菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

映画大帝レオは湖でライオンの夢を見ていた。 『ライオンは今夜死ぬ』

2018年02月24日 00時00分54秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1245回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

『ライオンは今夜死ぬ』

 

 

 

 

 

年老いた俳優が子供たちがつくる映画に出演するドラマ。

 

監督と脚本は、『不完全なふたり』、『ユキとニナ』の諏訪敦彦。

 

諏訪監督が、フランスの伝説的名優ジャン=ピエール・レオを主演に迎え、南仏の子どもたちとの映画制作のワークショップを行い、それをそのまま取り込み、撮り上げた日仏合作映画。

 

共演に、ジャン=ピエール・レオとは『ママと娼婦』以来の共演となるイザベル・ヴェンガルテン。

 

 

 

 

 

物語。

現代、南仏コート・ダジュール。

ベテラン俳優のジャンは、新作映画の中での死と向き合う演技に悩んでいた。
女優の事情で撮影は数日中断されることになる。その時間を使って、彼が向かった先は思い出の古い館だった。

 

脚本協力は、久保寺晃一。

 

 

 

 

 

出演。

ジャン=ピエール・レオが、ジャン。

ポーリーヌ・エチエンヌが、ジュリエット。

 

南仏のワークショップに参加した子どもたち。

 

モード・ウィレールが、ジュールの母親。
アルチュール・アラリが、フィリップ(映写技師)。

ルイ=ド・ドゥ・ランクザンが、映画監督。

 

イザベル・ヴェンガルテンが、マリー。
ノエ・サンピが、ユキ。

 

 

 

 

スタッフ。

製作は、ジェローム・ドプフェール、吉武美知子。
共同製作は、定井勇二。



撮影は、トム・アラリ。

南仏の光が素晴らしいです。

 

美術は、トマ・グレゾー。

編集は、マルシャル・サロモン。

 

音楽は、オリビエ・マリゲリ。

 

 

 


老俳優が映画での死ぬ演技に悩み、訪ねた思い出の地で子供らが作る映画に出演するドラマ。
諏訪敦彦とジャン=ピエール・レオからの贈り物。映画と人生への賛歌。懐かしく観た覚えのある、全く見たことのない新鮮な唯一無二の映画。
レオが劇中で演じる死は、俳優の仕事の妙味、ジャン=ピエールレオという稀有な俳優の凄みを味わえる。
降り注ぐ陽光のように映画の喜びが満ち満ちている。
子どもたちが眩しい。レオの眼差しに吸い込まれる。ライオンの姿に目が解ける。
フィルムならフィルムの、デジタルならデジタルの良さがあるものだ。
映画が終わり、そして、また始まる。幸福がそこにある。
『アメリカの夜』ならぬ『南仏の夜と朝』な映作。

 

 

 

 

おまけ。

原題は、『LE LION EST MORT CE SOIR』。

同じく『ライオンは今夜死ぬ』ですね。

日本では、『ライオンは寝ている』のタイトルで知られる名曲のフランス版の歌詞より。
英題のトーケンズのナンバー『The Lion Sleeps Tonight』と知られていますが、これもカバーで英語での最初のカバーは『Wimoweh(ウィモウェ)』というタイトルだったそう。
元々は、『Mbube』(ズールー語でライオンの意味)で、南アフリカで1939年にソロモン・リンダによって書かれ、彼のグループ Solomon Linda&The Eveningによって演奏され、大ヒット。後にアフリカのア・カペラの音楽スタイル"ムブーベ"の元となった。(wikiより引用)

 

 

 



上映時間は、103分。
製作国は、フランス/日本。
映倫は、G。

 

 

 

キャッチコピーは、「さあ、映画を作ろう。それこそが人生だから。」。

 

 

 

アルチュール・アラリは、『汚れたダイヤモンド』の監督ですね。撮影のトム・アラリはお兄さんで、アルチューリ・アラリ作品でも撮影やってます。

 

 

『アメリカの夜』は正式な邦題は『映画に愛をこめて アメリカの夜』 。1973年の作品。

 

 

 

 

 

 

ややネタバレ。

レオと亡霊の女性との会話の一部はジャン=ピエールの父親ピエール・レオ作の戯曲を使っているそうです。

 

 

諏訪監督が、準備中に「劇中で歌を歌ってほしいのですが好きな歌は何ですか?」とレオに訊いたところ、いきなり、この歌を歌い出したそうで、そこからタイトルをとったそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

『老人と海』の一節を思い出した。「老人はライオンの夢を見ていた。」を。

 

子供たちが実際にワークショップとして、映画を作っているのを映画にとりこんでいるそうで、あの劇中映画は彼らの脚本で撮影されたもの。

 

 

ジャン=ピエール・レオは巧いタイプの俳優ではない。憎いタイプだ。だからこそ、映画で輝く。真実寄りにいてくれる。
最後の眼を開けたままの死は映画を知っているものの演技だ。映画が終わればそこに死がある。観客の頭の中に浮かばねば、それこそ浮かばれないのだ。

 

 

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