空に問う

流るるまま・・・で行こう

昆虫

2016-10-19 16:29:50 | 日記
昆虫が怖い。

コスタリカのツノゼミを見ていたら恐怖にかられた。

この時期ってペアで出没するオンブバッタみたいなのがいるよね。アレが怖い。マツムシって言うのかなぁ。でも調べるのが怖い。

でも一番怖いのはコオロギ。

昔、いたずらにコオロギを殺したことが合って、ある日カボチャ大のコオロギの幽霊が出て、尚更怖くなった。5ミリサイズでも無理。

だから呪いの最中に虫が異様に出現したときは恐怖のどん底だった。まあ〇う〇〇は、虫関係が得意なんだと思う。真夜中に幾何学模様の虫の図形が浮かんだときはゾッとした。セミにバッタに・・ナナフシに、ちょっと昏倒したので覚えていない。

ああいう手の込んだのは、祟り神や妖怪幽霊死霊に悪霊は出来ないから、人間の手による呪詛呪術だと思う。向こうはどんな効果が表れるのかは分からんのではないのかなぁ・・・。たぶんご先祖が残した過去の遺物の祝詞集でも広げて適当にやっているんだと思う。副業もアバウトだから本業もアバウトなんだろう。

法則に一貫性がないし、無秩序だ。

昔流行った「コ●●●コ」っていう2chの怪談の舞台が島根県ではないかということになって、調べる人が続出していた。その中にはちゃんと島根県立図書館にまで出かけて、過去の神社の特殊祭祀についてまとめられた書物まで調査した人がいた。題名は覚えていないけど届け出ると閲覧だけは出来るらしい。かなりエグイ系の呪詛や祭祀について記載があったというが、「コ●●●コ」に基づくような記述はなかったそうで、少し安心した。その話の中の神社がM神社とされていたいたので大田市の物部神社に松江市の美保神社などが候補に上がっていた。

でも知り限り、そんな神事や名前の儀式は訊いたことがない。そんで更に深く潜った人の話では朝鮮半島の話ではないかという人もいる。

おいら感覚的にだけど、仮に島根県が舞台だったとしても、出雲方面や大田市あたりの話ではない気がする。もしあるのならば石見地方の西部だと思う。この話に隠岐の島らしい島が出てくるのだけど、昔は隠岐の島は浜田県の一部だった。今は地図の通りに松江市の方が管轄してるみたいになっているけど、昔は地元の一部だったわけだ。浜田市にもちょいと似通った遺物はあるけれど、たぶん浜田市の話ではない。

Mって神社あるんだよね・・・西に。そして極めて●に当てはまる地域が・・・・。

わざと方言を出雲っぽくしてるけど、特に出雲っぽい感じはしない。出雲って国津神の神域にあるけど、囲いや重しは天孫系の神で構成されている。

でも石見はしっかりと神仏分離を行ったにもかかわらず無秩序なんだよね。配置というか、囲いがない。普通はもう少し統一されるものじゃないかと思うんだ。特に益田市、鹿足郡はアンバランス。浜田市は人々が忘れているけどまだまだ統一性がある。

古代の豪族が神なるケースは比較的多いのだけれど、廃仏毀釈の際にモデルとなる神は定められているんだよね。記紀神話に記載された神もしくは天皇の臣下。天皇の臣下で有名な神と言えば天神さんでお馴染みの菅原道真。まあ諏訪信仰が拡がっていないのは、益田氏の先祖が藤原北家だからと考えればいいのだし。

まあ、地元垂涎の神が多いのだよね。だいたいはご神体を処分して代わりに鏡を据えた。鏡と言えば天照大神。諸説あるけど卑弥呼と混同されたりするし、卑弥呼も天照大神も大日霊(オオヒルメ)と呼ばれたりする。どこかの時点で神や神の名を戻したのかも知れないけれど、ここは小難しく考えないで天照でいいのではないかと思う。正確に言えば柿本人麻呂は天皇の臣下ではないので、実は神仏分離の際は苦労したのではないかと思う。

