空に問う。

空に問うても果てがない

難しい

2014-11-10 14:29:59 | 日記
二本目のキーボード到着。フルキーボードならある程度幅がないと使いにくい。ずっとノートばっかりいじっていたんでデスクトップとなると勝手が違うことを今更ながら思う。仕事で使っていたPCはフルキーボードだったけど短時間利用で、もっぱら自前のノートで書類を作成していた。モニターも変えたし、Windows7から8.1に変えることにしたし、オフィスソフトも2007から2013に変更することにした。office2007は漢字の変換がおぼつかない。ノート2台はすでに8.1だけど、デスクトップは7だったから、この機会に変えてみることにした。机に座っていないと落ち着かないし。

折角の有給消費のような時間を無為に過ごすのはどうなんだろう?ああ貧乏性だ。社会から取り残されている気がする。これじゃ前に進めないぞと小金があったので、できる範囲でパソコンデスク周りをを大改造した笑。カタチから入らないと社会性を失うなんて、ホント子供みたいだと自分でも思う。

で、やっぱり思う。

家の住所に呪詛が掛けられていたことに。本当に心が荒ぶ。なんとか竹藪を伐採することで正気を保っていたが、そろそろ本当に限界だ。こういう体質もつくづく厭なものだ。何にも感じなければ楽なのに・・。

で、中指の指輪と水流による呪い封じは案外いけるかも知れない。姉には水流のほうを試して貰ったが、昨日は爆睡し疲れが取れたという。そうそう「疲れ」は「憑かれ」という。まあ、この住所に住むのはおいらだけじゃないから、家人にも影響して当然。正確には「いつ」から怪しくなったのかは定かではないが、本当の恐怖が始まったのはおそらく4年前。これには2人の存在が欠かせない。1人は友達のような敵で、もう一人はおなじみの呪う○○。呪う○○はそもそも意図していたわけじゃないんだろうけど、これもまた恐らく、要職を引き継いだ時点で、いろいろ譲渡されたのだろう。その中に過去にまつわるエトセトラがあって、おいらには100%呪詛かもねが来たんだと思う。どうも呪う○○はある時期から霊能力が備わったらしい。たぶん親父さんの死後の事なんだろう。何を封じるための神社かは知らないけれど、その山自体が死に取りつかれた人を呼び寄せるんだろう。それを使役していたとは言わないが、おいらに来ていたのは死霊の類なんじゃないかと思う。いつも首に何かが巻きついているような違和感を感じていたしね。

呪う○○も、其のあたりは分かっていんだろう。本当にすまなさそうな顔はしていた。でも己が放った呪詛の被害者にすまなそうな顔されてもね。巻き沿いになってお気の毒って話じゃすまないし。だけど、人それぞれの「正義」や「正しさ」の基準は違うし、自分の幸のために他人を犠牲にする事は、おいらたちが牛肉を屠るのと同じことなんだろう。他人の幸福を奪い取る力ってホントおぞましいし、凄まじい。

竹にしてもそうだ。もともと「メダケ」って種類で直径2センチくらいのはずが、ハチク並みに10センチくらいになっていた。それもこの4年くらいの間に・・・・・。何かが急速に成長するってあんまし良い兆候とは言えない。この1年で直径5センチくらいから20センチに急成長した名も知らぬ木は8月に切ったけど、それでも胸をふさぐくらいはダメージがあった。40年間直径5センチの木が普通に考えて1年で4倍になるはずはない。もし竹が全は個だとしても本数で考えたら、数百本は切った。この1本1本に念が籠っていればと考えると恐ろしい。それくらいは家の周囲は怪異に溢れてる・・・・・。今は、た、なんだろうけど。カラスも急に大群で屋根に止まらなくなったし。夏ごろは朝からカーカーの大合唱で目が覚めてたくらいでした。

で、祝詞とは、その都度、神を敬う為に作成される作文だという話を訊いてから、仏教と違う恐ろしさを感じた。お経や経典は古来から伝え続けられているもので普遍なものだけれど、祝詞は継承されてきたものではない。大祓の祝詞(仏教の祖聖徳太子作とされる?)などメジャーなものはその作文が優れているために応用されているに過ぎない。よく読むと古事記のストーリーを語っているのだし。

