり左右される。


録音した自分の声が普段の負えと違うように聴こえるのは、口から出た声と頭蓋骨に反響した音を多重音として聴いているからだそう。
だから、パソコンなどで、通常録音しおた音声と反響させた音声データを同時に再生させると、ある程度、聴きなれた自分の声に近づく。


顔の場合はもっと簡単だ。
ビデオカメラなどで、自分を映しながら、リアルタイムにテレビなどに出力してみればいい。

他にも、鏡を二枚用意すればよい。
鏡を二枚使って、左右反転を戻して、自分の顔を見てみる。
 
そこに映る顔が、あなたが他人から観られている顔だ。
それは、どんな顔に見えるだろうか?




 
 




 


おまけ。
網膜と眼球は、カメラのように、上下左右反転させて映している。
私たちの視神経は、それをもう一度、上下左右反転させ、修正して、世界を見ているそうだ。

だから、鏡に映った自分の顔を、実際の肉体の地図に当てはめて、再度、左右反転させて認識しているらしい。

だから、私が鏡で自分の顔を見るとき、鏡の中にある左右反転した自分の顔を、網膜と眼球で上下左右反転してとらえ、視神経で脳に再度、上下左右反転修正して送り込み、脳内で再度、左右反転させ、自分の顔として認識しているとうことになる。

加えて、顔の表情や自分の情況が影響する。

人が人の顔を見るときに、この複雑なシステムを通過しているのだ。

だから、人が人の顔が見るのは訓練が必要だと思う。

で、映像の物語を観ることは、その訓練になるのだと思う。
多くは、人の顔だけをとらえた映像で語るから。


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