しかし柿本人麻呂を神号を与えたのは津和野藩の城主であり、太鼓谷神社の稲荷を伏見稲荷から勧請してきたのもまた津和野藩主である。津和野藩では江戸末期にはすでに神仏分離が行われていて、津和野藩をモデルとして明治新政府が神仏分離令を発令したと言われている。

でも何故に記紀神話の神が少ないんだろうか・・・。なんとなく目的があって、土地をいじったんではないんだろうか・・・。つい邪推してしまうのは背景と実施された内容が違うからである。現に記紀神話の神なのにわざとご祭神から外そうとしたところもある。それが神仏習合時の盛大な堂宇を持つ寺だったとしても、おかしな話なのだ。

土地が合わないって感覚ないですか?おいらは正直合いません。馴染めないというか馴染みたくない。土壌とか風土が人の民生を作り出すとしたら、絶対においらには符合する場所がない。どこも異国。強いて言えば人麻呂神社はその中にあって唯一神聖と思うけど。津和野藩主は神聖な地に改良しようとしたんじゃないのかと思うのだな。何故ならば記紀神話の神は高位すぎて、他の神様よりも異常に穢れを嫌うから、合わなかったんじゃないのかと思う。

まあ誰が何をしたとかはさておき、今の益田市のベースは津和野藩がこしらえたようなものなのに、益田氏をベースにして物事を置き換えてる。津和野藩が手を加えた時には益田氏はもう益田市にはいないのに。

誰かが何かを隠そうとするときには上書きしてしまうのがいちばん手っ取り早い。枝を隠すなら森の中。でも枝を森に隠すのではなくて、面倒だけど森を持ってきて枝を隠してもいいわけだ。別段、仏であるものに神号を与えて神にする必要はないのだから・・・・。それには必ず意味がある。現に益田市を代表する神の地位にあるのは人麻呂さんなのだ。

人外のモノを神として祀ることは昔からよくある話。出雲の方にもちゃんとあるし、石見西部にもちゃんとある。でも出雲が囲いの中にあるのに対して、石見の方はあんがい無秩序だ。神の系譜も違うから。

怪談「コ●●●コ」の舞台が石見西部って言いたいわけじゃない。あんな陰惨な復讐の仕方をするとは思わない。あくまで21世紀に生まれた創作怪談だから。ベースになるような伝説も逸話も訊いたことはない。

前の話に戻るけど、特殊祭祀、特殊祈願などは書物として記録されている。その中には信じられないような神事が行われたことも記載があるという。

ここからは想像なのだが、おいらは一度だけ特殊祈願を受けたことがある。要するに憑きモノ落としだ。で、その時に具体的に相手の素性を教えた訳ではないだけれど、すぐに相手を推察された。だから少しだけ具体的に相談をした。

その時の宮司さんの言いようのない表情を今でも思い出す。結果は最悪。呪詛をかけられているだった。ご神託は直接的なことでそれを早急になしたわけではないが、結果的に縁は切れた。切れたはずであった。

神話のふるさとと言われる島根県。ただし神社の数はそんなに多くないのが現実。結局は狭いコミュニティなのだ。名前を言っただけで危険と判断されたので、通常の祈願が特殊祈願に変更された。装束が変わったんですよ。いつもと手順が違ったり。

だから思うに、マズい系を得意とする社であったからこそ、祈願内容が変更されたのかな?その前の二件も同じようなことで相談したけど、おいらでも詠唱できる通常の祝詞だった。順番も変わるんですよね。

とりたてて優秀な人材であるとは思わないし、もっと完璧であるならばおいらは間違いなく死んでいただろう。妨害も攻防もあったかもしれないが、それを執り行う人間の資質が劣化してるから、上手くいかなかったんじゃないのかと思う。歯にも●がつくことがある。これは得意技と見てる。