だからもしとある神社に他人を呪詛する祝詞が代々引き継がれていてもなんら不思議に思うことはない。元来文字とは力を持つものだし、言霊とも言われてる。悪いことを口にすれば災いが寄ってくるとも言われてる。だから、とある神社で作成された悪意を持った祝詞が存在し、それを継承したものがいても不思議なことはない。ただし祝詞はそれが正しいのか、禍を為すのかは読めばわかるものだ。わかっていて利用したのであれば、それは魔に落ちたってことなんだろうし。だから、その可能性がある、とある神社に知り合いがいて、祝詞とはその都度書かれるものであることを知っていれば疑ってしまうだろう。今回もやはり「延命」されたはずだ。普通の会社ならば当然クビになっていたところを何度も何度も救われている。でもその度に誰かが犠牲になっている。大病を患うもの、精神を病むもの、愛する者を失うもの・・・・。いっけんかかわりのないような事ばかりで近くにいれば知覚できないものなのかもしれないけれど、おいらには少なくともある程度の知識はあったし、遠くにいるから見えるものが広範囲であったから繋がりが見えたに過ぎない。

でももう呪う○○は破滅に向かうんじゃないんだろうか?些細なことでおいらを挫かせるつもりが、一人の人生を大きく歪めてしまったのだから。それはもう呪いそのものが存在することを本人ならず証明したわけだし、肯定してしまったことだろう。もともとがビビりなんだから、徐々にその力の強さに恐れおののくだろう。少なくとも同僚にはもう味方はいない。毒は巻いたしね。信じるに値しない人間であることは確かだし。それをありのまま側近に伝えておいた。まあ側近がすぐに呪う○○に告げ口することも想定済み。それを話しながら側近も確信してしまうだろう。事実でないことを告げない人間から訊かされた話ほど後に効く。呪う○○が正しくないことをひしと感じるだろう。そういう仕掛けはしておいた。だから、やっぱり縁が切れたはずなのに、おいらの気を塞がせるような出来事ばかりがこの1カ月あまり続いた。でももう理屈が通らないはずだ。だって「おいらが会社にいたるから」会社そのものが悪くなったとしていたはずだから、居ない人間を厭う正式な理由は存在しない。我執により行うのはもう儀式ではない。私怨による呪詛そのものだから・・・・。

で、現代において作文された祝詞例集を購入し、自分なりに応用して除霊の祝詞をこしらえてみた。

すると不思議なことに、頭のてっぺんがうづきはじめて、何かを引っ張られているような気がしながら眠りについた。しかし朝は体調が悪くて久しぶりに昼まで起きれなかった。今はすこぶる調子が良い笑。起きてすぐに応用した祝詞をパソコンで清書した。家の中から、ある種の「気配」が消えた。消滅した。

悪いモノが霧散したことを祈るばかりだ。おいらは呪う○○が心を改めて、世のため人のために力を行使してほしいと願っている。だって人を羨み妬む事しか教えられたことはない可哀そうな人間だと思うからだ。おいらはかろうじて神仏の加護により命が救われたのだから、今件に関しては、もうそれ以上は願ってはいけない。怨んではいけないと心から思っている。もし霧散した悪いモノがどなたかの元に返り禍いを受けたとしても、それは願いの範疇の外だ。そういう愚かな人間がいて、その愚かな人間が己の業により罰を受けただけのことだから、もう心を痛めたりはしない。なんせ祝詞には特定の人は指していないものにしたしね笑。おいらは家族を守りたいだけ。友人知人を守りたいだけ。それが悪しき人の元に返ったとしても、それはおいらが思い及ばぬものだから・・・・・・・・・。

そう平穏無事。それだけを願っていたし、石見の地に平穏が戻ることを祈願していただけ。一個人が及ばないような大きなものに対して祈願をしたのだから、おいらが弾き飛ばされても仕方のないものだろう。代償は取られるもんだ。それがわかっていながらも、おいらが人として選択した事を後悔はしていない。それくらい容赦のない存在が神というものだということを理解してさえいれば納得できる。納得できる人間になるために、この一年は神を学んだ。学んでも学んでも足りないけれど、納得できる人間にはなれた。過ぎた願い事はしてはいけない。自分だけが振り回されるのではなく、身近にいた大切な人を悲しませることになるのだからね。だから情け容赦ない神を恐れ敬うことにした。

もう一人は、得体の知れないものが憑いていて、それはあまり良いモノじゃないけど、本人が他人を踏みにじっても、それが己が利益だと確信してるところがある人間だし、もう二度と深くかかわることもないのだろうから、せいぜい人の思いを踏みにじり生きていけばいいと思う。情けをかけただけうとまれさげすまされたなぁ。それはそれで良い勉強になった。この人間が、おいらと呪う○○の間をつなぎ干渉したってだけ。媒体であり、触媒であり、両者に化学反応をもたらした危険な元素みたいな人間だ。

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