菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

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演技派の演技とは、なんじゃらほい?

2010年01月13日 00時00分35秒 | 映画のあれこれ

俳優を評する時に使う、演技派という言葉がある。

妙な言葉だ。
ひっかかる。

俳優は、基本は演技をする仕事なのに。
歌手に歌唱派って感じだ。


でも、他の派をあまり見ない。
思いつくのは、本格派、個性派、庶民派、清純派、知性派、社会派、自然派、努力派、保守派、武闘派とか。
俳優にはつかない派も出してしまったけど。


こういうのはだいたい対になるものがあるもんだよね。
保守派に対して改革派とか、古典派に対して新派とか。
もしくは多数派を基本として、少数派の貴重なタイプを区別して言うか。

演技派に相対するのは、天然派とかになるのかしら?
演技は人工的だしなぁ。
いや、天然の演技派もいるよな。
あ、容姿の美貌とか特殊性を買われてというのが大多数で、容姿派ってことか?


例えば、

演技派×容姿派
本格派×変則派
庶民派×貴族派
個性派×均一派
清純派×混濁派
自然派×自然派
知性派×感性派
社会派×享楽派
努力派×天才派
武闘派×穏健派

どちらでもない中間派があっての両端ってことだよね。


派閥や流派というのもある。

新古典派、狩野派、印象派、野獣派、伝統派、革丸派、森派、小沢派・・・。

自分達が主張したり、尊重したりする部分をとって、言ってるんだろう。

カレーの添え物における福神漬け派×ラッキョ派とか、映画における映画館派×DVD派、インドア派×アウトドア派とかね。


どっちかといえば、ぐらいで、実は両方ともバランスよくやっている人が多いとは思うんだけど。
映画館にも行くし、DVDでも見るし、とか。


“派”を辞書で引くと、
は[派]:
①もとから分かれ出たもの。
②流儀、宗旨などの分かれ、仲間。
③さし向けること。

と、ある。
 

てことは別に対になってるわけではないようだ。

③は特派員とか、派遣社員の“派”だそう。



てことはだよ、演技派ってやっぱ妙だ。
絵画で言えば、描画派ってことだよね。
そりゃ、切り絵やタイル画、ハンコ絵など、絵を描くのに、筆で色を塗るだけでない描き方もあるけどさ。


いや、だから、俳優とは元々、演技だけが主ではないということだ。
舞踏や歌唱を主にする人もいる。
それの中に、演技の方を主にする派があるわけだ。

それは、人気とか美貌を主にせず、表現するということなのだろうか?
アクション、曲芸、人気者などの特殊技能や実績が主の人もいるということなのだろうか。

人気のある定番の演技と、演技の多様性でコロコロ、クルクルとキャラクターを変えるということの差だろうか。


そういえば、一枚目、二枚目、三枚目は歌舞伎の看板の順番をさしている。
一枚目は、主役。(実績と格)
二枚目は、色男、色恋する役。(美貌と人気)
三枚目は、滑稽な役。(笑い)

 
どれにも演技は当然のこととして、入っている。
けど、役割があって、演技で違うキャラクターを演じきるということではないのかもしれない。

演技派でいう演技とは、別者に変身し、要求される役割に甘んじず、固定化しない、柔軟性という意味での演技と考えるのが順当なのだろう。

ということは、日本で俳優に求められているのは、俳優の素地にあった役、観客が要求するもの、いわゆる定番をやることになる。

だから、演技派とは、変形やいつもと違うことを要求されている、もしくは、そうしようとしている俳優、ということになるのだろう。



俳優には、その外見だけでなく、演技以外にその好まれる人柄やにじみ出る特性というようのもあるだろうしね。
好かれる人というものはいるものだし、だからこそ、とっつきにくい人物というのもまた物語には重要だ。


にしても、こないだ観た新聞記事でも、細かい物語内の演技について、挑戦みたいに書いてあったりするのを見ると、えんぎってなんだろうあんぁとぎもんいなかられる。
[白塗りに口紅、女装する役]に挑戦とかさ。
そんなこと挑戦なのか?
物語を演じるなら、そんなの表面に過ぎないと思うのだが、単なる外見なのだから、役者でもなくても外見を作るなら特殊メイクでもない限り、誰でも出来ることなのに・・・。
その外見だけでなく、そういうことをしてしまう内面を説得力もって演じることに挑戦しました、ということなのかしら?
でも、歌舞伎で女形がいる国だってのに。
他にも、[その後も演技派相手に怒鳴り合ってみせるなど]なんていう映画の紹介記事で、ある女優の説明した文章を読んだ。
記者の文章力の問題でもあるのかもしれないが、怒鳴りあうようなことをするのが演技だと思われているから書かれる気もする。
怒鳴りあうなど、がんばればみんなできる。強い行動だからね。
それをどうやったのか、どう見せたのか、どう表現氏としてやったかの中身こそ重要だろう。
例えば、演技派と怒鳴り合っても全くひけをとらない迫力、とか、射すくめられるような怒鳴り声を発しあいながらの怒鳴り合いを見せる、とか、その演技の状態を評するべきであろうに。


“演技派”という言葉には、絵描きに「絵が上手ですね」とか、小説家に「文章がお上手であられて」なんて言ってしまうような雰囲気をどうしても拭えないのだ、おいらは。
「上手い!」になると、また意味が変わってしまう、そんな日本語の難しさもあるんだけどね。
それは、歌舞伎の大向こうのように「中村屋!」の名前を言うだけでも、「さすがの○○」と言うだけでも伝わるというのに。


そして、こんなことをイチイチ考えているおいらは、理論派というより、胡乱(ウロン)派ってとこでしょうか。






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