16歳以前も神系は不得意で、まったく視えないといってもいい。神社は怖い場所だとすでに植え付けられていたせいで願い事などせずに賽銭をあげて帰る場所でしかなかった。だから今も情報がないと神系のことはてんで分からない。

だから・・・・困った。

そもそも死の穢れを全身に浴びているような人間だから、もっとわからない。天孫系の神社は本当は合わないことを今は理解してる。

益田氏は藤原北家の出だから、春日氏族系の神を信仰するはず。でも重用した神社は違うらしい。かたや人麻呂公・・・かたや●●●・・・。壮大な呪詛合戦でもあったのだろうか、対比するんだよね、位置的に。

人死が多い場所は死の穢れが強いと言ってもいい。古戦場とか城跡とか。新幹線で関が原を過ぎた頃から記憶が曖昧になって、ハッと気づくと帰路にありちょうど関が原を超えていたなんて話も訊いた。たぶんその場所は交通の要所でも角があり、人死が多い。寄せる何かがあるからだろうなぁ・・・・。

まあ虫の図形も夢や錯覚と言われたら証明できない。でもそんな器用なことはあちら側のポピュラー存在たちには出来ない。それこそ得手不得手がある。人為的なものは人為的な痕跡を残す。その年がたまたま昆虫、害虫、益虫の当たり年だとしても、近所で同じような話は訊いていない。

もちろん向こうはおいらが大の昆虫嫌いであることは知らない。だからいちばん怖がるものをおいらに視せた可能性は高い。効果絶大だった笑。

ちょっとだけ心が軽くなっている今だからこそわかることがある。本当につい最近まで呪詛を掛けられていたということ。

妖怪ちゃんが来てくれたりずっとしなかったもんなぁ笑。そういうのは普通にいると思うから別に怖くない。おいらが呼び出した訳じゃなくて、顔なじみだから来たんだろうし。今は霊的な干渉や影響を感じない。

それはアンアイテムのお蔭だし、健康グッズの微弱な電気のお蔭だと思う。体に刺激を与えることが心のために薬を飲むよりも、おいらの保護力を高めてる。バリアみたいなものが形成されたのかな(笑)。

急に力を失くすとか、憎むネタが尽きたとか、そういうことではないんだろう。やりすぎたからバレちゃったって感じなのかなぁ・・・。

それか「奇跡」を願って祝いでも始めたんだろうか。でも前の「奇跡」はおいらの願いだからね。棚ぼた式にラッキーがそこへ行っただけ。で、ちょうどおいらが願った約束の2年は過ぎた。もう奪われることはない。

祝うにしても呪うにしても中途半端な結果で終わる。自分がした祈願のせいで、悲劇が起こったことも反省材料にはならない人みたいだね。こういう人を性懲りもないと云うんだろう。

たぶんもっと悲劇的な出来事が起こるから、辞めた方がいいよ。誰のためにもならんことは自分のためにならん。それはこの2年でとことん味わった。ダメなものはダメなんだよ。諦めないと。それこそ奇跡なんか起こっちゃいけなかったんだ。

たぶん今度の願いは叶わない。

おいらは2年先を望んでいなかったのだからね。自分の仕事に見せたんだろうが、そりゃあインチキだし偽物だ。もう通じない。

だからあんたも汗水たらしてせっせと働くべ。努力したと思いたいけど、あんなに呪詛に時間をかけるところを見ると、仕事サボってるのは一目瞭然。おいらが感じていることをあちら側が知らないはずはない。

更なる悲劇が起こった時は責任は全部あんたが執るんだよ。

命かも知れないし、時間かも知れない・・・・。

でも

それが定め。

そして報い。

今日は海の気が増してるなぁ・・・ハーバーライトが滲んでる。

まあ珍しく柄にもなく、一族とかの単位で救いたいと願ったし、出来ること出来ないこと、してもいいこと悪いことの境目もなんとなく学べたので、人間としてのレベルアップしてるといいなぁ。それを少しは幸せと思える自分。それこそ正解でした(笑)









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