空に問う。

空が落ちる日まで。

ベルの不等式

2017-07-15 16:43:44 | 日記
あんまりよく分からないけど、”未来の自分がいるから今日のおいらはここにいる”的な量子論で、また時間とは過去から未来へ流れていくわけではなく、未来から過去にも少なからず影響を及ぼしていることが証明されたらしい。

ベルの不等式のベルさんて、電話のベルさんのことだよね笑。数学嫌いだった(苦手?)から物理学はよく分からない。子どものころそろばん塾ブームがあったけど「行く?」と訊かれて「行かない」と答えたら強くは勧めてくれなかった親。親は勉強熱心ではなかった。初等教育までは誤魔化し算数は出来たけど。

もしかすると数学好きになれた可能性もあったんだよね。苦手意識が先に立つとなんもする気が起きない。とりあえず推理は好きだけど論理だてて考えるのは案外苦手かも。時系列はちゃんと考えますよ。

”なんでこんなことしてるんだろう?””なんでこんなもの買うんだろう”というのはよくある。未来のある時に「こういうことか」という答え合わせが出来ることは多い。でもここ最近は徒労だけど。

災害が起こる前日に、その被災地にある神社にお詣りする。実際に予定していたスケジュールだと災害が起きる日に神社詣りを計画していた。

だから、その二日前の晩、そこを訪れてる夢を視てるんだよね。馴染みの神社でもある。

まあなんとなく呼ばれた気がして、一日前倒しにして行ったんだ。

でも未来に起こることはおいらには止められないし、例えば警告を発せたわけでもない。そしてそこで霊験や奇跡または幸運不運に会った訳でもない。

そうなんらおいらには影響せず、嫌だなァという気持ちと罪悪感と不吉さを感じた。

またこういうことの延長線上にある話なのかは分からないが、何故だか、殺人犯の名前を言い当てていた。

まあ逮捕された時点で犯人は死んでいたんだけどね。そういう犯人の無念さってあるんだろうか。別においらに取り憑いたにしろ、おいらに殺人衝動が起きた訳ではない。

たまたま母に祟り神が憑いていて居場所(神社)を探しているという霊能者の見立てもあって、おいらの中にいる禍々しいモノこそその祟り神の一部なのかと思っていた。再度神として祀るにしても、自然崇拝の神であって、山の巨木に神を降ろし一族の繁栄を願う森神と言う形式の神であるところまでは分かったが、どう祀ればいいのか分からない。

例えば神とは、高位の霊性と位置づけららえる。霊である以上は成仏の概念はあるんだと思う。この成仏に代わる神道の言葉では”神上り”という。

じゃあ名前を付けておいらがお祀りし、おいらが死ぬときに一緒に神上り出来ればいいかと、ソレに名前を付けることにした。飛び切りゴージャスでいい感じの名前が浮かんだので、小さな神札を作った。こういう時小まめなんで社印も作ったし、小さな社も買った。

で、まあその神の名は犯人の名前と同じだった。どこかで訊いたり、会ったこともない人間だった。顔にも覚えがない。

住んでした場所は少なからず馴染みがあったけど、それは場所がどのへんか分かる程度だし、被害者はもちろん加害者についても何ら心当たりもない。犯人が死んだとされる道路を通ったこともない。何も何も”この霊”とは接点がない。

もしも犯人が本当に真犯人だとして、それが何だかよく知らない関わりでおいらに取り憑いたとしたら、その理由は同じような犯罪を犯させることでしょう。でも・・・そういう危ない感じでもなかったから、神にしようとか思いついたんだよね。もしかして真犯人ではないことを訴えに出て来てのだとしたら・・・・。でも当然こういう霊感は証拠にはならないし、すでに被疑者死亡で終わった事件。

まあもし冤罪なら、冤罪に見立てた奴らはロクな死に方はしないと思う。犯人を仕立てることで治安維持を確保したと思いたいのだろうが、それは単なる屁理屈である。罪なき者を罰するのは正しいことではない。しかしこういう幕の引き方をするときは検挙できない立場の真犯人が死んだからこその見立てだろうから、同じ犯罪は起こらないと思うけど、関わった者にはたぶんおぞましい未来が待ってる気がするぞ。おいらみたいな半端ものの霊能力者もどきに取り憑くんだから、そういうに怒り心頭だったと思うからね。

単においらが犯人の名前を当てていたというのは、おそらく答えではない。もしそれを言い当てたっておいらは一円の得もしていないし、事件に裏があるとしても暴けないし、それを別に得意になる気もないし、ただ気持ちが悪いだけで、また自分を少し呪ったくらいだし。

答えはもう少し先にあるのかなぁ?真犯人には少なくとも共犯者がいたはずである。たぶん二人。警察が検挙できなかった人物の他にもう一人いると云うことかなぁ???

でもそれに答えがあるとは思えないんだよね。ただ気持ちが悪いだけで。

何かの思い違いがあって、ちょっとは神っぽいのが可愛がってくれているのかと思っていたけど、振り返るとロクな目に合ってないし、振り出しに戻るときのポイントみたいにもなってる。だから当然、神ってる訳ではなく、嫌われてると云うことなんだろう。

寄るな、近寄るな・・・。それがいつだって答えだった。

何やら・・・崇敬する神社が呼んでる・・。ここだけはどこともパターンが違う。良いように使われてる。それもボランティアだ。神の丁稚か人間使い魔みたいなものか。でもさ、もう遠慮しておく。人間をもう一度やり直したいから。それに無給でこき使われる理由がない笑。

未来の自分はまだ微笑んでるかなぁ。

だといいが。

とりあえず過去の自分とは縁を切りたいね笑。



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