もなぴの徒然メモ

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◆道徳の共同体としての「日本国家」

2017-03-10 16:01:33 | 歴史認識

▼建国の淵源からオリジナルな《民主主義》の国だった日本

先日、ネットTVチャンネルの小川栄太郎さんの鼎談番組で「建国記念の日(紀元節)」ににまつわる、面白く興味深いエピソードを見ました。

その番組の中でも語られていて、私にとってとても印象的だったのは、日本の国柄の根幹となっている「皇室」の存在は、その起源である神武天皇の最初から《民を思う》オリジナルの民主主義であり、天皇は神の子孫としてその先祖の徳に恥じることのない役割を果たされることを、代々内面の規範とされてこられているということです。

以下は、時代の節目節目で天皇が国民に対して示された御言葉の、時系列のメモです。

▼前660年/紀元元年/神武天皇元年
 神武天皇即位『神武天皇即位建都の大詔』(建国の詔)より抜粋
 「夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことはり)、必ず時に隨(したが)ふ。
  苟(いやし)くも、民(たみ)に利(かが)有らば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)はむ。」
 [現代語訳]
  徳を体現して天皇が諸制度を整えることで、国に道理が正しく実現されていきます。
  それこそが民の暮らしを安んじるものとなり、天皇の行う最も大切な仕事なのです。

▼316年/紀元976年/仁徳天皇4年
 仁徳天皇『《民のかまど》のエピソード』
 御製「高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
 [ウィキペディアより引用]
  難波に都を定め、人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった、と言う記紀の逸話(民のかまど)に見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号もこれに由来する。

▼604年/紀元1264年/推古天皇12年
 聖徳太子『十七条憲法の制定』一部抜粋
 ([出典]金治勇『聖徳太子のこころ』、大蔵出版、1986年
  http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm)
 [現代語訳]
 「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。
  人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

  十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。」

▼1868年/紀元2528年/明治元年
 明治天皇『五箇条の御誓文』
 「一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
  一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
  一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
  一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
  一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」
 [現代表記]ウィキペディアより
  1.広く会議を興し、万機公論に決すべし。
  2.上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
  3.官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
  4.旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
  5.智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

▼1946年/紀元2606年/昭和21年
 昭和天皇『新日本建設に関する詔書』
■現代語訳
 (「ぼやきくっくり」 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1123.html )から引用)
 「ここに新年を迎える。ふりかえれば、明治天皇は明治のはじめにあたって、国の基本方針として「五箇条の御誓文」を、おさずけくださった。それは、

  一、広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。
  一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。
  一、役人・軍人から庶民にいたるまで、だれもがその志をまっとうし、途中であきらめたり怠けたりしないよう計るべし。
  一、過去のあやまった風習や弊害をやめ、なにごとも天地の道理にのっとるべし。
  一、新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、大いに天皇国家をふるいたたせるべし。

  明治天皇の叡智にあふれた御旨は、この五箇条の御誓文にすべて集約されており、この上、付け加えるべきものはなにもない。余はここに、改めて五箇条の御誓文をもって、国の運気を開きたい。すべてはこの御誓文の御趣旨にのっとって、旧来の弊害を去り、国民の意欲を高め、官民協力して平和主義に徹し、教養も豊かな文化を築き、国民生活の向上をはかり新しい日本を建設すべし。

  わが国の大小を問わない都市がこうむった戦争の災禍、罹災民の苦難、産業の停止と頓挫、食糧の不足、失業者の増加などのありようは、まことに余の心を痛ませるものがある。しかし、その一方、わが国民が現在の試練に直面しながらも、徹頭徹尾、平和な文明を求める決意を固くし、国民どうしの結束をまっとうすれば、わが国のみならず、全人類のためにも、輝かしい前途が開けることを疑わない。

  わが国民においては、家庭と国家を愛する心が、ことに熱烈である。今まさに、その精神を拡大充実させ、人類愛の完成に向けて、献身的な努力をすべき時である。

  余が思うに、これまで長きにわたった戦争に敗れた結果、わが国民はややもすれば絶望感にかられ、失意の底に沈んでしまう傾向がある。言動がしばらく過激に流れるようになり、道義に従う心もいちぢるしく衰え、そのために思想の混乱の兆候が見られるのには、まことに深い憂慮の念を覚えずにはいられない。

  しかし、余は汝ら国民とともにある。常に利害を同じくし、喜びも悲しみもわかちあいたい。余と汝ら国民との間の絆は、いつも相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、単なる神話と伝説を根拠に生まれたものではない。天皇をもって現人神とし、また日本国民が他民族より優れており、そのゆえに世界を支配すべき使命をもつといった架空の観念によって生まれた絆でもない。

  余の政府は、国民の試練と苦難とをやわらげるため、あらゆる政策と国家経営に万全の手段を講ずるべきである。同時に余は、現在の苦難にあたってわが国民が奮起し、当面の困窮を克服するため、また産業と文化の振興のため、勇気をもって進むことを心より願う。

  わが国民が、その実生活において団結し、互いによりそい助けあい、寛容をもって相手を許すという気風を高めるならば、わが国の至高の伝統に恥じることのない、日本民族の真価を発揮するに至るだろう。このように考えるのは、実にわが国民が、人類の福祉と向上のため、絶大なる貢献を爲すであろうことを疑わないからである。

  一年の計は年頭にある。余は、余の信頼する国民が、余と心をひとつにして、みずから奮い、みずから励まし、もって以上の大業を成就することを、心より願うものである。」

▼2011年/紀元2671年/平成23年
 今上陛下『東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(ビデオ)』
 宮内庁ホームページへのリンク
 http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html

▼2016年/紀元2676年/平成28年
 今上陛下『象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(ビデオ)』
 宮内庁ホームページへのリンク
 http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41